09 作者と話す&ウルトラCの解決編

 打って熱をもった左目を抑えながら、信じられない面持ちで、僕は天井を見上げる。


『ムダだよ、設楽くん。私は、そこにはいない』


 ふたたび天からの声。

 この、鼻にかかったような眠たげな声――法ノ月だ!! 間違いない。僕の予想通り、ヤツは物語の外から展開を見守っていたのだ。

 僕は興奮もあらわに問いかける。


「おいっ、法ノ月、ずっとこれまでのことを観ていたんだろ!?」

『ずっとじゃないけど。どうやら、第一の殺人が起こったみたいだね』


 どういう仕組みで語りかけているのか。

 スピーカーから流れてくるような音声とは違って、見えない妖精が飛び回り、直接語りかけてきているような感じだ。ダイレクトに言葉が耳に入り込んでくる。登場人物の脳内注釈が下りてきたときの感覚とよく似ている。


『随分と活躍しているじゃない。設楽くん』


 こいつ……!

 相変わらず、のほほんとした、それでいて呑気なコメントに怒りがこみ上げる。しかし、ぐっとこらえて作者に説得をこころみる。

 バーチャル世界へと拘束されている以上、優位なのはヤツなのだ。不本意だが、ここは下手に出るのが得策だ。


「法ノ月さん。作品を馬鹿にしたことは悪かったです。設楽キヨシ一生の不覚。心から反省しております。どうか後生です。現実に目覚めさせてください」

『目覚める、ってなに?』

「だから、バーチャルリアルティをオフにして、僕を現実に戻してくれよ」

『なあにバーチャルリアルティって……』


 はぁあ、と物憂げなため息の後に、法ノ月は言葉を継ぐ。


『やっぱり信じてなかったんだね、私の能力について』

「……超能力って、マジなのか?」

『マジですよ。実際に転送しても信じてくれないなんて……。言ったじゃん、君で三人目、、、って』

「言ってたな。いや、信じるよ」

『へえ?』

「信じるさ」


 バーチャルリアルティか超能力か。

 どちらにせよ、僕の身柄が法ノ月の管理下にあることに変わりはないのだ。どうやら腹をくくるしかない。ここが勝負所だ。

 僕は真っすぐに、天を、この世界の想像主を見据える。


「だから――そろそろ目覚めさせてくれませんか。その、超能力を解除して。実際に体験して分かった。法ノ月、君は才能にあふれている。君が創作した世界は素晴らしい。個性豊かなキャラクターといい、奇想天外な舞台設定といい、天才の成せる業とし疑いようがない。僕が言うんだから間違いない。凄まじかった。完敗です」


 必殺、褒め殺し。

 はたから聞くと、わざとらしくクサイ台詞ばかりかもしれない。しかし、わりと言われた方が嫌な気がしないものだ。

 感動を噛みしめるようなしばしの沈黙の後、法ノ月は言った。


『褒めてくれてありがとう。嬉しいです。――でも、無理、、

「は?……む、無理って? なんだそれ。どういうことだよ」


 おもわず取り乱してしまう。法ノ月が面白そうにくすくすと笑いながら、


『私ね。創作世界に転送はできるけど、現実に戻す能力はないみたいなんだよね』

「戻す能力はないって……じゃあ、どうすんだよ」

『設楽くんが自力で戻るしかないね。あはは』

「っ……あはは、じゃねえよ!」


 無責任な発言につい声を荒げてしまった。

 戻れないって、嘘だろ!? パニックに襲われながらも、僕は必死に会話を続けようとする。法ノ月の言葉がはたしたどこまで信用できるのかわからない。

 だが、この会話が途切れてしまえばおしまいだ。そんな確信にも似た予感があったからだ。


「待てよ。自力で戻るって……でも、創作世界から『還ってきたのは一人もいない』って言ってなかったか、お前」


 僕を転送する直前の出来事である。狂ったように笑いながら、彼女はそう告げた。法ノ月は感心したような溜息を吐いて、


『設楽くん、記憶力良いんだね。あの状況で私のセリフを逐一覚えているなんてキモいよ、じゃなくて、スゴイいよ。あはは!』


 ふたたび狂ったように笑い出した。

 これは……駄目だろ。ダメなんじゃないか。

 

 立ち直ろうとしたらすぐに絶望させられる。

 不屈のメンタルを誇る、人たらしの天才と謳われている僕でも、法ノ月を説得することに無理を感じてきていた。こいつを誑そうだなんて、一瞬でも思った僕がバカだったのか。


 こいつは、普通じゃない。

 常識が通じる相手ではない。僕がこんなに必死で頼みこんでいるのに、少しもあわれみを示さない。法ノ月はサイコパスだ。

 平穏と思われた学校に、このような異常者が紛れ込んでいたことに慄然りつぜんとする。

 しかも、僕は今、その異常者が創った世界に閉じ込められているのだ。

 失意のあまり目の前が暗くなってきた……そんな僕に、法ノ月は『嘘だよ』と軽いトーンで言い放った。


『一人も還ってこない、っていうのアレ嘘』

「誰かが戻ってこられたケースがあったのか!?」


 食いついた僕に、法ノ月はもったいぶったように間を設けて、ぼそりと語りだす。


『二人目は戻ってきたよ、私のお兄ちゃん』

「お兄ちゃん? 自分の兄を異世界に飛ばしたのか……?」

『だって、許せないことをしたから。あれは仕方なかったの、うん。でも、戻ってきたからいいでしょ』

「……法ノ月、お兄さんがいるんだな」

『なあにその言い方。あーっ、わかった。兄貴がいるくせに兄妹の近親相姦を描くなんてキモイとか思ったんでしょ?』

「思ってないよ」


 思ったよ。

 創作とリアルは別物だからね! と法ノ月がわめきながら言い訳するのを聞き逃し、僕は別のことを考えた。


 二人目は戻ってきた。じゃあ、一人目は――?

 いまだに法ノ月が創った無秩序な世界をさ迷っているのだろうか。現実に戻れないまま、ずっと。

 ダメだ。恐ろしくてとても聞けない。僕はごくりと生唾を呑む。

 今、考えてるべきは別のことだ。戻ってきた二人目。法ノ月の兄について。


「お兄さんは、どうやって戻ってきたの?」

『う~ん』


 回想しているような間。頼むから忘れたとか、ほざかないでくれよ。


『あのときの小説は、愛憎まじりのサスペンスものだったんだけど。犯人を崖に追い詰めて……ある程度まで物語を収束させたら、勝手に目を覚ましたよ』

「収束させたら、って。つまり、物語の決着がついたら、ってこと?」

『まあ、そうだね』

「じゃあ教えてくれよ」

『なにを』


 僕は矢継ぎ早にいう。


「事件の真相だよ! 作者なんだから、知ってるだろ当然」

『無理だよ。言ったじゃん、まだ完結、、させて、、、ない、、って』

「あ、そうか……いや、でもっ――『ワールドエンド要塞の殺戮』は推理小説、、、、なんだろ!? 推理小説っていうのは、あらかじめ犯人とかトリックを構想してからじゃないと書けないものじゃないのか?」


 ふうん、と法ノ月。


『わかったようなこと言ってくれるね。もちろん大筋は決めてあったよ、犯人も被害者も。でもね、聞いても無駄だと思うな』

「なんでだよッ!?」

君だよ、、、


 突き放すように宣告される。


『君が世界に入り込んだせいで、物語の流れ、、、、、が変わって、、、、、きている、、、、

「僕の、せいで……?」


 思いもよらぬ指摘に、現実感が揺らぐような、強烈なめまいがした。

 法ノ月は皮肉げな口調で続ける。

 

「つまり、ここで私がプロットを君に明かしても無駄なの。お兄ちゃんのときもそうだった。最終的には犯人も変わっていたし』

「は、犯人まで?」

『そう。エピローグの展開もね。私の描いたラストと全く違っていたの。だから、むしろ下手な先入観は持たないほうがいいと思うな』


 じゃあ、ヒントはまるで無いってことか。そんな……。

 終わりそうな会話の気配に、僕は必死に食い下がる。


「じゃあ、〈探偵役〉は!? 推理小説に探偵は付き物だろ。ホームズとかポアロみたいな。この世界での探偵は誰だ。

 シスターか? コスモックル多羅か? 男爵? そういえば、烈歌老師ってのはなんだよアレ、千里眼と不老不死とか。何か思い入れがあるのか?」

『……教えない』

「なんでッ? そのくらい教えてくれたっていいだろ!?」

『あのね、設楽くん』


 はぁあ、と呆れたような細く長い嘆息。


『どうして私がそこまでしなきゃいけないの?』

「え?」

『私は君が嫌いなんだよ。大嫌いな相手に親切にする理由なんてないよね。今こうして会話してあげているのも出血大サービスなんだよ。あぁあ、もう鳥肌が立ってる、嫌になっちゃうな』


 探偵なら、とたたみかけるように訴えてくる。


『自分で探して、謎を解くように口説けばいいじゃん。設楽くん、人たらしなんでしょ? あとね勘違いしてるみだいだけど――〈主人公〉は設楽くんじゃないから』


 ふつっと。見えない線が切れたような気配がした。

 

「法ノ月? 法ノ月さん!?」


 そして、法ノ月はうんとすんとも答えなくなったのである。


「ふざけんなーっ!」


 いくら呼んでも応じてくれなかった。

 クソ……くそ……クソッ!

 探偵が誰かくらい教えてくれたっていいだろうに――ん?


 ふと、僕は天啓てんけいを得る。

 下手に探偵役を探すのではなく、あえて僕自身が探偵になり、事件を解決すればいいのではないか、と。

 推理小説の素養はないが、僕には、秀吉の生まれ変わりならではの知恵がある。天下一の知恵が。


 でも、どうだろう……?

 意気込んだ僕はふたたび考え込む。

 法ノ月が創ったこの世界は、現実とはあまりに常識が違っていて、僕の知恵といえども通じるのか。一抹の不安がある。


 やはり、探偵を見つけて、物語が収束するよう仕向けるしかないのか。あくまでも探偵のサポート役として奮闘するしかないのか。

 こういうのを推理小説では、なんというんだっけ。助手? シャーロックホームズでいうワトソン? そうだ、ワトソン役だ。

 しかし――。

 どうも不自然さを覚える。探偵役というのは普通、口説かれなくても事件の真相を探るものじゃないだろうか。 


 事態が進展していることを願いながら、エントランスホールに戻った。

 シスターとコスモックル多羅と男爵が何やら顔を突き合わせて話し合っている。


「ああ、シタラ君――きゃあっ!」


 僕に気づいたシスターが悲鳴を上げた。


「その目、どうしました? まさか、誰かに襲われたんじゃ」


 皆がぎょっとしたように僕に注目する。


「違いますっ、自分でぶつけちゃって! てへっ」


 さっき休憩スペースで椅子にぶつかってできた痣だ。鏡がないから確認できないけど、亡霊のような様になっているのだろう。あらら、とシスターが管理室に戻り、冷却シートを貼ってくれる。発熱をしたときおでこにピタッと貼るやつだ。


「こんなに腫れて……本当に大丈夫ですか」


 心配してくれるシスター。間近で見ると、鼻の周りのそばかすがキュートだ。

 見惚れていると、彼女はすっと真剣な顔になり、僕をさらに深く見つめてくる。


「シタラ君に伝えておかねばならないことがあります」

「はい。なんでしょう?」

「あのような酷い出来事が起こった以上、ただちに皆さんを開放すべきなのですが。本部に連絡したところ、トロルが沈静化するまで救助をこちらに寄越すのは難しいとの返答でした」

「……はあ」

「よって、今しばらくこの要塞に留まっていただきたいのです」

「皮肉なものだな」


 水滝の柱にもたれていた男爵が口を挟んできた。吐き捨てるように、


「ここが『世界一安全』とは。殺戮が起こった場所のどこが安全なものか」

「……返す言葉もありません」


 厳しい指摘にシスターはシュンとなって長い睫毛を伏せる。


「あの――」


 気まずい空気のなか、僕は思い切って申し出た。


「クレルさんをあんな風にした犯人は誰なのか。それを考えようとはしないんですか」


 不穏な空気がさらに重くなる。このまま無視される、と思いきや、


「実は僕も考えていた」


 コスモックル多羅が応じてくれた。シャープな顎に指を添えて、慎重に喋り出す。


「死体が焼けていたことといい、首が切断されていたことといい、頭部が要塞の外に晒されていたことといい。

 他人の手が加わっているのは確実だ。さらに厄介なのは――この要塞に、、、、、僕ら以外の、、、、、人物はいない、、、、、、ということです」


 一同に緊張の気配が走る。

 シスターは表情をこわばらせた。ついにこの話題がきた、という風に。


「まず、前提として。危険区に一般人は入れません。今のところトロルにも侵入されていない」

「待て、シタラ君の件があるだろう」


 男爵が異議を唱える。


「対象物を好きな場所へ飛ばせるという〈時空飛ばしの能力者〉の仕業ならば――他の侵入者の存在を否定できないのでは?」


 男爵が僕をステッキで指した。その反論を予想していたのか、多羅氏は大きく頷いた。


「それが否定できるのです。仮に、〈時空飛ばしの能力者〉が存在していたとしても、です。もし、この要塞に僕ら以外の人物がいたら、シスターが察知しているはずなのです。ね?」


 ええ、と尻込みながらもシスターが一歩前に出た。

 手首に腕時計のような装置が巻かれている。僕に初めて会ったときも、同じようにかざしている。


「これは〈検知器〉です。能力者か非能力者かを判断するために作られたものですが、何者かが要塞に侵入した場合も反応を示すようになっています」


 侵入者を感知する機能もあるのか。なんという便利機能。


「装置に反応しない能力を持つ能力者かもしれない」


 男爵にシスターは「いえ」と頭を振って、


「装置が検知するのは、いわば〈魂の質量〉ようなもの。どんな能力者であろうと、生者であれば必ず反応します。能力者が発した能力も同様です」

「聞いたことがないな、そのようなマシンは」

「クラブの研究室ラボが極秘で開発したものですから」

「仮に、要塞の外にいる人間が犯罪を企てていたとしても――」


 さらに多羅氏が補足する。


「トロルの巣窟である危険区に侵入すること自体、命がけです。居住区に戻った瞬間を狙うほうがよっぽど簡単でしょう。何らかの遠隔操作だったとしても、肉眼で対象物をとらえずに人体操作できる能力者なんて、ちょっと聞いたことがない。

 つまり――クレルさんに手をかけた犯人は、僕らの中の誰か、と考えるのが妥当と思いますが」


 きた、と僕は思う。

 探偵役は、彼だ。この、コスモックル多羅だ――。

 思い返せば、妙に気取った言い回しといい、ミステリアスな雰囲気といい、いかにも探偵然としているではないか。

 探偵役(仮)は、ロビーに反響するように、ぱんっと大きく手を叩いた。では、と口火を切る。


「ここで提案します。自分がやった、という方はこの場で白状しちゃいましょうか。皆さん、目を瞑って、はいで手を挙げてください。はいっ!」


 ……なんと! この場面で自己申告を求めるとは。

 もちろん誰も手を挙げないし、それどころか目も瞑らなかった。


「う~ん。まいったな。お手上げだ」


 映画俳優のように肩をすくめるコスモックル多羅。

 え……えっ? 諦めるの早っ!


「仕方ない。この手段を使うしかないのか」


 肩眉を上げて唸る。おお、まだ奥の手があったらしい。次こそ期待しよう。

 展示室に向かおうとしていた老人を、多羅氏は声高に呼び止める。


「烈歌老師! 千里眼の、、、、あなたなら、、、、、ご存知でしょう。事件の真相を教えてください!」


 なんだそりゃ!!


 やられたな、と正直思った。

 烈歌老師の千里眼。過去や未来の出来事を透視できる能力者なら、事件の真相など謎でも何でもない。

 まさか、これぞウルトラCの解決ってやつじゃ……?


 しかし、そんなに現実は(架空世界だけど)甘くなかったのである。

 あ? とダミ声で振り向いた老師は、ぶっきらぼうに「知らん!」と返した。


「……知らん、とは。一体どういうことです?」


 皆に動揺が走るなか、老師はきっと僕を睨みつけた。憎々し気に返す。


その小僧のせい、、、、、、、じゃ。そやつが現れることを予知してから、どういうわけだか千里眼が曇って何ひとつ視えなくなった。人類絶滅の先まで視えておったというに」

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