【event02】第二の殺戮

 ある日、ガニュメーデースが羊の番をしていると、大ワシが一羽舞い降りてきて、彼をつかんで飛び去ってしまった。両親が嘆き悲しんでいると、見慣れない若者が現れて告げた。


『心配ない。大神ゼウスが、美しいガニュメーデースを気に入って、使いの大ワシをよこしたのだ。ガニュメーデースは、オリュンポス宮殿で、神々の飲む神酒の酌をする役目をおおせつかった。もう歳をとることも、死ぬこともない』



+ + +



 神が魅了された美少年の悲劇。みずがめ座に秘められたギリシア神話である。


『このガニュメーデースって、ファム少年みたいだよね』


 そんな雑談をしようと思っていた矢先だったのに……



 宇宙コーナーの展示前で、彼は横たわっていた。

 蒼く澄んだ瞳をうっすら開いたまま、焦点は定まらず、どこか虚空を眺めている。

 かたち良い瞳をかたどる繊細な睫毛にはしもがおりていた。そこだけでなく――裸身を霜がまとい凍りつき、永遠に覚めることのない眠りについていた。


 ファム少年は凍死、、していた。


 肌を覆い隠すものを剥がされ、クレルほどでないにしても投げ出された手脚はか細く、まだまだ頼りない。死の前に幻想をみていたのだろうか、何かを掴みかけていたように指が湾曲している。

 


「〈低温実験室〉に倒れておっての。邪魔だからそこに運んでおいた」


 烈歌老師が無情に告げる。

 運ばれた死体を発見したのはミセスローズだったらしい。


「ああ……ああ……お痛わしい」


 妊婦のすすり泣きが展示室にこだましている。


 低温実験室。中学の社会見学で中に入った記憶がある。

 上下の防寒服、防寒靴、帽子、軍手という重装備でも五分と居られなかった。あの過酷な環境で素肌を晒すなんて、恐怖以外のなにものでもない。残酷すぎる。

 駆けつけたシスターは、ファム少年の死体を見るなり、小刻みに震え出した。


私の、、……私が、、っ!」


 静かなる悲痛な嘆き。それはほとんど意味を成していないように思えた。

 聞こえたのは、もしかすると僕だけだったかもしれない。

 絶対に起きてはならない。起きて欲しくなかった《第二の殺戮》が起こってしまった。 

 人類唯一の「能力者」でないY染色体保持者が死んでしまった。ファム少年の死が、この世界でどれほどの影響を及ぼすものか。僕には想像もつかない。


 低温実験室の方から、コスモックル多羅とジェントルマン男爵がやって来る。


「室内温度がマイナス三十度に設定されていました。おそらく、昏倒させられて、閉じ込められたのではないかと」

「閉じ込められたって、鍵は?」


 しゃがみこんでいたナナオが何気なく発した疑問に、多羅氏はやりきれない口調で、


「この実験室は安全管理上、施錠できないようになっているんだ。意識が戻って、自力で出られたら良かったんだが……」

「他人の手にかかったとは限らんぞ。自殺かもしれん」

「馬鹿な!」


 自殺説をとなえた烈歌老師に、シスターが断固として反抗する。


「世界国守クラブの会員は自殺など絶対にいたしません!」


 老師は黄ばんだ歯を見せ、にいっと笑った。


「過度な信仰ほど見苦しいものはないな。そう考えているのは、アンタだけかもしれんぞ、シスター。信仰や信頼など案外もろいものじゃ。ひゃっひゃ」


 不老不死の不気味な嗤いがこだまする。

 ナナオがそれを凄い目で睨んでいた。


「とにかく、このままにはしておけない。遺体を運ぼう」


 多羅氏とジェントルマン男爵が上半身を抱え、僕とナナオが足を抱える。

 凍った肌の冷やりとした感触。

 ファム少年の足裏に、擦り切れて血がにじんだ傷跡が何か所も残っているのを僕は見た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る