勇敢な騎士と囚われの少女
砲撃の震動は地下最奥の監獄詰め所まで達していた。
缶詰が酒瓶とかちゃついて不平を囁き、ランタンは舞い落ちる埃を避けるように左右に揺れる。このときは特に大きな震動で弾薬鞄が倒れて、床中に紙製実包をばら撒いていた。実包のうち、いくつかは無事だったが、いくつかはひどく汚れてしまい、いくつかは水溜りに転がって使い物にならなくなった。
帝国軍の軍曹と兵卒は床に這いつくばって、無事な弾薬だけを拾い集めていた。
「〈また、砲撃だ〉」
軍曹が恨めしげに頭上を仰いだ。梁の向こうで高い天井が震えている。今にも崩れて落ちてきそうな気がした。
「〈軍曹。なんでおらたちはこんな場所にいなきゃならんのでありますか?〉」
「〈オシップ、答えはボルシチを平らげるよりも簡単だ。俺たちは牢獄塔に閉じ込められた女の子の見張りをさせられている。だから、ここで女の子が逃げないように見張ってなきゃいけないんだ〉」
先月まで農夫だったオシップ一等兵は合点がいかずに分かりやすい答えをせがんだ。
「〈それでがすよ、軍曹〉」訛りの強い帝国語でたずねる。「〈どうして塔のてっぺんに閉じ込めたアマっ子を見張るよう命令されたおらたちが、塔の一番下の地下室で砲撃の音に怯えながら、弾薬を拾ったりしなきゃならねえんでがす?〉」
「〈それについては二つの答えがある〉」
多少学のある軍曹は立ち上がると勿体ぶって右手を上衣の中に突っ込むと、まず指を一本立てた。
「〈その一、この牢獄塔は入口が一つもない。牢獄塔に入るには一度堡塁の地下、つまりこの部屋まで降りてきて階段を昇るしかないんだ。だから、この部屋で俺たちがずっと見張っていれば怪しい奴は誰も塔に登れない〉」
「〈ふむふむ。その二はなんでがす?〉」
「〈その二。俺たちは死ぬにはまだ若すぎる。いまやコンスタンチノフスクは砲弾の嵐にさらされている。で、質問だ、一等兵くん。高い塔のてっぺんと分厚い石の壁に守られた砦の地下。どちらのほうが安全だ?〉」
「〈塔のてっぺんですかね?〉」
「〈砦の地下に決まってる! おい、オシップ。お前、キノコのことは何でも分かるのに大砲のこととなると何も分からんのだな。松の根元にこれ見よがしに生えてるキノコと地中に潜っちまったキノコ。どっちのほうが採りにくい?〉」
オシップは得意のキノコについてたずねられ気をよくして答えた。
「〈そりゃ地面の中のキノコでがす。見つけにくいし、土を掘らなきゃ指がとどかねえ……あっ、そういうことか! いやあ、おらでも軍曹の言ってることがわかっちまっただ! つまり、塔のほうはこれ見よがしのキノコで、おらたちは見つかりにくい地面のキノコってことだ。いやいや、軍曹はすごいお人だで。そういう賢い話し方は神学校で教えてくれるんですかい?〉」
「〈小学校で教えてくれるのさ〉」
「〈軍曹。おら、決めましたで。おらはこの通り学がねえだども、せがれはちゃーんと学校に行かせますだ〉」
「〈せがれが学校行く前に、お前さんは塔に行かなきゃな。そろそろあの子の様子を見に行く時間だ〉」
軍曹はここ数年止まりっぱなしの柱時計を顎で指した。
時計が読めないオシップはあみだに被った軍帽の庇をぐいと引き下げると、牢屋の鍵を手に階段へ消えた。
その後、軍曹は一人、砲撃に曝された堡塁の地下で不安な時を過ごした。先ほどオシップ相手に地下は絶対に安全だと大見得切ってはみたものだが、軍曹も実は怖かったのだ。もし、天井が衝撃に耐えられず崩れ落ちてしまえば、地下にいる自分は生き埋めになってしまう。軍曹はこっそり逃げてしまいたい衝動に駆られたが、オシップを置き去りにするのも気が咎めたので、結局逃げ出せないでいた。
軍曹は机に積み上げた弾薬のピラミッドに溜息を吹きかけ、はやくオシップが戻ってきてくれないものかと心細く思いつつ気を揉んだ。話し相手が欲しかった。
だから、ピーコートを着た少年水兵が現れたときは驚いたと同時に少しホッともしたのだ――頭を壷で殴られて気を失うまでは。
「ごめんなさい」
アデルバートは軍曹の頭から壷の破片を取ってやり、体をまさぐった。牢屋の鍵らしいものは見つからない。
落雷のような音が昇り階段に通じるアーチから響いてきて、真っ赤に焼けた不発弾が階上から転がってきた。同盟軍がこの堡塁を狙って砲撃したのだろう。
時間は無駄に出来ない。アデルバートは鍵のことは後回しにして、とにかく階段を昇りシャルロットの元を目指すことにした。
地下詰め所の上に立つ内径二十ヤードほどの塔。松明が数本かかっているだけの吹き抜け螺旋階段が壁にへばりつき、闇の中へ巡り伸びている。床には同盟軍が放ったと見られる砲弾数発が爆発もせずに転がっていた。見上げると光が確認できた。塔の壁が砲弾にぶち抜かれて、砲火が差し込んでいるのだ。
アデルバートは松明片手に吹き抜け階段を駆け上がりながら、ちくちくした罪悪感に胸を痛めた。ペイトンやテオドールは自分を先に行かせるため、時間稼ぎの戦いに身を投じた。今もなお、二人が命を賭けて戦っていることを思うと加勢も出来ない自分の無力さが歯痒く、悔しさがこみあげる。身を巡らして二人の元に飛んで帰ろうと思ったことも一度や二度ではない。もちろん二人が勝つと信じてはいる。だが、こうして一人先へ走ることは大切な仲間を見捨てるも同じなのではないか? テオドールは違うと言ってくれた。
だが、自分の中では納得がいかない。
自分だって軍人だ。二人の力になれるのだ。
思索が足元の注意を疎かにさせ、アデルバートは何かに躓いて踊り場に転がった。段の陰に鉄製の大きなものが転がっていたのだ。
松明を外して、階段にかざす。闇の中から浮かび上がったのは大きなネジと二枚の板からなる奇妙な道具だった。中世の歴史本で読んだことがある。これは囚人の足を挟んで締め潰すための拷問具だ。最近使われた形跡はないが、それでもその用途を考えると背筋に冷たいものを感じる。
「アアーーーーーッ!」
甲高い悲鳴が闇をつんざいた。最上階からだ。シャルロットの身に何かあったのだ! まさか、帝国兵はシャルロットを拷問にかけて秘宝の在り処を白状させようとしているのか?
「シャルロット!」
自分の愚かさに怒りが込み上げてくる。自分が二人の仲間を置いて、先を急ぐのはシャルロットのために他ならない。一人、帝国の要塞に囚われて、助けを待つシャルロット。今の冒険は秘宝のためでも軍人としてのプライドのためでもない。一人の少女を帝国から救い出すための戦いなのだ。
アデルバートは階段を跳ぶように駆け上がり、突き当りの扉に肩から突っ込んで、最上部の特別監禁室に飛び込んだ。
天井の一部が砲弾の嵐にもぎ取られて、差し込んできた月夜は吊るされた鳥かご型の檻を照らしていた。黒々とした鉄に鋲を打ち、絶対に分解できないようにした頑丈な檻にシャルロットはいた。
そして、アデルバートが恐れていた通り、牢屋では身の毛もよだつ拷問が行われていた。
「ふっふっふっ。私のエプロンをちゃんと調べず、あまつさえそのエプロンごと牢屋に放り込む無用心があだになったわね。さあ、はやくこの牢屋の鍵を出しなさい! はやくしないと、どんどん眼がよくなっちゃうわよ!」
帝国兵はシャルロットに鉄格子越しの状態で羽交い締めにされて、おいおい泣きながら哀願した。シャルロットのスポイトが目薬を一滴落とす度、百粒の涙が帝国兵の目から溢れ出る。
「〈いたい! やめてけろ! なんでオラがこんな目に!〉」
「何いってるのか、さっぱりよ。私がほしいのは鍵よ、カ・ギ! わかる? 扉を開けろってこと! ジャラジャラ、カチャカチャ、カチリ、ギィー、バタン!」
帝国語と共和国語の越えがたい障壁をシャルロットは擬音語を多用することで解決しようとしたらしい。
だが、看守役の帝国兵は優位に立った囚人が真っ先に求めるものはなんであるかという論理的思考に基づいて行動した。
帝国兵のポケットから鍵が一つだけ通してあるリングが取り出されると、シャルロットはそれをひったくり、帝国兵を解放してやった。鍵穴に突っ込んで回してみると、確かな音が鳴り、錠が開いた。
目を押さえて泣きじゃくる帝国兵に対し、シャルロットは腰に手をやってお説教した。
「まったく。か弱い女の子を牢屋に閉じ込めるなんて。こんなこと、あなたのお母さんが知ったら顔を真っ赤にして怒るわよ。これに懲りたら、こんなマネは金輪際しないことね。もし、またやったら……」
目薬の入ったスポイトを人差し指の上でくるりと回した。
「ヒィ~!」
帝国兵は泣きはらしながら、慌てて逃げ出した。
「あっ、アデルバート。遅かったじゃない」
帝国兵顔負けの気迫で自由を勝ち取ったシャルロットのバイタリティーに対し、アデルバートはやや呆れつつも賛辞を送った。
「君って……助け甲斐がないね」
「あら、自活力があるって言ってほしいわ」
シャルロットは牢の出口で手を差し出し、手を軽く下に向けた。ちょうど手の甲を見せびらかすようなやり方だった。シャルロットが妙にすました顔をしてくるので、アデルバートはなにか誉めなくてはと直感したのだろう。近づいて、お義理程度に手の甲をじっと見ると、
「捕まってたにしては、きれいな手の甲だね。さあ、行こう」
と、くるり背を向け、階段に向かおうとした。
「手をとって、下に降りる手伝いをしろって意味よ!」
アデルバートは半ば強制される形で下を向いたシャルロットの手をぎこちない動作で握った。シャルロットは宙吊りの牢から、ひょいと飛び降りると、さあ、行きましょと手を引っ張った。
アデルバートは一緒に走る代わりに手を振りほどいた。
「な、なに?」
アデルバートは自分のピーコートを脱ぎ、シャルロットの肩に乗せた。
「手を握ったとき冷たかったから。寒いでしょ?」
シャルロットは安心したように笑いかけ、前を掻き合わせるともう一度アデルバートの手を握った。
「ありがと。さ、帰りましょ」
「そうはいかないわ」
銀色のツバメが鉄格子を切り裂いた。咄嗟にシャルロットを突き飛ばすと、アデルバートの軍帽を刃がかすめた。
ツィーヌが崩れた天井から音もなく舞い降りてきた。手にはツバメ型の投げナイフが握られている。
「隊長とパーヴェルをかわして、ここまで来るなんて大したものね。でも、それも終わりよ」
ツィーヌは二人に冷たい視線を向けながら、ナイフを抜いた。
「秘宝をあきらめて王国に帰りなさい。そうすれば命は取らない」
「お断りだ」
アデルバートもシャルロットを背に隠し、剣の鞘を払い捨てる。
「待って!」シャルロットが殺気立った二人の間に割り込んだ。「あなた、秘宝が目当てなの? 秘宝はあなたが考えてるような高価なものじゃないの。秘宝は……」
「秘宝の正体に興味はないわ」ツィーヌが遮った。「秘宝を求めるのはそれが任務だから。秘宝が何であろうと私はその回収の任務を受けた。障害は誰であれ排除するだけ」
シャルロットはツィーヌの冷酷な言葉に少しもひるまなかった。
「じゃあ、あなたは任務のために何でも出来るっていうの? 人をだましたり、物を盗んだり……もっとひどいことも……」
「そうよ。分かったら、そこをどきなさい。あなたに危害を加えるつもりはないけど、邪魔が過ぎれば痛い目を見てもらうわよ」
「どかないわ! だって、あなたにそんなことできるわけないんだから! 包帯所であんなに優しかったあなたにそんな恐ろしいことが……」
「どくんだ、シャルロット」
アデルバートの冷たい声にシャルロットが身を震わせる。
「アデルバート……あなたまで……」
「彼女は君の知っている看護婦じゃない。君を帝国に連れ去るつもりだ。残念だけど戦うしかないよ」
「でも……でも!」
「シャルロット……僕を信じて。必ず助けてあげるから」
ツィーヌが短剣を手に床を蹴った。アデルバートが迎え撃つ。
そのとき、目の前が真っ赤に燃え上がった。
塔の外壁に臼砲弾が命中し、衝撃が三人に襲いかかったのだ。
突然、床が消えてなくなり、シャルロットは真っ暗な穴に飲み込まれるように落ちていった。 導火線が火花を散らせる榴弾がツィーヌの足下にごろごろと転がると、アデルバートがツィーヌに体当たりした。榴弾はすぐそばで破裂し、アデルバートは胸を押さえたまま、吹っ飛ばされ、ツィーヌは反対側の壁まで転がった。石屋根が完全に消し飛び、巨大な鳥かご型の檻が、がらんがらんっ、とやかましい音を立てて、外に転がり落ちる。
どうしてこんなひどいこと。
シャルロットは混濁する意識の中で眼を閉じた。
グシャッという音と悲鳴が聞こえてくる。
「アアーッ、神様! 足が、足がああ!」
助けを求める声が瑠璃色の瞳を再び開かせた。
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