第2話 転校先(初日)での話

 昨晩、夢をみた。

 夢をみること自体は今までに何回もある。特に最近は眠りが浅いおかげで、内容はどんなに支離滅裂なものでも、何かしらの夢をみていた。

 けれど、昨晩の夢は自分でも意外に思うような内容だった。


 柔らかい日の光に包まれながら、読書している夢


「……」

 目が覚めた直後、まだ鮮明に記憶として残っている間に、夢の内容を頭の中で反芻した。

 本嫌いになった自分が、読書をする夢⁉

 なぜそんな夢をみたのか、はっきりとした原因はわからない。強いて言えば、昨日の古本屋での出来ごとが、現実と相反するような夢に繋がったのか……。

 ふと、彼女の顔が浮かんだ。古本を大量に抱え込み、去っていったあの人。互いに名前も言わず、本を拾ってくれたお礼として飲み物を一本奢ってくれた、あの彼女は、重い荷物を抱えて無事家にたどり着けたのだろうか。

「また、会えるかな……」

 ぼそりと、つい口からこぼれた言葉。自分でも何を言っているんだと、慌てて布団をめくり立ち上がる。彼女は大の本好き。現在の自分とは正反対。仮にもう一度会えて、仲良くなるようなことがあったとしても、いつしか『ズレ』はやってくる。本という一つの概念・対象に真逆の想いを抱いている時点で、僕らの友情が深まるわけないのだ。

「ないよ、うん。絶対ない」

 僕はひとり言を呟いて、寝室から出た。




 僕が通うことになるこの学校は、クラス替えが存在しない。だから、既に一年生の時に粗方クラスの輪が出来上がっている状態の場所に、僕は入り込むことになる。

 名を『晴れが丘高等学校』。最寄り駅から二駅電車に揺られ、下車後緩やかな坂道を登っていくと、小高い丘の上にその校舎は建っている。

 周辺には林が点在し、その間に住宅街が存在する。緑が印象的なこの街に一際存在感を放つ校舎は、まるで城下町の中心たる城のようだ。

 僕は、ぼうっと、校門の前に立って白い建造物を見上げていた。

「なんか、いいな……」

 東京にいた頃、通っていた学校はそれこそビルなどの建物が犇めき合う中に建っていた。それとは真逆な余裕を持った佇まいに、僕は好印象を覚えた。

 この時、よく前も見ずに本を歩き読みしている少女が横を通っていったけど、僕はそれに気が付かなかった。



「矢森鷹絋っていいます。東京から来ました。よろしくお願いします」

 至ってシンプルな挨拶を行った。まず職員室に来るように言われていたので、その通りに従い、そしたら担任である教師とともに教室に行くことになり、現在いまに至っている。

 クラスメートは少しざわついた。まあ、そうなるだろうとは思っていた。高校で転校というのは、珍しいことではあるから。

 何の気なしに教室にいる生徒をざあっと眺める。廊下側から窓側へと目を移動させていた。そして窓側の、後ろの方あたりから何やら視線を感じた。

 ピタリと、意識が止まった。目と目が合った。

 視線を送っている相手は、そこにいた。

 彼女がいた。昨晩、古本屋で出会った、本を大量に抱え込んでいた彼女が――

「それでは矢森くん、君の席は一番窓側の最後の席だ」

 隣に立っている先生から声をかけられて、一旦意識が彼女から解放された。しかし、その席に向かって歩き出し、彼女との距離が縮まっていくと、彼女の目はより見開かれ、「私だよ、私!」と言わんばかりの表情で僕を見つめてくるのであった。

 気付いてますよ、僕も。

 顔でそう伝えたつもりだったが、ちゃんと意思は伝わっただろうか。

 ここで下手に彼女にあからさまに反応すると、いきなりクラスからの注目を浴びることになる。それだけは何としてでも避けたく、なるべく彼女の存在は意識の端に置くよう、この時は努めた。




「ねえねえ、東京では何か部活とかやってたの?」

「いや、特には……」

「彼女とかおったん?」

「いないよ」

 僕は今、数人のクラスメートと一緒にカラオケボックスにいる。クラスメートが一人歌っている最中にも隣の生徒たちから質問が矢継ぎ早に飛んでくる。何故こんな状況になっているのか、それは数分前の出来事だった――


 開業式とクラスでのホームルームだけの簡単な初日。午前中で全ての事が終了し、さあとっとと家に帰ろう、でもそうだその前に……彼女に声をかけてみようかな。そんなことを考えて立ち上がった、その時だった。

「ねえ、転校生くん、このあと暇?」

 華やかな雰囲気を漂わせて、あとになってそれが香水の匂いだったかもしれないって気づいたんだけど、軽やかな髪を揺らして、その少女は僕に語り掛けてきた。

「え、えっと……」

「ほら、知佳。相手固まっちゃってるじゃん」

 突然の美少女訪問にどう反応したらいいか困っているところへ、男子が一人、僕の元に寄ってきた。

「えー、じゃあどうしろっていうのよ。これ以外に人を誘う言い方ある?」

「お前が美人すぎるから転校生が固まってるって話だよ」

「やだー、そういうことー?」

 美少女は男子の腹をつついた。その男子も、煌びやかなオーラをまとっている感じで、ああ青春を存分に謳歌しているんだろうなあと思わせる。おそらく、二人はこのクラスのカーストトップ的な存在で、彼氏彼女の関係だろうか。

「悪いな、知佳がいきなり話しかけて」

 イケメン男子と目が合う。彼の横の、知佳という名前の少女は薄く笑みを顔に浮かべている。

「俺らのクラスに君を歓迎することも含めて、カラオケにでも行ってぱあっと遊ばないかって話なんだ。どうだろう、来てくれると嬉しいんだけど」

 そう言った後に、彼は『瀬谷智輝せやともき』と名乗り、こいつは俺の彼女で『蘭堂知佳らんどうちか』っていうんだ、と続けた。

「よろしくねー。で、どう?」

 蘭堂が上目遣いで僕の反応を窺う。本当なら、大人数で騒ぐ系のことは苦手なので誘いをお断りしたかったけれど……どうも、ここは空気を読んでOKだせよと、二人の目が言っている気がした。周りを見てみると、恐らく歓迎会に参加するメンバーであろう生徒が教室の角に固まってこちらを見ている。その中に彼女の姿はなかった。

「どした? それとも、無理ぽ?」

 ムリポ? ああ、無理っぽいかな? の略語か。普通の日本語使いなよ。

 僕は一度息を吸って、返事を出した。

「いや、大丈夫。僕なんかのためにわざわざありがとう。参加させていただきます」

 これが、正解だろう。

「おお、よっしゃ。じゃあ皆準備できてるし、さっさと行こうぜ」

 半ば二人に強制的に押し出されるようにして、僕は教室を出ていくことになった。彼女のことが気になって、教室を出る直前のタイミングで一度後ろを振り返ってみたけれど、席に彼女の姿はなかった。僕の知らない間に帰ってしまったか。

 名前くらい、訊きたかったんだけど。

「どうしたの? ほら行こうよ」

 蘭堂が僕の腕を引っ張る。この人、彼氏の前だというのに、いいのかな。こんなにボディタッチしてくるけれど。

 少し瀬谷の顔を窺ってみたけど、彼は彼女の他の男子に対する接し方に、何ら思うところもなく気にしていないようだった。

 こんな、もんなのか……?



「ウェーイ!」

 女子が二人、流行りのアイドルソングを歌い、それにあわせて皆で合いの手をいれる。

 学校周辺にはなかったため、電車で二駅ほど乗り継ぎ、二俣川駅で下車。昼飯をファミレスでとり、その後駅近くのカラオケ店に行き、こうなっているのだけど……

 僕は痛感し始めていた。

 やっぱり来るべきではなかった……

 ガラにも合わないことにチャレンジすれば、大抵は失敗する。べつに何か特別なやらかしを今この場でしたわけでなないけど、僕の心の疲労は溜まっていく一方で、後悔の念に支配されていた。第一、歌える歌がそんなにないことに、今さら気づき始めたのだ。『君が代』歌い出したら流石に引かれるだろうし。

 僕は、とりあえずこの場から去るための魔法の言葉を使った。

「ごめん、ちょっとトイレに」

 徐に、申し訳なさそうに立ち上がる。

「おお、大丈夫?」

「腹痛?」

「いや、単純にトイレに行きたいだけだから。気にしないで」

 メンバーから心配の声をかけられながら、僕はカラオケルームを出ていった。部屋の中と外では騒がしさの度合が違う。大音量のアイドルソングをそっと部屋に閉じ込めるように、僕は扉を閉めた。

「ふう……」

 一先ず息を吐く。とりあえずトイレに向かうが、その後どれくらいのタイミングで部屋に戻ればいいだろう。そんなことを頭でぼうっと考えている時だった。

 ふと、後ろに気配を感じた。

 振り返ると、部屋からもう一人、扉を開けて出てきていた。

 姿を現したのは、教室で蘭堂とか名乗っていた女子だった。

「え……」

「やあ。トイレに行かないの?」

「いや、行くよ。これから」

「ふーん」

 相手は見下すような目つきで、且つ口もとが微かに笑っているように見えた。

「ごめんね、何だか無理させちゃったみたいで」

「はい?」

 相手が僕に歩み寄る。

「本当は苦手なんでしょ、こういうの」

 彼女が、僕の耳もとで囁いた。




「じゃあなー、矢森! また遊ぼうぜ」

 瀬谷が手を振りながら、けど空いてる手はしっかりと彼女の肩に添えながら、僕に別れの挨拶をした。

「う、うん。また……」

 蘭堂が僕を見ている。その視線から逃れるように、僕の声はだんだん小さくなっていく。


 蘭堂に本意を見透かされて、僕の心臓は激しく鼓動をうつばかりだった。蘭堂はずっと僕のことを観察していたのだ、。そうして、僕は乗れないヤツだと判断されてしまったらしい。

「何、転校初日でちょっと気分上がってた?」

 からかうような声が僕の耳を不快にくすぐる。

「あなたの転校理由って、前の学校で苛められてたからとかでしょ?」

「ち、違うっ」

 僕は蘭堂の顔を見た。

 彼女の顔は虚勢を張っている憐れな小動物を眺め回す肉食動物みたいだった。

「隠さなくていいんだよ?」

「本当に違うってば!」

「じゃあ、転校の理由は?」

「そ、それは……」

 母親と縁を切りたかったから。それを口に出すことは躊躇われた。

「ほら、こういう時に適当な理由をパッと言っちゃえばいいのに。即座に答えられないってことは、人には言えない理由だからで、それを隠すことができないのも、君がそういうコミュニケーションに馴れていない証拠でしょ? 苛められっ子とか陰キャラの典型じゃん、それ」

 蘭堂の顔がどんどん近くなっていく。この状況を楽しんでいるのか、教室で見せたのと同じように上目遣いで覗いてくる。

「だから、その」

「ま、いーよいーよ。私もそこまで鬼じゃないし。暗い過去を告白しなくても大丈夫だから」

 もう、僕は『かつて苛めを受け、それから逃げるために転校してきた。そして初日に歓迎会をわざわざ設けてくれたことに浮き足立ってしまい、調子に乗って自爆したマヌケな男子』ということになってしまったらしい。

 蘭堂が言葉を続けた。

「でさ、これから教室で平和に過ごしていきたいんなら、付き合う相手は考えた方がいいよ」

「え?」

「あなた、夢野と知りあいかなんかなんでしょ? 目合わせてたし」

 夢野。そう言われて誰のことか数秒考えたが直ぐ様答えが浮かんだ。あの彼女が『夢野』という姓の持ち主なのだろうと。

 そうして、そこまで見ていたのか、どんだけ人間観察をしているんだろうこの人は、と思ったけど少し引っ掛かった。

 なぜその彼女――夢野さんと親しくなってはいけないのか。

 理由は、蘭堂の口から述べられた。

「あいつ、クラスで一番浮いてるから。読書か窓から空を眺めることしかしてないんだよ? 誰とも喋ろうとしないし、それに……」

「そ、それに?」

「……いや、これはいいか。とにかく、クラスメートはあいつと関わろうとしない。そんな人間に交流計ろうもんならわかるでしょ。クラスの『和』が乱れるの。私と智輝がトップにいて完全な秩序で保たれている『和』を、崩して欲しくないの」

 そこまで言い終わると、蘭堂は「はあ……」と一息つき、最後にこう言った。

「ま、てなわけでよろしく。ようこそ晴れが丘高校二年三組へ」

 蘭堂は右手を差し出してきた。戸惑ったが、恐る恐る僕も右手を差し出しす。女子の手を握るのは初めてだ。しかも彼氏持ち……

「じゃ、部屋に戻ろうか。君は少し遅れて入ってね」

 一瞬の握手が終わった。





「はあ……」

 ため息が幾度となく洩れる。今日は色々疲れた。もう、とっとと家に帰って布団にくるまりたい。

 スマホで時間を確認すると、21時を過ぎていた。親父がもう帰ってきているかもしれない。

 電車に揺られ、弥生台駅にたどり着いた。

 下車し、ホームから階段を上る。

 上りきって、ふと前を見たその瞬間。

 ある人物が、反対側の南口に立っていた。

 僕と目が合う。

 相手は顔が明るくなる。

 僕は……どんな表情をしていられているだろう。微妙な顔つきになっているかもしれない。

 だって、その人物は先ほど関わるのを止せと釘を刺された、あの――


「あのっ、古本屋の人ですよねっ!」


 夢野さんだったから。













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