約束と決心
挨拶もそこそこ、アデルバートたちは街道から外れた小道を川沿いにゆっくり進んでいた。一度コサックたちに見つかった以上、悠長に自己紹介などしていられない。追っ手を差し向けられることも考えられるので、街道はあえて避けて、目立たない脇道を木立や草むらに隠れながら進んでいた。
「秘宝奪還?」
「そうよ。私たち、いま大冒険の真っ最中なの」
テオドールはシャルロットから説明を軽く受けると、若干の驚き、そして尊敬とともにアデルバートにたずねた。
「あなた一人でそんな困難な任務を仰せつかったのですか?」
「はい」
テオドールはその無鉄砲さに感心した。
「アデルバート。私は先ほどあなたにこう言いました。助太刀させていただきます、と。私は自分の言葉に嘘をつきません。一度、あなたを助けると決めた以上は最後まで助力を惜しまないつもりです」
と、熱っぽく言った。
だが、アデルバートの顔色は冴えなかった。テオドールは乗りかかった船でアデルバートの秘宝奪還任務を手伝ってくれるといってくれたのだが、そこに甘えるのは少々気がひけた。
「でも、これは僕の任務なんです。中尉殿を巻き込むわけには……」
テオドールは人差し指を静かに立て、自分の唇に触れさせてから朗らかに言った。
「もし、私を友人と思ってくれるのでしたら、中尉殿ではなくテオドールと呼んでください」
「ねえ、テオドール」
物怖じしないシャルロットが気軽に声をかける。
「なんですか、お嬢さん?」
「もし私を友達だと思ってくれるなら、私のことはシャルロットって呼んでほしいな」
テオドールは朗らかに微笑んだ。
「これは失礼。シャルロット」
シャルロットはアデルバートの脇腹をぐりぐり押してせがんだ。
「一緒に来てもらいましょうよ、アデルバート。こんなに強い中尉さん……じゃなくてテオドールがついていってくれれば百人力よ」
「どうせ僕は頼りないよ」
アデルバートはいじけて答えた。確かにテオドールがついてくれれば心強いが、それでも言いようのないくやしさが湧いてくる。
シャルロットはアデルバートのいじけを笑い飛ばした。
「そんなことないじゃない。アデルバートもけっこう格好よかったわよ。でもね、アデルバート。人の親切は無駄にしないものよ」
「お若いのにしっかりしてますね、お嬢……こほん、シャルロット」
アデルバートはすまなそうにたずねた。
「いいんですか? テオドール」
「ええ。私も任務で北に行かねばならないのです」
「偵察ですか?」
「特別任務さ!」
二人の後ろからラバに乗ったミクローシュが声をかける。ミクローシュはラバの裸背の上でひょこひょこ動きながら帽子を取り、お辞儀する。
「おっと、失礼! 自己紹介が遅れました。僕は世界が誇る大新聞『トゥルー・サイト』がやっぱり世界に誇っちゃう天才敏腕記者ティサ・ミクローシュです。もし、僕を友人と認めていただけるなら、気軽にミクローシュと呼んで下さい」
「ティサじゃダメなの?」シャルロットがたずねる。
「ティサは名字だから。僕の故郷では名字を先に名前を後にして表記するんだ。だから、僕とざっくばらんな関係を築きたいならミクローシュと呼んでくれなきゃ!」
「ミクローシュ……あなた、こっそりついてきたんですね」
ミクローシュはテオドールの責めるような視線を受けて、どきどきしながら、
「だ、だって、しょうがないか! 僕は世紀の大スクープが欲しいんだ」
「ですから、参謀テントへの通行証を融通してあげたでしょう?」
「ところが、その通行証を見せたら、びりびりに破り捨てられたんだ。もう参謀テントに部外者は一切立ち入らせないだって。何でも参謀たちが我が軍の進軍予定が書いてある地図一枚を紛失したせいらしいんだな。彼らはスパイの仕業だとか言っていたけど、実際は違う。どっかで落としたんだ。彼らがグズでトンマでコンコンチキなだけさ」
テオドールが眉をひそめてたずねる。
「あなた、もしかしてその品のない言葉を参謀たちの前で口に出したりしていないでしょうね?」
「やだなあ、テオドール。僕の使命は現象から真実を抉り出し、大衆に知らせることなんだぜ。しっかり指を差して教えてあげたさ。君たちはグズで、トンマで、コンコンチキだって」
指を宙に突き出してそのときの有様を再現するミクローシュにテオドールは溜息をつきながら、がっくりと肩を落とした。
「まあまあ、いいじゃないか、テオドール! 何とかなるって!」
「ミクローシュ……悪いのですが、これ以上、あなたを連れて行くことは出来ません。お願いですから、一度味方の野営地に引き返してください。そして、アデルバートの従卒を見つけたら、彼にアデルバートは無事であることを知らせてあげてください。これも大切な仕事です」
ミクローシュはかなり気を悪くしたようだった。いつもピンと反った髭も今は力なくへこたれている。大袈裟に手を振ると傷ついたような声で強がった。
「あ~、いいよ、いいよ。そんなもっともらしい理由つけなくても。どうせ僕はおじゃま虫さ」
「そうは言っていませんよ。ただ、あなたは約束したんですから。私はあなたに参謀テントへの通行証をあげて、あなたは特別任務のことは忘れると……」
「ふん!」
ミクローシュはラバの耳を引っ張ると本街道に戻る砂利道をかけさせた。
「ミクローシュ、どこに行く気です?」
ミクローシュは坂を登りながら叫んだ。
「ふーん、だ! 一人でだって世紀の大スクープは取材できるんだ! 今に見ていたまえ! 僕を連れて行かなかったことを猛烈に後悔させてやるんだからね!」
ミクローシュはラバの背の上で上衣をバタバタはためかせながら道を登った。そして頂上でぐるりと振り向き、
「あっかんべ~!」
と、舌を出して丘の向こうに消えてしまった。
その子供っぽい敵意表明にテオドールが嘆息する。
「はぁ……あれでも年齢は私より一つ上なんですよ」
アデルバートは荒野に一人飛び出していく新聞記者に同情して、テオドールにたずねた。
「あの、いいんですか? なんだかとても怒っていたようですが……」
「大丈夫です。ミクローシュの怒りは日持ちがききません。それにつれてはいけないと約束したんですから」
「約束?」
約束、という言葉に記憶の糸がピンと鳴り、アデルバートは突然、馬首を転じた。
「一体、何事です、アデルバート?」
テオドールが首をかしげ、アデルバートは背中のシャルロットを振り返った。
「敵を一人でも見たら君を陣地に送り返す。そう約束したよね、シャルロット」
「う……覚えてたの」
「当たり前さ。やっぱり北の荒野は女の子には危険すぎる。味方の野営地まで引き返すよ」
「で、でも! もうだいぶ日も落ちてきたし、今から引き返したら夜になっちゃうわよ」
「構わないよ。これ以上、君を危険に晒せない。それにこんなこと言いたくないけど、君は甘すぎるよ。見ただろ? ここから先は何が起こるか分からないんだ。さっきのコサックみたいな連中が大勢襲いかかってくるかもしれないし、集中砲火を浴びるかもしれない。冒険目当てなら、もう十分なはずだ。さ、帰ろう」
「私もそれに同意します」テオドールも言った。「説明を受けた限り、あなたたちが目指している岩窟寺院はコンスタンチノフスクからさほど離れていません。よほど慎重を期さないといけない一帯です。軽々しく冒険を夢見ると手痛い目に……」
「軽々しくなんかない……」
シャルロットが悔しそうにポツリとこぼした。
「どうしても私、その岩窟寺院に行かないといけないの」
奇妙な言葉にアデルバートがたずねる。
「どうして?」
「理由は……言えないし、言いたくない。でも、どうしても行きたい。その寺院へ……」
何だかワケありなようだった。表情を曇らせたままアデルバートの腰を強くつかみ、背中に身を寄せた。
アデルバートは転じた馬首をまた北に戻した。
「わかったよ」アデルバートが溜息混じりに折れた。「一緒に行こう」
「ほんと?」
「うん。泣かれたりしたらたまらないから」
暗かった表情が一変、嘘のように明るくなる。
「ありがと!」
シャルロットはアデルバートの擦り傷だらけの手を取ってずるがしこい子猫のように微笑んだ。
「これ、お礼よ」
滴った消毒薬が滴り、アデルバートから断末魔の悲鳴を引き出した。
茜色の空と雲が夕闇に滲んで夜に溶けていく。
二つの馬に分乗した三人の冒険者は三時間ほど北へ進み、そこで見つけた森で野営することにした。火を焚いても木々が光を遮って隠してくれるので帝国兵に見つかる心配もない。低い崖の台地に茂る小さな森で、森に登る道は北と南に一本ずつ。逃げ道も確保されていた。テオドールが偵察を買って出て、安全を確かめると三人は森の中で適当な空き地を見つけて、そこで夕食の支度をした。
そのかなり後方から静かに一行を尾行する三騎の影があった。
その三人は隠密行動に長けるらしく、窪地や渓谷、木立を利用して用心深く馬を進めていたので、遠目が利くアデルバートやテオドールですらその存在に気づかなかった。
黒馬にまたがった三人は黒装束に身を固め、ピストルやカービン銃はなく、音を立てずに相手を倒せる武器のみで武装している。短剣や小瓶、奇妙な形の手裏剣。それらの武器はみな革製のベルトで腿や袖などの取りやすい位置に括り付けられていた。
先頭を切るのは女性だった。
黒装束に引き締まった体躯を包み、真紅の長髪を陽光の余韻残る大気になびかせている。紅の瞳は獲物を狙う鷹のような鋭さで小さな森を見据えていた。まだ二十四、五に過ぎなかったが、感情の希薄な顔が年齢以上の威厳をこの女性に付与していた。
「ツィーヌ、お前の報告によれば」その女性は冷たいが凛とした声で左に並ぶ少女に話しかけた。「地図を持っているのは二人組のはずだったな」
「はっ」
「では、あの三人目は何者だ?」
「分かりかねます」
灰色髪の少女、ツィーヌは緊張して答えた。
「軍服から判断すると、あれは連合公国の将校のようです」向かいで馬を駆る少年、パーヴェルが代わりに答えた。「なかなか手強そうですね」
「奴らは秘宝について何か知っているのか?」
「いえ。ただの冒険くらいにしか捉えていないようです。アピス隊長」
その現場を包帯所で見ていたツィーヌが報告口調で言った。
紅髪の女性、アピスは馬を止めると首にたるませた黒いマスクを引き上げて顔を隠した。
「ここで馬を捨て、徒歩で森に接近する。お前たちは北へ迂回して士官候補生と看護婦を襲い、地図を奪え。私は南から侵入し、あの公国将校をやる」
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