第3話 不死の夢

 夢を見ていた。長い夢を。

 とうに朽ちたはずの肉体は、彼の意思に反して、その長い髪を揺らして歩く。身体は斑点だらけ、皺まみれの手足。老いた身体に鞭を打つのは誰だ。辿り着いた先に見た景色は、白一色の教会。その中に入ってようやく、自分の手が赤く染まっていることに気づいた。そうして身体は力を失った。転がる財布。中にはもう、何も残っていなかった。崩れていく視界の中、柔らかな笑みを浮かべる女の口元だけが、輝いて見えた。




 穏やかな、朝。いつものように夢を見ても、気分は晴れやかだった。隣の寝台で眠る彼女は、子猫のように丸くなり、白いシーツに髪を散りばめている。


「……エリカ」


 名前を呼んだ。確認するために。


「エリカ」


 ここに彼女がいると、自分に言い聞かせるために。


「エリカ」


 気が付けば、頬を涙が伝っていた。親友は、生きていた。今ここで生きている。半年前に彼女が本部の廊下で見た景色は、きっとまやかしだったに違いない。そうに決まっている。だって彼女は今ここにいるのだから!


「……ガーベラ?」

「おはよう。出勤よ」


 彼女の制服を取り出した。殉職したことになっていた彼女の遺品は、全て自分が引き受けた。彼女の籍はない。しかし、まあ、どうにかなるだろう、と朧げな記憶のまま、二人分の身支度を始める。


「路地裏で拾ったんだ」


 エキノプスの二人は言った。半年前、あの騒動のあと、エリカはそこで血塗れのまま倒れていたのだという。彼女は記憶も不鮮明であった、と。黒い髪と鋭い蛇の目から、ハイデと名付けた、と。そうしてエキノプスへ連れ帰り、記憶が戻るまではと匿っていたらしい。連中に、そのような人情味があるとはと、驚きは絶えなかった。


「わたし、何すればいい?」


 寝ぼけまなこで彼女は微笑む。ガーベラと再会し、一度に記憶を戻した少女。下手くそなリボン結びは、以前と変わらない。それを解いて結び直してやれば、ガーベラも柔らかく微笑んだ。


「私の隣にいて。それだけで、充分よ」

「うーん、わかった」


 気の抜けた返事だが、これも彼女特有のものだ。あどけない笑みは、周囲を解きほぐす。ガーベラの右手が健在なのも、彼女のおかげだ。そっと手首に視線を落とせば、そこにチップのしこりは見えなかった。


(また、移動した──)


 これが現実味を帯びさせる。肘裏、血脈の上。血管を上っている。そうだ、これはまだ──


「ガーベラ」


 思考は彼女に掻き消された。肩当から靡くマントを翻し、くるりとその場で脚を交差する。純白のオーバードレスは、彼女によく似合う。


「わたし、かわいい?」

「……ええ、とても」


 まるで子どもみたいね。笑う女は、制服に袖を通した。




 あれから彼女は、親友とのタッグを取り戻した。任務は二人で、他を寄せ付けないかのようにして。残された彼は祝福したがしかし、どうにも拭えない感情が芽生えていた。それを誤魔化すためにも、愛しい女に肩を寄せる。


「エリカの様子はどう?」

「……知らないよ」

「オモチャを取られた子どものようね」


 短なくせっ毛を撫で、子をあやす母親のようにして女は睫毛を伏せた。時折額を触れるベロアがくすぐったい。目を細めつつも、女の言葉に唇は尖る。


「きみも勝手だよ。解放するのが、早すぎる」

「わたしは計画を遂行しているだけよ」

「……まだ、まだあのチップは開花してないのに……」


 回収できないどころか、引き込むことすらも叶わない。彼女であれば、きっとこの計画に同調してくれる。理解してくれる。正義のための計画ならば、きっと。


「ずいぶんと、情が移ったのね」

「!」


 言われ、顔が引きつった。この人は全てを見透かしてくる。初めて会ったときもそうだった。だから好きだ、だから信頼できる、だから──


「僕は、アスフォデルが一番だよ」


 彼女のためならなんでもやってみせる。そう言い聞かせて、秘密の部屋を飛び出した。扉の向こうで微笑む彼女に、安堵の息を吐き出しながら。




 彼は幼い頃から聡明だった。初めてそれを垣間見せたのは、自宅にあった古ぼけた時計が動かなくなったとき。彼は家中のありとあらゆるガラクタを寄せ集め、ブリキの時計を生み出したのだ。その手際に父は驚嘆し、母は気味悪がった。彼の力を、誰も望んでやいなかった。その日から、母は彼に関心を持たなくなり、父は何かを買い与えることをやめた。両親のためを思って、懸命に取り組んだというのに。手先は器用でも、人の思いには不器用だったのだ。

 彼の家は代々役者を育んでいた。母は舞台役者で、父はその監督だった。その背中を見てきたから、彼も演技には自信があった。両親からの干渉を失い、彼は人の気を引こうと、変人を装った。物を生み出しては我が子と称し、奇天烈な物言いで、場の空気を壊そうと躍起になった。その過程で生み出したのが、吃音。最初はそれを誰かが笑ってくれた。しかし次第に飽きられる。何度何かを試しても、誰も興味を持たなくなった。だから彼も、他人への興味を失った。誰とも関わらず、親からも切り離され、一人小屋に篭って物作りに勤しんだ。生み出したものは裏切らない。それだけが救いだったのだ。公安学校でも、公安に属してからもそう。しかし、そんな長年の殻をいとも簡単に押し広げたのが、彼女だった。


「ヤナギ」


 そう、そうして名前を呼んで、彼の存在を顕にしたのだ。


「な、なに」


 今日彼を呼ぶのは、愛しの女性ではない。本部を抜け出してすぐ、男はそこで煙を吐き出していた。


「待ってたぜ」

「ガ、ガーベラはいないよ。エ、エエリカと……」

「あいつじゃねえよ。今日はお前だ」


 無意識に身構えた。男の煙が目に痛い。薄ら笑いを浮かべる男は、吐き出しながら迫る。白に包まれた制服は、こうも汗をかきやすかっただろうか。


「お前に聞きたいことがある」

「な、なに」

「エリカのこと、知ってやがったな」


 どくりと心臓が跳ね上がった。頭の悪そうな顔で、彼はとうとうと続ける。


「あの教会にエリカが来たとき、驚いていたのは俺とあの女だけだ。エキノプスの連中と同じように、お前は、動揺さえしていたが、受け入れていた。お前はエリカが生きていたことを、知っていたな」

「そ、そそんなこと」


 煙が突き付けられる。卑しい笑みは消え、眉を吊り上げた男は、彼の胸倉を掴みあげた。喉が締まる。苦しい、怖い、それよりも、


「その喋り、やめろ。嘘くせえんだよ」


 苛立たしい。


「あの女を、お前を信頼してるあの女を、裏切んのか」


 ああもう放っておいてくれ。僕の理解者は彼女だけで、仮初の相棒はそうなってくれるかもしれないけれどどうでもよくて。特にきみはそうじゃあない。


「……あんたには関係ない。僕は僕の仕事をしているだけだ」

「はっ!それがお前のシラフかよ」


 淀んだ瞳で睨み付ける。今は盾となる者もいない。男の手を跳ね除け、その火種を奪い取った。


「せいぜい脚本の上で踊っていてよ。酔狂のビティス」


 それを咥え、煙を吐き出す。初めて吸い込む異物感に、噎せ込む肺を懸命に堪えた。この男に教えることなど何も無い。愛する人の手足の傘下。せめて余計なことはするなと、肩を押し退けて虹色のタイルを踏み込む。親友と任務に出掛けた彼女の記録をまとめなければ。エリカの進捗と照合しなければ。Xデーは、迫っている。


「……くそが」


 男は新たな巻莨に火を灯した。




 紫煙はゆらゆらと、薄暗い空に吸い寄せられていく。アンダーグラウンドはいつもこの色。自分たちの根城から、数個先の角を曲がり、更に奥へ連なる階段を越え、地上の塀を乗り越えたそのまた先の柵の奥。同盟ファミリーは小さな隠れ家をそこに持つという。出向してきた連中は彼のボスと内緒話をしたいらしく、何故だか伝書鳩代わりに駆り出された。

 近頃の様子には、まったく頭が追い付いていない。親殺しの種子については、ボスから事前に聞いていた。そのための代物は実物を見たことがあったし──誰かさんに寄生したが──それが公安の所有物であることも知っている。しかし公安の、しかもどうやら事情を知っているらしい腰抜けは、誰かさんの種を回収しようとすらしないし、黒服にも好き勝手動かさせている。


「酔狂のビティス……ね」


 その呼び名。あの腰抜けは、公安ながらにエキノプスと繋がっている。だからエリカの生存も把握していたのだろう。だとして、何故いの一番に相棒に教えてやらなかったのか。


「なに、気に入ったの」


 すっかり存在を忘れていた隣の少年に、大袈裟に顔を顰める。彼は今日の道案内。我らがボスの兄たる少年。心なしか、目元は似ている気がした。長い、睫毛。


「……あんまり見ないで。気持ち悪い」

「へーへー、すみませんね」


 ボスとは気質が全く違う。相反するとまではいかないが、感じ方が違う、と思う。


「道だけ教えてくれりゃ良かったのによ」

「お前が種を盗むとも限らない」

「……ハギ様の顔に泥を塗ることはしねぇよ」


 名前を出してやれば、わかりやすく目が濁った。どういうわけか、この少年はボスが嫌いなのだ。昨日教会に赴いた際も、彼だけはコモンリードのアジトに残ったが、ハギ曰く一度も顔を合わせなかったらしい。三人が戻るタイミングで現れた。大きな、欠伸だった。


「つーか、あんたは非戦闘員なんだろ。俺があんたを始末して逃げでもしたら意味ねぇだろう」

「力で負けても、頭は勝つ」


 ああ、そう、と肩を落とす。情報管理が彼の分野。出向チームは、そうしてバランスを保っているらしい。それだけ言って、少年はまた欠伸を零す。長い睫毛に絡む雫を見て、あのときの女の涙が脳裏を過ぎった。


(……寒気してきた)


 あの涙は好きじゃあない。女の涙、虫唾が走った。


(強い女は、強いままでいてくれや)


 この押し付けは理想。ぶるりと震えて、煙を壁に押し当てた。今はまず、あちらさんのボスに種を運び届ける。そうすれば何故種の情報を得ているのか、種とは一体何だというのか、それを共有すると言うのだ。容易い仕事の割に、見返りが大きい。何事も起こらないでくれよと念じ、少年の促しで最後の柵を越えた。


「……またかよ」


 心無く鉄柵を捻る。見慣れた白服、ドレスの少女は彼に気付くと、くるりと跳ねて腕を絡めてきた。以前のようにして振りほどくが、それに対して、女は目を細めて笑う。まるで萎んだ風船のようだ、と彼は思う。そう揶揄するほどに、彼女の幸福に満ち足りた華やかな笑顔が気に食わなかった。


「なんでこんなところにいるんだ」

「任務です。あなたこそ」


 朗らかに返す彼女に、いつもの毒気はない。全てはこの、無邪気な少女のせい。


「答える義務はないね」

「そうですか」


 いつもならば、いつもならば、もう少し突っかかってくれるものを。調子が狂う。まったくどうしたものだ、彼女も、腰抜けも。昨日までと、誰もの空気が違う。


「ハイデ……じゃない、エリカだっけ。何の任務か教えて」

「えっと、アスフォデルの監視!」

「エリカ」


 清々しく仲間と立場をたがう少女は、相棒の苦笑をすり抜けて少年の手を引く。気だるそうに引かれるまま、少年は彼女の言葉に耳を傾けた。ああして威圧もせずに情報を仕入れるのか、なるほど、と関心を寄せるが、それはエリカ相手だからできることで。ああもう全てが面倒で、腹立たしい。彼らの間を割って、黒い戸を押し開けた。


「お待ちしていたわ」


 出迎えたのは、穏やかな笑みを浮かべる豊満な女。マフィアの総会以来だがしかし、この女の笑っていない瞳は苦手だった。




 室内は黒。コモンリードとさして変わりはしない。しかし唯一違うのは、部屋一面に飾られたたくさんの花たちだ。散りばめられた花瓶の花たちは白一色。黒の空間に、浮き立って見えた。モノクロの世界、感覚が狂いそうだ。目の前に差し出されたカップに手を付けず、彼は彼の任務を遂行する。


「……これが司祭の種だ」


 黒いテーブルに、黒の種は姿を隠す。女の白いベロアの手袋の上で、ようやく水を得たように際立った。


「これでまた、国の汚れがひとつ浄化される」


 言って、女は鉢を手に取る。真っ黒な土が敷き詰められた、実りのない鉢。そこへ司祭の種を埋めた。これは、恒例なのか。何食わぬ顔で、リオニーはそれを他の鉢と同様に並べる。


「……おい、もしかしてこの部屋の花って」

「お察しの通りよ」


 白い花に霧吹き。誰に言われるでもなく、エリカは花々の世話を始めた。ここでの、彼女の日課だったのかもしれない。微笑む女に、ゾクリと悪寒が撫でた。


「種を……育てて、大丈夫なのですか」


 隣に腰掛けた女は訝しむ。彼も彼女と同意見だった。親殺しから吐き出された種。これは彼らの動力源で、キメラの接続部。多量に咲き誇る花々は、彼らそのものだ。


「種であるから危険なのよ。それを体内に取り入れさえしなければ。そのために花を咲かせる」

「……なるほどね」


 ここは彼女の菜園。親殺しを封じるための、公安上層部を陥れるための。花さえ咲いてしまえば使えないというのならば、連中の絶望した顔が目に浮かぶ。


(顔も知らねえけど)


 ふと隣に視線をくべれば、彼女は自分の腕を見つめていた。そうだ、彼女のそれも、早々に取り除いて花を実らせてしまえばーー。今の彼女ならば、それを頷くかもしれない。そう思って口を開けば、彼よりも早く、対面の女は動き出していた。


「あなたの種も、わたしが育てましょう。取り除くのも簡単よ。うちには医療に精通した部下もいるの」

「……しかし」


 立ち上がる女に、視線を動かしながら、チップと同化した彼女は拳を握る。確か、手首にあると、連中は言ったか。それを何故知っているのかも理解は不明だが、感情的でない彼よりも、幾分か彼女は信頼を寄せるだろう。癪だが。


「遠慮しないで。わたしが育てたいの」


 言って、女は彼女の手を取った。そうして剥き出しの甲に唇を落とす。ぎょっとした。彼女にではなく、内心で舌打ちを落とした自分に。


「あー!アスフォデル!ガーベラに何するの!」


 霧吹きを投げ捨て、少女は女に詰め寄る。負けじとガーベラの腕を引き、口付けようとして彼女に止められた。自分は何を見せられているのか、深い息が止まらない。これだから女は、鬱陶しいのだ。


「わたしの夢は、広大な花畑を作ることなの。あなたの種にも、その一役を担ってもらいたい」

「……考えておきます」


 言って彼女は席を外した。親友と二人で。余裕を構えるこの女の言葉を、考えようとしているのか。おそらく動揺している。たしか彼女は仕事に真面目な女だったはずだ。そんな彼女が、「アスフォデルの監視」という任務を放棄して離脱した。それは彼女の心の揺れからなのか、女の巧みな話術のせいなのか、どちらが先行したかはわからない。眉間に刻まれた皺は、少し前の彼女に似ていた。それに少し安堵した自分にまた嫌気が差して、残った二人を睨み付けた。


「で。種の情報ってのは。あんたらはどうやって種のことを知ったんだ」


 少女の投げ捨てたそれを拾い上げ、今度は少年が霧吹きを操る。花弁を、葉を、水滴に濡らした白い花は、やはりどうして忌々しいほどに存在を放っていた。


「簡単なことよ。わたしは、公安に内通者がいるの。あなたもよく知っている子」

「……そう来たか」


 言われてしまえば、思い浮かべた男の挙動に納得がいってしまう。エリカの生存を知っていたことも、種の研究をしていたことも。しかし、だとしたら、それこそ元相棒への不安定な態度はなんだ。


「あの子はなんでも教えてくれる。なんでも聞き入れてくれる」


 女はくつくつと笑う。指先で白い花弁を弄りながら。彼女の白いベロアは、その花によく似ている。気に食わない。


「でもね、言いなりになるのは良くないことよ。大昔のお話、きみは知っているかしら」

「おとぎ話か?興味ないな」


 視線を逸らせば、少年の霧吹きに目が止まった。窮屈な口から吐き出される水は、滴り落ちて床を濡らす。何故だか喉が乾いた。花は彼の傍らにも佇む。まるでこちらをのぞき込むようにしなだれる花は、遠い昔の母のよう。ああそうだ、この女も、母に似ているのだ。


「そう言わないで。この種にもまつわる話よ」


 女の口角、その厚い唇。そこから紡がれる言葉の流れは、絡まるツタのようで。無理矢理そちらに視線を戻されて、唾を飲んだ。


「彼女は博愛の人だった。愛すべき家族の願いを叶えるために、何度も家族をやり直し、何度も花を手向けた。そうして生けた花は、人々を狂わせる」

「生けた、花……?」


 声が掠れる。何度唾を飲み込んでも、それは変わらなかった。


「彼女は人体に咲き誇る花に、恋をしたのよ。それが博愛の女神、通称イリス」


 とうとう彼は、目の前のカップを飲み干した。




 小屋の前では、白い花が揺れていた。下向きの、小さな花。彼女がくれた、命の花。これは彼女の期待、そして約束。彼が初めて彼女と出会ったとき、彼女はそう言ってこれを手渡した。彼が期待に応えるとき、これは一面の花畑になる。そう言われたから、これを自分の隠れ家の象徴とした。古びた山小屋。雑木林に覆われた、薄暗い世界に、その白は浮き上がる。ここに帰るたびに彼女に出迎えられるかのようで、顔が綻んだ。


「アスフォデルは、僕を見てくれる。希望を寄せてくれる。愛してくれる」


 しかし今日の彼は違う。花には目もくれず、すぐさま小屋に押し篭れば、工具の散乱するアトリエで、小さな銃を取り出した。手のひらに収まるほどの、小さな自動拳銃。


「小さな種、小さな麻酔」


 これは医療に用いるための銃だ。痛みを感じさせずに事を進めるための、切り札。無造作に置かれた木版には、細かな数値が刻まれていた。表題は、合成獣。


「バイタルは正常値……変わらないな」


 走らせたペンは木版を削り、また新たな数値を刻む。これは今日の記録。同じ文字が数週に渡って連なっている。望む結果は簡単には得られない。次の木版を手に取った。


「……ふふ」


 今日の記録、別の数値。こちらに刻んだ文字を見て、ヤナギは顔を歪め、笑い声を上げ始めた。高く、長く、小屋を抜けた林に轟くように。それだけで息は切れた。何故だか目尻には涙が滲んだ。この結果を、待ち望んでいたのに。冷や汗が滲んで、短い髪が額に貼り付いた。


「とうとう、花は咲くよ……アスフォデル」


 それは震えて、掠れた声だった。彼女は喜んでくれるだろうか、きっと喜んでくれる。しかし彼女は。二つの花の意思は交わらない。外で揺れる三枚の花弁は、力無く地面に落ちていった。

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