秘宝の祠

 月はまだ昇り切っていなかった。

 かすかに欠けた月に蒼白く照らされた寺院は、ちょうど崖の懐に抱かれるような形でひっそりたたずんでいた。

 こんな辺鄙な谷になぜ寺院を建てたのか? 巡礼者目当てとは言い難い立地条件だ。この峡谷は民家もなく、丸裸の岩肌と禿山だけのエルボニン半島でもとくに殺風景な谷だった。

 水気がなく、緑もなく、道といえるものもない。雨水が伝い落ちて穿った程度の小さな溝が歩きやすいというだけのことだ。

 岩に飲み込まれそうな細長い寺院の正面。読み取れない古代の文字を飾り刻んだ石の大扉がその入口をぴったり閉ざしている。だが、他に入口はないのだから、この扉から内部に入るしかなかった。

「ここは俺の出番だ」

 ペイトンは舌をちょろっと出して唇を舐めながら、拳をボキボキならした。上衣を脱ぎ捨て、腕をまくると自分の背丈の三倍はあろうかという分厚い石扉に両手をつき、息を止め、押し動かそうと両腕に力を込めた。

 その足が一歩ずつ踏み出されるたびに巨大な岩盤扉が砂塵を落としながら、ゆっくりと寺院の内部に押し込まれる。ペイトンは顔を真っ赤にして唸りながら、ついに扉を完全に押し開けてしまった。

「すごい……」

 シャルロットはぽかんと口を開けてしまった。テオドールも同じく口を開けていたが、はしたないと思って、手で隠しながら口を閉じた。

 ペイトンは、まっ、ざっとこんなもんよ、と手の埃をパンパン叩き落とすと、ランタンの蝋燭を新しいものに取り替えて、みなに配った。

「さあ、坊ちゃん。いよいよ秘宝探しの旅も終わりですよ」

 岩窟寺院とは言うが、中の構造はただ岩を掘り進んで通路にしただけで洞穴に近いものだった。闇の中、ランタンの乏しい光で足元を照らす。壁に横道があるかと思ってペイトンとテオドールがランタンを掲げるが、蝋燭を入れるための穴が穿ってある他には目立つものは見つからない。分岐らしきものもない一本道を進むと一行は太古の礼拝堂に辿り着いた。

 岩むき出しのだだっ広い部屋で石の祭壇が置かれているだけである。だが、奥には三つの道が開いている。

「どれが秘宝の部屋につながってるのかな?」

 アデルバートはランタンを真ん中の道に突っ込むと「ヤッホー!」と叫んでみた。

 こだまは返ってこない。光も音も闇に食い尽くされてしまった。

「なるほど。ずいぶんと長い通路のようですね」

 テオドールは右の道の前で、ふむふむ、とうなずく。

「俺はこの左の道が怪しいと思うな」

 ペイトンはランタンとピストルを捧げ持ち、左の道に進んで行った。明かりもペイトンの姿も十歩進めば、闇に掻き消えてしまった。

 しばらくすると、闇の中からペイトンのドラ声が響いてきた。

「おお~い、みんな! やっぱり、こっちの道が正解だ! きっと宝に通じて……どわあーっ!」

 ズドーン! ……という轟音が礼拝堂に反響する。

「ペイトン!」

「大丈夫ですか!」

 二人の呼びかけに返事はない。

 だが、十秒もすると左の道から鉄砲水とともにペイトンが吐き出されてきた。濡れ鼠になったペイトンは胡坐をかき、ぶるるっと体を震わせると、縁なし軍帽をぎゅっと絞ってから、恥ずかしそうに頬を掻いた。

「左の道はハズレみたいだ」

 今度はテオドールの番である。きっと右の道が正解ですよ、と朗らかに笑いながら右の道を進んだ。

 五分と経たないうちにテオドールが戻ってきた。

「どうも、ここもハズレのようです……」

 苦笑するテオドールのシャコー帽には矢が二本、頭すれすれで貫通していた。

「じゃあ、残るは真ん中の道だ」

 アデルバートは暗闇に身を躍らせて、真ん中の道へ飛び込んだ。

 自分の足音以外の一切が聞こえない静寂の通路をひた走り、ランタンを持った腕を前へ前へと突き出し続ける。

「だいぶ進んだけど、何にもないなあ……あっ、あった!」

 アデルバートは興奮に声を弾ませた。行き止まりに宝箱があったのだ。黄金で出来ていて、実に凝った模様が彫られている。洞窟は風雨が届かないので、古の彫刻が少しも磨り減らずに残っていた。蓋の真ん中には大きなルビーがはめ込まれ、ランタンの光を怪しく反射している。

「この箱に秘宝が……」

 ゴクリと生唾を飲みつつ、蓋に手をかける。アデルバートは一気に蓋を開けた。

 宝箱は空っぽだった。いや、正確に言えば、底がなかった。金の底板に大きな丸い穴がぽっかり開いているだけなのだ。

「どういうことだろう……宝物が穴を掘って逃げたのかな?」

 アデルバートが不思議がって首をかしげると……

 シュー、シュー……

 穴の奥から妙な音が聞こえてきた。歯の隙間から空気が漏れるような音だ。

 箱の底にあいた闇の中で二つの光がさっと明滅する。それに気づいた瞬間、穴の中から索具のようなものが飛び出してきて、シャーッと威嚇するように鳴きながら、アデルバートの首に巻きついた。

 長さ十ヤードは超える禍々しい模様の大蛇だ。大蛇はアデルバートの腕や胴にまで巻きつくとその鎌首をアデルバートの前でもたげて、二股に分かれた舌をチロチロ振り出した。

「ぼ、僕なんか食べてもおいしくな……きゅっ! きゅうう……」

 大蛇にぎゅうぎゅう締め上げられ、アデルバートは目をくるくる回した。いくらアデルバートが自分は不味いと言葉を費やしたところで説得力がない。彼の栗色髪はお菓子のように艶やかで、薔薇色の頬はとても柔らかそうだったのだから、大蛇にしてみればこんなご馳走をいただく機会はそうそうないと思ったはずである。

 大蛇は食欲に満ちた目で睨みつけている。顎を外して大きく口を開けると毒牙を薔薇色の頬に突き立てようとした。

「えい!」

 黄色いかけ声と共に大蛇の目に光の玉がぴしゃりとあたった。

 大蛇はギェーッと大鳴きしながらのけぞり、アデルバートからさっと離れた。宝箱のまわりをのたくりまわる大蛇は尖った岩に体をぶつけて、傷をつくった。そこにまた光の玉が飛んでいき、ぴちゃっと当たる。大蛇はまたギャーッと叫び、宝箱の穴の中に逃げ戻っていった。

「大丈夫、アデルバート?」

 シャルロットは咳き込むアデルバートに近寄ると、背中をさすった。手には消毒と目薬入りのスポイトを持っていた。

「げほっ。……もう、大丈夫。ありがとう、シャルロット」

 アデルバートは涙目になりながら、笑いかけた。

 結局、礼拝堂に戻ってくる。三本の道はいずれもハズレであり、この礼拝堂は事実上の行き止まりだ。

 ペイトンとテオドールが三本の道を少し困った顔で見つめている。

「参ったな、こりゃ」

 ペイトンは湿った火薬に顔をしかめ、銃を懐に戻した。

「宝物はどこでしょう?」

 テオドールも穴のあいたケピ帽を手に首をかしげる。

「ここまで来る冒険と仲間が最大の宝物、ってオチじゃメイランドのガミガミ師団長は納得しねえだろうなあ」

「しかし、道は全て罠で塞がれていますし、ここに着くまでの通路にも脇道はありませんでした」

「そもそも王国の秘宝なんて眉唾だったのかもな」

「秘宝はあるわ」

 振り返るとシャルロットが祭壇に座っていた。

「ちょっと待ってて」

 シャルロットは祭壇に開いた小さな穴に手を突っ込んでカチリと何かを押した。

 シャルロットが飛び降りると石の祭壇がゴロゴロと重々しい音を鳴らしながら、左にずれ動き、下り階段が姿を現した。

「来て。案内してあげる」

 さっぱり飲み込めない三人にシャルロットはにこりと笑いかけて、一人階段を下った。

 祭壇の下の地下通路は今までの通路とはまったく雰囲気が異なった。

 綺麗に磨き上げられた滑らかな石材が複雑かつ精緻に敷きつめられていて、幾何学的な模様を作っている。一定の間隔で壁に嵌められた青い玉が目に優しい淡い光で通路を照らしていて、ランタンなどなくとも簡単に歩くことが出来た。道も先ほどのような一本道ではなく、十歩歩けば分岐にぶつかる有様だったが、先導するシャルロットは迷うことなく足を進めていく。

「ここの分かれ道は右へ……次の十字路はまっすぐ……脇道の階段を降りて……」

 シャルロットは道筋を記憶しているようであった。時折、感心したようにつぶやいた。

「おばあちゃんの言ったとおり……」

 光の色が淡い緑に変わり、大きな広間に出るとそこはシダが鬱蒼と生い茂る幻想的な庭園だった。

 だが、天井は石で塞がれている。不思議な玉が発する光と壁の継ぎ目から流れ落ちる水のみでこのシダは育っていた。

 庭園の中で小川をまたぐ橋やシダに塞がれかけた小道を通り、杖を持った聖人像の前に立つとシャルロットはそこで膝を屈して、祈りの文句をつぶやいた。どの国の言葉でもない不思議な言葉で、祈るというよりは静かな小唄のようにも聞こえる優しい調子だった。

 祈祷が終わった途端、聖人像の杖がパッと輝いた。周囲のシダが芽吹いたり枯れたりしながら、もぞもぞと庭園の構造を組み替えた。先ほどまで歩いてきた道が消えて、新たな道が開かれる。

「さあ、こっちよ」

 唖然と見守る一行には質問の言葉もなかった。魔法にかけられたような不思議な光景の連続にただ圧倒された。この不思議な世界は秘宝の発見で解き明かされるのだ。そのときになれば、きっとシャルロットが全て説明してくれる。そう思いながら、彼らはシャルロットに導かれていく。

 その後、一行は虹色に輝く雲の中や足を踏み出すと踏み石が浮かび上がる不思議な闇の中を歩いた。

「不思議に思うわよね」シャルロットが言った。「この寺院のことはおばあちゃんが教えてくれたの。道順もお祈りの文句も秘宝のことも……」

 シャルロットが手を触れると鏡のように磨かれた行き止まりの壁が消え失せて、新たな道が開ける。

「さあ、もうすぐ玄室よ」

 行き止まりから新たに開いた道を数歩歩くと途端に白い光に包まれた。そこは空の部屋だった。頭上と足元はどこまでも続く雲の絨毯、その切れ目から所々光が差したり、消えたりしている。不思議と心が和む柔らかい光に満ちた空間だった。

 指輪が入るくらいの小さな箱が宙に浮いていた。シャルロットは見えない床を歩いて、その箱を手に取った。

「来て。秘宝はこの中よ」

 アデルバート、ペイトン、テオドールの三人は空の上に足を踏み出した。何もないはずの宙に柔らかい絨毯のような温かい感触を感じた。

 シャルロットは集まった三人に見せながら小さな黒い箱を開けた。

 箱の中には何もなかった。

 だが、箱を開けた途端、部屋を囲む穏やかな空が不思議な光の束と化し、四方からシャルロットに注ぎ込まれた。アデルバートたちはその眩さに一瞬目を覆った。

 目を開けたとき、そこはただの石造りの玄室であった。宙をさ迷う感覚も雲の絨毯もなく、光の玉と不思議な石材を組み合わせただけのさして広くもない部屋に過ぎなかった。

「い、一体、今のは……」

 混乱しきった三人にシャルロットは優しく、しかし悲しそうに微笑んだ。

「今のは秘宝が見せていた光景よ」

 テオドールがたずねる。

「しかし、秘宝はどこに?」

 シャルロットは自分の胸を指差した。

「秘宝はこの中に入ったわ」

「シャルロット……君は一体……」

「全部、話すわね。アデルバート。そう、私は秘宝の正体を知ってた。だって、秘宝は私のおばあちゃんがここに隠したんだもの」

「シャルロットのおばあちゃんが隠しただって!」

「いえ、正確に言えば、戻したって言ったほうが正しいわ」

「さっぱり分からん」ペイトンが頭を振る。

「秘宝はみんなが考えているような宝物じゃないの。宝石とか黄金とかじゃなくて……そう、不思議な力ね。おばあちゃん……いえ、私の一族が何百年も受け継いできた力なの。でも、おばあちゃんはその力を捨てるために何十年も前にこの寺院を訪れた。そして、力を封印した。もう、誰にも使えないようにね」

「力……」アデルバートがつぶやく。「でも、シャルロット。その力って言うのは一体何なんだい?」

「力はね……」

 シャルロットが口を開いた瞬間、三つの缶詰のようなものが玄室に放り込まれた。缶詰もどきが破裂し、たちまち玄室内に紫色のガスが充満する。

「うわっ!」

 アデルバートは異臭のするガスを吸い込むまいと袖で口を覆ったが、ほんのわずかに吸ったガスが既に意識をぐらつかせる。

 紫煙の中でペイトンと思しき大きな影がバッタリ倒れる。テオドールと思しき影も膝をつき、剣を杖代わりに何とか立ち上がろうとするも、ゆっくりうつ伏せに倒れてしまった。

(睡眠ガス! まずい……)

 アデルバートはシャルロットの腕をつかむと自分の背中に隠し、玄室奥にじりじりと後ずさった。目の前に黒い人影がゆらりと現れて近づいてきていたのだ。正面だけではない。左右からもくぐもった呼吸音をさせながら、黒い人影が近づいてきている。

 アデルバートの肩に金色の髪が流れ落ちた。シャルロットが意識を失って、その頭をアデルバートにもたれかけていた。

「だめだ、シャルロット……しっかりして……」

 肩の重みがふっと消えた。左から影が音もなく忍び寄り、シャルロットを奪い去っていく。

「ま、待て……」

アデルバートは剣を手にし、シャルロットを取り戻そうとガスの中に手を伸ばしたが、右から近づいてきた影に羽交い絞めにされ体の自由を奪われた。

 マスクに隠れた顔がガスの中から現れる。相手は黒い手袋を嵌めた手をアデルバートの顎下に寄せた。袖の中から長い針が飛び出し、音もなく上がる。

 針はアデルバートの首筋に刺さり、ふいごが暗殺者の手の中で握られた。

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