第1章 邂逅と追憶

1話 少年オルグロ

「お前には、姉がいる。紛れもない、お前と血を分けた姉だ」


いつだったか、唐突にそのようなことを母の口から聞かされたのは。何の意味も持たない戯言かもしれない。しかし、少年にとってその言葉は唯一の救いであり、同時に自分の名前を嫌う、最大の理由となった。

母は、厳格な人だった。オルグロ家の名に恥じぬようにと、少年は産まれて間もない頃から、ありとあらゆる礼儀、ありとあらゆる知識を教育されてきた。オルグロ家は神聖なる貴族の家系であり、そして直男は家の顔。ただただそれだけのために、世間への顔として少年は育てられてきたのだ。最初は母に期待されているのだと信じて必死にスパルタな教育に耐えていた。しかし、ある時ふと疑問に思ったのだ。街を行く自分と同じくらいの子どもは、両親に手を引かれ歩いているというのに、何故、どうして自分の手は誰も引いてくれないのか。その時に少年はようやく気付いたのだ。


「愛されてなどいない」


外から流れる時のしらせを合図に、机に取り付けられた投影機を閉じれば、少年はポツリと吐き出した。古代の英雄ですら、恋人や肉親に愛を与え、与えられているというのに、そして、反する大罪人ですら愛すべきもののために悪を働いたというのに。ポールハンガーに掛けていた白いマントを手に、少年はそのマントに刻まれた国章を睨みつけた。

今や、この国は母が動かしているも同じだ。父はいない。あまりにも厳格な母に愛想を尽かして、遠い昔に出ていったのだと、風の噂で耳にしたことがある。姉のことはあれ以来何も聞かされていない。きっと父と共にいる。まだ見ぬ姉が。少年はぼんやりとそれを思い焦がれていたが、母親はそんなことを気にするような女ではない。彼女は、各国が崇拝する二大教会が一つ、ジグルド教会の教皇である。そして熱心なジグルド教徒であるヴェンタスの国王は、そんな彼女の言葉全てに従っているのだ。その影響力もあって、少年はこの歳でジグルド騎士団の筆頭となったが、しかし、全ては母の権力誇示のためだ。ただ一人の子。それを見せ付けずして何に使う。少年の実力など、関係なかった。まるで少女のような可憐な名のように、お前は弱いと言われているようで、余計に腹が立った。だからこそ、少年は自らの力に飢える。


「全ては、僕が僕であるために」


ミリア・オルグロ。それが少年の名前である。




聖騎士せいきし。それは、特別な権力を与えられた騎士に贈られる称号だ。例え一級騎士であろうと、聖騎士の前においては召使いも同然。長年空席だったこの役職に、今日、幼い少年は任命された。誰もが望んでいた国王の側近の地位を、少年は眉一つ動かさずに受け入れる。肩に充てがわれる剣の重みを感じながら、少年は主を見上げた。


「我が身はヴェンタスが国王陛下のために」


この称号は果たして、彼のためのものなのか。国王の隣に鎮座する女は王妃ではない。独特な香りを放つ女、わが子と視線を合わせようともしない母の姿を一瞥して、少年は唇を噛み締めた。また一つ、成果を上げたというのに。騎士という役職が与えられてからというもの、周りの人間は少年を敬遠し始めた。否、そんなものはずっと前からだったかもしれない。それほどまでに、彼の周りには親しい間柄などありもしなかった。それでいい。一人で上り詰める先に、友人など不必要だ。


「聖騎士オルグロ」


少年の名を呼ぶ者はここにはいない。聖騎士という称号はただ一人彼の存在を保証する。名を呼ばれることを忌む彼自身、それだけは救いである。


「はっ」

「これより貴公に勅命を言い渡す」


叙任を終えたのも束の間、ヴェンタス国王スヴァルト・スキル・ヴェンティは早々に言葉を返すと、重い身体を玉座へと沈めた。聖騎士オルグロは片膝を床に張り付けたまま、頭を垂れる。これは幼い頃に母から植え付けられた礼儀だ。


「これは密命である」


その言葉に少年はピンと背筋を張り付かせた。辺りで見守っていた左大臣たちは、国王の咳払いにそそくさと謁見の間を離れていく。残されたのはオルグロと国王、そして瞼を伏せたままの少年の母親。教皇であるトライヤー・オルグロだ。この顔触れに、少年は冷や汗が止まなかった。教皇を隣に据えた国王の言葉は、即ち教皇の言葉ということになる。少年でなくとも、それはわかるだろう。あまりに母の顔を気にしすぎだ、この甘えた国王は。


「我が国が保有する、宝玉のことは覚えているな?」

「はっ…… ノールクォーツのことかと」

「いかにも」


髭を震わせ、天井を仰ぐ国王は深く息を吐き出した。

ノールクォーツとは、古代に存在したと言われる、天使たちの力が封じられている特別な宝玉のことである。機械的な日常品が目立つこの時世において、あまりに古めかしい装いのものだ。


「ノールの指針に乱れが生じ始めたのだ」


透き通る宝玉の内部には閃光が走っている。その光を彼らは指針と呼び、それが天地を示している状態こそが、世界の安定であると、これもジグルド教会の教えだ。普段は国王や教皇が管理しているため、公にはそれの模型だけが明かされているが、オルグロはジグルド騎士団の地位を得たときに実物を閲覧したことがある。模型よりも幾分も小さい、その辺りの小石と大差ない大きさだった。その際に国王は言ったのだ。「これは国の危機を救うための最終兵器なのだ」と。その言葉を訝しんだ少年だったが、確かにあの小さな宝玉からは言い表し難い奇妙な力が感じられた。何らかの力を秘めていても不思議ではないのだ。そしてそれはヴェンタス以外の諸国も所持しており、その力は宝玉同士で呼応すると言われている。


「かの連中がノールの使用を始めたと……? まさか――」

「そう考えるのが無難であろう」


少年の言葉をかき消したのは、トライヤーだ。ようやく我が子に視線をくべたと思いきや、その眼光は尖り、まるで言葉を発するなとでも言うかのようで、オルグロは固く唇を結んだ。


「そこでお前には、その使用を食い止める任に当たってもらう」

「かの国へ乗り込めと?」

「コアの力は呼応する。一つを封じたところで、他が動けばそれもまた息を吹き返す」


静かに言い放った教皇は、それだけを告げてゆっくりと席を立つ。言わんとすることは少年にもわかった。しかし、それだけなのか。実の息子が、得体の知れない任に当たるというのに。


「……ということだ。聖騎士オルグロよ、貴公への勅命は即ち、全てのノールクォーツの回収。この任における全ての権限は貴公に譲渡する。すぐさま支度に当たるよう。出立は明朝だ」

「……」

「……なに、貴公はその若さで聖騎士にまで上り詰めたのだ。何も不安に思うことはなかろう」


顔に出ていたのだろうか。見当違いな国王の言葉に顔を顰め、少年はまた深く頭を下げる。


「恐れ入ります」


満足げに笑う王は本当に何の屈託もない。立ち去った母の後ろ姿を睨みつけ、少年は静かに唇を噛み締めた。




かの国、フロスドットは厚い雪に覆われた真っ白な大地が美しい大国だ。ここヴェンタスとは気候の違い以前に、国の在り方が違う。かの国に兵団は存在しない。荘厳なる王城を中心に、まるで巨大な城壁を築くかのように市民の家々が連なっていると聞く。つまりは、市民の一人一人が兵士であるのだ。かの国の領地に足を踏み入れたが最後、敵意を向けられた者は死を見るだろう。それほどまでに、ただの人間が全て手強い訓練を物にしている。

そんな相手と、ヴェンタスは緊張状態にある。いや、正確には、フロスドットを拠点とするグズルーン教会とだ。

グズルーン教会はジグルド教会と並ぶ、二大教会であり、その教えは相反している。取っ掛かりは小さなことだった。あの地は、大昔の英雄が外敵から守り通した、人間達の楽園。反してヴェンタスは、その外敵である天使が牛耳っていた大都市である。故に、この地ではジグルド教会が強い力を持っており、英雄を賛美するグズルーン教会はフロスドットに根付いているのだ。教皇であるトライヤーの教えは即ち、天使の擁護ようごである。相反するのは当然の如く、古代の因縁がしぶとく根付いている、それだけのことだ。


(母は……あの女は、僕に何を望んでいる)


国王の勅命という名目だが、あの場に母がいた以上、これは彼女が決定した任務なのだろう。確かにノールクォーツの存在は、国の上層部でも一部の者しか知り得ていない。その一人であるオルグロは今、国王の恩恵を賜る地位を得た。傍から見れば訳は無い。しかしどうして、自分が此処にあるのか。全権を譲るとは即ち、特命の全権大使である。それは聖騎士でなくとも、左大臣らに任せれば良いものを。


「しかし、これを完遂した暁には――」


楽観はできない。しかし、一縷の希望が彼を包み込む。考えの読めない母ではあるが、これは自分に課せられた、初めての期待なのではないか、と。

思考をそのままに剣を振るい、据え置きの石像を砕けば、か弱い剣にヒビが生じた。鍛練用の武具は脆い。壊れかけのそれを適当に投げ捨て、訓練場の外を振り返ると、くぐもった木々の薫りが漂い、柱の陰に艶やかな黒髪が見えた。母だ。すぐさま訓練装置を畳み、少年は脇目も振らずにその後ろ姿を追った。


「母上!」

「……聞き間違いか」


足を止めた女は、振り返らずに静かに言い放つ。思わず声を噤むが、少年はすぐさま片膝を石の床に落とすと、そのまま頭も下げた。


「……失礼しました、教王閣下」

「申せ」


淡々と述べる母の後ろ姿は、こうも遠く感じるものか。地面を見つめたまま、少年は猛然と思考を巡らせる。呼び止めたは良いが、何を言いたいのか、自分でも理解が叶っていない。痺れを切らし、歩きだそうとする母に、絞り出した声は不意に漏れた希望だった。


「……私には、姉がいると」


トライヤーの動きが止まる。表情は見えないが、僅かに動揺を見せたようにも感じられた。


「要件は何だ」

「その…… 姉上とは、いつ…… 会えるのでしょうか」

「……お前はいくつになった」

「え……」


この女は、我が子の歳すら覚えていないのか。女の言葉をそのままに受け止め、オルグロは視線を石畳に落とす。


「16……です」

「もうそんな歳か。良いだろう、此度の任務を終え、お前が力を携えて帰還した暁には、お前の姉との便宜を図ろう」

「……!」


予想外の言葉だった。見上げた先で合致した視線は、あまりにも穏やかで、それが母のものだと気付くには時間が掛かった。


「それで良いな」

「はっ! 尽力致します」


それ以上を言わずにトライヤーは去る。これが親子の会話だとは、誰も思うまい。しかしオルグロは、確かな気のほころびを感じていた。このために、少年は未知の世界を進むことが出来る。きっとそうだと、自分に言い聞かせて。

澄み渡る時報が流れた。心地好い女の声が夜を告げる。それと同じ頃、少年の時間も刻まれ始めた。



・・・



「――夜明けは人の始まりである。古代を司る神は今日をそう著しました。それでは夜は終わりであるのか。そう解釈できるでしょう。私たちは今日も終焉を超え一日を迎えています。この時を、幸福を、胸に抱いて過ごしましょう。テューラ-1。戦ぐ時は幕を開けました」


純白の特別なマントを肩に掲げ、宮廷内の風を切って歩く。おそらく何も知らない市民であれば羨む光景だろう。しかし、聖騎士オルグロはそんなもの嬉しくも何ともなかった。外宮から国王が鎮座する内宮へ向かう通路で声を掛けてくる者は、よほど大切な事務連絡に他ならない。


「聖騎士殿」

「なんだ」

「お耳に入れたいことが」

「早く言え」


オルグロとて、それは理解していた。だから、期待などしない。冷たく言い放てば、おそらく下級の兵士は身体を強ばらせ敬礼を向けた。


「はっ。国王陛下が、早急に謁見の間へ参ぜよと仰せです」

「……我が任の件か?」


それならば言われずとも、今現在向かっている。一晩の休息を経て、ノールの封印のため諸国を巡る旅へとこれから出立するのだ。それについての手順を当の国王から聞く。そんなことは昨日のうちに直接耳にしているというのに、と少年の顔が顰められたのを見て、兵士は慌てて敬礼を高く突き上げた。


「グズルーンと思わしき密偵が、潜り込んだとの、ことです!」

「まさか……!」


こちらの行動が読まれたか!

これから連中の秘策を封印するというのに、それ以前に我が国が討たれたとあっては話にならない。兵への労いも忘れ、国王の元へと駆け出した。




謁見の間へと続く扉に手を掛けたときだった。何やら騒がしく、視線を移せば、兵士たちが慌ててこちらへと駆け寄った。


「はっ、聖騎士殿! 怪しげな男女を捕らえました。かの輩の、密偵ではないかと思われます!」

「こいつらが……」


こうも早く連中に探り込まれるとは。足音を辿って視線を投げれば、奇妙な二人組が目に付いた。あまりに綺麗とは言えない服装。絢爛な宮殿に不釣り合いな男女は、一方は顔を青ざめ、一方は呆れたように引率する兵に身を任せている。確かに我が国には似つかわしい、とオルグロは眉を顰めた。


「……査問は」

「それが……」

「おれたちは密偵なんかじゃないよ!」


男が叫ぶ。顔を青ざめていた方だ。無造作な赤毛を跳ねさせ、目を釣り上げる少年に大きく眉を下げた。


「やましい者は皆そう言うのだ!」


兵が縄を引き、男の身体を地面に打ち付ける。カチャリと機械が床に跳ね上がった。小さいが、目の前の物を紙に投影し保存することができる撮影機のようだ。男は顔を床に擦り付けながら、その図体に見合わない涙を浮かべてみせた。それを眺め、少女は盛大に息を吐き出す。


「諦めなさい、カリト。頭の固〜い役人は、下々の言葉なんて聞かないんだから」

「で、でもオロファ! おれたちは本当に何も悪いことなんかしてないじゃないか!」


男がカリト、少女はオロファというらしい。オルグロとそう変わらない歳のようだが、涙目の男とは違い強気な言葉が大人びて見せる。そんな少女の名に、オルグロは彼女をじっと訝しんだ。どこかで耳にしたことがある名だ。飾り気のない色素の薄いくせっ毛の合間で、キラリと耳飾りが輝く。


「貴様…… 教会泣かせのオロファ・ソンリザだな」

「!」


少年の言葉に、兵らは固唾を呑み、すぐさま彼女の拘束を強めた。


「私も随分有名になったものね? でも仕方ないじゃない、ジグルド教会の教えは間違っているんだもの」


少女の軽口に兵らは慌てて聖騎士の顔色を伺う。


「蛮族が、口を慎め! この方は教王閣下のご子息であられるぞ!」

「へ、教皇さんの子ども……?」


そんな彼らにオルグロは小さく溜息を吐き出すと、そのまま扉へと向き直り、横目で兵を睨み付けた。


「陛下へ謁見する。その者共は僕が引こう。お前たちは下がれ」

「はっ」


手綱を受け取り、扉を開けば、視界の奥にいつもの二人が鎮座していた。教皇の息子、いつぶりかに言われた言葉だが、やはり周りの認識はその頃から変わってなどいない。聖騎士という地位を得ても尚、あの女の影は色濃く付き纏うのだ。それでも、少年は抗う。


「ヴェンタス国王属聖騎士オルグロ、推参致しました」

「その者たちが――」


最初に口を開くのは国王だ。やはり女は、いつものように瞳を伏せ、国王の隣の荘厳な腰掛けに落ち着いている。昨日の労いは幻であったかもしれない、微かに自らを諭しながら、少年は片膝を落とした。


「衛兵が捕らえました、かの連中が廻し者と見られます」

「だ、だから、おれたちは違うんだって!」


カリトと呼ばれていた男は、オルグロに繋がれた手網を震わせ何度も地団駄を踏む。その光景にため息を吐き出したのはオルグロではない。


「王様の御前にも来られたし、私としても聞きたいところね。さっきから密偵だなんだって、何のことだかさっぱりなのよ。確かに私たちは、貴方たちが思う不審人物かもしれない。けれどそれがどうして、いきなりお縄にかけられるようなことに結び付けられるのよ? そもそも、かの国ってどこのことよ? 物的証拠も理由も、ちゃ〜んと聞かせられないと納得いかないわね」


オロファ・ソンリザ。教会泣かせの異名は、その言動に由来する。彼女は神話や伝説の類を真っ向から否定する、教会側からすれば異端者だ。ジグルド教会が語る天使の伝説を偽りとし、史実はこうだと、わざわざ教会の前で大声を上げるのだ。教皇とて、彼女の戯言に耳を傾けるつもりは到底ないが、目の前の少女に顔を顰めていた。


「異端者オロファ・ソンリザよ。貴様が耳に飾るその石は、どこで手に入れた」

「あら、なかなかお目が高いわね」


オロファは耳飾りに手を触れる。四つ葉を模した金の台座に埋め込まれた小さな半透明の白い石。オルグロはその石に見覚えがあった。思わず立ち上がれば、彼女の首に剣を充てがう。


「どこで手に入れた」

「……物騒な物はしまってくれる? 聖騎士サマ」

「……」

「オ、オロファ! えっと、おれ、おれが説明するから! あの、おれたち、旅の興行一座なんです! 検閲所での証文もあります! だからっ、その、」


相も変わらず涙目で訴えかける男は、オロファの口を塞ごうと躍起になるが、拙い言葉は続ける単語もままならない。見れば男の頬には、彼女の耳飾りと同じ形の痣がある。見兼ねた少女は、また一つ大きく息を吐き出すと、カリトに向けて片目を閉じた。


「これは私の唯一の財産。祖母の形見。そして約束の証。貴方たちが崇拝する天使の力に似た力を秘めたものよ」


やはり、とオルグロは剣を握る拳に力を込める。しかし依然として彼女は動じずに国王を扇いだ。気に入らない。


「形見だと……? そんな話を僕たちが信じると思うのか」

「その口振り。これが密偵だのと疑われてる由縁ってわけね。言ったでしょ。残念ながら私はこれをずっと昔から持ってるのよ、産まれるよりも前からね」


少女と少年の視線が交差する。互いに凄みを帯びた表情に、隣の大男は肩を震わせた。


「聖騎士オルグロ、剣を収めよ」

「!」


母の声。威圧と共に、少年は剣を引けば声の主を振りかぶった。ゆっくりと立ち上がり、少女の元へと歩む姿は信者が見ればあまりに神々しいだろう。


「ソンリザ、そうか。貴様は最果ての地の者だな。残党風情にその小物はお似合いだ」

「なんですって……?」

「貴様の言った通りだ。我々が崇拝する天使の力を秘めたる石は、貴様のそれと瓜二つ。しかしそれよりも幾分も純度の高い、本物の天使の石だ。貴様のそれは、まやかしだ」


母の言葉に国王は、そしてオルグロは首を傾げる。天使の石とは聞いたことがない。


「天使の石……? 確かオロファ、前に文献で読んだって……」

「ふうん、面白いことになってきたじゃない」


文献。オルグロとて英才教育によって幾つもの文献はおろか、電子端末内の無形伝記までもが頭に焼き付けられている。しかしその名は、どの書でも目にしたことが無かった。彼女の言葉を、そして母の言葉を、少年は静かに待った。しかし女はそれ以上を発することはせず、元の腰掛けに踵を返せば、国王に耳打ちを落とした。


「聖騎士オルグロよ。此度の査問は保留とする。貴公はすぐさま封印の任に当たるのだ。当該の手立てを、これより説明する」

「しかし、この者たちは……」

「その証文をよく見よ」


そういえば男が何やら叫んでいた。涙目の男に目をやれば、握られた紙切れに王家の朱印が刻まれていた。なんということだ、と脱力する。王家の朱印は即ち、外国旅行客の身元保証印だ。彼らの人権は当該国が保護することとなり、侮蔑は勿論、長期間の拘束も許されない。彼が手にする、事業向け証印は尚のことだ。


「支援型興行一座、クアトレフォイル……?」

「あっ! おれ、クアトレフォイルのリーダーの、カリト・エンツっていいます! 各国を縦断する慈善事業の真っ最中で、今回ヴェンタスでの活動を国王陛下に認可をもらいたくて城門に掛け合ったんですけど、そこで悪者に間違えられて……あ、こっちは相棒のオロファです! オロファの耳飾りは、一座を立ち上げるときにおれが加工したやつです! 証明ならこの、フィルムに……」


必死に弁解を進めるカリトは首から下げた小さな撮影機に視線を落とす。頭を振り乱して主張するその様子に、一同は息を吐き出した。その様子に彼は尚更焦燥感を駆られたようで、口を急くが、国王が挙げた右手によってそれを制される。


「カリト、私たちの無実はその紙切れで証明されたのよ。来る前にちゃんと教えたでしょ」

「えっ、そうだっけ……」


呆れ声と同時に、国王の咳払いが響き、男は気まずそうに空笑いをしながら頬を赤らめた。間抜けな男だ。こんな男に、我が国の情報が盗めるはずもない、と少年は手網から手を離す。


「クアトレフォイルの面々よ、此度の非礼を許し願いたい。貴君らの活動は一層のこと広域に渡るよう、私自ら便宜を図ろう」

「あ、ありがとうございます……?」


釈放か。国王の合図に、外で控えていた衛兵たちは慌てて駆け寄り、二人の拘束を解いた。拘束の際に押収されていたのだろう、大剣を手に取りながら、それでも元賊たちは納得がいかないようで、じっと国の主を見つめる。


「あの、封印の任ってさっき言ってましたよね。それって危ないことですか?」

「……貴様らには関係ない。去れ」


オルグロとて、早急にその任に当たりたいのだ。これ以上の足止めは焦れ込む。それでも彼らは構わず身を乗り出す。


「もしかして、きみが一人で行くの?」

「だったらなんだ。何度も言っているだろう、貴様らにもう用はない」

「おれたちに手伝えることってないかな」


我慢の限界だった。こちらに訴えかける大男に背を向け、御前へと歩めば、いつもの敬礼など忘れた。


「陛下。任の概要を」


少年の焦燥に充てられ、国王は隣の教皇に視線を泳がせる。母は表情を変えずに懐から金紙を取り出すと、オルグロの前に広げて見せた。


「各国のノールクォーツの回収には、封印を伴う。そのための様式は漏洩防止のため、ここより北東へ外れた森林地にある我が教会が所有する古くからの聖堂へ安置されている。お前もまだ見ぬ文献で溢れているだろう。そこで情報を仕入れよ」

「連中に先手を打たれる可能性も否定できぬ。蛮族の件もある。我が国の宝玉は最後に封じることにしよう。聖堂からそのまま各地へ向かってもらいたいが、そのための勅命状がこれだ。我が名を用いた特命大使とあらば、かの国を除いては協力体制をしいてくれるであろう」


金紙には、証文朱印よりも立派な国印が刻まれている。それを受け取り、オルグロは踵を返した。森林地の聖堂。同時に受け取った端末で地図を確認すれば、ここからかなりの距離があった。夕暮れより前に到達する為には、すぐにでも出立する他ない。しかし、少年の思うようにはなかなか進まなかった。


「おれも行く!」


目の前を立ち塞がる大男を睨みつけるが、先までとは違い彼も怯まない。


「一人で行くなんて危ないよ! 外は魔物がいっぱいなんだよ!」

「そんなことは承知だ。邪魔だ、退け」

「それに、森の聖堂って、ダーイン聖堂のことだよね? それならおれたち、来る途中に近くを通ったよ! だから案内できると思う!」

「必要ないと言っている」


何度突き放そうと、男は食い下がり、その口を閉じようとしなかった。頭に血が上る感覚と共に、少年は遂に剣を抜く。


「何度言えばわかる。これは陛下の勅命であり、貴様ら下民には関係の無いことだ。すぐさま立ち去れ」

「聖騎士オルグロ、控えよ」


制した声は教皇だ。母はオルグロに縋り付く男を一瞥すると、その口で僅かに弧を描いた。少年は思わず目を見張る。母が笑うなど、有り得ない。ましてや他人に。呆ける男を睨み付ければ、彼は少年とその母親を見比べていた。


「親子……なんですよね?」


カリトの言わんとすることは理解ができた。この女と少年との関係は、言われなければ親子とは分からないだろう。それを望んでいるわけではないが、もう何年も、名前を呼ばれたこともない。


「そやつの言う通りだ。貴様らは旅の一座であろう、此度の件に関係はあるまい」


しかし平然と続けるトライヤーの言葉に、今度は少女が口を挟む。


「言ったでしょ、私たちは支援型興行一座。こいつのお節介を生業としてるのよ。ダーイン聖堂のこともそうだけど、何よりカリトは船の操縦が上手いのよ」


国を渡るのであれば必要だろう、と言葉の裏にある。それを聞いて、トライヤーは今度こそ笑い声を上げた。


「そうか、貴様の古来の智識も我々に譲渡するということだな」

「譲渡? 聞く耳持たないのはそっちでしょ」


軽口は絶えない。二人の会話に、オルグロは嫌な予感がしていた。母の思惑は、まさか。


「良いだろう。聖騎士オルグロよ、この両名を従者とせよ」


的中だ。ただ一人任を果たすことで、母との口約束を果たしたかったというのに。少年の返事を待たずして意気揚々と彼から端末を取り上げた男に、思わず、頭を抱えたくなった。

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