03 世界の果ての要塞〈後編〉

「なんだと……!?」


 シスターの宣告に、血相を変える水田ジェントルマン男爵。

 ブラックのスリーピースを違和感なく着こなす、英国紳士風の外見。ステッキのデザインが変わっていて、持ち手に真鍮のトカゲが付いている。このトカゲ、どこかで見覚えがあるような。


「どういうことだそれは。聞いていないぞ!」


 荒ぶる男爵を、狩人、もといコスモックル多羅が「まあまあ」と宥めてシスターに尋ねる。


「永遠に閉じ込められるってわけじゃないんでしょ。当分の間、というのは何時いつまで?」

「本部が次の対策を決定するまで、です」

「だからそれがいつかと聞いておるんだ!」


 苛立ったように、男爵がステッキの先で絨毯の床を打つ。

 シスターは毅然きぜんとしたまま、 


「わかりません。未定です。人類の存亡にかかわる問題ですから……万全な策を練って準備をして……最低でも一週間、最長半年間かかる可能性も」

「半年!? 馬鹿な! こんな危険な場所に私たちを留めておくつもりか」

「解釈の違いですね、男爵。これは、いわば『保護』。私たち人類にとって、貴方たち能力者の存在は、トロルから逃れる未来の一寸の希望。いまや居住区にもトロルの脅威がおよびかねない状況を、男爵も承知していらっしゃるはず。この要塞は、対トロルとして世界最強の施設。いわば、ここは世界で一番安全、ともいえるのです」

詭弁きべんを――!」


 ぼこっと鈍い音がした。

 男爵がステッキを床に投げつけたのだ。もはやその様子に、紳士の気品などひとつもない。暴れん坊男爵だ。


「さっきから聞いていれば、クラブクラブと小賢しい。君こそ世界国守クラブのトップではないか、MS・メアリージェーン山内!」


《シスター ~世界国守クラブ(WBC)の最高責任者。本名・メアリージェーン山内。俗称・マスターシスター(MS)。》


「こんな真似をして許されると思うなよ。私は君を訴える」

要塞ここから通信可能なのはクラブ本部のみ、ということをお忘れなく。居住区から危険区へのシェルターを開閉できるのも本部の人間だけです」

「とうとう発言が脅迫めいてきたな、似非シスターめ……君も我々と籠城ろうじょうするつもりか? ファム少年と共に」


 挑発口調の男爵に、シスターは重く頷いた。


「私たちが共に在ることが、覚悟の証明です。人質と思っていただいてもかまいません」

「っ、貴様!」


 とどまることを知らない男爵の怒りは、コスモックル多羅に向けられた。


「何とも思わないのか、この屈辱的な仕打ちを! 神に選ばれた能力者のくせに、こんな下劣な女の色香にほだされて恥を知れッ」


 多羅氏はうるさそうに顔の前で手を振って、「無礼な発言は撤回してほしいですね、男爵。僕だって不服がない訳じゃないんだから。いくつかに落ちない点が、シスター?」

「何なりと」

「僕と男爵がトロル討伐のため待機しなければならないのは分かるが。他の方々まで閉じ込めておく必要がありますか」

「ですからこれは保護なのです」


 保護。シスターは同じ言葉を口にした。


「烈歌老師の千里眼――未来を見通す力は、他に類がなく貴重ですし。ミセスローズ北川の胎内に宿っている赤子は男女の双子で、その男児が貴重な非能力者であることも判明しています」

「ファム少年の第二号ね」


 くすり、と背後から笑い声がした。

 貴婦人のドレスの腹が大きく膨れ上がっていることに、僕は今さら気づく。そしてお馴染みの脳内注釈。

《ミセスローズ北川~「能力者」。二十五歳で妊娠し、以降、双子の男女を胎内に宿し続けている。》


槙村まきむらクレルさんの半不老不死の肉体と、半永久的に転生し続ける兄のナナオさん。いずれも未だ解明されていない未知の力をお持ちです。私たち世界国守クラブは、ともすれば被害者になりかねない彼らを保護する義務があるのです」


《槙村クレル~「能力者」。肉体の老化が遅く、彼女の一年は普通の人間の数十年に相当する。現在は、十七、八歳くらいの少女の容姿。》

《槙村ナナオ~主人公。クレルの兄。「能力者」。妹クレルの死を見届けるまで、前世の記憶を保持したまま生まれ変わり続ける。》


「保護? ハッ! 『隔離かくり』の間違いじゃないかね」


 失礼する、と豪快にステッキを振りながら男爵が退場した。まだ話し合いは終わっていないのに。烈歌老師がのろのろとした歩みで後に続く。


「ミセスローズはよろしいのですか?」


 コスモックル多羅が、妊婦の貴婦人に話しかけた。


「あたし? あたしはよろしくてよ。どんな状況であれ、この子たち、、、、、と安寧に過ごせるのであれば」


 うふっ、と艶麗な笑み。

 か細い首や腕に反して、腹部は今にもはち切れそうだ。双子って言ってたよな、たしか。胎児とはいえ二人分は重かろう。ずっと妊娠しているって能力というより呪いに近いんじゃないだろうか。


「クレル、いこう」


 最後列に座っていた槙村兄妹も立つ。

 お、と思った。二人ともアジア系の外見だったからだ。見た目の年齢も近いせいか、親近感をおぼえる。

 妹は腰まである長い黒髪で、兄は野球男子風の短髪。顔は似ていない。兄は転生している(?)らしいから、今の肉体に妹と血縁関係はないということか。

 妹のために転生し続けているとは、ロマンチックな話に聞こえるけど。


「シタラ君」


 少しずつだが脳内注釈に茶々を入れる余裕が出てきた。そんな僕に、シスターがお疲れ気味の、しかし相変わらず美しい愁いの顔で語る。 


「先も言いましたが、あなたの処遇については本部が検討中です。しばらくは私たちと要塞に留まっていてください。外出はされませんように。この辺りはトロルの巣窟ですから」


 さも恐ろしげに警告されるが、僕はトロルなるものをまだ実際に目にしたことがないのだ。いまいち緊迫感に欠ける。


「ここにいたら絶対安全なんですか」


 ただ従うのも芸がないので聞いてみると、シスターはふっと表情を緩ませた。


「シタラくん。この世に『絶対に大丈夫』ということはないのですよ」

「はあ」

「しかし――『絶対に不可能』ということもないのです」


 そんな禅問答みたいなことをいわれても。

 絶対に絶対はない、って織田信長の名言じゃなかったけか。ん? 信長って誰だ? 豊臣秀吉が仕えていた武将……って、あれ?

 あれれ? あれれれれれ?

 ひたすら首をひねり続ける僕に、シスターは誇らしげに説明する。


「ここは元科学館ですけども、人類が持ちうる最高の技術を駆使した装甲がなされています。そして、科学館を改装した一番の理由は――プラネタリウムを活用するためです」


 ドーム屋根を指すシスター。


「今のところ判明しているトロルの弱点。それは、水と光。トロルが要塞周辺の百メートル以内に侵入すると、自動オートで彼らが忌避する光線と水蒸気をドームが発するようになっています」


 近づくと光るって。なんだか虫よけのブルーライトみたいだな、と思っていると、


「子供だましと、お思い? しかし、単純であることが時に最強であることも事実なのですよ」


 愚者に教えを説くよう慈悲深く笑むと、ファム少年を伴ってプラネタリウムを後にした。去る寸前こちらを振り返った、ファム少年の目がドン引きするほど冷たかった。


「ワールドエンド要塞……」

「ん?」

「って、呼んでいましたよね。この要塞を」


 静寂のなか、ぼそりと尋ねる。コスモックル多羅氏は、筋骨隆々の腕を組み、答えてくれる。


「要塞の俗称さ。ちなみに、エンドってのは『終わり』じゃなくて、『境界』の意味に近いかな。世界の果ての要塞」


 世界の果ての要塞――ワールドエンド要塞。

 やはり。そうか。僕の考えは、いまや確信に変わった。


「しばらく君もここに閉じこもりかな。仲良くしよう」


 世界共通の挨拶、握手シェイクハンズを交わす。


「あの、僕はどこに寝泊まりすれば……?」

「開いている部屋を探して使えばいい」

「探すってどうやって」

「ひとつひとつ開けて確認したらいいだろ」


 マジか。結構適当だな、この人。


「館内は自由に見回って良いって。何せ元科学館だからね。面白いものが沢山置いてある。外出は厳禁。窓も開けないほうがいい、砂塵が入ってくるから。とはいっても、殆どの窓はハメ殺しで開かないんだけどね」


 ひとつひとつを噛み締めるように首肯する僕に、コスモックル多羅は碧みがかった瞳を大きくした。


「なんだか君、さっきとは様子が違うね。一皮むけたというか、頼りがいが出てきたというか」


 そりゃそうだ。

 一皮むけたどころじゃない。僕は、この世界の、、、、、全貌を、、、理解した、、、、のだから。

 人物が登場するたび、脳内によぎる注釈の意味。ところどころ既視感デジャヴに襲われる理由を。

 すぐにボロが出ないよう、冒頭の数ページと登場人物紹介だけは読み込んでいたからな。


 かくして僕は、この世界が、クラスメイトの女子・法ノ月が創作した――『ワールドエンド要塞の殺戮』であることに気づいたのであった。

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