第7話 広がる関係

「私、友達でいいんですか?」

 キーボードを叩く手をとめて、彼女は僕に落ち着いた口調で話しかける。窓から差し込む夕陽が、夢野さんの仄かな茶色の髪の毛をきれいに赤く染め上げていた。

「……は、はい。もちろん! ごめん、昨日は、変なこと言っちゃって……」

「いいんです。友達になっていいということが分かれば、私はそれで」

 ほっと一息吐いた彼女は、叩き疲れた指を自身で優しく揉みながら、言葉を続けた。

「本当に、うれしいです。私、友達をつくることも、ひとつの目標だったので」

「目標……?」

「はい。私は来年まで成し遂げなければならない目標がたくさんあります! 確か……五個、くらい?」

「そんなに……大変だね」

「はい。でも、大切なんです。だから私はそればっかりに夢中になって……クラスには馴染めませんでした」

「……」

「なので、友達になっても……こう、あまり一緒に遊ぶことはできないかもですけど」

「別に気にしないよ。ただ、これから教室で普通に仲良く話でも出来れば、僕はうれしい」

 こんなにも素直になれたのは久しぶりだった。自分の想いを、常に伝え損ねたり自ら濁してしまったりしていた自分にしてみれば、今日は大きな一歩と言えるかもしれない。

 ……なんとも小さい「大きな一歩」だけど。

「矢森さん」

 夢野さんは席からたって、真っ直ぐに僕に向き直った。

「そ、それでは友達として、これからよろしくお願いします」

 右手を差し出された。握手を求めているのだろう。

 少し堅い気もするが、これが彼女の人との接し方なのかもしれない。ひたすら真面目で努力家。そんな印象を抱いた。

「うん、よろしく。夢野さん」

 彼女の手を握った。

 柔らかい感触が何だかこそばゆい。こんなことを考え始めてキモいなー、イタいなーと自分で思いつつも、変に緊張してきた。

「どうしました矢森さん?」

「あ、ああいやその……よ、よろしく!」

 緊張を隠すために声を大きくして言った。

「はい、よろしくお願いします!」

 僕の大声に呼応するように彼女もこれまたはっきりとした口調で返してくれた。


 その後、僕らは二人で南万騎が原駅まで帰った。電車に乗った後も会話はそこそこ弾んだ。主に学校でのことについて。『本』に関する話題は出なかった。夢野さんが気を使ってくれたというよりも、互いに新鮮な話に夢中になっていた。





 *****





「私、友達できましたよ」

 彼に報告しました。彼はベッドに横たわって、静かに聴いてくれました。

「ほんと? 良かった。安心したよ」

 彼は私の顔を見て心底ほっとしたような表情を浮かべました。

「えー、どういうことですか?」

「望、友達いらないとか前に散々言っていたじゃん? こいつボッチのままいく気かって、本気で心配だった」

「そ、それはですね……別に私は『来るものを拒まない』ので」

「へー、友達になりたいって人が現れてくれたんだ?」

「ええ……うれしかったです」

「……ははっ」

 彼が小さく、堪えきれなくなったように笑いました。

「何がおかしいんですか?」

「いや、友達欲しかったんじゃんって思ってさ」

 彼の指摘は、何だか心にチクリとしました。

「……え、そ、そうなんですか?」

「まあ、無意識だよ、そういうのは」

「? ……あ、そうだ。今日、ラストにかかりましたよ」

「お、マジか」

「はい、真面目です」

「コンテストに間に合いそうか」

「はい、今度こそ賞をとってみせます」

「まあさ……無理しないでな。俺のためにとか、そんなことで気負わなくていいから」

「な、何を言ってるんですか! 私は無理なんかしてません! 自分も楽しみつつ、約束のために頑張ってます」

「そうか。なら、いいんだけど、さ……」

 彼は窓の方に顔を向けました。ひつじ雲がまばらに浮かぶ春の空を、しばし眺めていました。

 私は膝に置いた手を、静かに握りしめていました。





 *****





 土日を挟んだ、月曜日。

 金曜日に、夢野さんと友達になったはいいけどアドレス交換とか、そういう類いをしていないことに次の日の朝に気付いた。友達になったんだからそれぐらいのことはしていいよなと考え、来週になったら朝イチでそのことを訊いてみようと思っていた。

 なのに、学校に来てみると彼女の姿は教室にはなく、ホームルームが始まって一時間目の授業に突入しても彼女は登校して来なかった。

 風邪でもひいたのかな。だったらお見舞いとか……いや、友達といえど相手は女子だし行かない方が普通? どうなんだろう……あ、ていうかそもそも夢野さんの家知らないじゃん。

 板書された計算式を書き写しながらそんなことばっかり考えていた。



「タカ、飯食おうぜ」

 昼休み。鞄からバンダナに包まれた弁当箱を取り出すと、矢沢がそう言い、机を向かい合わせになるようにくっつけてと提案してきた。

「い、いいけど……その、『タカ』って何だ?」

「お前『鷹絋』っていうんだろ?」

「そうだけど」

「だから、『タカ』だ」

「なるほど、わからん」

「わからないか? 鷹絋だから」

「いや、その理屈は分かったよ。ただそう呼ばれることに理解が追い付かないだけ」

「俺とお前は、友達だろ?」

 そういうことになるのだろうか。

「気やすく呼ばせてくれよ。嫌か?」

 嫌だったらやめる、と矢沢は続けた。そしてドサッと机に容量がたっぷりとありそうな弁当箱を置き、イスを引いた。

「嫌ではない」

「なら、いいな」

「せやな……」

 パカリと蓋が開けられた彼の弁当箱から、茶色が強く視界に飛び込んできた。

 敷き詰められたご飯の上に、焼き肉が五枚敷かれていた。ザ・運動部の肉弁当! そんな印象だ。

「タカはまだ部活に入る気はないのか?」

 肉と米を一緒に頬張りながら質してきた。一口がかなりデカイ。

「まだっていうか、毛頭やる気はないよ。帰宅部所望を貫き通す」

「それ、楽しいのか?」

「部活に青春を見いだす人もいれば、それ以外のことに勤しむ人だっているんだよ」

 結び目を解いて、二段式になっている弁当箱の上段と下段を分離させる。上段から蓋を開いていって、箸を手に持つ。冷凍食品のハンバーグがメインのおかずで、野菜はブロッコリーとプチトマト。ご飯には玉子ふりかけがかけられ、黄色に染められている。矢沢の弁当とは対照的な彩りだ。

 弁当作りに初挑戦したのが、目の前にある弁当なわけだが初めてにしては大分上手くいった方だと思う。

「そういや、夢野今日いねーな」

 もぐもぐと顎が動いている。

「あー、そうだね。風邪、かな?」

「うーん、でもあいつ定期的に休むことあるぞ?」

「そ、そうなの?」

 ご飯をつまんだ箸が口に運ばれる前で止まる。

「ああ。去年からさ。クラスの奴らはもう慣れてるけど、先公は色々と言うやついるな。担任はそうだ」

 知らなかった。何故だろう、やっぱり馴染めないクラスが本当は嫌なんだろうか?

 友達になった直後に会えないのは、少し辛い。

 沈みかけたその時に、隣から席をたつ音が聞こえた。

 もう昼食をとり終えたのか隣の席の、あの『思わず読書中に笑ってしまった』眼鏡男子はスタコラと教室を出ていった。女子が数人クスクスと声をたてた。

 恐らく、向かう先は図書室かな。

 直感的にそう思った。友達いない奴の避難場所は、大体図書室。本が嫌いな僕は人気のない中庭の隅が、中学における安寧の地だったけど。

「はあーっ、食った食った」

 弁当箱を空っぽにし、手で腹をさする。なんとも幸せそうな顔だ。

「野菜も食え」

 ブロッコリーを一つ、矢沢の弁当箱にぽんっと投げ入れた。

「おう」

 何の抵抗もなく僕から与えられたブロッコリーを口に運んだ。

「野菜が苦手なわけではないのか」

「別に嫌いってわけじゃねー。野菜以上に肉が好きってだけだ」

 熱い肉愛について呟いた彼は、ごくりと飲み込んで蓋を閉じ、「ご馳走さま」と両手を合わせた。



 昼食が終わって、しばし時間が経ち、僕はトイレに向かった。一息ついて、トイレから出ると出会い頭に人とぶつかった。

「あ、すみません」

「す、すんませっ」

 相手の顔を確認すると、それは約十五分前、慌てた様子で教室をあとにした眼鏡男子だった。

 眼鏡男子はそのままトイレの出入口に吸い込まれるように姿を消した。

「やっぱり図書室に行ってたのかな」

 彼が来た方向から察するに、その可能性が高い。

「ま、どうでもいいか」

 僕は教室に戻ることにした。



 *****



 ダメです……ダメです……

 ダメ、でーーーーーーーーーーーーーっす!

 私はパソコンを勢いよく閉じて放り投げたい衝動に駆られましたが、ほんの少しの冷静さが働いたおかげで、上書き保存のアイコンをクリックすることだけは何とか行いました。その後はパソコンの画面から逃げたかったので、自室を飛び出しました。

「あーもうっ!」

 そのままソファーへダイブ。父は会社。母はパートに行っているため、自分の声だけが虚しく響きます。

「……どうしよう」

 クッションに顔を沈めながら、私は弱音を吐き出しました。

「ラスト……ラスト……書けない!」

 顔を上げてクッションを頭上に放り投げました。しばらくしてから落下したクッションが私の頭に直撃します。

 一昔前のコントのような状態になり、前髪が視界をふさいできました。

「……間に合うかなあ」

 私はソファーの後ろの壁にかけられたカレンダーを目にしました。

 家から飛び出したい思いを我慢して大きく息を吐き出した私は、ソファーから立ち上がって自室に戻りました。



 *****



 夢野さんがいなかったことで、沈んだ気分の まま僕は教室から出た。矢沢は部活に行ってしまったし、一人で帰るしかない。ボッチは慣れていると思っていたけど、この前は久しぶりに一緒に誰かと帰ることができた故に、浮き足だっていた心が一気に急降下していった。

 まあ、しょうがないわな。

 席から立ち、鞄のヒモを肩にかけ教室を出ていこうとした。

「な、なあ君」

 声をかけられた。さっきから座ったまま席から立とうとしていなかった眼鏡男子が、ガタリと音をたてた。

「お、驚かせてすまない。その訊きたいことがあっ、あってだな……」

 どもった上に、手の動きが何だかキモい。

「な、なんでしょうか?」

 一応、一歩後ずさった。

「ひ、引かないでくれ! ど、どうか話は聞いてくれ、きっと君の役に」

 慌て始めた彼はその勢いで前のめりになり机に腰をぶつけた。そして机に置いてあった本が床に落ちた。

「あっ!」

 若干、悲鳴のような声を上げた。僕がそれを気にせずに本を拾う。相手が落としてしまったものは拾ってあげるのが礼儀ってもんだろう。

 その際、最初の数ページがチラリと見えた。何やらカラーページで、口絵だと思われたが、そこに描かれているのは水着姿の、アニメ的なイラストの少女だった……

「か、返してっ!」

 眼鏡男子が強く返還を求めた。

「あー、いや。まあ、僕はべつにいいと思うよ?」

 人の趣味はそれぞれだ。否定する気は更々ない。ただ、ちょっと「へー……」って思っただけだ。

「それだよ、その目だよ!」

 何がその目なのか知らないが、眼鏡男子は半ば強引に僕から本をひったくり、取り戻した。

「なぜ僕ら『ラノベ読者』はその目を向けられなければならないのか! 女子高生が読むケータイ小説は持て囃されるのに、なぜ! あれか、アニメ的な絵が気に入らないのか? それともちょっぴりエッチな展開があるからいけないのか? いいか、よく聞け! エッチな展開、つまりラッキースケベの描写だが、そんなのなあ! 健全なんだよ! よっぽど昔の純文学の方が過激だ! 谷崎とか読んだことあるか? フェチの塊だぞあいつの作品! それに今時、アニメを始めとするサブカルチャーが低俗だという認識自体が時代遅れだ! ゼブリや深海マモルとか、立派な結果を出しているアニメ映画がごまんとある! 他の邦画が消し飛ぶ勢いの大ヒットだぞ! わかるか? 話が少し逸れたが、つまりだな、ライトノベルには一般小説とは違った良さがある、エンターテイメントなのだ、芸術なのだ! 多感な思春期の少年の心を熱く締めつけ、時にヒロインの可憐さ、愛おしさに震え、時に感動の涙を流す。これほど素晴らしい表現媒体があるだろうか? いや、ない! 読みやすいという点が、軽い小説であるラノベの最大の特徴であり、短所であると指摘される。しかしなあ、僕はその読みやすさこそが最大の長所であると考える! なぜなら読みやすい故に、誰もが手にとりやすい、そしてダイレクトに感動を与えやすい! つまりこれが」

「わーっかった! 後は論文として原稿用紙に書け!」

「? 今時はワープロだろ?」

「どっちでもいいよそんなこと。それより、僕に声をかけた本件はなんだよ」

 なんというか、ガッチガチのオタクって奴だった、眼鏡男子。同じ陰の属性でありながら、微妙に僕とは違う存在。昔は、それこそ僕も『本オタク』だったのかもしれないけど、今は何でもないからな。

「あ、えっと……その、だな」

 さっきまで饒舌だったのに、温度差が激しい。

「夢野望、彼女が学校に来ていないわけを知りたいんだろう?」

 眉がぴくりと反応した。多少現在のやり取りに嫌気が差し始めていたが、気分が変わった。

「僕が、彼女のとっておきの事実を教えてあげよう、と思ってね」

 こいつ、夢野さんの何を知っているんだ?

 無駄に眼鏡を光らせて、彼は不適に微笑んだ。

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