エピローグ
八月十二日の朝、健太と重蔵と玲子の三人が朝食を取りながら団らんを楽しんでいる。
「春さん? もう亡くなってずいぶん経つねぇ」
玲子は、トーストをかじりながら呆けたように言った。
「あれ? この間まで元気にしてなかったか?」
重蔵が訝しげに言うと、
「え? そうだっけ?」
玲子は、首を傾げている。
「そういえばダンじいさんだっけ? あの人亡くなったのはいつだっけ?」
「最近じゃなかったかねぇ?」
「ふーん。随分前の気がするんだよなぁ」
健太・朱里・舞香・朝倉を除く辰原の人々は、昨日起きた灰色の煤襲撃の記憶を全て失い、龍となって姿を消した老人たちと過ごした日々の記憶が曖昧になっている。
彼らが存在していたことは覚えているが、どのように暮らしていたのか、どのような話をしたのかとなると記憶がおぼろげになるのだ。
そして町の全員から朱里に関しての一切の記憶も失われており、一緒に暮らしていた重蔵と玲子も朱里のことが分からなくなっている。
朝食を食べた健太は、団蔵の住んでいた小屋に向かった。
健太の自宅に泊まるわけにもいかなくなってしまった朱里は、ここで夜を明かしたのだ。
健太と朱里は、
「みんな真実を忘れちゃったんだな」
「そうだね」
「ダンじいちゃんのことも春さんのことも……昨日まで同じ場所に居たのに」
もう会えないかと思うと寂しかった。
もちろんいつか別れが来るとは考えていたし、彼等の年齢を考えると遠い先の話ではないと覚悟もしてきた。
だが一度に別れが訪れるとは思ってもなく、あまりに多くの別れを迎えてしまい、現実感が薄い。
今でもまだ生きているのではと、ひょっこり団蔵が現れるのではないかと期待してしまう。
「きっとあの人たちは、健太くんを救うために生かされてたんじゃないかな?」
「俺を?」
「だから願いが叶って満足して、新しい旅に出たんだよ」
旅路の目的地は、天国だろうか。
それとも、もっと別の場所なのか。
「みんな、どこに行ったんだ?」
「この世界のどこかに居るよ」
慰めや気休めの類ではない。
朱里の言葉には、確信が宿っていた。
「あの龍は、わたしが見た龍と同じだった気がするんだよ」
健太の口から笑みが零れる。
あれが朱里の出会った龍なのかと。
夢想でしか描けなかった実物に会えたことと、その正体が大好きな人たちなのが嬉しかった。
「わたしが見たあのお墓も多分健太くんのお墓だったんだよ。龍が作った健太くんのお墓」
「俺の墓?」
「わたしの想像だけど、みんな健太くんを失ってがっかりしたんだと思う。その思いが龍になって団蔵さんに宿ったんだよ。今回みたいに」
「で、龍になったダンじいちゃんがここに俺の墓を建てて、ずっと守ってたのか」
優しい人たちだったから、きっとそうしてくれたんだろうと思う。
健太が身を捧げて長生きするより、自分を犠牲にしてでも、健太が生きることを喜んでくれる人達だから。
「きっと、この世界のどこかで健太くんを見守ってるよ」
「どこかって例えばさ、どこよ?」
意地の悪い質問をぶつけてみると、朱里は、笑顔で夏の分厚い雲たちが泳ぐ空を指差した。
「きっと空を飛んでるよ。守るお墓も
「そうだな」
「それにね」
朱里の右手が、健太の左手をそっと握ってくる。
「わたしたちは、覚えてるよ。ダンじいちゃんのことも。春さんのことも。はっきり覚えてる」
彼女の言う通り、健太と朱里は、彼らの人生を覚えている。
それだけでいいのかもしれない。
「朱里。未来には、いつ帰るんだ?」
健太が訪ねると朱里の顔から笑みが消える。
しかし抱く苦痛を覆い隠すように、笑顔を作った。
「多分……あなたが十六歳になった瞬間だよ」
朱里は、両手を開いて、感慨深げに眺めていた。
「あれから魔法は使えない。もう健太くんを守る必要がないんだと思う……余った時間はプレゼントかな? 健太くんと最後に過ごすための」
最高な、そして残酷なプレゼントだ。
「まるでシンデレラだ」
「そうだね」
「朱里は、これから何したい?」
「何も」
朱里は、首を左右に振ってから健太の肩に頭を預けてくる。
「こうして二人で過ごしたい」
「ほんとに?」
「ただ二人だけで、こうして一緒に居たいんだよ」
何か特別なことをしようと考えていたが、その必要はなかった。
二人で居るだけで特別なのだから。
朱里は、健太の耳元で囁いた。
「また同じような良い出会いがあるって言われて、信じられなかったけど、ほんとだった。あなたに会えて、良かった」
――俺もだよ。もう二度と、生きて、君に会えないとしても。
「朱里に会えて、すごい楽しかった。ありがとう」
二人だけで他愛のない話をする。
時折お茶を飲み、お菓子を食べ、時には無言で町を眺め、また気紛れに話をする。
たったそれだけの時間。
たったそれだけの行為。
それでも気取った言葉を交わずより、お互いの思う全てが伝わってくる。
時間は過ぎていく。時計の針は止まらない。止めることの出来ない無常の中で、二人は一緒に居る。
そして八月十三日の午前〇時の一分前――。
「健太くん」
朱里は、溢れる涙を堪えきれずに零しながら、健太にすがりつくように抱き付いていた。
「離れたくない……ずっと健太くんと、一緒に居たいよ!」
「朱里……」
「大切な人と……また離れ離れになるのは……嫌だよ!!」
健太は、泣きじゃくる朱里の背中を撫でてながら、
「大丈夫だよ」
そう伝えると同時に、朱里が羽衣のような柔い光に包まれていく。
「健太くん!」
「朱里!」
健太は、右手で自分の胸を鷲掴みにし、魂が叫ぶままに言葉を紡いだ。
「今日この世界で君と結ばれることはないけど……必ず会いに行く! 必ず出会いに行く! 俺は……何度生まれ変わっても、この魂は!!」
「待ってる! あなたが会いにくるのをずっと待ってる!」
時計の針が八月十三日の到来を告げる。
そこに居たはずの朱里の姿は、最初から存在していなかったように消え失せていた。
「必ず行くよ。朱里のところへ」
確かにここに居たという大切な記憶を残して。
あれから数ヶ月の月日が流れた。
阿澄朱里は、最愛の二人との別れを経験しながらも、平凡な日常を過ごしていた。
必ず会いに行くと言ってくれた健太の約束を胸に抱きながら。
学校への通学路、過去とは少し変わってしまったいつもの道を歩いているとベビーカーを押す女性と、すれ違った。
するとベビーカーに乗っていた赤ん坊がお気に入りのおもちゃでも見つけたかのように、はしゃぎ始めたのである。
あまりのはしゃぎように、女性がベビーカーを止め、朱里を不思議そうに眺めてきた。
朱里も様子が気になってベビーカーを覗き込んでみると、赤ん坊は、朱里を指差しながら満面の笑みを浮かべている。
「珍しい。この子人見知りなのに」
「お名前は?」
朱里が訪ねると、女性は、ほんのりと笑みを浮かべた。
その印象は、どこか見覚えがあるようで懐かしく――。
「健太よ。佐久間健太」
――そっか。
「こんにちは。健太くん」
――約束守ってくれたんだね。
おわり
今日、幼馴染ができました。 澤松那函(なはこ) @nahakotaro
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