1.大遠征

戦争と秘宝

「諸君、我が国が帝国と戦争状態に入ったことは既に承知だと思うが」

 つい二日前、王国軍総司令官の大任を押しつけられてしまったサマーフォード卿は言葉こそ落ち着いているが、身振り手振りは実にせわしなかった。帝国という言葉をその薄い唇からこぼす時、サマーフォード卿の指は机をトントンと打ち、戦争という言葉を躊躇いがちにつぶやくときは目を残念そうに瞬いた。

「我が軍は遠征しなければならない」

 これが一番しんどいのだ。サマーセット卿は将軍たちの前で実にしんどそうに老躯を震わした。

 陸軍省にある彼の執務室は軍人の作戦室というよりはお屋敷の居間に近い物柔らかな雰囲気の部屋だった。天井から吊り下がったシャンデリアが使いこまれた家具調度の赤黒い光沢を暖かく映し出していて、本棚の間には褐色の地球儀と地図が掲げられている。

 この執務室に集められた将軍たちはいずれも老齢、頑固、偏屈で一風変わった者ばかり。人当たりのよいサマーフォード卿はこの変わり者集団に対し、役目を割り当て、必ず噴き出すであろう不満憤懣をせっせとなだめるために総司令官を任されたのだ。

 彼は将軍一人ひとりの名前をやんわり読み上げ、歩兵師団長、騎兵総監といった役職をこれまたやんわり言い渡していく。それがまるで素晴らしい贈り物であるかのごとく。

 ところが、将軍たちはいくら言葉をつくしても一筋縄には納得しない。

 この外面だけ年老いたワガママ坊主たちは自分たちが軽んじられたと勘違いし、サマーフォード卿の洗練された物腰に騙されまいと気を張って不平を爆発させるのだ。

「わしが第二歩兵師団ですと? なぜ第一ではないのです?」

「このわしが兵站総監? 駄馬の面倒などごめんこうむる」

「閣下、わしは近衛師団を率いて帝国に攻め込みたいですなあ」

 ワガママが噴出する度にサマーフォード卿は王国のため、この役目で辛抱してもらいたいと言葉を尽くしてなだめる。サマーフォード家は王国でも名門中の名門貴族だったので、この柔和な老司令官が頼めば、老将軍たちもしぶしぶ承諾するのだ。

 八代目サマーフォード卿は同盟国の重要性を諭すように強調した。

「諸君、事は緊急を要する。帝国の増長と侵害に対し、我が国は永年の友邦である『共和国』、そして『連合公国』とともに立ち向かわねばならない」

 ところが彼の背後では彼の先祖にあたる四代目サマーフォード卿と三代目サマーフォード卿の肖像画がうさんくさそうな目を向けていた。四代目は『連合公国』相手の戦争で勲章をたらふく頂戴したし、三代目は『共和国』相手の戦争で半殺しの目に遭っている。こうした肖像画を背中に抱え、二国との連携を説くのはやや道化じみていた。

「立ち向かわなければならない」

 サマーフォード卿は自分に言い聞かせる調子でつぶやいた。実を言うと、彼自身戦う理由がいまいち瞭然としていなかった。

『帝国』対『王国』『共和国』『連合公国』の戦争。

 そもそも各国民、新聞社、そして不幸なことには将軍たちまでもが今回の戦争の原因をさっぱり分かっていなかった。

 開戦理由はさる外交官によれば、至極簡単で、

「××××年に我が国が帝国との間に締結したラッセル条約、××××年に締結したダッドン・モルドフスキー協定のそれぞれ第二項、秘密議定書第十項で帝国はスクルボフ海峡に総砲門数一二〇を越える軍艦を遊弋させることを永遠に放棄すると確約したにもかかわらず、帝国外務省は国際情勢の現状に即した形でこれを修正するという事実上の破棄を一方的に通告したが、これは左記の二条約の条項に違反した上に外交上のいかなる慣習、礼儀に照らし合わせても不穏当な措置であり、また帝国が連合公国との間で交わしたヴェーシェル会談の議定書第四十三項のミジカ村の領有はこれを永久に放棄すると宣言への抵触も慎重に検討されるべきところをウンヌンカンヌン……」

 ――と、いうものだった。

 この至極簡単な理由とやらのせいで、王国は今まで帝国と維持してきた友好関係を放り捨て、急に大使を引き上げ、帝国もそれに応じた。共和国も連合公国もそれに倣い、外交官たちはこれが事実上の宣戦布告であるとぞれぞれの女王、大公、大統領、皇帝に告げたのだった。

 国同士が戦争を始めることとなり、新聞も国民も一応腹を決めたが、国家元首の腹は決まらなかったようだ。それもそのはずで女王は毎冬の一週間、皇帝の狩場で過ごしていたし、大統領は帝都を訪問した際に皇帝と会談し、お互いを剛毅な男と褒め称えていた。連合公国の大公に至っては母后が帝国出身なのだ。

 これで戦争など真面目に出来るわけがない。

 戦争が不可避になると女王は敵である皇帝に対し、

「海を隔てた友より親愛なる皇帝陛下へ。至極残念な事態が大陸を襲いました。神は我々になんと残酷な試練をお与えになったのか。悲憤の絶えない毎日を暗鬱の中で送っています。例え、両軍が砲火を交えることとなっても私と陛下の間にある長年の友情が潰えることは決して無いと信じております」

 と感傷的な手紙を送り、皇帝はこれに対し、

「陛下に対する深い尊敬を込めて。悲劇の時代です。我々に対立せねばならない理由はありません。この残念かつ残酷な試練が終わったら、是非ともに狩場を歩きましょう。あなたに神の御加護を」

 と返答した。

 大統領や大公との間でも皇帝は似たような手紙のやり取りを行った。

 これら感傷的な電報は一般には公開されないはずだったが、どこかの敏腕記者がこれを嗅ぎ付け、物の見事にすっぱ抜いたものだから、呆れ果てた市民の間では戦争は一ヶ月もすれば自然に終わる、とまことしやかに囁かれていた。

 一ヶ月もすれば終わる。その予想はこの陸軍省の執務室でも頻繁に囁かれた。

 将軍たちは不満顔である。女王も皇帝も大公も大統領も戦争に乗り気ではない。だから、参戦国は主戦場にエレボニン半島という辺境を選び、都市への被害、非戦闘員の死者を極力抑えようとしている。結構なことだ。我々は文明のブの字もないような不毛の地へ送らされるのだからな。

 その不満はサマーフォード卿も痛いほど分かっていた。実はサマーフォード卿の任務にはこの点を将軍たちに納得させることも含まれている。

「諸君の懸念するところは分かる」老司令官は五十年の結婚生活にも耐えられそうな至極温和な表情で説得した。「この戦争は茶番ではないか、と。諸君はそう考えている。だが、この戦争には王国の国益がかかっているのです」

 将軍の一人が鼻を鳴らしそうになった。サマーフォード卿はそれを封じ込めるように続けた。

「そして、この戦争は人間が善良な方向へ進化を遂げたことを示してもいるのです。考えてもみたまえ。歴史上の戦争は華やかな英雄物語の裏で凄惨な残虐行為が後を絶たなかった。略奪、焼き討ち、罪無き市民の血に浸された街路。しかし、今回の戦争では慈悲深き女王陛下の計らいで戦場は人がほとんど住んでいないような辺境の地と決まったのだ。村から焼き出される哀れな農民も、ならず者の傭兵に殺される行商人もこの戦争では有り得ない。悲劇が起こりうる要素は一切取り除かれた。つまり、今回の戦争はだね、諸君。英雄のみが戦う英雄のための名誉ある戦争なのだ。だからこそ、名誉とは何か、英雄とは何かを知る諸君を招いて遠征を打診したのだ」

 この言葉は効いた。頑固で偏屈な将軍たちは虚栄が生み出した悪魔の双子、名誉と英雄に弱かった。この言葉を聞いた途端、将軍たちは蜜菓子をチラつかされた子供のように顔を上気させて、そういうことなら遠征しないわけには行きませんな、と鼻息を荒くする。サマーフォード卿もホッと息をついた。

「では、諸君。めいめい自らの役割をきっちり果たし、この戦争を勝利に導いてくれたまえ。健闘を祈る。諸君に神の御加護があらんことを」

 将軍たちは立ち上がり、会釈しながら執務室を後にする。サマーフォード卿は思い出したように声をかけた。

「ああ、そうだ。メイランド伯爵。申し訳ありませんが、あなただけちょっと残っていただけますかな?」

 やっと帰れると思っていたメイランド伯爵は少し不満そうな顔をしたが、すぐ表情を持ち直し、顔だけ気さくに席に戻った。

 他の将軍たちが退室し、従卒が扉を閉じた。他の将軍たちが取らぬ手柄の勲章算用に勤しむころ、サマーフォード卿は椅子を引き摺り、メイランド伯爵の真向かいに腰を下ろし、親しげにその手を叩いて告げた。

「実は女王陛下から直々に仰せつかった任務があるのです。私はこれを頼めるのはあなたしかいないと思い、あなたに内密にお頼みしたいのですが……」

「陛下直々の任務で、それもサマーフォード卿手ずから頼まれたとあっては断ることはできませんな。むしろ光栄なくらいですぞ」

 この癇癪持ちの老人メイランド伯爵は自信たっぷりに、しかし注意深く髭をひねり上げた。特別扱いというのは悪くないが、サマーフォード卿は甘言のビロードでニガヨモギのパイを包み隠すことだってできる。一応、注意はしなければいけない。でも、特別扱いはやはり心地良かった。

「よろしいかな、メイランド伯爵?」

 サマーフォード卿は上の空のメイランド伯爵を不安そうに見つめている。

「ん? おっと、失礼」メイランド伯爵は邪な想像をとぼけて、「かような名誉につい頭がぼうっしましてな。どうぞ、閣下。お続けください」

「で、その任務なのですが」

 サマーフォード卿はまた言葉を止めて、相手から「どうぞ」と言われるまで間を置いた。

 メイランド伯爵がうなずくと話は再開された。

「伯爵は王国の秘宝をご存知ですかな?」

「ええ、存じています」

 なんだ、おとぎ話か。メイランド伯爵の顔に落胆の色が浮かぶ。その色に気づかないフリをしてサマーフォード卿は続けた。

「では、わざわざ繰り返すことはありませんな。でも、一応……。オホン、王国の秘宝とは我が王国の国王が代々受け継いだこの世に二つとない財宝のことです。そう、ご存知の通り。古のウィリアム王は謀反人の一党に王子をさらわれ、秘宝と交換だと迫られると王子を見捨てて秘宝を守り、白きエドワード王は秘宝の秘密を守るために寵愛する妃を自らの手で処断されました。歴代の王にとって、世継ぎや寵姫よりも価値があったといわれている伝説の宝物です。王家のものでも国王しかその存在を知らない王家の秘宝。その秘宝が我が王国から失われたのは数百年も前のこと、それ以来、国王は手をつくして探しましたが、結局見つからずじまいでした」

 メイランド伯爵は皺の寄った顎で欠伸を噛み殺した。いまどき三歳児にだって話したりしない退屈なおとぎ話だ。失われて以来、秘宝の正体を知るものはいない。現女王ですら知らない。つまり、秘宝など始めから存在しなかった。歴史家たちは、秘宝はおとぎ話である、伝承である、空想の産物であるという見解の一致をもう百年以上前に築き上げている。

「おとぎ話ではありませんか?」メイランド伯爵はつい口に出してしまった。

「その通りです、伯爵」

 サマーフォード卿はけろりと認めた。

 短気なメイランド伯爵の顔にさっと赤みがさし、憤然と立ち上がろうとすると、この人の良い老司令官がまあまあと宥めて座らせる。

「確かにおとぎ話です。しかし、ところが古文書が見つかり、秘宝がひょっとしたら実在するのでは、という可能性が濃厚になったのです。陛下はそれをお知りになり、歴代の王たちが守ろうとした秘宝をぜひとも手に入れたいとおっしゃられました。それでメイランド伯爵に任せたい特命というのが……」

「秘宝を見つけ出してこい、と?」

「その通り。受けてくださいますな?」

「大変興味深い任務ではありますが」メイランド伯爵も今では特別扱いに興味を失い、意地の悪い笑みすら浮かべていた。「あいにく戦時中でしてな。さきほど私は閣下から直々に第三騎兵師団の指揮を任されたところです。なぜか第一でもなければ、第二ですらない。まあ、とにかく騎兵を率いて帝国のド田舎くんだりまで……失礼、帝国領エレボニン半島まで出征しなければならないのです。宝探しとは何とも夢のある仕事ですが、お国の危機ですので、まず戦争に勝たねば……」

 立ち上がりながら皮肉を言う伯爵をサマーフォード卿が慌ててとどめる。

「どうか、最後まで聞いてください、メイランド伯爵」

 そして壁にかかっている地図の前に立った。伯爵は仕方なく椅子に戻った。

 地図は本棚のガラス戸の間にかかっていた。サマーフォード卿は一枚目の世界地図を巻き上げて、二枚目の地図を巻き下ろした。

 振り下ろした拳のように突き出た半島。

 内陸には高地と平野が複雑に入り組み、小さな村や橋が二、三散らばっている。

 南端の砂浜には上陸予定地と赤い字で書かれ、半島中ほどに食い込んだ細長い湾岸を要塞都市コンスタンチノフスクがくわえるように挟み込み、その市街は城壁で囲われている。

 今回の遠征先、帝国領エレボニン半島の軍用地図だった。

 地図を広げてから、サマーフォード卿は別の小さな古い地図をメイランド伯爵に手渡した。

 地図は茶色に変色はしていたが、丈夫で崩れる様子は見られない良質の古紙で、相当の年代物のようだった。

「最近見つかった古い地図です。何か気づきませんか?」

 メイランド伯爵はこの埃っぽい地図をうさんくさそうに眺めた。この薄汚れた地図にも振り下ろされた拳のような半島が描かれている。

「エルボニン半島のようですな」

「その通りです、伯爵」

 サマーフォード卿は手を打って続けた。

「その地図によれば、王国の秘宝はめぐりめぐって、帝国領エレボニン半島のある岩窟寺院に隠されているのです」

「岩窟寺院?」

 メイランドはもう一度地図を注視した。現在、帝国の要塞がある湾から南に少しいったところの谷に確かに寺院のマークが刻印されていた。

「伯爵、陛下はこの戦争の機会に王国の秘宝を取り戻すことをお望みです。元はと言えば、秘宝は我が国にあったものなのですから、我が王室に返還されてしかるべきです。しかし、事は内密に行わねばなりません。王国の秘宝はその昔、世界中の羨望の的となった財宝なのです。もし、秘宝が帝国領内に隠されていることが他の参戦国に知られれば、どうなると思います?」

 メイランド伯爵の血は沸騰しやすいが、めぐりが悪いわけではない。どうなるかはすぐに見当がついた。秘宝をめぐって戦争が泥沼化し、一ヶ月どころか二年も三年も帝国の辺境で戦わなくてはならなくなる。

「その通りですよ、伯爵!」サマーフォード卿は嬉しそうに手を叩いた。「陛下もそれを気にかけておられるのです。ですから、陛下は秘宝の奪還を慎重かつ確実に成し遂げられることをお望みなのです。そして、メイランド伯爵。あなたに白羽の矢が立ったのです」

 白羽の矢とは縁起の悪い喩えだ。伯爵は顔をしかめかけた。

 そこをサマーフォード卿は重ねて頼んだ。

「伯爵、受けてくださいますな。陛下は是非あなたにと仰せです」

「この老身でよろしければ」伯爵はにっこり笑って、承諾した。「伝説の秘宝を奪還するなどという大任は一生に一度の大仕事です。その重要さで骨が軋みそうですわい」

「やあ、老身などととんでもない。伯爵はまだお若いのですから」

 伯爵は心中で、ふんと鼻を鳴らした。老身とはあくまで謙遜で言っただけで、心はまだまだ若いつもりだった。

「では、頼みましたぞ、伯爵。私は遠征に伴っての兵站業務がありますので」

 サマーフォード卿は机上に積まれた軍需物資の帳簿に秋波を送った。もともとサマーフォード卿はインク飲みとあだ名される事務畑の人間だったから、本来は帳簿を繰っているほうが落ち着くのだ。どうも総司令官の仕事はガラではなかった。もっとも陸軍大臣は兵站総監としてのキメの細かさをワガママな将軍相手に発揮して欲しいと思って、サマーフォード卿を抜擢したのだが。

 はやく兵站業務に飛びつきたい衝動を抑えながら、サマーフォード卿は紳士として礼を尽くし、メイランド伯爵を送り出した。

 そして伯爵が螺旋階段を降りていくその姿を確かめるとサマーフォード卿は喜々として、部屋に戻り、白紙の命令書を開いた。そこに弾薬を何万発補充するか、兵隊外套を何千着用意するかと思い思いの文章を綴りながら、この人の良い老司令官は完璧な輜重に支えられた大軍の行進を夢想するのだった。

 一方そのころ、メイランド伯爵は陸軍省の大広間を歩きながら、サマーフォード卿の前で鳴らし損ねた鼻を思い切り鳴らしていた。

「王家の秘宝? フン! 新米士官向けのおとぎ話じゃないか」

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