第5話 前途多難

 私、夢野望は一人でポツポツと公園の脇道を歩いていました。

 ついさっきまでは、駅でばったりと出会った古本屋の人と一緒にいました。けれど、私は彼からいきなり交友を許否されてしまったのです。

 理由はわかりません。彼は本が嫌い、らしいのですが、だから本好きの私とは友達にはなれないと……意味がわかりません。

 いや、正直いうとわからなくない部分もあります。趣味が合わないっていうのは、確かに友達でいることの条件としてそぐわないかもしれません。

 けれど、世の中には趣味が違えど友達関係を保っているなんて人の話はよく聞きますし、第一私たちはまだ会ってばかりで互いの顔を認識しているくらいの仲です。これから色々なことを知っていって……仲良くなれると思ったのに。

 私は友達がいません。ゼロです。当然の結果ではあります。私には果たさなければならないある人との約束があります。そのためには相応の努力をせねばならず、友達作りになりふり構っていられなかったのです。

 中学、高校と私はそうして生活していきました。でも、今年になってから少し考えを改められたというか、そのある人に言われたのです。

『友達作りなよ』って。

 べつに無理して作る必要はないけど、ただ約束のためにそういったことを犠牲にしているというのだったら、そんなことはやめてほしい、と。

 私はその人がそう言うのだったら、友達を作るということも悪いことではないような気がしてきました。それにその人が本気で私の私生活について心配してくれているようだったので、ただでさえ体が弱いその人に不要なストレスをかけたくもありませんでした。

 だから私は友達を誰か一人、作ろうと思いました。しかし残念なことに、一年生の時に大体の人間関係が出来上がっている今のクラスで友達を得ようなんてことは、宝くじで一等を狙うことに等しかったのです。

 これでは、どうにもならない。はてどうしたものかと、考えていたそんな時に――

 古本屋の彼に出会ったのです。

 けれど、その彼ともどうもうまく行きそうにありません。

 どうしたらいいのでしょう。

 私は空を眺めました。

 茜色がふわふわな雲をほのかに染めています。横浜のすみっちょから望むこの空が私は好きです。こんな何の偏鉄もない街で、特にこれといった特徴もないような、そんな街。だからこそいいんです。この街は、色んな人が、普通に幸せに、それぞれの形で生きていくことを許してくれる、そんな気がするのです。

 私の大切なその人が、教えてくれました。

『空はね、心を洗ってくれるんだ』

 私も、そう思います。

 しばらく公園の入り口のそばでぼうっとしていましたが、私はフンッと息を吸って歩き出しました。

 さあ、私は私の努力を続けましょう。家に帰ったら、私は――

「小説を、書かなくちゃ」





「鷹絋、おい鷹絋」

 揺さぶられた、ような気がした。実際揺さぶられていた。半分寝ぼけ眼のまま、はっきりとしない頭で相手の顔を見た。

「起きなくていいのか、今七時半だが」

 ああ、父さんか。ようやく頭が覚醒してきた。

 実を言うと本当は一度起きていたのだが、学校に行きたくない思いがあってわざと布団をでなかった。そしたらそのまま二度寝してしまったらしく、そうして現在に至っている。

 まあ、起きなくちゃダメだよな。

「ああ、起こしてくれたのが美少女だったら最高の朝だったのに……」

「なーにバカなこといってんだ。俺もう会社行くから、ちゃんと支度しろよ」

「……へ~い」

 父さんはそれだけ言うとそそくさと僕の部屋から出ていった。玄関のドアを開ける音が聞こえた。

 僕はゆっくりと体を起こした。

「っはあー」

 行きたくねえー!

 心の叫びは虚しくも自身の胸の中にだけしか響いていなかった。





 先程から足が重い。坂道を登り、校門に近づくにつれてまるで子泣き爺が背中に乗っかっているかの如く足が進まなくなる。

 こんな僕を嘲笑するかのように、綺麗な雲ひとつない青空が上に広がっていた。

「はあ……」

 ため息しか出ない。





 下駄箱から上履きを取り出そうとしていたところへ、背中から声をかけられた。

「おはよ、転校生くん」

 一瞬ぞわりと背筋が震えた感じがした。恐る恐る振り向く。

「あ、ど、どうも……」

 僕の横からヌッと姿を現し、そのまま右隣の下駄箱から同じく上履きを取り出したのは、蘭堂知佳だった。

「今日学校来ないものだと思ってた。昨日で精神やられたかなーって」

「……そこまで豆腐メンタルではないです」

「そっか~……残念」

 本当に残念そうに呟いて彼女は上履きを履き終えると、僕から意識を逸らして途端に違う相手にそれを向けた。

「あ、智輝!」

 数分遅れて昇降口にたどり着いた自分の彼氏にもう全ては注がれていた。

 一緒に登校しているわけではないのか。

 いや、そんなことより、だ。

 僕はとりあえず辺りを見回す。もし夢野さんがいたならば、すぐにでも昨日のことを謝らないと……!

 しかし、彼女の姿は見当たらなかった。

 またひとつため息をついて、上履きの踏んでいた踵を直す。重い気分を引きずったまま、教室に向かった。





 夢野さんは、既に教室にいた。

 その姿は、ポツンと教室の中で浮彫りにされているかのように存在感を放っていた。

 一人自分の席に座って、黙々と何かをノートに書いている。朝から学校で勉強かと思ったけど、教科書や参考書の類は机上にはなかった。ただ、ノートを一冊だけ広げて、右手を必死に動かしていた。

 彼女の横を通りすぎてみる。チラリと反応を窺ってみたが、僕には全く気づいてないのか、こちらを見向きもしなかった。

 彼女から数えて二つ前の席に座る。それが僕の席。窓際で、遠くにいずみ野線が望める。

 朝の教室はそれなりに賑やかだった。

 蘭堂たちを中心に教室の一部が盛り上がっていた。どうやら僕が去ったあと、二次会を開催したらしく、そのことについて語りあっているようだ。最初は僕の歓迎会だったはずなのに……ほんとに、盛り上がれればそれでいいんだなということがよく分かる。

 さて、どうしたものか……。

 後ろを振り向く勇気がない。再度夢野さんに話しかけてみようと秘かに思ってはいるのだが、色々と『今は夢野さんも何かに集中しているし、かえって邪魔だ』『昨日のことがあった以上、今さら話しかけても無駄だ』など言い訳ばかりが頭に浮かぶ。だからといってそれ以外に考えることもすることもなく、一時間目の授業の必要なものはもう机の上に出している。読書をして時間を潰す選択肢はもちろんない。というか本を携帯していないし。あ~、悶々としているしかないのかこの時間は……。

「フフッ」

 何かが笑ったような気がした。右に視線を移すと、隣の席の生徒が発した音らしいことがわかった。

「あっ」

 彼は小さく声を洩らした。どうやら思わず笑ってしまったことに対して、羞恥の感情を抱いたらしく、顔が慌てていた。彼はカバーをつけた本を読んでいたが、その内容に笑ってしまったのだろうか。

「まーた一人で笑ってるよ、アイツ」

「ほんとキモ」

「あの席らへん変人しかいなくない?」

 こそこそと、後ろから女子生徒の囁く声が聞こえる。隣の一人笑いの彼と、恐らく夢野さんのこと……あと、もしかして僕も含まれては……ないよな。転校したばっかだし。

「はあー、」

 夢野さんのため息をつく音がした。一段落でもついたのだろう。そうして僕の後ろ姿に気付いたみたいだ。

「あ」

 彼女が僕を認識した。今だ、今が話しかけるチャンス――!

「あ、あのさ」

 勢いよく振り替える。するとそこには――

「なんだよ?」

 厳つい男の姿があった。

「へ?」

「……あー、お前転校生だっけか。よろしくな。俺は矢沢優斗やざわゆうとだ。矢沢でも優斗でも、好きなように呼んでくれ」

 厳つい男は握手を求めてきた。

「ど、どうも……」

 強く握られた。少し手が痛い。

 どうやら、ちょうど夢野さんがこちらに気付いた瞬間に、僕のすぐ後ろの席の彼はやって来たようだった。

 た、タイミング……。

「どうした? 微妙な表情を浮かべて?」

「いや、その……凄いね、体格。なんかスポーツやってるの?」

「おう、柔道部に所属してる。中学の頃からやっていてな、今は一応初段だ」

 初段ってことは、黒帯ってことか……。

「へ、へえ凄いね、黒帯なんだ」

「おう。なあ、もしも何だったら柔道部に体験入部してみないか? まだ部活に何も入ってないだろう? うちは二年からでも全然オーケーだし、初心者大歓迎だ」

「え、ああ……いや、運動苦手だから、お気持ちだけ……」

「そ、そうか……まあ、なら仕方ないが、気が向いたら何時でも声をかけてくれよ。なあに、運動が苦手なんて気にすることはないさ。気持ちが大切だ。柔道は精神のスポーツだ」

「は、はあ……」

 多分、『変人』にこの矢沢君も含まれているのだろう。そんな気がする。なんだか窓際の席にはなかなか個性豊かなメンツが揃っているようだ。

 朝のホームルームの始りを告げるチャイムが鳴り、と同時に担任が教室に入ってきた。ざわついていた朝の教室も静かになり、日直の号令のもとクラスメートが一律の動きをとり始める。

 夢野さんは、今何を考えているのだろう。

 こうして、僕の本格的な転校先での高校生ライフはスタートした。




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