PLESE WAIT
冬、今日もここは寒い。
夏に生い茂っていた草たちは枯れた落ち葉に隠され眠るよう。
海は相変わらず潮風が吹くものの冬はちょっと気味が悪い。
オフシーズンだけあって、ビーチにはジョギングを楽しむ初老の夫婦くらいしかいない。夏の賑わいを見る影もない海水浴場は閑散とし過ぎている。
それでも、夏には元の賑わいを取り戻すのだから海は凄い。
夏の風物詩である花火だって冬には上がらないのが普通だが、今年はある理由から上がることなった。
事の発端は今年八月。この辺りは今年の夏に台風が直撃して開催を中止したのだ。
だから、今年は一度も花火が上がっていないおらず皆の楽しみが来年までお預けになるという悲劇が起きたのだ。
そこで市民の為に立ち上がった市役所が夏の花火大会実行委員とダッグを組んでクリスマスの夜に花火を打ち上げるという初めての試みをすることになった。
そして、今年のクリスマスはあいつとのデートで予定が埋まっている俺は、今年の夏になくなった花火を冬に彼女と見られるというラッキーボーイなのである。
そして、今。
黒のニット帽に赤いマフラー。
赤いマフラーは柑那お手製、本日おろしたての一品である。
上は某激安カジュアルブランド製のダウンコート。
そして、その下にはこれまた彼女特製のセーターである。
ボトムスは青いジーンズに白のスニーカーというシンプルな格好。
だが、この格好に似合わないファッションでいらっしゃるのが我が彼女。
灰色のニットに柔らかな茶色のワンピース。
下半身は黒タイツでぎゅっと締め、足のラインを強調している。
ヒールのあるダークブラウンのブーツはカッコよさを出している。
「うわー。予想どうりのシンプルさ。ほんとに一回家に帰って、着替えてきたの?
さっきと何も変わっていないって思うのは気のせい?」
着替えたといっても、貰ったセーターを着るだけの単純作業。そりゃ気付くわけがない。
「いや、今見た感じは気のせいだが…………ほらっ!チャックを開けるとさっき貰ったセーターがここに……」
「うわー、キモすぎて何も言えないよ」
顔は……やはりというべきか笑っている。
このあべこべ感には最近ようやく慣れた。
でも、今日はなんだか…………。
「なあ、なんかあったのか?今日表情冴えてないというか、なんか暗い?」
「ええ!私の顔が暗いっ⁉って、なわけないでしょ?今日のことが楽しみ過ぎてよく眠れてないだけだもん」
と、彼女は少し微笑む。けど、どこか苦笑いにも見えなくはない。
そして、「楽しみ過ぎて」など俺が言ったら「キモいっ!」って一蹴されそうな言葉を使ってきたあたり、何かがありそうだ。
すると、心配する俺をよそに柑那が急に俺の手を引っ張っていく。
「どうした?そんなに急がなくてもまだ花火は…………」
「バカっ!みんな楽しみだからもうそろそろ席どり始めてるよ。それに夏みたいな蚊もいないからね。みんな行動が早いはずっ」
「って、おいちょっと待ってくれよぉ!」
靴ひもがほどけている俺のスニーカーは今にも脱げそう。
袖をつまむ彼女の手は小さいけど力強い。
ヒールなのに俺よりも軽い足取り、そして、紅く強調した唇が俺の目線を奪う。
その時、俺は足が絡まりアスファルトの上に派手にこけた。
「痛ってええ!もう少しゆっくり走ってくれよ。てか、靴紐を結ばせてくれ」
見上げる彼女は手をお腹に当てて笑い転げていた。
そして、落ち着いたころにはほんの少し顔が火照っていた。
笑ったおかげで体のエネルギーを消費したのだろう。
「じゃあ、五秒待つから。いち、にいっ、さんっ、よんっ…」
「よいよい、早いってええ!もう少しだけお願い!」
「んーーー、じゃあ、あと三秒ね。いーち、にーぃ……」
靴紐を全速力で結びあげる。しかも、ほどけないように蝶々結びの上に方結びまでして。
「おしっ!できたっ!じゃあ、いこうぜ。花火会場によ」
彼女は冬に咲く一輪の花より満開な笑顔で答える。
「うんっ!行こっか!」
今度は袖を引っ張られるのではなく、正確に手を握る。
その手はやはり小さいが俺の手が圧縮されそうなくらいの握力で握ってくる。
それに敢えて対抗せずに彼女の好きにさせる。
手を繋いだまま一歩目を進めると足音が一つに重なった。
そこから決して二音に分かれることなく俺たちは冬の活気へと導かれていった。
♦
「ここ辺りが良いかな?あ、私が買ったたこ焼きちゃんと持ってる?」
花火本会場から程よく離れた埠頭のここは人気の立ち見スポット。
この場所は本会場より見やすいが場所取りをしなければならない。
そのため、毎年大変混雑する渋滞スポットでもある。
中三の時は受験勉強とか言って柑那が来なかったので行ってない。
だから、二人で行くのは今日が初めてということになる。
割と長い付き合いのカップルなどは位置が固定化するが、ビギナーな俺たちは場所取りからのスタートだ。
「そうやな、ここら辺がいいやろ。後ろは壁やし、前は通行人でいっぱいだけど花火が始まったみんな座りだすだろうし」
俺たちが決めた所は見にくそうで意外と見やすい位置。
今は通行人の群れでごった返しているが始まれば見やすくなるという二人の見解。
その予測が当たっているかどうかは全く分からないが、とりあえず座って周りの状況を観察するほかない。
休憩がてら、寒さをしのぐべく先ほど屋台で購入してきた袋から取り出そうとする。
「ねぇーー!たこ焼き取って!……早くお願いね?」
わかってるっての。
最後の念押しの圧力に負けそうな俺は動作を素早くする。
「はい。たこ焼き一丁!アツアツだよぅ。」
「いや、少し冷えてるし。まあ、丁度いい温かさかも」
柑那は受け取った容器をゆっくりオープンする。
そこからは湯気で白く霞んだたこ焼きが姿を現す。
「うわー、いっただきまーす。……んーうまいっ!勇雅も食べてみてよ」
「そうだな。じゃ、いっただきまー……」
「やっぱりちょっと待って!」
と、口に入れようとしていたたこ焼きを静止させる。
静止というか柑那に固定された状態と言うべきだろうか。
「私が直々にあーんしてあげる。ほら、お口を開けてくださああい」
「歯医者みたいな呼びかけをするんじゃない!……じゃ、お言葉に甘えて」
俺はお口をアーんした状態で動きを止める。
だが、最初に顔に感じた感触は口じゃなかった。
「って、おい!鼻がソースだらけにって、お手拭きがない⁉俺のお手拭きは……」
「あぁ、隣の子どもさんにさっきあげたよ?勇雅がお手拭きを開けてなかったから」
「ええええ。じゃあ、柑那のお手拭き頂戴よ」
「うわっ!キモっ!現役女子高校生の唾液が付いた布巾を欲しがるとかどういうこと‼まじキモっ!」
今回は目が本当に笑っていなかった。
マジでキモかったらしく、変態を見ているような目でこちらをじと見している。
仕方ないので、俺は手持ちのタオルで鼻を拭いた。
拭いた箇所がソース風味になってしまったのは残念だが洗濯すればいいはなし。
拭いたあと、たこ焼きを食べようと容器を見たらそこには空気しかなかった。
「って、うおおおい!俺のたこ焼きは⁉全部で十個あったよな?」
「いやー、キモかったからあげないでおこうと思って。私が全部食べったってわけ」
「いや、淡々と自供しなくていいからさ、はあああ。これで夕飯は帰るまではお預けと言うことかよ」
「あ、でも、中のソースはなめてもいいよ。私、ソースはいらないから」
「容器の中のソースでお腹が膨れないでしょおおお?何を考えていらっしゃるのか……」
すると、柑那は指をノンノンと振って思いもよらないことを告げてきた。
「べつに『容器の中』なんて言っないけど?」
俺の思考は、一時停止→ローディング→解析→理解不能、の過程を終えて元に戻った。
「は?」
その一言に尽きてしまう。そして、彼女はこちらを見て上目遣いに。
「私の歯についてるソースならなめてもいいよ?」
周りの喧騒にまぎれた声は俺にしか届かない。
というより、俺にしか届かないように言っている。
聞き間違いではないことをもう一度確認する。
「Pardon me?」
「なんでその英語知ってるの?」
「この前習ったからという以外に何かあるのかよ?」
微笑む彼女は少し嬉しそう。俺が真面目に勉強しているのを感じたからだろうか。
いや、成長を感じる母親のような母性が反応したのかもしれない。
「Plese kiss me?」
彼女は日本語で言ったことのストレート球を投げてきた。
そこで、やっと理解した俺も返事をする。
「いいよ。ハッピーメリークリスマス」
俺は人生二度目のキスを公衆の面前でかました。
幸い、端の方でしていたため誰にも見られることは無かった。
ほんのり温かい唇はいつも柔らかい。
つやつやしていて、たこ焼きソースの味が微妙に下を刺激する。
その時、一発の大玉が宙に放たれた。
ヒュ~という花火独特の発射後の音は皆に緊張を与える。
いよいよって時に俺たちの唇は離れていなかった。
そして、いよいよ爆発するというところでも離れずキスを続ける。
爆発した瞬間、俺たちもその音に気付き思わず離れてしまう。
直後の光で見えたのは柑那の冬なのに紅潮した頬。
今になって恥ずかしさが増したのか、急に俺の胸に飛びついてきた。
その中で花火が上がる中、胸から離れようとせずにじっと蹲っている。
ずっと、このまま時が止まればなあ。
その想いで満ちそうな心の中は物理的なものでもないのに重い。
ずっと、この時を生きていけたらなあ。
さらに
そして、溢れだした思いは実体に影響を及ぼし始める。
「大好きだよ。柑那」
その一言を発すると同時にぎゅっと彼女の華奢な身体を抱きしめる。
抱きしめた途端に、周りの喧騒、花火のあがる音、自分の心拍以外に聞こえてくる音があった。それもすぐ近くで。
「柑那?」
呼びかけても反応はない。折角、花火が上がっているというのに見ようともせず、俺の胸の中でうずくまり続けている。
そして、ようやく顔を上げたら。そこには。
「柑那……」
大粒の涙が頬を伝いながら一粒一粒地面に落ちてゆく。
鼻は赤みを帯びて、両目の辺りは充血とは言わないものかなり腫れている。
整えてきたであろう化粧も落ちかけている。
黒のアイラインをうっすら入れていた部分は発生する涙と一緒に流れていく。
その涙の一つ一つが俺に何かを語り掛けている。
「ねえ。ゆうちゃん……」
初めて呼んだ呼称は照れて嫌がったものの一つ。
「私ね……言わないとっ、言わないとっいけないっことが……」
動悸がズレてうまく話せない柑那。
「そのっ、ねっ、言わんといかんかったことがあったんよ」
俺は柑那とやっと目が合った時に彼女の目力に気圧されてしまった。
「私ね、三学期から東京の芸能事務所に入らることになってるの」
突然の通達は俺の郵便受けには入らなかった。
落ちた通達を彼女がもう一度拾い上げてくる。
「モデル、として働くことになったの。最初は雑誌なんだけどね」
やっぱり入ってこない情報に目をそむけたくなった。
本来なら喜ばしいことだ。だけど彼女が泣いている時点で嫌な予感しかしない。
「あと、そのね。働くにあたって、事務所の入所条件を飲まなくちゃならないの」
そうだよな。
「その、第一項目に…………恋愛禁止、っていう項目があったの」
そうだよな。
「それでね。もしバレた場合は……大学入学金ゼロという約束を飲んでくれないの」
え、なぜ。確か、柑那の家は父親が社長で母親が花屋さんで……
「半年前、親が離婚したの。それで、私はお母さんの実家がある東京で暮らさないといけなくなったの。それで、この前東京に行ったときにたまたま……」
そうだよね。
「スカウト、受けたんだろう?」
その一文だけが心の中で思った言葉の中で唯一出た言葉。
そして、彼女は頷き、それ以上の言葉を出したら涙が溢れそうな顔をしていた。
「そっか。柑那が……モデルになって。東京に引っ越して。そして……」
両者が一番口にしたくない現実を突きつけられる。
「この関係を終わらせなければならない……のか」
望んでいなかった結末にたった一年ちょっとで直面してしまうとは。
「だからね。最後に、この花火大会だけはって。説得してここに来たの」
打ち上がり続ける花火もいよいよフィナーレを迎えようとしている。
「だから、最後に。最後に言わせてっ!」
最後なんて言わないでよ。
「ずっと、ずっと愛してるから」
そんなこと、言わないでくれよ。
「さよなら。ゆうくん!」
そのニックネーム。もっと呼んで欲しかったよ。
柑那は自分が食べたたこ焼きの空の容器とバッグを持って俺の前から去って行った。取り残されていたのは俺、そして柑那が使ったお手拭きだけが落ちていた。
肩に掛けたままのショルダーバッグには以前渡せなかった一年記念日の品物。
それと、今日の為に用意しておいたクリスマスプレゼントが入っている。
一年記念日は俺のバイト代から抽出したお金で買った。
「かんざし」
クリスマスプレゼントの方は。
「赤の腕時計」
目の前から消えた彼女に届かないプレゼント二つ。
それぞれに思いを込めて買ったのにその想いすら届かない。
彼は気付けば一人、冬の夜の埠頭に立ち尽くしていた。
見回りの警官に呼ばれるまでほとんど全く気付かなかった。
持っていたのはクシャクシャになった紙袋とデコボコの薄く長い箱。
帰路に就く気力のない身体がそこにうなだれる。
うつ伏せになった俺の頬に涙が一筋流れた。
月の光が涙に反射し、その様子はまるで流れ星のように一瞬で消えたり出現していたようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます