5-6 望んだもの

 ラヴロはいつもより慎重に飛んでいるようだった。

 あんなに拒否していたのに、結局シェスティンは後ろからリオに抱え込まれるような形で一緒にラヴロの背に乗っている。確かにお互いの体温で暖かいけれど、彼女は落ち着かない気分で急ぐようにとラヴロに何度もお願いしていた。

 彼は全く聞く気が無いようだったが。


「ラヴロ、あまり低く飛ぶと……昼間だし……」

『うるさい』


 と、万事がこの調子だ。


『我も不本意だ』

「……ごめん」


 理由が何処にあるのかわからないまま、シェスティンは謝罪を口にする。なんとなく、自分が普通の人となって戻ってきたことが気に障ってるのではないか、と彼女は思っていた。

 風に遊ぶ短くなった髪を片手で押さえ、シェティンはラヴロがそれに驚く顔を思い出す。

 傷ひとつ残らなかった体はもう何処にもないと、一目で理解したらしい。何度も彼女を手に掛けた彼ならではかもしれない。


『お前が謝る事ではない』


 そう言われても不機嫌なのは声に表れている。

 シェスティンは黙って彼のゴツゴツした背びれをそっと撫でた。


「……余計なお世話だと思うけど。シェス、彼が不機嫌なのは俺のせいだからね? あんた、変なところ疎いよな」

「……え?」

「こうやってあんたが万が一にでも落ちたりしないように俺に求めてるけど、自分の背でベタベタされるのは気に食わないんだよ。だから必要以上に揺れないように飛んでる」


 聞えよがしな舌打ちと、鋭い視線がリオの方に向けられる。


「な? 本当は俺だけ振り落としたいけど、この状態ならシェスまで一緒に落ちることになるから、以前ならともかく今はもう出来ないのさ」

「なんだ。以前だって落ちたことなんてないぞ? 二人ともちょっと心配し過ぎだろう。ワタシだってちゃんとおとなしく乗ってるじゃないか。ちょっと離れればいいのか?」

『動くな!』

「動くな!」


 前後から一喝されて、シェスティンは肩を竦める。


「だから、もう遅いんだって。あんたが黙ってるのが一番の解決策だ」


 眼下には『大陸の傷コンティネントソール』が見えてきている。シェスティンは小さく溜息を吐くと、諦めの気持ちで青い空を見上げた。




 いつもの場所に降り立って二人を背から下ろすと、ラヴロはさっさとねぐらへと戻り始める。シェスティンとリオはゆっくりと後を追った。

 しばらくは良かったものの、内部はすぐに暗くなる。シェスティンはともかく、リオはなんども石や段差に躓き、危なっかしいことこの上ない。

 シェスティンが、いっそこの場に彼を置いていって灯りを持って戻ってこようかと思い始めた時、前方から揺らめく灯りが近付いてきた。


「シェース!」


 こんな場所に似つかわしくない可愛らしい声はモーネのものだった。


「無事だったの? 良かった。ラヴロが急いで出て行ったから、心配で……」

「ありがとう。大丈夫だ。私たちの感覚ではまだ半日くらいしか経ってなくて……ごめん。心配かけたね」


 カンテラの灯りに照らされるモーネの心配顔に、シェスティンの胸の奥がきゅっと詰まった。そのまま彼女を抱きしめる。


「え。わ、わ。何? って、え? シェス、これ……髪は? どうしたの?」


 モーネの顔を不揃いの髪がくすぐったようで、彼女は手探りでシェスティンの髪をまさぐった。混乱は、シェスティンの肩越しに真直ぐ伸ばされた手の先のカンテラがリオを浮かび上がらせているのに気付いてからも続く。


「えっ。誰。え? 待って、ス、ヴァット? え? 呪いが、すっかり……」

「悪いが、そのカンテラ、貸してやってくれないか。持ってきてくれたんだろう? モーネも、夜目が効くんじゃないか?」

「あ、う、うん。そう。私は明かりがなくても大丈夫なんだけど、ラヴロが持ってけって」


 モーネからカンテラを受け取ったものの、リオは不思議そうな顔で彼女を見ていた。


「……何で……モーネ……」


 シェスティンとモーネは顔を見合わせて、小さく笑う。それから手を取り合って先に歩き出した。


「細かい話は落ち着いてから!」


 塒のある場所ではラヴロが熾したのか、焚火が赤々と燃えていて傍らに何かの肉が置いてある。本竜ほんにんは自分の仕事は終わったとばかりに目を瞑って丸まっていた。


「……なんか、小ざっぱり、した?」


 シェスティンが首を捻ると、モーネが照れたように頬を赤らめる。


「落ち着かないから、ずっと片付けをしてたの。色んなものあったわよ。そうだ。スヴァットも着替えるといいわ。その残念な格好よりはマシなものあるから」


 そう言ってモーネは宝の山ガラクタ置場の奥の方にリオを誘う。


「ラヴロ、借りていいか?」


 シェスティンが声を掛けると、ラヴロは片目だけ開けて少し遠くを見つめた。


『好きにすればいい』

「服なんてあったんだな。気付かなかった」


 もごもごと口の中で何か呟いて、ラヴロは短く息を吐いた。


「奥の方にね、埋まってたの。多少破れたりしてたけど、洗ってみたら使えそうかなって。シェスの着替えにでもと用意してたのかもね」


 ひとり戻ってきたモーネがラヴロを見るけれど、彼はまた目を閉じて寝たふりをしている。モーネは肩を竦めてシェスティンに向き直った。


「食料もそろそろ尽きるんじゃないか? よく七日ももたせてたな」

「うん。それも、ラヴロがお肉だけは獲ってくれるからなんとか。もうそれしかないけど、焼くの手伝って?」


 軽く承諾して一緒に作業にとりかかる。塊から肉を削ぐのにモーネは鋏を使っていた。


「鋏もあったか?」

「あったわよ。ほんと、あそこ何でもあるわ。ナイフは危なっかしいからって、これを見つけてからはずっとこれ」


 削いだ肉はこれまたガラクタの中から持ってきたらしい細身のナイフや剣に刺していく。さっきのラヴロの遠い目の理由が少し解って、シェスティンは苦笑した。モーネは逞しい。


「男手もあるから、少し塊でも焼こうか」


 シェスティンは辺りを見渡してかまどを作る時の岩の欠片を探す。その辺に転がっているはずだった。いくつか目についたものを拾い集めていると、着替え終わったリオがやってきた。

 薄目を開けてその姿を追うラヴロを警戒しながらも、動きやすくなったお陰かその足取りは軽い。


「シェス、ローブ返す。助かった」

「その辺の岩の上にでも置いといてくれ。どうせ作業中だ」


 きちんと畳まれた黒とグレーのローブを手近な岩の上に置くと、リオは駆け寄ってきて欠片を運ぶのを手伝ってくれた。


「そうしてると、傭兵に見えなくもないな」


 竜退治に来た者の服だったのだろう。簡易な胸当てと幅広のベルト、編上げのブーツというアイテムだけで雰囲気が変わる。


「強そう?」

「軽そう」


 そっちかよとぼやく姿に、モーネが笑っていた。

 長めの剣を探し出し、塊肉を貫いて火にかける。焼き加減を見ながら火の周りに落ち着くと、リオが「で」と促した。


「モーネが何でここで、竜と仲良くやってんの?」

「私はスヴァットがどうやって呪いを解いたのか知りたいけど」

「それは、後で」


 ちょっと肩を竦めて、モーネは一度シェスティンに視線をやる。大丈夫だと彼女が頷くと、ややうつむきがちに口を開いた。


「……白い竜に会ったでしょ? あれが、私の母さんなの」


 リオは、ん? と一瞬考え込んで、それから慌てたようにシェスティンに視線を向けた。


「大丈夫。その話はもう終わってる」

「あ……そう、か?」


 それから彼は不躾とも言える目線でモーネを観察した。


「すげぇ……言われても全然わからん。可愛らしい娘だな、とは思ってたけど……」


 居心地悪そうに眉を顰めていたモーネは「可愛い」に反応して、少し頬を赤らめた。


「あ、で、でも私はまだ未熟だからあんまり感情が高ぶりすぎると目に表れるから気を付けなさいって、母さんが……」

『成長期だからな。限界まで結晶化させたとしても、成長分までは取り出せない。成人する頃には普通の『人』とはどうしても少し

「え? 何を取り出すって?」


 離れたところから話に参加してきたラヴロをシェスティンは振り返った。体勢も瞑った瞳も変わってないが、意識だけは向けているらしい。


『端的に言えば『力』だ。単純に躰の大きさだけでも随分違う。小さく纏めようとすればそれだけエネルギーが余ることになる。それを結晶化させることで外に出すのだ。だが、仔のうちに人の姿をとると、成長分が余剰となる。内に溜まるエネルギーは腕力や脚力、それぞれの特性の力となって現れたりする。我なら『火』だな。少しずつ増える物だから徐々に使い方を覚えればいいのだが、自覚できる程増えてからでは上手くコントロールできずに、瞳どころか身体の一部に鱗が生えてきたりする』


 ずらずらと並べられる言葉に、モーネは少し身体を強張らせた。そこまで詳しくは聞いていなかったようだ。


『お前の母は誰に会えとか、ここに行けとかそういうのは残さなんだか』


 ゆるりと、彼女は首を振った。


「でも、私の特性は使えるだろうから、困ったら教会に行けと……」

「教会?」

『なるほど』


 そこだけで成立している会話に、シェスティンは説明を求めてラヴロとモーネに視線を送る。


「母の特性は『氷』だけど、私は『浄化』なの。竜としては攻撃手段にならないからあんまり使えないんだけど、そういう所ならきっと喜ばれるって……」

「……確かに、聖女ともてはやされそうだ」

「でも、そうなると目立つでしょう? バレやしないかってきっと怖くなる」

『目立つようになれば同族に見つけてもらいやすいと思ったんだろう。人として紛れ込んでる奴等が保護してくれれば、と。ふむ。そういうのもアリだな』


 モーネは驚いたように顔を上げた。


「竜に戻る方法を教えてくれないの?」

『母は戻るなと言ったのだろう? どうしてもというなら教えてもいいが……この先、竜はもっと生き辛くなる。しばらくやってみてからでも結論を出すのは遅くない。それに――』


 ラヴロはそっと瞼を持ち上げて、その瞳を緩やかにカーブさせた。


『お前がシェスと行くつもりがあるのなら、我はお前も護ってやってもいい』

「え?」

「何? どういうことだ?」

『シェス、我の願いも聞くと言うたな?』

「あ、ああ……」


 何を言われるのかと、一瞬シェスティンは身構える。


『我を『人』にしろ。シェス』


 それは、いつものような遠まわしな催促ではない。はっきりと、喜色さえ滲ませて、シェスティンに命ずる。

 三者三様に息を呑む音が聞こえた後は、ただラヴロの声だけが響いていた。


『お前はもう死なぬ者ではなくなった。今までのように加減なく触れることも危うい。お前の憂いも消えた。我は長い時よりも、我が主の傍で残りの時を過ごしたい』


 モーネも、リオも、固唾をのんでシェスティンを見守る。

 それぞれと視線を合わせても、彼女に最適解は見えてこなかった。


「……モーネは、それで嫌じゃない?」


 モーネも少し言葉に詰まる。

 母を手に掛けた相手と長くいるのは苦痛ではないだろうかと、シェスティンは心配していた。


「シェスは迷惑じゃない?」

「ワタシは妹が出来たみたいで嬉しいけど……」


 笑んではいるものの、その顔には憂いが差す。


「あのね、私、人でいるなら、ううん。竜に戻っても、母さんの話をできる人っていないの。でも、シェスなら話しても大丈夫だし、ラヴロがいてくれるなら……もう少し違う話も聞けるかもだし……でも、シェスはこれから恋人だって旦那様だって作れるのに、私と彼がいたら……」

「そんなこと」


 シェスティンは可笑しそうに笑った。


「きっとしばらくは生活だけで手一杯だ。怪我も病気もしない生活に慣れすぎてる。そんな余裕はないんじゃないかな。それに、モーネを受け入れてくれない人なんてこっちから願い下げだ」

「え? そ、そう?」


 モーネはリオと、それからラヴロを順番に意味ありげな顔で見つめた。


『しばらくは、と言うてるようだが』

「同列スタートなら、悪くねーかな」

「……え。そういえば、スヴァットはどうするつもりなの?」


 素朴な疑問、という風に聞くモーネにリオはさも当然と言う顔をして答えた。


「シェスは最後まで付き合ってくれるって言ったから、付き合ってもらおうかと。あと、俺は『リオ』な」

「だから、それは呪いが解けるまでっていう意味だろ!」


 口を挟むシェスティンを、リオは聞こえないふりをしてやり過ごしている。


「体調が戻るまでは、って言ってるじゃないか」

「ええ? どこか怪我してるの? 元気そうだけど……」

「死にかけてたんだ。この身体じゃないけど、精神的なダメージみたいなのを持ちこしてるらしい」

「……そうなの……じゃあ、もしかして、それを選んだら、すごく賑やかになる?」

「無駄にお喋りだからな」


 少し的の外れたシェスティンの答えにも、モーネは嬉しそうに笑った。


「それは、なんだか楽しそう」


 もう、その顔を見てしまったら、他の選択肢は選びようもない。シェスティンは半ば諦めの気持ちで、そしてもう半分は期待を込めてラヴロに向き合う。


「わかった。ラヴロ。手伝うよ。あとで文句を言うなよ?」

『文句なぞ言わん。我が主を護れればな』

「――別に、護ってくれなくてもいいんだぞ? 主従関係を貫く気はないんだ。人になったらお前は名を奪い返してもいいんだぞ? それで自由に……」

『シェス。お前のいない自由はもう我には必要ない。我の名はお前が墓まで持っていけ。ちゃんと、我が見届ける。お前の残りの寿命なぞ、今までに比べれば瞬きの間と変わりない』

「……ラヴロ」


 琥珀色の瞳は満足気で、シェスティンはそれ以上の言葉を上手く伝えられない。代わりにその鼻先に触れると、ラヴロはまたゆっくりと瞳を閉じるのだった。




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