08 悪夢のはじまり~トロル来襲

「死んでいるんですか? それ」


 妹の死体を前にした、槙村ナナオの第一声がそれだった。

 場違いなほど、あっけらかんとした響き。

 首から上がない――頭部が切断されている。誰の目にも明らかな死であるのに……。


 肉が焦げたむっとした臭いに僕は口元を覆う。喉の奥からこみあげる唾を何度も呑み込む。

 ナナオはさらに口走る。


「それは……本当に、、、クレル、、、でしょうか、、、、、


 彼の主張したいことは分かる。

 親しい人の変わり果てた姿を目にして、誰がすぐ現実だと受け入れられるだろう。

 けど――

 袖なしのワンピース、揃いの可憐なバレエシューズ。ところどころ焼けただれているものの、白い肌も、細すぎる手脚も。すべてに見覚えがある。ありすぎた。他に似た人物など居やしない。

 彼女に違いない。これは、、、槙村、、クレル、、、だ。


「すみません」


 やけに日常じみた仕草で、短髪の後頭部をかくナナオ。


「妹が『死ぬ』だなんて信じられなくて」

「ナナオさん……!」


 自身も泣きそうな顔で、シスターがナナオに駆け寄り、やさしく抱きしめた。

 肉体の老化が常人よりも極端に遅い、槙村クレル。

 彼にとって妹は、永遠に続く生命のような存在だったのかもしれない。永遠に等しく続く妹との時間。しかし、それは無残にあっけなく終わった。


「なんて……なんてむごたらしい」


 うなだれたシスターの背後に、ファム少年がぴたりと控えている。

 コスモックル多羅に抱えられたミセスローズの顔色は蒼白で今にも気絶しそうだ。むすっと腕組をしているジェントルマン男爵にもさすがに動揺が見られる。


 スプリンクラーは止まり、ウォータースクリーンの水が落ちる音だけが続いている。ここに足を踏み入れたとき、パニック状態だった僕の心を慰めてくれたそれは今、冷ややかなノイズにしか感じられない。


「まったく」


 苦虫をかみ潰したような表情で、烈歌老師が舌打ちした。この人だけ何の変化も見られない。


「面倒な話し合いとやらが始まるまで、身体を休めたかったのに。火災警報器のやかましいこと」


 三白眼で受付カウンター上のデジタル時計を睨む。

 21:05。何事も起こらなければ、男爵が主催した会議が始まっていた時間だ。


「二十分程前にここを通ったときは、何事もなかったのに……。プラネタリウムで会議の準備をしていたんです……近くでこんな惨劇が起こっていたのに、私は何も」


 独白してうなだれるシスター。

 防音仕様のプラネタリウムの中に居たなら、外の様子が分からなかったのは無理もない。


「最初にクレルさんを発見したのは、ファム少年だったね。君はどこにいたの?」


 はたと、コスモックル多羅がたずねる。


「事務室」


 ボーイソプラノで答え、美少年はすぐ傍のシンプルな木製戸を指した。


「何か異常な物音を聞いたりは?」

「眠っていたので」

「彼は眠りが深いんです」


 口下手な証言をシスターがフォローした。後から確認すると、管理室の奥に個室があり、彼らはそこを使っているという。


 間を縫うような沈黙が下りた。

 僕は場の空気を読んで口に出しづらかった疑問を、ここで発した。


「あのぅ。『能力者』って、こんな簡単に死んでしまうものなんですか?」


 皆が一斉に振り向く。

 だって――つい数時間前まで、僕の手当をして下らないお喋りをして、無邪気に笑っていたのに。架空世界とはいえ、僕はクレルの生をたしかに感じていた。

 それが、こんな死の尊厳さえ奪われるようなかたちで命を失うなんて。信じられない。とても信じられない。


「死ぬよ」


 あっさりと多羅氏が断言した。


「不老不死の烈歌老師は別として。クレルさんの場合、肉体の老化が遅いだけで、それ以外は普通の人間と一緒だ。ケガだって負うし、病気にもかかる。だから」


 殺そうと思えば簡単に殺せる。

 クレルの折れそうな体つき。この中で、男女問わず、彼女の体格に劣っている人物など居ない。

 つまり、ここにいる誰もが彼女を殺すことができた、というわけだ。


 なぜ――?

 僕の頭のなかで、漠然とした、それでいて複雑怪奇な謎が提起される。

 なぜ彼女は殺されたのか? なぜ彼女の肌は焼け焦げているのか? なぜ彼女の頭部は持ち去られたのか?



 最後の疑問は、まもなく明らかになった。

 シスターが、クレルの死体を管理室の奥部屋に安置したいと申し出て、男性陣が作業に当たった。

 本部に連絡を入れます、とシスターが管理室に籠もると、エントランスホールに戻った一同は所在無げに散り散りになった。

 妹のむくろと離れたナナオは、空虚な瞳で水滝に映る薔薇を眺めていた。まるで献花のようだ、と僕は思ったが口には出さない。


「た、大変です!」


 血相を変えたシスターが管理室から飛び出てきたのは、それから数十分後だった。


「トロルの大群が要塞に押し寄せてきています!」


 そのままプラネタリウムへと駆け込む。

 僕はわけが分からないまま、開け放たれた防音扉を横目に皆に続く。


「なんだこれ……!?」


 そこには、ついさっきとは全く違う景色があった。

 天体ドームがまばゆいばかりの光を放っている。光の合間から、ドームを覆う透明な立方体キューブが見えた。


「センサーが反応しっ放しだ」


 コスモックル多羅が苦い表情をした。

 百メートル以内にトロルが近づくと、奴らが忌避する光源と水蒸気を発する。その仕掛けがフル稼働している。化け物じみた低い唸りと地響きとが要塞を揺らし、皆を怯えさせた。


「原因はあれ、、です」


 シスターが真上を指す。


幕壁カーテンウォール人間の、、、頭部、、らしきものが乗っているんです。おそらく、クレルさんの……」


 ナナオに考慮したのだろう、語尾はため息でにごされた。

 眩しくてまともに目を開けていられない程だが、それでも凝視すると、立方体の上に黒い物体が確認できた。

 ファム少年がタブレット端末をシスターに手渡す。建物外に設置されているカメラの映像がそこにあった。


「見せてください!」

 ナナオがやや乱暴に端末を奪い取る。

 プラネタリウムを覆うガラス壁の上で、長い黒髪が風になびいていた。顔は髪で隠れて見えない。しかし人間であることは判別できた。生首だ。


「クレル……なぜあんなところに」


 世にもおぞましい映像に、今まで平然としているように見えたナナオが震え出した。人間が好物という、異形の怪物・トロル。血なまぐさい匂いにつられて寄ってきたのか。


「ああ神よ、罪深き殺人者をお許しください!」


 ミセスローズがひざまずき祈りを捧げる。

 犯人は、クレルを殺しただけで済ませず、切断した頭部を晒した――? 狂っている。


「どうします」


 どうしようもない混乱のなか、コスモックル多羅がシスターに迫った。考え込むように頭を抱えていた世界国守クラブの最高責任者はひとつの提案をした。


「――ジェントルマン男爵。あれを小さくすることはできませんか?」

「小さく、だと……?」


 いぶかしげな顔になった男爵に、シスターは間髪かんぱつ入れず続ける。


「トロルの視界から隠れるくらいに縮められませんか。かなりの遠隔作業になりますが、男爵の能力であれば可能かと」


 黙り込む男爵。ステッキをこつりと鳴らし、上空を睨む。


「やってみよう」


 む、と彼が微かに唸ると、画面上の生首はゆっくりとした速度で、しかし着実に小さくなっていった。

 やがて、肉眼では見えないほどになる。

 唖然とするばかりだった。これが、ジェントルマン男爵の人体操作能力。

 走り出したナナオを、シスターは鋭く呼び止めた。


「どちらに?」

「……外に……クレルを連れてきます」

「お気持ちはわかりますが、ナナオさん」慈悲深く目を細めて、「今、外に出るのは非常に危険です。トロルが間近に迫ってきているのですから」

「でもっ、あのままじゃクレルが……ッ!」

「我慢してください。貴方だけでなく、ここにいる皆が危険に晒されるのですよ」


 柔らかいが有無を言わさぬ声音だった。

 ただただ暗い絶望が空気を満たした。



 


 息を弾ませ僕は二階への階段をかけ上がっていた。

 自分の部屋に戻る、とだけ告げてプラネタリウムを飛び出したのだ。


 ナメていた。完全に、舐めていた。

 法ノ月を。法ノ月が創った世界を――

 たしかにバーチャルリアルティの技術は凄いが、世界観の設定はところどころ荒いし、死体も人形に毛が生えた程度、と思い込んでいた。

 そんな予想は無残に裏切られ――槙村クレルは殺戮、、されていた。

 皮膚を焼かれ、頭部を切り離され、生首を晒されて――これ以上ないくらい壮絶に殺されていた。


「ひ……ッ!」


 休憩スペースに着いて、大窓から望む眺めに足がすくんだ。


 闇に反射する緑色の宝石はトロルたちの双眸だった。

 十メートルを超える巨体、怪物じみた所作。しかし、それは確かに、『人間』だった。

 好物、、が視界から消えたせいか、突撃してくる様子ないものの、じいっと、こちらの様子をうかがうような不穏な気配を匂わせている。

 奴らと僕らはただ捕食者と被食者の関係でしかないと。否が応でも納得させられる光景だった。

 僕は床にしゃがみこむ。脳裏にクレルのグロテスクな死体が浮かび、その場でえづいた。


「……っ」


 その可能性、、、、、に、僕は気づかないフリをしていた。

 薄々気づきながらも、あえて目を背けていた。

 気づいてしまったら正常でいられなくなると分かっていたからだ。つまり、


 法ノ月は僕を現実に還すつもりがあるのか? ――ということだ。


 『いってらっしゃい。物語を終わらせたら還してあげる』


 還してあげる。

 あの言葉が真実である保証はどこにもない。法ノ月は、僕をこの世界に閉じ込めたまま、現実から消し去るつもりではないか?


「うわああああああああッ!」


 気付いてしまうと、もう、駄目だった。

 この世界での体面を保つ余裕はもう無かった。

 発狂寸前で僕は叫ぶ。天井に、四方の壁に向かって叫びまくる。


「ごめんなさい! すみませんでした! お願いだから戻してください……還してくださいッ!!」


 涙があふれて嗚咽が漏れる。


「法ノ月……法ノ月さん! お願いです。何でもしますから、あなたの下僕になりますから許して……許してください!」


 転げまわるとパイプ椅子の脚に左目を殴打した。痛みが非情に襲ってくる。


「っあああああ!!」

『うるさいなぁ』


 ひたすらに悲鳴を上げ続けていると、ふとノイズが混じったような、のんびりした口調の声が聞こえた。


『うるっさいなあ。下僕なんていらない』


 それはまさに天からの、法ノ月さくしゃの声だった。

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