04 この世界が創作物であることに気づく

『私ね、特殊能力があるんだよ。自分が創った世界に人間を「転送」できるの』


 そうだ。

 たしか、そんなことを告げられ、間もなく、僕は意識を失った。


「特殊能力……ね」


 つぶやいて周囲を見回す。

 科学館の展示室だったエリアは、だだ広いスペースがコーナーごとに区切られている。月の満ち欠け体験コーナーの観覧席に腰かけ、ひとり唸る。

 特殊能力を信じていないわけじゃない。

 超能力の存在は証明されていないけど、絶対に存在しないことが証明されてもいないから。ないない尽くしでややこしいが、ようするに、法ノ月を「見た目爬虫類系の中身もイタい女子」と決めつけるのは早計ってことだ。


 秀吉の「中国大返し」(信長が本能寺の変で横死したことを知り、速やかに毛利氏との講和をまとめ、明智光秀を討つため高松城から京に取って返した。全軍で約二百キロを約十日間で移動した)だって、当時は魔法のような所業だった。

 シスターの受け売りではないが、絶対に不可能、ということはないのである。

 うん。


 さりとて、にわかに信じたがたいのも事実だ。

 映画のセット、バーチャルリアルティー……考えられるのはこの辺りか。

 でも、セットはどうだろう? 要塞の外で体験した地割れはとても偽物だったとは思えないし、映画で再現するにしてもCGが関の山ではないか。


 とすれば、本命はバーチャルリアルティ―。

 法ノ月が身につけていた蛇のバレッタ。あれが特殊な光線を発して、僕にめまいや吐き気を誘発したに違いない。昔、アニメで激しい光の点滅が続く場面が放映され、視聴者にそういった症状を起こした事件があったという。きっとそれだ。

 そうして自失状態になった僕を、特殊な施設に運びこんだ。どこかは見当がつかないが、ヴァーチャルリアルティ―を体験できる設備がある場所に――


 僕はもう一度、展示コーナーを見回す。見た目や質感など本物としか思えない。

 これが現実じゃないなんてスゲエよ。VRの技術がここまで進んでいたとは……。だけでなく、法ノ月にそんな伝手つてがあったことに驚きだが、事態を把握するにはそう仮定するしかあるまい。


 さて――ここが考えどころだ。つまり、法ノ月は僕に何をさせたいのか? ということである。


 あんな強硬な手段を使ってまで、僕を、自分が創作した架空世界へ送り込んだのだから、すぐ現実に戻す気はないのだろうな。これはいわば「報復」なのだ、法ノ月の。

 

『こんなことになるなら君の小説をちゃんと読んでおけばよかった……! ごめんなさい、許してください法ノ月さぁぁん!』


 とでも泣き喚けば許してもらえるか? いや、それこそ、敵の思うツボだ。

 きっと今も、モニターを通して観ているに違いない。狼狽うろたえる設楽ぼくを、ほくそ笑みながら……!

 なぜならアイツは僕を「嫌い」らしい。

 人たらしの僕が人に嫌われるなんて、信じがたいことだ。

 そもそも法ノ月にそこまで嫌われることを僕はやったか? ぐぬ……だんだん腹が立ってきた。創作物をちょっとバカにされたくらいで、拉致らちるとか異常だろ。これ犯罪じゃないの? 

 

『いってらっしゃい。物語を、、、終わらせたら、、、、、、還してあげる』


 ヒントはやはり、最後の、あの言葉。

 物語を終わらせる――「終わらせる」とは、物語の「完結」を意味しているのだろう。作者・法ノ月は、『ワールドエンド要塞の殺戮』をまだ完結させていない、と言っていたし。

 法ノ月が納得せざるを得ないかたちで、物語を完結に導く――現実に戻るには、おそらくこれしかない。そのためには……


 ずりずりっと。脚を引きずるような音が近づいてきて、思考を中断させられた。

 烈歌老師だ。ほっかむりにモンペ、曲がった腰で杖を支えに歩く姿は、日本昔ばなしに登場する老人そのものだ。

 老師は展示スペースをのろのろと横切っていく。

 そのまま通り過ぎる――と思いきや、『宇宙コーナー』に佇んでいた僕に気づき、ヤニか何かで黄ばんだ歯を見せ、片方の口端を吊り上げた。


「ひとつの体に心臓を二つも三つも持っているの、だあれだ?」


 不気味にしわがれた声がつむぐ。

 なんだそりゃ。なぞなぞ……か?

 ひとつの体に心臓が二つも三つもあるって――化け物じゃないか。沈黙したままでいると、ひっひっ、と奇怪な引きつった笑いを響かせ、奥の階段ホールへと姿を消した。

 言い逃げかよ。

 ところで、あのおぼつかない足取りで階段を上り下りできるのだろうか。エレベーターを使わないのかな。いや、そもそも、エレベーターとか在るんだろうか。少し館内を見回っておこうか。自由にして良いって許可されたし。

 思い立ったところで、シュールな光景を目撃してしまった。


 羽付き装飾の帽子をかぶった貴婦人がジャンプをしている。リズミカルにびょーんびょーん、と。三メートルくらい飛んでいる。素晴らしい跳躍力。


「あら」


 僕に気づくと、ミセスローズは、飛ぶのを止めて機械から降りた。ブースの壁に説明文がある。『ムーンジャンプ~月の重力(地球上の6分の1)を疑似体験できるよ!』


「あ、妊婦!」


 とっさに叫んだ僕に、ミセスローズが小首をかしげた。今にも破裂しそうな大きな腹が嫌でも目に付く。


「なにか?」

「……いえ、何でもありません。すみません」


 なぞなぞの答えである。急に閃いてしまった。

 ひとつの体に心臓を二つも三つも持っているのは誰? 答え「妊婦」。母体と胎児の心臓の数だ。脳内注釈によると、ミセスローズは男女の双子を妊娠しているという。その華奢な身体に、三つも心臓を持っている、と考えると凄まじい。

 よっこらしょ、と貴婦人は、若干オバサンくさい掛け声とともに腰掛けた。中央に設置されたクッションだらけのスペースは、キッズコーナー。子ども向けなのか、やけに低めのソファがあって、僕は彼女の横に座らせてもらう。


「平気ですか」


 ミセスローズは、ふーふーと浅い呼吸をしていて辛そうだ。ムーンジャンプなんかして平気だったのだろうか。


「ごめんなさい。何が?」

「あなたが。辛そうだから」


 ミセスローズは驚いたように、睫毛の長い瞳をぱちくりさせた。


「優しいのね。大丈夫よ、妊婦も少しは運動しなきゃ。でも、そんな気遣いをされたの何十年ぶりかしら」


 長年妊婦やってると誰も心配してくれなくなっちゃうのよね、とこぼす。帽子を脱ぐと、鳶色とびいろの豊かな髪がこぼれ落ちた。

 ヨーロッパ系の美人さんだ。

 シスターといいファム少年といい、外人さんの美形が多いのは法ノ月の趣味なのか。皆やけに日本語が上手いな、と感心していたがおそらく違う。僕もこの世界の登場人物として、言葉の壁が消えたのだろう、きっと。


「妊婦さんは大変ですよね。お腹の赤ちゃんに酸素や栄養を運ぶため動悸や息切れがしやすいって、聞いたことがあります」

「あら詳しい」

「従妹が教えてくれました」


 教えてくれたというか、グチられただけだが。愚痴でも聞き流さずにおけば役立つことがある。ちなみに従妹はとっくの昔に出産した。妊婦のときもグチっていたが、育児でもよくグチっている。

 一方、ミセスローズは二十五歳で妊娠し、数十年もの間、妊婦でい続けているという。なんとも妖怪じみた設定だ。


「赤ちゃんのお父さんはどうしているんですか?」


 わざと踏み入った質問をしてみる。

 タイプによるが、上手くいけば相手のふところに入ることができる。


「お父さん? ああ、この子たちの父親と呼ぶべき存在ね――素晴らしい出会いだったわ。たくさんの試験管の中からひと際元気なオタマジャクシちゃんを選んだの!」


 うっとり瞳を潤ませる貴婦人。

 試験管って……まさか人工授精とか? やばい、踏み入りすぎたか。


「ご、ごめんなさいっ」

「なぜ謝るの?」


 きょとん、とするミセスローズ。

 その表情に怒りや皮肉は伺えない。待てよ……。彼女の反応と、今まで見聞きしたことから仮説を立ててみる。


「もしかして、人工授精が一般的なんですか……? なぜなら――男性は死滅したから」


『非能力者のY染色体保持者は、そこのファム少年だけでは? 他は死滅した筈だ』


 ジェントルマン男爵のセリフを回想する。この世界のY染色体(男性しか持たない性染色体)保持者――つまり男性は、死滅したらしい。恐ろしい話だ。法ノ月め、男に恨みでもあるのか。


「あなた……シタラ君でしたっけ。記憶を失くしているとか」

「そうなんです」


 本当は何もかも思い出しているが、記憶喪失の可哀そうな少年を演じることにする。ミセスローズは困ったように微笑んだ。


「ええと、どう説明したらいいかしら。前のは正解で、後のは惜しい。男性の人口は女性の一割程度だけど死滅したわけではないの。でも、その99パーセント以上が能力者で……えっと、ああ、あたしったら説明下手ね!」

「お、落ち着いてください」


 やばいやばい。妊婦さんを興奮させてしまった。ひっひっふう、とミセスローズは呼吸を整えてから、


「ようするに――ちょうど私が妊娠した頃、約半世紀前からなんだけど。男子は『能力者』しか生まれなくなってしまったのよ」

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