Epilogue

E-1

 初夏の日差しが木々の間をすり抜けて降ってくる。

 そよぐ風に枝葉が揺れると、それに合わせて光も揺れる。足下は零れる光を受け止めようと雑多な草々が背伸びをしていて歩き辛かった。


「……冬の方が良かったんじゃね?」


 一番ぼやいているのはリオだ。


「冬はモーネにはキツい。ここいらは春も夏も遅いから今がベストだ」


 野営用のテントと食料、寝袋を背負ってシェスティン達は北へ向かっていた。たまに足場の危険な場所はラヴロがモーネを抱えて行く。

 うっかり出会う野生動物たちは一目散に逃げ出すか、ラヴロに狩られて食料になるかだった。


「帰りは西側に出て、海岸線を行った方が楽かもな」

「西……俺、山道覚えてねーや」

「お前は寝てただろう」


 そういえば? とリオはのんきに首を傾げる。


「ラヴロ、そこ正面を抜ければ谷に出る。ワタシ達は回り込むが、先に行ってテント準備してくれてもいいぞ」

「寒いのは苦手なんだがな」

「真冬よりはマシだろう?」


 ひょいと肩を竦めて、ラヴロはモーネを見下ろした。


「ちと危ないが、行くか?」


 モーネは一も二も無く頷いて、ラヴロに飛びついた。


「頼む」


 ひらひらとシェスティンに手を振って、モーネを抱えたままラヴロは斜面を軽やかに登って行く。背には人一倍荷物を背負ったままで。

 彼がその力を残していてくれてずいぶん助かっている。火を熾すのも、ちょっとした藪をはらうのも時間がかからない。今日、この日の為という訳ではなかったのだろうが、もしかしたらそういうことも見越していたのかもしれないと、シェスティンは思っていた。



 ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇



 『大陸の傷コンティネントソール』を後にして街に戻ってからは忙しかった。

 身形を怪しまれない程度に整え、住むところをどうにかしなければならない。ラヴロの名残惜し気な視線を振り切って宝石類を現金にし、当座の資金とした。

 幸いなことに、森を少し入った所に打ち捨てられた木こりの家と思しきものがあって、そこに住み着くことに文句を言う者はいないようだった。軽く根回しはしたものの、おおむね快く受け入れられ、修理と増築をして体裁を整えた。


 ラヴロは思ったよりも楽しそうに人の世を見て、力が余ってるからと積極的に工事に参加していた。見張りも兼ねてシェスティンやリオも顔を出していたのだが、少し変わった人、くらいの認識で受け入れられているようで、結局いつの間にか皆で作業に参加することになり、休憩時には交代でモーネの勉強を見ていた。


 お陰かどうか、半月ほどで住めるようになった家に四人で――気付いたら金銭的な交渉、管理はリオが請け負っていて、追い出せる状況ではなかった――暮らし始め、基盤を整えたり約束事を決めたり、日当たりのいい場所に小さな畑を作ったり……ようやく落ち着いた頃にはどっと疲れが出て何もしない日が続いたりもした。


 そうやってリオの体調も本格的に戻ってきたので『白き竜』の眠る地に行ってみることにしたのだ。

 真夏では草木が茂りすぎて進み辛い。雪道はモーネにはきついだろう。外での寝泊りも考えると春から夏へ移りゆく今が最適のような気がした。

 現地はこの城下町よりかなり北にある。山には春が来たばかりだろう。



 ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇



 何気なく突き出した葉を払うと、シェスティンの手の甲に痛みが走った。彼女が顔を顰めて確かめると、短くだが切り込みが入っている。深くはないようだが、見ているとじんわり赤い一の字になった。

 建築作業中も普段のうっかりした時にも感じるようになった痛みと傷。水仕事で手も荒れている。彼女が傷に舌を這わせると、ちりちりとした痛みが居座った。


「こら」


 その手をリオが引く。

 シェスティンの腰の鞄から片手で器用に丸い薬の缶を取り出すと、もうほとんど無くなった薬を指でかき集めて塗り付けた。


「この程度に、もったいない」

「この程度、じゃない。酷くなってからじゃ遅いんだ。無くなったならもらいに行けばいいだろう? 新しい薬屋ができたって耳に入ってる。あいつの店だろう?」


 その噂はシェスティンも耳にしていた。彼女達が主に通うのは森に近い北西側の商店街で、トーレに借りた店は城に近い中央の繁華街。行動範囲が違うのでわざわざ見に行くことはなかったのだが、『良く効く傷薬の店』と噂なのは多分、トーレの店だ。

 開店祝いを持って会いに行かなければと思いつつ、ずるずると日々が過ぎ、自分も使うようになった傷薬を見るうちに、彼女は会ってもいいものかと迷うようになった。


 呪いが解けた時、人に姿を変えた時、情熱的だと思った彼等も今は別のことに夢中に見える。死なぬ特性を無くして普通の『人』になり、呪いの魅力も無くなったのなら、自分への興味など薄れていてもおかしくはない。忙しいところに押しかけるのは迷惑ではないのか。素性の知れない女がウロウロしていては店の評判にも傷がつくかもしれない。第一印象は大切だ。もう少し落ち着いた頃に……そう思って今に至ってしまっている。


「せっかくあんたの呪いも解けたのに、何を遠慮してるんだ? あ、分かった。次に迫られた時に断りようがなくて怖いんだ」


 にやにやするリオをシェスティンは睨みつけた。


「トーレはお前みたいに軽くない。信用商売なんだ。変な人間が気軽に会いに行かない方が」

「変じゃないだろ? あの店のオーナーじゃないか。様子を見に行かない方がおかしい。じゃなくても、客として薬を買いに行くのに何の問題もないよな? シェス、あいつと最後に会った時に何かあったのか?」

「何もない」


 シェスティンはリオを反転させてその背中を押しやる。


「じゃあ、早く行ってやれよ。あんたが行きたくないってんなら、俺が行ってやってもいい。世間話であることないこと喋っちまうかもしれないけどなー」


 彼女はリオの背中を拳で殴りつけた。彼の口の軽さは冗談ではなく信じられない。真実だけを告げられるのなら諦めもつくが、まで吹聴されてはたまらない。


「……っ。なんだよ。今までと同じ顔してればいいだろ? あんた、得意じゃないか。痛いくせに、平気そうな顔すんの。そうやってあいつと綺麗に別れてくればいい。そうしたら俺が慰めてやれる」

「なんでっ、縁を切る前提!? もう、切らなくてもっ」

「そうだよ。切らなくてもいいんだよ。なのに、何してんの?」


 肩越しに、心底不思議そうにリオが振り返った。

 何してる? 何してるんだろう?

 リオもラヴロも程よい距離を保ってくれてる今の状況は心地いい。モーネもお喋りなリオに懐いているし、ラヴロには人としての先輩面を時々ぶつけている。

 この状態をトーレに知らせるのが、嫌? 彼の気持ちを知っていて、子供もいるとはいえ若い男二人と暮らしてるなんて、言えない? 例え、何もないのだとしても。

 トーレは何も言わないだろう。よかったと喜ぶ顔さえ見せるかもしれない。けれど、その後彼はまだ友達でいてくれるだろうか。そんな、こちらにばかり都合のいい関係を押し付けたくはない。


「――わかんないよ!」


 シェスティンのぐしゃっとした気持ちを乗せた声に、リオはぎょっとして慌てて前を向くと、後ろ手に彼女の手を取って歩調を速めた。


「なんだよ。泣くなよ」

「泣いてない」

「……俺か? 俺が、出て行けば……ラヴロはモーネの保護者で通るもんな」


 シェスティンは繋がれた手を少し強く握り返す。

 彼女は彼の口の軽さを信じてはいなかったが、彼の中身まで疑ったことはなかった。スヴァットはいつでも彼女に寄り添ってくれた。手を貸してくれた。慰めてくれた。そこに彼の口に登る軽さはなかった。本当に、黙っていればいいのに。


「いまさら、追い出したりしない。支払いのあれこれもわからなくなる」

「あ、は。サイフ握っといて正解だな」


 ……黙ってればいいのに。


 強く、シェスティンは思う。


「しゃーねーなぁ。みんなで押しかけるか」

「は?」

「話しちまえばいいんだよ。全部。あいつに渡すのはラヴロの鱗だろ? 信じるかどうかは向こうの勝手だ。あんたがスヴァットを可愛がってたのはあいつもよーく知ってるだろ? 捨てられなくても仕方ないって思ってくれるさ」

「か、可愛がってたとか、自分でっ」

「可愛がられた、自覚はあるけどな。猫のままでいようかと思ったくらいには」


 そのまま、シェスティンの思いが通じたかのようにリオは黙り込んだ。繋いだ彼の手の温度が少し上がる。

 ようやく谷に抜けて、こちらに手を振るモーネが見えると、リオは繋いでいた手を離して大きくそれを振った。

 手を繋いでから一度も振り返らなかったリオの背中を見つめながら、シェスティンはやっぱりあまり黙られると困ると、勝手なことを思っていた。




 北の谷はひんやりとしていた。

 氷りついた亀裂からは絶えず冷気が噴き上がっている気がする。

 日の当たらない山肌には雪が残り、陽が傾けば息も白くなるに違いない。


 それでも強さを増している日差しに雪や氷が溶かされるのだろう。何処からかちょろちょろと水の流れる音がしていた。

 ラヴロがすでに張り始めていたテントをリオが手伝いに行っている間に、シェスティンは氷の上にいたモーネの隣に歩を進めた。

 透明度の高い氷の中に血をにじませた白竜が見える。


「母さん……」


 モーネがしゃがみ込んで、うっすら水の浮く氷の表面に掌を押し付けている。


「……モーネ。ごめん」


 『白き竜』を傷つけたことも。『白き竜』を止められなかったことも。

 シェスティンは胸に手を当てて静かに黙祷した。


「シェス。連れて来てくれてありがとう」


 シェスティンが目を開けると、モーネが赤くした瞳で彼女を見上げていた。


「それから、母さんに付き合ってくれてありがとう」

「……それは」

「これを見たら、母さんがその場の思い付きでやったんじゃないってわかるわ。きっと念入りに準備したのよ。そういうひとだったもの」


 「時間がない」と語っていた『白き竜』がシェスティンの脳裏に浮かぶ。確かに、あそこで呼び止められるのは想定してなかったのだろう。


「それにね」


 モーネはにこりと笑う。目の端から一筋涙が零れ落ちた。


「竜は独り立ちすると親も子もほとんど関わりあわないの。でも、母さんがここに眠っているのなら、私は何度でも会いに来られるのよ。叱られずにね。何処とも分からない場所で死なれて腐り落ちて風化してしまうよりは、このままここに閉じ込めておく方がいい。いつか、この氷が融けるまで」


 ぎゅっとシェスティンに抱き着くモーネを、彼女はそっと抱締め返した。


「ありがとう……モーネ」

「ううん。思ったよりもずっと綺麗。母さんなら、氷が融けだせば、大あくびして「よく寝た」って言うわ。勝手に掘り出したりするほうが叱られそう。「私の計画を台無しにするな」ってね」


 小さく肩を竦めて、モーネは溜息を吐いた後、小声で笑った。


「母さんってね、こう見えて意外と細かくて。きっちりと計画を立てて順番に物事をこなすタイプだったの。不測の事態まで予想に入れて、何があっても動じない。弱いと思われるな、見目にも気を張れって何度も言われたわ」


 一度言葉を切ると、モーネはラヴロをゆっくりと振り返る。


「シェスがいない間、彼といてびっくりした。物の置場ひとつ決まってない。何か聞いても好きにしろ、と。刃物の扱いが危なっかしい、怪我でもされたらシェスにどやされるって、そこだけはうるさくて」

「ワタシが怒ったところで、あいつはちっとも聞いてないがな」

「ふふ。そんなことないのよ。見えないところでへこんでる。竜はみんな見栄っ張りなのね。母さんが彼を選ばなかったのも、そんな気持ちが邪魔したんじゃないかな。だって、嫌いな割には何度も話をするのよ。強い者には惹かれるから。本能的にね」

「そう、なんだ」

「計画した子作り相手を選ぶ手順を全部蹴散らして「俺にしろ」なんて、確かに母さんには許せない事態だろうし、それを諌めようとしたのに軽くあしらわれて『白雪スネーヴィート』なんて可愛らしく呼ばれたら、母さんのプライドはズタズタだと思うもの。シェスに色々託そうと思ったのも、あなたが彼の知り合いだとわかったからかも」

「ラヴロには会わせたくないような事を言ってたぞ?」

「理解できない相手だもの。でも、彼は強い。彼と上手くやってるあなたが仲介するなら、悪くないと思ったんじゃないかな」


 モーネは『白き竜』を見下ろして、足でタンタンと氷をつついた。


「娘の居場所と、人になっていることを伝えてくれれば、もっと早く……」


 シェスティンは言いかけて、『白き竜』が別に彼女を信用していたわけではないことを思い出す。通りすがりの人物にそこまで言うはずがない。


「教えられても、私、あの家にいなかったでしょ? 同じよ。ちゃんと助けてもらったから、やっぱり母さんは凄いの」


 誇らしげに語るモーネは一度身体を震わせるとシェスティンの手を引いた。


「冷えてきちゃった。さ。明るいうちにご飯の用意しなくちゃ!」


 いつもは誰も居ない竜の眠る谷に、その夜、楽しげな笑い声が夜更けまで響いていた。




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