5-7 戻ってきたもの

 話が決まってしまうと、モーネはリオに事の顛末をねだった。彼は彼女の期待を裏切らないように面白おかしく語って聞かせる。時々脱線しては好き勝手に語られる捏造話に、シェスティンは都度訂正を入れなければならなかった。

 興奮気味に夜通し話そうかという勢いの二人を、シェスティンはいいかげんで引き離し寝かしつける。話など、この先いくらでもする時間はあるから、と。


 まだ眠くないと言うその口で欠伸をするモーネも、疲れがピークのはずのリオも身体を横たえてやれば程無く寝息をたてはじめた。

 先が思いやられるな、とシェスティンは肩で息を吐く。


「毎日こんなんだぞ。後悔してるんじゃないか?」


 眠っているようなラヴロに近付き、シェスティンはそっと声を掛ける。


『……何故起きてると思った』

「うるさくて寝られないだろうと思ったんだよ。長い付き合いだろ?」


 片目を開けたラヴロに彼女は笑いかけた。


『すぐに慣れる。お前も寝ろ』

「寝るさ。入れてくれ」


 きょとんとした、あまり見ない竜の間抜け顔にシェスティンは吹き出す。


「そんな顔もするのか」

『……失礼なっ……場所はある。好きなところで眠れば――』

「最後じゃないか。もう二度と寝られない場所で寝たい」

『朝になって潰れていても知らないぞ』

「大丈夫だ。ラヴロは一度たりともワタシを潰したことはないよ」


 しばし見つめ合った二人だったが、観念したようにラヴロが腕を開く。


『人になったら、いくらでも抱いて寝てやる』

「……っ、いや、それは、遠慮……する」


 にやりと笑うラヴロの腕の内側でその体温に寄り添いながら、シェスティンは困ったように微笑んだ。


「ワタシは、竜のお前が好きなんだ」

『……そんなことは、知ってる……』


 小さな笑いの後はラヴロの目も閉じられ、それっきり、言葉はなくなった。



 ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇



 朝になっても洞窟内は薄暗い。

 疲れていたのだろう。シェスティンもラヴロに身体を預けたままぐっすりと眠っている。いつも通りに起きたのはラヴロだけだった。

 彼は彼女を起こさぬように身じろぎもせず、そっとその寝顔を見つめる。彼女と過ごした記憶の欠片が次から次と湧いてきて、愛しさと共に苦さも広がった。


 常に確かめずにはいられなかった。彼女が戻ってくることを。傷つけたいんじゃないのに、時々突きつけられる種族差の壁にイライラをぶつけることだってあった。それでも、彼女の傍にいてやれるのは自分だけだと。名をやり、人になれば、傷つけずに抱き締めてやれるのだと。そう信じていた。

 なかなか名を呼ばない彼女を恨めしくも思った。所詮、人は人がいいのかと。彼女が何を抱えているのか、知っている気になって――


 真名まなを呼ばれた瞬間、もっと気持ち悪い思いをすると思っていた。自分の意志と違うことを強制されるのだ。けれど、どこかで思っていたからだろうか。彼女は猫を殺させはしない。我が彼女を護るために、彼女を悲しませる選択をすることを良しとしない。だからだろうか。彼女の支配は心地いい。やめろと命じられた瞬間でさえ、喜色の方が勝った。

 それとも、それが名を縛られるということなのだろうか。誰に縛られても同じ思いをするのだろうか。そうだとすれば、確かに恐ろしい。

 そこまで考えてラヴロはいいや、とそれを否定する。

 もしそうなら、世の中にはもっと人に名を渡すものが溢れていて、今頃は血で血を洗う殺伐とした世になっていたに違いない。


「何よ。にやにやしちゃって」


 いつの間にか起き出してラヴロの傍に来ていたモーネがぼそぼそと言った。


「彼女にはちゃんと真剣に想ってくれる『人』がいるんだから、邪魔しちゃダメよ」


 竜は黙って呆れたような瞳を向けた。それから死んだように眠っているリオにも。


「スヴァットはどうなのかわからないけど、もうひとりいるのよ。事情をよく知りもしないのに、熱心な人が。彼は力はないけどお金と地位を持ってる。性格もいい。彼に会っても、いきなり殴りつけるような真似はしないでね?」


 大きな琥珀色の瞳と小さな琥珀色の瞳がぶつかり合って、ラヴロは静かに鼻息を吹き出した。


「あなたが頑張るのも止めないけど……」


 遠慮がちに付け加えられた言葉に、思わずラヴロは喉を鳴らした。シェスティンが身じろぎする。


『……起こしてしまったではないか。心配いらぬ。お前も、好きにしろ』


 ぼんやりと身を起こして、シェスティンは何の話かと首を傾げた。




 リオも叩き起こすと、とりあえずラヴロの集めた宝石やその辺に転がっている鱗を入るだけ二人の背負い袋に詰めていく。売り払えば当面の生活費に出来るだろう。

 袋がいっぱいになると、ラヴロは二人を崖の上まで連れて行った。その間にシェスティンは隣の小さな泉でさっと身を清める。ラヴロには必要ないと言われたが、儀式の前はそうやって身も心も引き締めたかったのだ。

 彼女は元のように着替えてローブまできっちり羽織り、ねぐらの前で待つラヴロの前に立つ。


「他に準備はないのか」

『人とは違う。別れを言う相手もいない』


 シェスティンが頷き返すと、ラヴロは今までにないほど柔らかく笑った気がした。

 視線を合わせて、何度か頷き合い呼吸を合わせる。

 やがてラヴロの口から高く低く、細く続く音が奏でられる。曲のようにも聞こえるそれに合わせるように、シェスティンは教えられた口上を重ねていった。


 ――天に地にあまねく満ちる輝きを……その現身うつしみから溢るることわりを……


 スヴァットの呪いが解ける時に彼が纏っていた様な、うっすらとした光の膜にラヴロが包まれていくと、彼は喉を震わせながら全ての鱗を逆立てた。

 声が途切れることはなかったが、顔を歪める様子は苦痛を伴っているように見える。何も心配はいらない。そう言っていたはずなのに。

 シェスティンは口上を中止しようかと思いかけたところで、ラヴロにきつく睨まれた。

 心配ながらも続けていくと、光は光量を増し、ラヴロを完全に隠しきった。かと思うと石や岩をいっぺんに辺りに撒いたようながしゃがしゃいう音と軽い地響きが起きる。

 思わず息を呑んだシェスティンにラヴロの唄が続けろと催促した。


 ――……その名、ラブロードリッド。新たな器に汝を留めん……。


 口上が終わると、ラヴロの唄も追うように小さくなって消えていった。凝縮された光は少しずつ分散していき、その場にはもう見上げるような竜はいない。

 黒い物に囲まれ、肩で息をしながら、その人物は気丈に口角を上げる。


「上出来、だな」


 褐色の肌、筋肉質な大きめの身体に釣り上がった琥珀色の三白眼。黒っぽい短髪を一撫でして、男は辺りの黒い物を蹴散らしながら少し呆然と彼を見ているシェスティンに近づいて、抱き上げた。


「シェス、どうした。お前は痛くも痒くもないだろう?」

「……お、おま、えは痛いのか?」

「……まあ、少し? 大したことはない」

「何か、問題があったのか? ワタシが間違ってたり……」


 不安気なシェスティンを笑いながらぎゅっと抱締め、ラヴロは何でも無いように言葉を繋ぐ。


「口上など多少違っても問題無い。鱗を全部剥がしたからな。ちょっと皮膚が薄くなったかもしれん」


 ぎょっとしてシェスティンはラヴロを押しやった。離してはくれなかったが。


「そういうものなのか?!」

「普通はわざわざしないな。だが、お前は必要だろう? 金になるならすればいい。我にももう必要ない。これで最後だがな」


 いびつな円形に積もる鱗は何枚あるのだろうか。ラヴロの額に浮く汗を見ると、無理をしたんだということが解る。


「……ラヴロ」

「ふふ。心配するな。この位じゃ我は弱体化なぞせん」


 ラヴロは片腕で彼女を抱え上げたまま、もう一方の手に持っていた物を差し出した。シェスティンより一回り大きい彼の手に余りそうなくらいの大きさの黒っぽい灰色の石。松明の炎の灯りに青や緑の反射が見える。少し傾けると赤っぽい色も入っていて日の下で見たならもっと綺麗だろう。それはまさに彼の鱗の色でもあった。


「やる。売り飛ばすのも、何か加工するのも好きにしろ」

「……これ」

「我の力の結晶だな。美しかろう?」

「これ、もしかして、戻る時に必要なんじゃ……!」

「もう戻らん」

「そんなこと言って、ワタシより長く生きたら戻りたくなるかもしれない」


 ふるるとラヴロは首を振る。


「割っても、欠片でもその分力は弱くなるが問題無い。どうしてもというなら欠片を加工して我に与えろ。お前からの贈り物なら受け取ってやる。モーネの母の形見を見たか? あやつも自身の石を割って子に残してる」


 彼女は皮紐で括られた水晶の欠片を思い出した。モーネにムーンストーンの首飾りを身から離してはダメだと語ったという話も。それらは彼ら自身と言ってもいいものだったのだ。


「ああ、そんな顔をするな。慰めたくなる」


 そっと額に口づけを落として、ラヴロはもう一度シェスティンを抱きしめた。


「ラ……ラヴロ?」

「いっときは、人になったらお前を抱いて我の物にしようと思ってたんだがな」


 思いがけない告白と、まだ何も身につけていない彼の格好にシェスティンは彼の腕の中で身を固くする。


「そ……そんな、ことを? だって、お前、人間は、嫌いだって……」

「そんなことも言ったな。まあ、名を呼ばれた時点でそれはどうでもよくなったから安心せい」


 少し身を離すと、ラヴロはにやりと笑った。


「お前が誰とどうしようと、一番深く繋がってるのは我だからな。好きな奴と一緒になり子を作ればいい。ただし、あんまり情けないやつを選んでくれるな?」

「お、お前の基準はわからん!」

「なに、我を選んでくれてもいいぞ。存分に相手をしよう」


 シェスティンのかっかと上気している頬にラヴロの唇が触れる。


「拒否はないのか? 我が口説いてもいいのか?」


 笑いながら離れるラヴロを直視しないように、彼女は両手で自身の顔を覆ってしまった。渡されたラヴロの石が火照った顔を冷やりと冷ます。


「や、やめてくれ。今は、心が動きすぎて、自分が解らなくなるんだ。スヴァットといい、お前といい、どうして、急に……」

「急ではないぞ。人の姿でないものがそれを口にしたところで説得力なぞないだろう? この姿になったから、お前の胸も騒ぐ。心配するな。我は積極的にそうする気もないし、邪魔する気もない。お前が、傷ついたり涙したりしなければな」


 ごそごそと手早く衣類を身につけている気配が止むと、ラヴロはまたシェスティンの前まで戻ってきた。サイズが合わないのか、面倒だったのか、シャツのボタンはひとつもかかっていない。


「さあ、それを仕舞え。好きにしていいとは言ったが、目の前で投げ捨てられるのは我でも傷つく」

「そ、そんなことしない!」


 腰の鞄に大事にしまい込むと、ふふん、と笑ったラヴロが今度は彼女を横抱きにした。


「え……ちょっ……」

「掴まっとれ。行くぞ」


 自分で、と言いかけて、シェスティンはふわりと重力から解放される感覚に思わずラヴロのシャツを掴んだ。数秒後に着地の衝撃。ふむ、とか、まあ、とかぶつぶつ言いながら、ラヴロは塒の前を行ったり来たり、人より長い距離を跳躍している。

 口を開くと舌を噛みそうで、仕方なくシェスティンは黙ってラヴロに身を任せるのだった。



 ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇



 嬉々として戻っていくようにも見えるラヴロを見送ると、モーネとリオは一本の木を背もたれに座り込みを決めた。

 天気は上々、風もそよぐ程度で視線の先には鳶か何かが輪を描いている。


「時間、かかんの?」


 同じ木にもたれかかるモーネに訊いてみると、琥珀色の瞳がリオを見上げる。


「……そんなには。心配?」

「心配は、そんなに」


 興味があるだけ。と、続けていいものか迷って、彼は口にしなかった。

 人魚も竜も確かに目の前で会ってはいるが、うち半分以上は人の姿だ。どうにも実感が薄い。ラヴロが人になるところを見られれば納得するかとも思ったが、真名を使うので他の者は立ち会えないと追い出された。

 今のリオはモーネの護衛、という役どころだ。


「スヴァットは、私達がいたら邪魔よね……せっかく人の姿に戻れたのに……」


 落ちていた小枝で地面をつつきながら、モーネは小さく嘆息した。

 妙なところに気を使う少女をリオは少し笑って、ぐりぐりとその頭を撫でてやる。


「可愛い子がいるのは全然邪魔じゃない。むしろ嬉しい。ラヴロも……邪魔と言えばそうだが、俺一人じゃはったりくらいにしかならないのは自覚してるからな。純粋な用心棒としては頼りになるんじゃないか? あいつはシェスにダメだと言われれば手は出せないんだし。追い出される前に稼ぎ頭として立場を主張できるよう頑張るよ」

「稼ぎ頭?」


 きょとんとしたモーネににっと笑って見せる。


「これでも商売人の息子でね。とりあえず、財布は握らせてもらおうかと。シェスだって金の勘定適当だろ? 用心棒の椅子を取られたら、後は居座れる理由はそのくらいしかない」

「シェスを好きだからでいいじゃない」

「……んー。まあ、男としてはそれだけってのは、ちょっと、プライドというか……」

「トーレは人間出来てるもんね……強敵ね」


 うっと胸に手をやるリオをモーネは小さく笑う。


「もし、シェスがトーレのお嫁さんになっても、スヴァットはいてもいいわよ。次の恋が見つかるまで、慰めてあげる」

「……ありがたい、けど、それどこで覚えたの? お子様が言うにはちょっと過激だから、他の男には言わないように。あと、俺が失恋前提なのもやめて。もうひとつ言うなら俺は『リオ』なんだけどな」

「え? リオ? リオ、リオ……気を付けるわ。ね。過激って思われるってことはこれはやっぱりベッドの中でって意味なの?」

「え? あー。あー。そう、取るやつもいるってこと、かな?」


 あどけない顔した少女の真面目な追及にリオはたじろぐ。解ってないのだろうと思っていたのに、子供だと侮ってはいけないと彼は気を引き締める。

 さりげなく話題を昨夜の続きに持っていくと、モーネも乗ってきたのでリオは心の中でほっと胸を撫で下ろした。


 興が乗ってきたところで、浅黒い肌の男が崖の向こうから飛び上がってきた。

 リオはとっさにモーネの前に一歩出て、シェスティンに借り受けた剣に手を伸ばす。


「……ラヴロ」

「え?」


 リオの背中に手をかけて、モーネが覗き込むようにして呟く。

 男は着地すると辺りを一瞥してからリオの方に向かってきた。抱えているのは――


「お、下ろせ。着いたんだろう? お、お前はただびとになる気はないんだな」


 腕の中で身じろぎするものをものともせず、にやにやしながらその男はそのままリオとモーネの前でぴたりと足を止める。

 陽に透ける短髪は黒ではなく濃い灰色で、鋭い瞳は琥珀色だ。


「黙っていればわかるまい。お前たちを護るのなら、必要だ。なにせ固い鱗も羽もない」


 ようやく男の腕から解放されたシェスティンは一度呆れたような瞳を男に向けてから、リオに向き直った。


「待たせたな。何もなかった、よな?」


 モーネを庇うような体勢に、彼女は少々訝しげな顔をした。


「咄嗟の判断力はまあまあだな」


 鼻で笑われるも、リオは褒められたと思ってぐっと我慢する。剣を持って挑んでも、その手で喉を抉られるような気がした。シェスティンの言いようからも、先程の跳躍を鑑みても見た目以上の力を内包してるのだろう。

 見た目だってなよなよしてる訳じゃない。貼りついた服の上から筋肉の形が見て取れた。

 モーネがリオの横をすり抜け、ラヴロに近寄ってまじまじと彼を観察しはじめる。


「意外と、若いのね。もっと年をとってるのかと……」

「見た目も、力も、形をとる時にある程度はコントロールできる」


 ぱちんと指を鳴らすと、その指の先に小さく炎が揺らめいた。


「……ちょっ……それ、人前ではやるなよ?!」

「この程度、大道芸だと言えばなんでもない」


 慌てるシェスティンにラヴロは軽く笑っている。確かに、とリオも思う。一度広場でやってみようか、とも。


「なんか、ずるい」


 ぷっと頬を膨らませたモーネの鼻先を、ラヴロは指で軽くはじいた。


「言ったではないか。子はこれから力が増える。見た目は幼い方が庇護してもらいやすい。お前の母は随分気を使ってお前をそうしたのだ。何もかも安定した我とは違う」

「そう、だけど……」

「お前は成長と共に覚えねばならぬことがある。感覚的なことだから、出来るヤツはすぐできるが出来ないと言われると教えるのは大変だ。できるだけ手助けはしてやるが、心しておけ」


 鼻先をさすりながら、モーネはこくりと頷いた。


「……一緒に暮らすなら『父さんファール』と呼んだ方がいいかしら」

「……んなっ……」


 一瞬動きを止めて言葉に詰まったラヴロに、モーネはしてやったりといった笑顔を向けて軽やかにシェスティンの後ろに隠れるのだった。




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