第8話 下らない応酬

「良い店のポイントはどこだと思う?」

「は? いや分からないけど」

「それはだね……トイレに行きたくなることさ」

 というわけでトイレに行ってくる。そう言って彼は僕から離れ腹をおさえながら去っていった。僕は一人、クリアファイルコーナーの前に残された。

「……」

 可愛らしいアニメのキャラクターである女の子がこちらに向かって微笑んでいる。ブレザーの制服姿で、風邪になびく髪を優しく手でおさえながらスカートを翻している。僕はどうすればいいのだろうか。とりあえずクリアファイルの女の子を見つめる。まあ、素直に可愛いとは思う。なんならちょっとその男の理想が詰まったボディラインに、所謂『萌え』を感じなくもない。いや、これは単に『エロい』だけだろうか。ま、それはどっちでもいいか。

「……」

(君は何してるの?)

 そう言っているような感じの表情だ。

(連れに取り残されてぼうっとしてます)

 そう、心の内で答えておいた。

「すまない、待たせた」

 連れが戻ってきた。

「いやあな。本屋に来たり、こういうアニメショップに来ると心が踊るものだろ? つまりは興奮するんだな。すると腸が刺激されて、トイレに行きたくなるのさ」

 今日で何度目かとなる眼鏡をクイッと上げる動作を彼はした。

「お、鷹紘氏が見つめているのは『さなりん』ではないか。いいぞ~『さなりん』は。本名は飯田早苗といってな。『ムーンライト・ストライカー』という作品のヒロインだ。彼女は――」

「あーもう分かったよ。そんなことはどうでもいいからさ」

「そ、そんなこと⁉ き、貴様! それはどういう意味だ!」

「結局夢野さんの秘密とやらは何なんだよ! いつ僕に話してくれるんだ!」

 かなりの大音量で叫んでしまった。でもそれも致し方ないのだ。僕はコイツに「夢野さんのとっておきの事実を教えてあげよう」とか言われて、気になったからコイツのいう通り行動を供にしていたけど……さっきから横浜駅周辺の本屋やらアニメショップやら回ってるだけで、話そうという気配が微塵も感じられないのだ。

「まあ、待て焦るな。焦ってもいいことはないぞ」

「どの口が言うんだ」

「ちゃんとこの後話す予定でいたさ。先ずは鷹紘氏と新密度を上げるためにもこうして他愛もない雑談をできるような巡礼を行っていたわけだ。さあ、今から洒落乙なカフェにでも行こうではないか。そこでゆっくり話そう」

 そう言ってコイツ――平沼幸太郎ひらぬまこうたろうは僕に背を向けて歩き出した。

 全く、本当に何なのだ。

 まあ、とりあえず――飯田早苗の名前は記憶しておこう。





 洒落乙なカフェというのは、確かに洒落乙な内装ではあった。

 さなりんのラテアートが描かれたカフェラテ以外は。

「こ、これは」

「ふむ。今このカフェでは『ムーンライト・ストライカー』とのコラボカフェが開催中なのだよ。鷹紘氏もさっきクリアファイルを見つめていただろう。偶然だったな」

「なあ、この娘さ。さなりんって、どういう性格なん?」

「お、興味を持ち始めたか鷹紘氏! さなりんはだな、所謂『ツンデレ』だな」

「ツン……デレ!」

「そうだ、今時珍しい古典的なツンデレだ。だがそれがいい! 彼女はとても愛おしく」

「――って、違うわっ!」

「うわ、なんだ」

「危うく逸れたままになるところだった。夢野さんの秘密、それを教えろよ、早く」

 本来の目的を忘れてしまっては元も子もない。何のために定期券の範囲から抜け出して電車賃までかけて平沼の行動に付き合っているのか、その本質が失われてしまう。

「さなりんの話を振ったのはそちらからだろうに」

「うるせえ、いいから、もう待ちきれんぞ僕は」

「分かった、分かった。いいか、彼女はな」

 ごくり。唾が喉を下っていく。

「僕と同じで、作家志望なのだ」

「……」

「なんだ、その薄い反応は」

「いや、もうそれは知ってたっていうか」

「え⁉」

「そっちよりお前が作家志望の方に驚いた」

「なんだと……」

 まあ、小説を書いているくらいなのだから、作家志望なのは当然だと思う。結構真面目に書いているということは、一度見ただけでも伝わってきた。

 でも、そうか。夢野さんは作家になりたいんだな。

「で、お前はあれか? その作家ってのは『ライトノベル』を書く人になりたいのか?」

「……悪いか」

 ズズッと、カフェラテを啜って何だか不貞腐れている。

「べつに良いと思うよ。むしろ、少し羨ましい」

「羨ましい?」

「それだけ想像力豊かにさ、エンターテイメントを書けるなんて、本当に凄いと思う。そして、それを読んで楽しめる人も。……今の僕には、出来ないことだから……」

 カフェラテを一口、もう一口飲み込んだ。甘さの中に潜むほろ苦さが舌にじんわりと染み込んでいく。

 そうだ、僕、物語が――嫌い、だったんだっけ。

 自分の中で母と本が密接に結ばれてしまっているが故に、僕は本というものがどうしても受け付けない。今日も、本屋にいるのは若干不快だった。

 本には、物語が詰まっている。まだ映画とかは見れなくもないし、国語のテストで小説を読解する問題くらいなら大丈夫だけど……自分から進んで、物語に親しもうとは思えない。

 そんなことを、ここ最近忘れてしまっていたようだ。何故だろう。彼女、夢野さんに出会ったから……?

「鷹紘氏」

「……な、何?」

「いや、神妙なというか、少し暗そうな表情をしているから」

「ごめん。なんでもない」

「そうか、ならいいのだが」

 何だか、重たい空気が流れ始めた。

「ほんとにすまん、雰囲気を重たくしちゃって」

「うん? べつに僕は気にしてないぞ」

 そう答えて平沼は一気にラテを飲み干した。

 そしてメニュー表を開き、呼び鈴を鳴らした。

「すみません、この『阿倍なぎさラテ』と『ストライク・パニッシャーケーキ』を」

 注文を承ったウェイトレスは一礼してから去っていった。

「鷹紘氏は何か頼まなくていいのか」

「まだ飲み終わってないし、それに腹も空いてない」

「そうか」

 それから暫くして、平沼が頼んだ二杯目のカフェラテと大きなパンケーキが運ばれてきた。

「でな、鷹紘氏。この話には続きがあってだな」

 日本刀を構えたロボットのイラストが描かれたパンケーキを器用にナイフで切っていきながら平沼は話を再開した。

「続き? 夢野さんが作家志望なのはもう聞いたぞ」

「違う、真に僕が話したかったことは今から言う内容なのだ。先程のはこのための前段階だ」

 大きく口をあけてこれまたでかい一口であるパンケーキを頬張り、暫し無言の咀嚼タイムが挟まれた。

 なんだろう、さっきの話が前段階というのは、どんな意味が?

 一口目をようやく飲み込んだのか、一旦カフェラテを飲んでから平沼は話を切り出した。

「いいか。彼女が学校を休んでいる理由だ。夢野望は今必死になって小説を家で書いている」

「……小説を書くために学校を休んでいると?」

「ああ」

「それだけの理由で?」

「鷹紘氏は分かっていないようだ。真に面白い作品を書くために、つまりは真剣勝負だ。寝る時間も食う時間も惜しんで書かなければならない時というものがあるのだ。彼女は今その時期を迎えている。だから学校を休まなければならないのだ」

「わからない。そんなに必死にならなくちゃいけない時期って何だよ?」

「察しが悪いなあ鷹紘氏。夢野望はある小説のコンテストに作品を応募しようとしているのだ。確か五月の中旬あたりに締切りだったはずだから、それこそ佳境に突入しているだろう」

 コンテスト……。

 考えてみればそれは至極当然のことだった。作家志望なのだからいつかはデビューする夢を持っているはず。そのために一番手っ取り早く目標を達成できる方法は、コンテストで大賞なり優秀賞なりをとることだろう。

 そうだ、夢野さんは趣味で書いているわけじゃない。プロを目指しているんだ。でも……ちょっと、生き急いでいる感じもするのは、僕だけだろうか。

「昼休みに鷹紘氏が夢野望の欠席理由を知りたがっていただろう? だから今日はそれを教えてあげようと思ったのだ」

「……お前はなんでそのことを知っているんだ?」

 ここまで話を聞いたところで、ふと何故平沼が夢野さんの事情についてやたら詳しいのか、別の疑問が湧いて出た。

「そ、それはだな。僕は一年の頃、夢野望と一度会話をする機会があったのだ。僕が教室で本を読んでいたら話しかけられてな。彼女がいくらか一方的に話す感じで、僕はそれを関心を寄せて聴いていた。『私はできる限り早くプロの作家になりたいんです』と。今まで色んなコンテストに作品を応募してきたけど一次選考落ち続きだと言っていたな。それで『平沼君って、いつも本を読んでますよね。どんな本を読んでいるんですか』と聞かれたから、ちょっと浮き足立ってたのもあってカバーをはずして本を渡したのだ。そしたら彼女、数ページ捲っていたら顔を真っ赤にして。翌日からは特に話しかけられることもなく交流はなくなった」

「おい、夢野さんに一体何を見せたんだ」

「べつに変なものじゃないぞ! ちょっと主人公に胸を揉まれるヒロインのイラストページが偶然にも彼女の目に触れてしまっただけだ!」

「てめ、なんてもん夢野さんに読ませとんじゃ⁉」

「わあっ、落ち着け鷹紘氏! 何かキャラ違うぞ! お願いだから襟首離してくれ」

 ハッとして、あたりを見回すとかなりの注目を浴びていることがわかった。店員からは訝しげな視線を送られている。喧嘩なら外でやってくれと表情が語っていた。

 平沼の襟首から手を離し大きく息を吐き出しながら上げていた腰を椅子に戻した。冷静になるよう自分に言い聞かせた。

「……鷹紘氏は、その」

「何だよ」

「いや、その、だな……なんで、夢野望のことをそんなに気にするのだ?」

「それは……友達に、なったからだよ。おかしいか?」

「おかしくはないが、ちょっと引っ掛かってな。見たところ、鷹紘氏はそんなに本を読まないのだろ?」

「ああ、読まないどころか嫌いだ」

「お、おう……で、何故それで本を読むのも書くのも好きな夢野望と一緒にいたいと思うのだ……?」

「それは……なんでだろうな」

「へ?」

「自分でもわからん」

「……」

 ほんと、何故だろう。でも、彼女となるべく近くにいたい。夢野さんの存在が、何故か自分を落ち着かせる。そんなあやふやな想いがずっと僕の心に居座っている。古本屋の、あの夜から――


 ぐうう……


 突然、腹の虫が鳴り出した。

 どうやら長らく話しこんでいた間にお腹の空き具合いが夕飯時の状態に差し掛かったみたいだ。

「……鷹紘氏。何か食うか?」

「あ、いや……家帰って、晩飯作らないといけないから」

「む、そうなのか。ならば長くなってしまったな。すまんかった」

「まあ大丈夫だよ」

「時間ももう六時になろうとしているしな。帰るか」

 僕と平沼は半ば慌ただしく喫茶店を出ていった。




 横浜駅から相鉄線の一階改札口を抜け、快速の湘南台方面の電車に乗り込む。

 つり革を掴んで、電車の揺れに自身の体も揺さぶられながら僕らは車窓の景色に目をやっていた。

「なあ、鷹紘氏」

「うん?」

「君は……その」

「父子家庭だよ。母さんはいない」

「そ、そうなのか」

「あ、あんまり気にしてくれなくていいよ。べつに病気で死んだとかじゃないから。母さんが家族を捨てたから、逆に捨ててやっただけ」

「……」

 平沼が何かを言いたげにこちらを見つめてきたけど、諦めたのかズボンのポケットからスマホを取り出して、いじり始めた。

 夢野さんが必死になっている今、自分にできることは何なのか。

 せめて、夢野さんの連絡先はやっぱり持っていたかったなあと、二俣川駅に停車したところで思った。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

空みる創作少女 前田千尋 @jdc137v

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ