名手の剣、暗殺者の剣

「ふうむ、参りましたね」

 そのころ、テオドールはココア片手に一人焚き火をいじり、シャルロットのシチューを何とか食べられるものに出来ないか思案していた。

「我が家に代々伝わる野戦調理法はどんな下手物も火加減一つで宮廷料理に早変わりさせてみせたというものですが……この難物の味はなかなか調いませんよ。でも、剣にしろ料理にしろ強敵と渡り合ってこそ己を磨けるというものです」

 呑気に鍋をつつきながらも背後の茂みに感じたかすかな違和感に注意が向く。

 アデルバートではない。道が違うし、敵意が隠れている。

 では、ミクローシュが懲りずにこっそりついてきたのか?

 それも違う。あの騒がしいミクローシュがこんなに気配を消して自分に接近できるはずがない。

 すると敵兵の可能性が一番なのだが、コサックや帝国兵とは違う押し殺した殺気に疑問符が残る。

 テオドールはマグを置くと片眼鏡をケースから取り出して、左手の中に隠した。

 気配に気づいてないフリをしつつ、フォークを軽く握る。

 漆黒の木立の間で刃がきらりと光る。

 テオドールはその一瞬を見逃さなかった。

 手からフォークが飛び、光を射抜く――手ごたえがあった。

 剣を抜いて茂みに近寄る。

 誰もいない。

 放ったフォークは枝から吊るされた寝袋に突き刺さっていた。

「おや? おかしいですね。確かに気配は感じたのですが……」

 迫りくる光を察知し、軽く身を動かすと錐状の投げナイフが木の幹に突き刺さった。

 間髪入れず、紅髪の影が死角から躍り込む。

 闇の中から二本の短剣がテオドールの首を狙って斬りかかった。

 テオドールは第一撃を切っ先で受け流し、第二撃はヒルトで跳ね返すと軽やかな足取りで距離を取る。

 ――が、すぐに間合いをつめられる。短剣の使い手は影のように付きまとい、無言で斬撃を打ち続ける。

 テオドールもその攻撃を落ち着いて受け流し、反撃の機会を狙った。

 ほとんど光を発しない黒塗りの短剣が執拗にテオドールを狙っている。

 相手の顔はマスクで見えず、血のように紅い眼と髪が暗闇の中、焚き火の光に一瞬映るだけであった。

 相手の攻撃は素早いが単調な斬り込みに徹している。

 テオドールは冷や汗が襟にはりつくのを感じた。間違いない。相手は単調な攻撃でこちらの油断を誘っている。こちらに手を読まれないように技を温存し、不用意な一手を繰り出したら、即座に畳み込むつもりだ。

(普通の兵隊ではありませんね……)

 熟練の剣捌きにうなじの毛が心地よく震える。

 テオドールは左手に潜ませた片眼鏡を相手の顔に投げつけ、生まれた隙を利用した。命は取りたくないので敵の左手を切りつけて短剣を落とそうとしたが、相手はその甘さを先刻承知だったらしく、手を少し動かして紙一重に剣を避け、反撃のために腰を沈ませた。

「甘いな」

 冷たい一声とともに相手がテオドールの懐に飛び込む。

 右の短剣が弾丸のような速さで切り上げられ、テオドールの胸と顔を一度に切り裂こうとした。

 テオドールは足の位置をそのままに上体だけ大きく反って、その一撃をぎりぎりでかわした。シャコー帽の庇が小さくピッと裂けた。

 テオドールも手加減を止めた。死命を制するような技は使いたくなかったが、そんな悠長な剣が通用する相手ではないことは十二分に分かった。

 残しておいた足を起点に熾烈な反撃に移る。手首を返して、踏み込みすぎた相手の胴を切り払った。

 必殺の剣閃に確かな手ごたえを期待するも、手に伝わったのは虚空に震える剣の反動だけ。

 相手の姿が煙のように消え失せていた。

 上空から黒衣の暗殺者が舞い降りて、二本の短剣を一度に突き下ろす。

 常人離れした身のこなしで避けて、裂帛の一閃で応じるテオドール。

 このころには相手も技の出し惜しみをやめたらしく、変則的な短剣術を全て出し切って戦っていた。

 逆手持ちにされた短剣の払いが目前で突きに変ずる。柔軟な手首が攻撃拠点として機能し、あらゆる角度からテオドールの剣を絡めとろうとしてくる。普通、突くための剣は利き腕、絡めるための剣はもう片腕と決まっているのだが、この黒子は両利きらしく突きと絡めの左右を頻繁に入れ替え、こちらを翻弄していた。

 テオドールの血が滅多にない好勝負に沸いた。テオドールは喧嘩こそ好まないが、避けられない決闘には何度も応じ、全て圧勝を収めてきた剣の名手である。

 しかし、そのテオドールでさえ、これほどの技は見たことがない。

 だから相手の剣にのみ集中したい。夜目で劣るテオドールの神経は暗がりの下生えや根を避けるために費やされてもいるのだ。

 明かりのある場所で有利に戦おうとしたテオドールは息の続く限り剣を打ち、相手を焚き火のある空き地に押し込んだ。目論見どおり戦いの舞台は空き地に移ったが、いいことばかりでもない。テオドールの息があがった。

 肩をあえがせて大きく息を吸いたい。だが、テオドールは微笑を浮かべ平静をよそおった。

 暗殺者の瞳は自身の感情を押し隠すくせに敵の感情は機敏に読み取る。

 葡萄酒色の髪が焚き火に反射し、いびつなナイフが放たれた。

 狙ったナイフは弧を描きながら焚き火を飛び越え、頭と胸と足元を正確に射抜こうとする。

 あがった息に限界を感じる。足捌きだけでは避けきれない。

 隙を生むのを承知で地面に身を投げ出し、投擲をやり過ごした。

 それを待っていたように暗殺者が跳びかかる。

 テオドールは地面に放置された自分のマントをつかみ、振り上げた。

 暗殺者の短剣がはたかれて太刀筋がわずかにそれる。

 それた切っ先を自分の剣身上に滑らせ、相手の脇の下へ突きいれた。

 短剣が一本弾かれた――暗殺者が飛びずさる――距離が開く。

 暗殺者の肩がかすかに上下し、口元を隠す黒い布が呼吸の度に唇の輪郭を映し出した。

 テオドールは相手に現れた疲れの気配を見逃さず微笑んだ。

「ちょっと仕切りなおしませんか? お互い、息もあがったことですし」

 左手にマントを巻きつけて余りを垂らすと、左肘を軽く曲げて相手に突き出した。剣を持った右手は体に引きつけ、垂れたマントの後ろに沿って切っ先を控えさせる。これで自分の剣はマントに隠れ、初動は読み取られない。足の位置も左を前に出し、右は後ろに下げ身をかすかに落とした。相手が来るのを待つよりもこっちから突きかかる姿勢を取ったのだ。

 焚き火の明かりで相手の全身像を見たテオドールが首をかしげた。

「あなた、女性ですね?」

 しばらくの沈黙。冷たい声が返ってきた。

「それがなんだ?」

「カールノゼ家の剣は女性を傷つけることをよしとしません。その代わり、黒く味気ないマスクを剥いで顔を露わにしてみせましょう」

「下らない」

 テオドールが微笑むが、紅髪の暗殺者はそっけない返答で右手に短剣を握りなおした。左手は空っぽだが、何か仕掛けてあるのは間違いない。

 冷酷な紅い瞳が光る。涼しげな笑みで返す。

 二人は申し合わせたように地を蹴った。

 テオドールの突きがマントの中から繰り出される。

 暗殺者が左に身を寄せて逃れようとする。

 と、テオドールの突きが払いに変化して、執拗に的を追う。

 剣は相手の自信が崩れるほどの距離で胸をかすめた。

 手首と技の柔軟についてはテオドールも人後に劣らない。片手剣だけでは技は月並みになってしまうが、空いた手にマントかダガーを握れば攻め方は如何様にも用意できる。慢心するほどではないが、勝ち目が見えてきた。

 何合か打ち合ってから互いに飛びずさって間合いを取り、構えから入りなおす。

 マントを前にかざしたところでテオドールの血の気が静かに引いた。

 厚手のラシャ製マントがボロボロに崩れ、穴だらけになっていたのだ。焼け焦げた穴から湧く濃密な煙の中で異臭が鼻をつく。

 暗殺者の左手で緑の小瓶がきらっと光った。腐食性の酸。

(剣の名手ではない。ただの暗殺者だ)

 酸とは厄介な小道具である。品のない戦い方にがっかりしつつも、テオドールは次の手を考えた。

 マントは手に巻きついた部分を残して、完全に崩れ落ちた。

 剣の構えも体の向きも隠せない。おまけにお粗末な話だが、ぐるぐる巻きになったマントのせいで左手の自由は利かないのである。

 マントを引き剥がそうと右手を使えば、隙になる。

 気づいた頃には相手のナイフで首を掻き切られているだろう。

 暗殺者はまた左手を自由にしていた。

 次の隠し玉は何であろう?

 テオドールは考えながら、構えを大きく変えた。右足を前に出し、左足を後ろにして肩幅ほどに開く基本の姿勢である。

 マントが防御に使えない以上、基本に立ち返るべきと考えてのことだった。剣を一度地面すれすれまで下げた後、静かに上向かせ、切っ先を相手の顎のすぐ下に合わせた。

 しかし、左手は相変わらずマントの残骸に包まれたままである。

 今度は相手から仕掛けてきた。瞬きする間に距離が詰まり、振りかぶった短剣が真上から切り下ろされる。

 テオドールが剣をかざして顔を守った。

 細身の軍刀が短剣を受け止める。

 だが、暗殺者は刃を離して次の一撃を見舞うどころか、手首を返して剣の下に刃を滑り込ませた。

 それが狙いだった。剣が上がったままになる。

 暗殺者の左手ががら空きになったテオドールの胸へ走った。手が軽く握り締められた瞬間、袖の中から長い針が伸び出た。

 針は注射針のようになっていて、手首のアンプルに繋がっている。手の平に潜ませたふいごを握れば、圧縮空気でアンプルの毒が流れ出す仕組みだ。

 たとえ相手が左手を犠牲にして胸を守っても針が刺されば、毒液が体内に注入され、瞬時に命を奪う。

 マスクに隠れた唇が標的の死を意識して微かに綻んだ。

 だが、針が飛び出すと同時にテオドールの左手もマントの中でもぞもぞ動いていた。

 テオドールの手に巻きついたマントが独りでに裂けて、あらかじめ潜ませておいたパリーイング・ダガーが暗殺者の針とテオドールの胸の間に割り込んだ。

 テオドールが柄のスイッチを押すとダガーの剣身が三つに分かれながら、相手の針を完全に捉える。テオドールがダガーをひねると暗殺者の針はあっけなく砕け散った。

「っ!」

 暗殺者が息を飲む。テオドールの術中に嵌められた。三叉に分かれたダガーが眼に止まらぬ速さで突き上がり、相手の剣を押さえていたはずの短剣が逆に砕かれてしまった。

 気づくとテオドールに肩からぶつかられ、暗殺者は背中から焚き火のそばに倒れ込んでいた。

 テオドールは切っ先を首元に向け、涼しい微笑を暗殺者の瞳に映した。

「小道具に関しては私もなかなかでしょう?」

 テオドールの剣がしなやかに舞う。

 黒いマスクが二つに裂けて、はらりと落ちた。

 暗殺者の素顔は大理石の彫刻のような端整な顔立ちだった。表情もまた大理石のように冷たい。

「勿体無い。美しい顔立ちを卑劣にも黒布で隠し、殺し屋の真似事とは何事ですか?」

 家庭教師が子供を叱るようなおっとりした口調に対し、暗殺者は沈黙で返した。怖れも恥じらいもない厳しい瞳がテオドールを見返している。きつく結ばれた唇が小さく動いた。

「殺せ」

「お断りします」

 テオドールは剣を喉から外し、ゆっくり離れた。

「女性を剣で刺すなど野蛮で騎士道に反します。あなたの負けです。帝国にお帰りなさい」

 暗殺者はゆっくり立ちあがりながら言い捨てた。

「トドメを刺さなかったこと、後悔するぞ」

「諦めないということですね? では、次に来る時は毒と短剣ではなく、ちゃんとした剣をお持ちなさい。あなたとは剣と剣のみで対戦してみたい」

 そう言いながら、一歩横に動く。返答の代わりに背後から投げナイフが飛んできたからだ。

 黒ずくめの少女が闇から飛びかかり、テオドールと剣を交えた。

「隊長! 今のうちに!」

 少女の呼びかけが終わる前に紅髪の暗殺者は飛び上がり、背後からテオドールの首を切り裂こうとしていた。

「伏せろ!」

 今度は野太い声が響く。テオドールが反射的に身を伏せると、騎兵槍が上衣の裾をかすめた。後ろにいた紅髪の暗殺者は胴を串刺しに貫かれ、暗い森の中にすっ飛んだ。

「隊長!」

 もう一つの影はその後を追って、暗闇に逃げた。

 大男がレマット・リボルバーの撃鉄をいじりながら追いかける。

「待ちやがれ、この野郎!」

 散弾をぶっ放し邪魔な枝をなぎ払いながら、大男は茂みに突っ込んだ。その巨体は夜の森に吸い込まれる。時折の発砲で暗がりがパッと照らされた。

 アデルバートは右手にサーベルを、左脇にシャルロットを抱きかかえながら、息を切らせてやってきた。

「大丈夫ですか! テオドール!」

 テオドールは身を起こしながら苦笑した。

「いやはや、手強い相手でした。しかし、二人でかかってくるとは……おや、シャルロット。どうかしたのですか?」

 テオドールが心配そうな顔をするとアデルバートが、少し眠っているだけです、と安心させた。

「シャルロットに危害は加えませんでした。あいつらの狙いは僕の地図です」

「地図というと、例の秘宝の?」

 二人のすぐ脇で茂みがガサッと鳴り出した。

 アデルバートとテオドールは咄嗟に身構える。

「俺ですよ、坊ちゃん」

 先ほどの大男だった。手には槍を持っている。

「残念ながら逃げられちまいました。ほら」

 突き出された穂先からは黒装束の切れ端がぶら下がっていた。

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