12 設楽くんのひらめき

 ファム少年の凍死体は、クレルと同じ部屋に安置されることになった。

 これで、死体が、二つ。

 昨日まではたしかに生物として存在していたのに。どうしてこんなことに……。

 床に並んだ二人を見下していると、胸をかきむしりたくなるような衝動に駆られた。


「ファム少年は、自殺じゃないと思う……」


 ついこぼれた僕の本音に、場の空気がざわりと動いた。

 うん、とコスモックル多羅があくまでも客観的な意見を述べる。


「襲われて意識を失くしている間に、低温実験室に放置され、死に至ったってところかな」

「その割りに目立った外傷はありませんね」


 ナナオが意見して、冷徹ともいえる視線を死体に向けた。


「生きたまま放置したとしたら――犯人は、ファム少年が意識を取り戻して脱出する可能性を恐れなかったのか? 実験室前で、ずっと仁王立ちしていたわけじゃないだろうし」

「そんな人物がいたら、さすがに目立ったと思うよ。制御システムが復帰してファムと別れてから、何度か実験室を通り過ぎたけど、不審なやからは見かけなかったな。男爵はどうです?」

「知らんな」


 名指しされた紳士は、鈍い動きで頭をふった。

 展示室に戻る。

 死体が搬送され、烈歌老師がいなくなったという以外、時が凍ったような有り様だった。シスターは無表情で立ちすくみ、ミセスローズは嗚咽を漏らしている。

 無機質な展示スペースを悲しみが満たしていた。


「ナナオくんとシタラくん。すまないけど、ミセスローズを部屋にお連れして」


 自らはシスターを介抱するつもりなのだろう、多羅氏がシスターの肩を抱いて歩かせる。呼びかけても反応しない貴婦人を、ナナオと両側から抱え、木工作業室まで連れていった。

 パイプ椅子を繋げて簡易ベッドを作り、ミセスローズを横たえた。


「……ありがとう」


 泣き腫らした瞳で、妊婦の貴婦人がうつむく。お腹の上にのせられた細い指が震えている。

 僕はぎゅっとこぶしをにぎる。


 推理小説って一体何なのだろう……?

 憤然とした気持ちがあふれていた。僕は創作しないが、作家というものは、『自分が創った世界と人物を愛している』と思い込んでいた。愛ゆえに試練や苦行を与え、成長させる。

 しかしながら、推理小説では登場人物が命を落としてしまうケースが多い。死の謎を解くことがメインテーマ、だなんて。そこに何の救いがある?


 ミセスローズ、と穏やかにしかし力強い口調でナナオが語りかける。


「展示室で休まれていた間、実験室の付近に怪しい人物を見かけませんでしたか?」

「……とくに。でも、離れている時間もありましたから」

「そうですか」


 種類は違えど、ナナオとミセスローズの瞳には炎が宿っていた。

 彼らの怒りや悲しみの矛先ほこさきは、犯人に向かっているのだろう。僕は違う。僕のそれらは作者へ――法ノ月へとストレートに向かっていた。打った左目が急にうずきだす。


 こんな残酷でふざけた物語はいい加減終わりにしなければならない。今が小説でいう何ページ目かなんて知ったこっちゃない。僕が完結させてやる。

 ある疑いを確信にするため、貴婦人に質問をする。


「僕からもひとつだけ、ミセスローズ。昨夜、コスモックル多羅の部屋に行きましたね――そこで、、、何があったか、、、、、、教えてください」


 ナナオが驚いたように僕を見る。

 ますます蒼白の顔色になった婦人に僕はひるまず、


「もしかして、このような頼みごとをしたんじゃないですか――胎内の赤ん坊の、、、、肉体年齢を、、、、、進めて欲しい、、、、、、、と」

「……ぁ」


 顔を覆ったミセスローズは、大きな腹を守るように突っ伏して、小さな子供のようにいやいやをした。


「お許しください……神様、お許しください」

「落ち着いてください。誰もあなたを責めてなんかいませんから」


『コスモックル多羅氏には、あたし、前々から興味を抱いていたのよ』


 色恋沙汰には目ざとい方である。

 普段からかなり気をつけて観察している。人間関係を構築するうえで、その目利きは大いに役立つからだ。下手な地雷を踏まなくて済む。

 あの、ミセスローズの浮かれた様から、最初は単純にコスモックス多羅に恋をしているのだと思っていた。しかし、短い時間だが共に過ごすうち、彼女が信仰しているのはシスターで、一番大事なのは〈お腹の双子〉だと分かった。色恋じゃなかった。

 数十年の時を経て妊娠し続けている彼女が望むことは、たったひとつ――


「お腹の赤ちゃんに会いたかったんですよね?」


 跪いて視線を同じ位置にする。

 こうして真っすぐ見すえられ、堂々と嘘を吐ける人間はなかなか居ない。優しい人間ならなおさらだ。やがて、紅い唇から深い吐息がもれた。


「運命、と思ったの……。多羅氏の人体操作能力には前々から興味を持っていました。

 彼の能力だったら、出産できるかもしれないって。あたしのような非力な者がなぜ要塞に集められたか不思議だったけど、この巡り合わせには感謝しました。運命としか思えなかったの」


 ミセスローズの独白は続く。


「最初は断られたんです……そんなことをしたら貴女の身体が持たない、って。

 でも、諦められなくて泣きながら懇願したら――よほど哀れに思われたのでしょうね。陣痛が促進される程度に、胎児の成長させてみようと。あの方は申し出てくれた」


「それで」僕はゆるりと促す。「どうなりました?」


「身体に手を置かれて、ぽっと温かい力が流れ込んできて……あたしはそこで意識を失いました。結局ダメだったみたいね……あの、悪夢のような火災報知器が鳴り響くまで目覚めなかった」


 もしや――。今、僕はひとつの推理が浮かんでいた。

 コスモックルの能力と、ミセスローズの産まれない赤ちゃん。ここにも符号があったのだ。けっして無関係ではないだろう。

 告白を終え、激情がほとばしるのを抑えきれなくなったのか、ミセスローズはさらに口走る。


「もうひとつ……もうひとつだけ懺悔ざんげしたいことがあります――ナナオさん」


 呼ばれた探偵は、きっかりした瞳をさらに見開く。


「クレルさんの遺体を発見して、気分が優れなくなった私は部屋に戻ったのですが。そのときに見かけたのです。足音を忍ばせ、頭大のものを抱えて屋上へと上がっていく、ファム少年、、、、、の姿を……!」

「ファム少年が?」


 喘息のような激しい呼吸をしながら、ミセスローズはナナオにすがった。


「お願い……っ、罪深きファム少年をお許しください! お許しください、ナナオさん」





「あれ、開いている?」


 ドアノブを回して、ナナオが首をひねった。

 施錠されているとばかり思っていたらしい。

 屋上に一歩出ると、生暖かい風が吹いていた。トロルに見つからないよう、僕らは天文台の陰に身をひそめる。トロルの大群が押し寄せてきたときの恐ろしい呻きが、幻聴のように耳にまとわりついている。


「鍵がかかっていないのは、ファム少年が天体観測をしていたからだと思うよ」

「へえ」


 こうなっていたんだ、と初めて屋上を目の当たりにしたらしいナナオが呟く。


「ミセスローズは――クレルを殺したのはファム少年で、彼が頭部を外に晒したと考えているようだね」


 なるべくあっさり述べた僕に、


「バカだったよ……俺は!」


 と、ナナオは自分の頭をぽかぽか叩いた。


「要塞の外へ出るルートばかり考えていた。中にも、こうして外気に触れられる場所があったのに」


 屋上緑地を見回す。

 悔しがっている彼を横目に、要塞の奇妙な外観を思い出す。三つのドームが並ぶ元科学館の。


「ファム少年が犯人なのかな」

「さあ」


 探偵役は物憂げに灰色の空を見つめる。


「頭部らしきモノを抱えて屋上へ上がっていった、ってだけじゃ何ともいえないよ。ミセスローズの思い込みかもしれない。いずれにせよ、彼は死んでしまったし」


 それに、と戸惑ったような口ぶりで続ける。


「あれだけクラブに忠実だったファム少年が、シスターを困らせるような事件を起こすと思えない」

「……だな」


 シスターの傍で番犬のように控えていたファム少年。

 あれが丸っきり演技だとしたら相当な役者だ。僕も見習いたいくらい。表情少なめ言葉少なだったからこそ、忠誠の態度は際だっていた。


「それより」


 ナナオは、灰色の空から隣接するプラネタリウムへと視線を移した。


「ここから、あのガラス壁上に頭部が放り上げられたとしたら、どうだろう?」

「? どうだろうって」

 二人して呆けたように口を開けて見上げる。

 一般的な二階建て住宅を余裕でのみ込む高さがそこにある。


「クレルの頭部が四、五キロとして。ファム少年の細腕であそこまで届くかな」


 四キロといえば、二リットルのペットボトル二本分。放り手は華奢なファム少年。大人の男でもどうだろう? 厳しい気がする……


「失敗してもよかったんじゃないの?」


 僕は言う。


「犯人にとっては、照明もバッチリ当たって発見されやすいガラス壁上がベストで、挑戦したくなった気持ちは分かるけど。あわよくば、くらいの心持ちだったかもしれない。血の匂いでトロルが寄ってきさえすれば目的は果たせるんだから……?」


 喋りながら僕はまた違和感に捉えられていた。あれ、、はプラネタリウムでナナオと交わした会話だった。


【生首が晒された→血の匂いでトロルが寄ってきた→僕らは要塞に閉じ込められ救援も来られなくなった】 


 この一連の流れをナナオは、〈犯人が殺戮を続けるために行った〉と推理したが、僕はこう思ったのだ。


 殺戮を続けるつもりなら、クレルの死体をどこかに隠しておけば済んだのでは――? と。


 犯罪が発覚しなければ、そもそも救援を呼ぶ事態にはならない。わざわざ頭部を目立つ場所に晒し、トロルをおびき寄せる、という行為は無駄というか、効率が悪すぎる。

 

 そのとき、ばちっと音がして大天文台のドームが光った。

 プラネタリウムのドームも同時に発光したから、領域内に侵入したトロルに反応したのだろう。天文台にも仕掛けがあるとは知らなかった。


「おいっ!」


 慌てて叫んだのは、ナナオが大天文台に堂々と入っていったからだ。

 そんなに大胆に動いてトロルに発見されたらどうする。


 身を縮めた僕はナナオに続く。コスモックル多羅に案内されたときのまま、大天文台には巨大望遠鏡が鎮座していた。

 凄惨な殺人事件が起こったのが嘘のように、理知的な空間が持続している。


「……なんだ?」


 しかし、その調和はナナオの気付きで破られた。

 ドーム屋根のスリットの下部に擦ったような〈赤い跡〉がある。

 ナナオが操作盤を弄ると、一メートル幅のスリットが上昇をはじめる。望遠鏡で空を望むための隙間だ。ヴーンと低いモーター音とともにスリットが垂直に上がりきり、さらにドームが回転した。


「あ!」


 隠れていたスリットの部分に赤い痕跡が続いていた。


クレルの、、、、、血だ、、……!」


 ナナオが断言した。

 おそらくそうだろう。ファム少年は凍死だし、この要塞で大量出血したといえば、首切りされたクレルしかいない。


「どうしてあんなところに血が……」


 茫然とつぶやく僕。一方ナナオは、


「犯人は、大天文台の上に頭部を晒そうとしたのか?」

「えっ? まあ、ガラス壁の上よりインパクトは劣るけど、ここでも十分……ナナオ?」

 僕を無視して、彼が猛然と向かったのは小天文台だった。

「バカっ、トロルに見つかる!」

 後ろから背中を押してしゃがませる。もう危なっかしくてヒヤヒヤする。現実に戻っても、僕は怪物の悪夢にうなされるのだろう。

  

 大天文台より小ぶりなこちら。

 ぱっと見、目立つ痕跡はなかったが、同じようにスリットを上昇させると、ドームと壁の境目に掠れた血痕を発見した。

「――小天文台にも? どういうことなんだ?」

「ああ……」

 ナナオは鋭い双眸を伏せ、深い思考に潜っているようだ。

 探偵が長考モードに入ってしまったので、助手役の僕は、他に手がかりはないかと本棚の推理小説を探る。


 一冊の本を手に取り、ぺらぺらとめくった僕は悪態を吐いた。

「この『エラリークイーン』って、ノンフィクションなのかね」

「……ん?」

 思考の切れ間だったのか、ナナオが反応してくれる。

「だって、作者と主人公が同名だよ。実話じゃないの?」

 ちがうよ、と呆れたように、

「そういう趣向ってだけだよ。作者はペンネームだし。クイーンに限らず、作者と探偵or語り手が同名って作品は少なくない」

「ふうん」


 行こう、とナナオが小天文台の扉を開ける。

 砂塵交じりの風が流れ込んでくる。

「もういいのか?」

「ああ」

 探偵役は告げる。

「たぶん、全部わかった」 


【参考~天文台ドームの動き:https://15196.mitemin.net/i252728/】

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