E-2

「今日じゃなくても」

「昨日も聞いた気がする。北の谷で薬は使い切っただろう? 他の薬じゃ嫌だって言うくせに、なきゃ困るだろうが」


 中央の、噴水のある広場に向かいながら、リオがシェスティンの背中を小突いた。

 それはそうなのだが、彼女はまだ気持ちの整理がついていなかった。

 リオは全部話せばいいと言う。けれど、仕事中に、客や、もしかしたら従業員がいる中で長々と出来る話ではない。モーネとラヴロも結局連れて来て、ぞろぞろと迷惑をかけるだけではないかと、シェスティンの気は重かった。


「そこで待ってるから、リオが行って買ってきてくれれば」

「先延ばしにすると、もっと気まずくなるぞ」


 ぐうの音も出ないまま、一行は広場に到着する。シェスティンは一度足を止めた。

 時刻は夕刻に差し掛かる頃。混みあう時間は避けてきたのだが、広場にはまだ沢山人がいる。


「シェース。俺、なんでこんなことしてるんだろ。ほっといてガンガン攻めればいいんだよな。しらんぷりで薬買いに行って、あいつをにやにや笑ってやればいい。あんたには適当に報告して、客の一人と親しそうだったって嘘のひとつもついて」


 じっとりと上目遣いに睨まれて、リオはわざとらしく肩を竦めた。


「トーレが幸せになるのは構わない。それなら心配がひとつ減るんだ。邪魔したくないだけで」

「それ! そこなんだよなぁ」


 指を突きつけられて、シェスティンは少しのけ反った。


「あんたの気持ちが本当にその程度なのかと、あいつがどう出るのか、それを見極めないと。あんたの呪いの影響がどのくらい残ってるのかも興味ある」

「……は? お前、そんなことを?」

「我もお前に影響のある人間はチェックしておかないとな」

「ラヴロまで!?」

「生活も落ち着いてきた。いい機会だろ。ほら、観念しろ」

「あ……ちょ……まっ」


 リオがシェスティンの手を引いて行く。言葉にならない抵抗の声を聞きながら、モーネが苦笑していた。


「確かに、この様子を見られたくない気持ちはちょっとわかるわね」

「この程度で心変わりするような男なら会う価値はないか?」

「ちょっと違う? よかったね、おめでとうって手放しで祝福をくれる人よ」

「腰抜けか?」

「ちょっと違うのよ……うーん。会えば、わかる?」

「よくわからんな。行くか」


 ラヴロとモーネは親子の顔を作って手を取り合い、二人の後を追っていった。




 リオは入口の前で止まることもなく、シェスティンの手を引いたまま勢いよく扉を押し開けて店内に入っていく。ドアベルがけたたましいくらいの音を上げた。


「こんにちはー」


 ほっとする柔らかい声が迎えてくれたかと思うと、リオはシェスティンの腕を強く引き、体を入れ替えるように抱き寄せた。そのまま顔をシェスティンに近づけて来たので、彼女はとっさに彼の足を蹴る。


「いっ……た……」


 緩んだ腕から抜け出すと、素早く後ろに回り込んで膝を蹴りつけ、彼を床に転がした。


「どさくさに紛れて、何をする!」

「……ホント、容赦ないよな」


 床に這いつくばるリオの呆れた言いように微妙な空気が流れる中、控えめに声がかかる。


「あの……どこか、お加減が?」


 はっとしてシェスティンが顔を上げると、困惑した笑顔のトーレが見えた。慌てて周囲を確認する。幸い他の客はいないようだった。


「あ……あ、すまない。え、と……傷薬を……」


 もたもたと腰の鞄を探っているうちに、りんろんと先程より優しい音色を奏でさせてラヴロとモーネが入ってくる。


「こんにち……あれ? モーネ、ちゃん?」

「またなんか余計な事したの? 

「え?」


 床から起き上がろうとしているリオに冷たい一瞥をくれて、モーネは言った。それからトーレににっこりと笑いかける。


「こんにちは。お久しぶりです」

「ああ。久しぶり。元気そうだね。そちらは……」


 からん、と軽い音を立ててカウンターに置かれた小さな薬の缶にトーレは意識を戻した。


「あ、失礼しました。傷薬ですね。詰め替えでいいですか?」


 営業用の笑顔にシェスティンは黙って頷き返した。奥へと引っ込もうとしたトーレの前に眼鏡をかけた年配の女性が顔を出す。


「患者さんかい? 詰めようか? ……おや」


 店内を見渡して、お婆さんはシェスティンに目を止めた。


「嬢ちゃんじゃないか。髪切ったのかい? トーレに会いに?」

「えっ?!」


 驚いたトーレが振り返って、まじまじとシェスティンの顔を見つめた。気恥ずかしくなって、彼女はつと目を逸らす。


「お、久しぶり?」

「え……シェス……? 髪……」


 戻ってきて、その髪に手を伸ばしかけて、トーレははっと手を引込める。


「そちらは、何が欲しいんだい?」

「あ、皆、連れです。すみません。大勢で」

「そうかい。……じゃあ、今日は閉めちまおうかね」


 にやりと笑って、お婆さんはカウンターの中から出てきて入口に『終わりステングド』の札をかけに行った。


「相変わらず、鈍いのな」

「相変わらず?」


 シェスティンの隣まで来てカウンターに背を預け両肘を乗せたリオに、トーレは訝しげな顔を向ける。


「……初めまして、ですよね?」

「どうかなー」


 ますます眉を顰めたトーレをリオはにやにやと肩越しに振り返っていた。

 嫌な空気になりそうで、シェスティンは口を挟む。


「ちょ、ちょっと、話さないか。歩きながら。ちょっとだけ」


 トーレがお婆さんに目を向けると彼女は軽く頷いた。じゃあ、とお婆さんと入れ違いにカウンターからトーレは出てくる。


「モーネ、二人を頼む」

「ちょ。頼む人間間違ってね?」

「お前は黙っててくれ」

「大丈夫よ。大人しく待たせとくわ」

「何かあったら呼べ」

「何もないから」


 好き勝手言う三人を残して外に出ようとしたところで、ドアが開いてシェスティンは大柄な男性とぶつかりそうになった。


「すまん! ここの傷薬がいいと聞いたんだが、もう終わりか?」


 足を止めたシェスティンが何気に顔を上げると、男の頭に赤茶の布が見えた。一瞬、男の鋭い目とシェスティンの視線が交わる。


「……ここで会うのかよ」


 苦笑交じりのリオの一言に我に返って、シェスティンはトーレの手を掴むと男を押しのけるようにして店を出た。


「……今の……」


 シェスティンの後ろ姿を目で追っていた男に、お婆さんは少し声を張り上げた。


「傷薬かい? 今閉めたとこだが、そのくらいなら用意するよ」

「あ、ああ……助かる」


 慌てて男は店内の三人に気まずそうな一瞥をくれてカウンターへと足を向けた。



 ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇



「……シェス」


 シェスティンは声を掛けられてようやく我に返った。足を止めて辺りを見渡す。城の堀がすぐそこに見えて、結構な距離を来たのだと解った。


「アイツ、だったよな? バレた、かな」

「一瞬だし、髪型も変わってる。雰囲気もなんだか変わったから大丈夫じゃないかな……それより、えっと、手……」


 遠慮がちにそういうトーレに、シェスティンは慌てて掴んでいた手を離した。


「あ、ごめん。怖い、よな。その、一応、もう大丈夫、なんだけど……」

「え? 大丈夫?」

「うん。スヴァットの呪いも解けて、ついでみたいにワタシも普通に戻った。だから、もう……えっと……たぶん、誰も死んだりしない。それで……実は……今は森をちょっと入った辺りに住んでて――」


 ふわりと、シェスティンは温かいものに包まれた。トーレの胸に軽く頭を押し付けられて、後頭部に添えられた彼の手で優しく撫でられる。


「――よかった」


 カッと顔に血が上り、彼女の鼓動が跳ねる。


「と……とととトーレ……」

「ごめん。でも、今だけ許して。彼等と住んでるのかい?」

「そ、そう、だけど」

「そうか。もう流れなくていいんだね。誰かと暮らしていける」


 トーレの力はほとんど感じられず、シェスティンが体を離すのに無駄な力はいらなかった。そっと見上げると、トーレは静かに微笑んでいた。


「あ、あの。モーネといた黒っぽいのは、彼女の遠い親戚というか、そういう感じで。たまたま、ワタシも知ってる奴で」


 うん、とトーレは頷く。


「もうひとり、いたのは……」


 シェスティンは自分を離したトーレの手を追いかけて掴まえた。


「あれは、スヴァットの本当の姿なんだ」


 きょとんとトーレの瞳が見開かれた。


「スヴァットは猫になる呪いにずっとかかってて、他の呪いも持ってて……呪いが解けたんだから、好きにしていいのに、ワタシの用心棒をやるって言って……」


 なんだか子供のいい訳みたいだと、シェスティンは頭を振った。


「トーレとは、約束を反故にしに来たんだ」

「え?」


 とたんに、トーレの顔が厳しくなった。


「初めに、友達以上にはなれないと言ってしまったから。元に戻れるなんて思ってなかったから。でも、今はこうやって手も荒れるし、傷もつくし、病気にもかかる。これからはトーレの薬に沢山世話になると思うし……話してないこともいっぱいあって……だからってわけでもないんだけど……トーレともあれはナシにしてまた一から友達として……」


 トーレは少し考えてから、ぷっと吹き出した。


「シェス、それを男の手を握って言うのは反則じゃないかなぁ。それに、一からは無理だと思う」

「だ、だめ、か?」


 少し寂しそうに掴んだ手を引っ込めようとしたシェスティンの手を、今度はトーレが追いかけて掴まえる。


「だって、君の黒猫がすぐ傍で君を口説こうとしてるんだろう? 一からなんてまどろっこしいことしてたらすぐに持っていかれるじゃないか。店に来た時のも牽制だったってわけだ。こんな可愛いことされたら、負けたくないなぁ」


 掴んだシェスティンの手を持ち上げて、彼は荒れた指先に優しくキスをした。夕陽の色だけではないあかに染まるシェスティンに勝気になった瞳が笑いかける。


「あの猫君相手だと、結構厳しいかな」

「か、髪の触り心地以外は面影はないぞ」

「髪?」


 彼は自分の頭に手をやってから、強敵だな、と呟いた。


「じゃあ、帰って改めて挨拶しようかな。見た感じ年齢も俺とそう違わない感じだったし、遠慮はいらないよな?」

「え? う、うん。たぶん? あの、でも、信じるのか? ワタシのことだって、話を良く聞いてから……」


 トーレは歩き出しても彼女の手を離そうとしなかった。


「信じるし、聞くよ。なんで俺に無愛想だったのかとか、納得いくしね。君の話もちゃんと聞かせて。彼が知ってること全部。それで、やっと対等だ」


 シェスティンはくすぐったい指先に視線を落とす。


「……飽きたら言ってくれよ? 長い長い、むかしむかしの話だから――」


 赤い夕陽が照らすお城の堀の中で、シェスティン達の背中を追いかけるように、ウシガエルがヴォォと一声鳴いた。




 ...and they lived happily ever after.




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