4-9 むかしむかし・1

 むかしむかしあるところに、小さな国がありました。

 残念なことに王妃様は王女様を生んでしばらくして亡くなってしまいましたが、王様は乳母を雇い、愛情たっぷりに王女様を育てました。

 王女様は乳母の息子と共にすくすくと育ち、少しお転婆ですが美しく成長しました。

 国の皆もこの気さくな王女をとても慕っており、姿を見かけると子供から大人まで「姫様」と親しみを込めて声を掛けるのでした。



 ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇



「シェスティ」


 馬小屋の隅の藁の上で、乗馬服を着込んだまま寝ていた姫様に、誰かが声を掛けました。


「……ん」

「シェスティ、ほら起きて。今日は衣装合わせだろう?」


 うっすらと目を開けた姫様はそこに良く知った顔を見つけて、その首に腕を回しました。


「おはよう、アルフ」

「おはよう、じゃないよ。侍女たちが困ってる」

「大丈夫よ。どうせぴったりなんだから。私はドレスなんて何でもいいんだもの」


 アルフ、と呼ばれた青年は呆れた顔で姫様の腰を支えると、彼女をそのまま抱き起こしました。


「それは俺との婚約発表はどうでもいいってことなのかな?」


 姫様の背中をぱたぱたと払って、アルフは姫様のブルーグレーの瞳を覗き込みます。


「どうでもいいわけないじゃない。これで、正式にアルフが次の王様になれるんだから」

「じゃあ、俺の為にも衣装合わせに行ってくれよ」

「うん? うん……じゃあ、ちゃんと護衛してね?」

「皆の目を盗んで馬小屋で寝てたやつが、今更護衛?」

「アルフ・ノルドルンド。あなたの仕事は?」

「王女様付きの騎士であります」


 抜けるような青空をもっと澄ませたようなブルーの瞳が、柔らかく弧を描きました。

 二人は軽く口づけを交わすと、その場を後にしました。


 姫様は十六歳。幼馴染のアルフは十九歳。喧嘩することもあるけれど、二人は離れることなど考えたことがありませんでした。

 この、姫様の十六歳の誕生日に、アルフとの婚約は発表されました。警備の人間を除いて、国民すべてが城の周りに集まって二人を祝福しています。途切れることなく上げられる花火。飛んでいくカラフルな紙風船や白い鳩。舞い散る花や紙吹雪……

 祝宴は一晩中続き、姫様はひっきりなしにダンスを申し込まれました。


 はしゃぎ過ぎたのでしょうか、くったりと疲れて、湯浴み後に亜麻色の髪の乾ききる前に眠ってしまったからでしょうか、数日後に姫様は熱を出して寝込んでしまわれました。

 王様もアルフも城の誰も彼もが心配して、代わる代わる様子を見に行くものですから、とうとう乳母だったアルフの母が怒りだし、誰も姫様の部屋に近付けないようにしてしまいました。


 うとうとと寝たり起きたり。熱が高いとぐっすり眠ることも出来ません。なんだか喉も乾いて、姫様は寝台の中で起き上がりました。

 どうやら今夜は月の無い夜のようです。姫様はろうそくに火を灯そうと寝台横のテーブルに手を伸ばしました。

 その時、ふと窓辺に誰かが立っているのに気が付きました。闇の中、顔も服装も良く見えません。


「……誰? アルフ?」


 返事はありませんでした。


「新しい人かしら。お水をついでくれると嬉しいんだけど……」


 自分の部屋でもしょっちゅう使用人が出入りしているので、この時も姫様はさして気にするでもなくその人物にそう頼みました。昼間誰も来なくなったから、寝てる間に雑用をしに来たのだというくらいにしか思わなかったのです。

 黒いシルエットの人物は躊躇いながらもカップに水差しから少し水を注いで、姫様に渡してくれました。

 姫様はにっこり笑ってカップを受けとりました。


「ありがとう」


 辺りは暗闇で、その人物からも姫様の表情を見ることはできないはずでしたが、その人物は笑った姫様の顔を見て確かに少し息を呑みました。

 カップを置いてもう一度横になろうとした姫様に、闇色の人影はそっと手を貸してくれます。布団も掛け直し、最後にひやりとした手を姫様の額に乗せました。


「……気持ちいい……」


 その手は姫様の熱に負けることはなく、いつまでも冷たいままで、姫様の熱さを吸い取ってくれるかのようでした。

 やがて姫様にまた眠気が訪れます。


「明るくなったら、名を教えてね。改めて、お礼を……」


 朝までしっかり眠った姫様の熱は目覚める頃にはほとんど下がっていて、皆を安心させました。

 けれど、誰に聞いても、夜中に彼女の部屋を訪れたものの正体は分かりません。

 乳母は「控え目な方なのですよ」といいながら、少し不安そうに窓を見遣りました。




 姫様がすっかり回復した頃、彼女は王様に呼び出されました。執務室で、人払いをして、こっそり内緒の話のようです。


「姫よ。時紡ぎを知っておるな」

「はい。この国の、皆の時を紡いでくれています。とても大切な御方です」


 王様は深い深い溜息をおつきになりました。


「彼が、そなたを妻に欲しいと言ってきた」


 お姫様は驚いて、そして反射的に「嫌です」と首を振りました。


「なぜ、私を? そもそも、時紡ぎ様は私たちと違う時を生きていると教わりました。一緒になるなど、とうてい無理です」

「そうだ。そのはずだ。だから、お前の意見も聞かず断ったのだ。お前がいなければ次の王を選ぶのも混乱する。それで、良かったのだな?」


 姫様はしっかりと頷きました。

 時紡ぎと面会出来るのは王様だけ。会ったこともない、不思議な力を持つ者と結婚するなど姫様には想像できません。それに、何よりアルフはどうなるのか。彼と離れることも、姫様には考えられないことでした。


「……まだ子供だと思ってきたが……アルフとの結婚を、少し早めようか」


 そう言う王様はどこか不安気で、嬉しいはずのお話も、色褪せて聞こえました。

 早めると言っても今日明日の話にはなりません。まだまだ二人は婚約したばかり。花嫁修業も王になるための勉強も足りていないのです。

 それまで乗馬や剣の練習ばかりしてきた姫様も、それからは真面目に王妃となるための知識と振舞いを身につけていきました。


 最初の異変は次の年の麦に現れました。

 麦を育てる農夫たちが、今年は天候も悪くないのになんだか麦の育ちが悪いのだと税務を担当する者に報告したのです。

 子供達は遊べる時間が長くなったと、はしゃいで外を駆け回っていましたが、大人はいつまでも沈まないお日様を心配そうに見上げるのでした。

 王様まで報告が上がってくる頃には、もう一日が倍くらいの長さに感じられていました。


 難しい顔をして時紡ぎに面会しに行く王様を、姫様は執務室から心配そうに見送ります。そわそわと落ち尽きなく帰りを待つ姫様に、アルフは寄り添い、その手を取って宥めました。


「シェスティ。大丈夫だよ。これまでも上手くやってきたんだ。王様を信じて」


 戻ってきた王様はとても疲れた顔をなさっていました。


「父様……」

「シェスティン。大丈夫だ。そんな顔をするな」


 大丈夫だと姫様達を部屋から追い出す王様の声は、決して明るいものではありませんでした。

 それから半年ほどは目立った異変もなく、また穏やかに時は過ぎていきます。

 けれど、王様や姫様の不安通り、不穏な気配は徐々に国を覆っていたのでした。




 ある朝姫様が目覚めると、世界が静まり返っていました。あまりにも静かすぎて、目が覚めたのかもしれません。

 人の気配がしなくて、姫様はたまらず王様の元へと走りました。いつもなら下働きの者達が忙しなく働いている時間なのに、誰もいません。あちこち探して、街を見下ろせるバルコニーにようやく王様とアルフを見つけました。


「父様! アルフ!」


 深刻そうな顔で振り返った二人は、夜着のままの姫様に似たような苦笑を浮かべました。


「シェスティン。いつまでも子供ではないのだぞ。着替えくらいできるだろう?」

「だって……誰も居なくて……これは、どうなってるの?」


 アルフが上着を脱いで、姫様の肩にかけてくれました。


「君が目覚めて良かったと思えないなんて。うちの父も母も、深く眠り込んでいて起きないんだ」

「城の者も、街の者も、ほとんどがそうらしい」


 静まり返った街に吹く風はどこか冷たくて、姫様は一度ぶるりと身体を震わせました。


「時紡ぎに、会わねばな」


 王様は地下の時紡ぎと面会するための部屋の前に、今度は姫様とアルフを連れて行きました。


「アルフ、いつかはお前がこの役目をやることになる。心しておけ」


 真剣な顔で頷いて、アルフと姫様は王様の背中を見送りました。

 待つ時とは長いもの。まんじりともせず待って待って、ようやく開いた扉にほっと息をつこうとして……姫様は反対に息を呑みこみました。

 王様は扉の中から出てきませんでした。開いたドアを支え、青白い顔のまま姫様に小さく「おいで」と手招きしたのです。

 姫様は思わずアルフを見上げます。恐らく、こんなことは今までなかったことに違いありません。


「すまない、アルフ。お前はそこで待機だ」


 姫様は指先が冷たくなっていくのを感じていました。けれど、王女として現王に従わぬことはできません。震える足を叱咤して、姫様はその部屋に足を踏み入れました。


 部屋の中はランプが灯っている訳ではないのにぼんやりと明るく、そのほとんどの源は部屋の真ん中にある、大きな円形の模様から立ち上っている明かりでした。中心部の小さ目の円と外側の二重になった円。放射状の線で区切られた空間には模様のような、文字のようなものが浮かんでは消えているようでした。


 淡く青白いその光の中に、黒い人型が立っていました。近付いていくと黒い服に黒い靴、黒いフード付きローブを羽織った黒髪の青年だということが分かります。不思議な円まで五歩分ほど距離を開け、そこに留まるように王様は姫様に身振りで示しました。ご自分は黒ずくめの人物に円ギリギリまで近づいていきます。


「時紡ぎよ。我が娘、シェスティンだ」


 戸惑いながらも、姫様はその場で丁寧な礼を捧げました。


 ――時紡ぎ様……彼が?


 フードを目深に被り、長い前髪でほとんど瞳は隠れていましたが、その隙間から辛うじて覗く、やはり黒い瞳が少し細められたような気がしました。

 長い長い時を生きる時紡ぎ。姫様は白い髪と髭の老爺しか想像していませんでした。目の前の、自分とほとんど変わらぬように見える青年が、本当に時紡ぎなのか。にわかには信じられませんでした。


「シェスティン」

「は、はい」


 声変わりしたばかりで少し掠れているような声に名を呼ばれて、反射的に答えると、青年は柔らかく微笑みました。


「緊張しないで。会いたかった。会いたかったんだよ」

「光栄にございます……それで、みなを眠らせたのですか?」

「今、少し構築を変えてみてるんだ。明日には戻るから。本当は全員の時を止めてやればいいんだけど……」


 もじもじと前髪をいじりながら、時紡ぎははにかんだように下を向きました。


「こうしたら、会えるかなぁって……」


 前半は何を言っているのか理解できないまま、後の言葉に姫様は少し呆れて、王様を見ました。王様はゆっくりと首を振っています。どうにも、できないのだと。姫様は勇気を出して時紡ぎに意見することにしました。


「急にこのようなことをされると、とても驚きますし、困ります。次からはやめて下さいませ。みなはちゃんと目覚めるのですね?」

「それは、もちろん……僕、嫌われた?」


 しゅんと肩を落とす様子に、姫様は焦りました。


「き、嫌いとか、好きではないのです。私は貴方の事をまだよく知りませんし……」

「嫌いじゃない? 良かったー。やっぱり、思った通りの優しい人だ。ね、僕と一緒に来てよ。大事にするから。ちゃんと、君も国も」

「以前にも申しました。姫は貴方とはいけませぬ。伴侶ももう決まっております故」


 王様はきっぱりと割って入りました。時紡ぎは不服そうに姫様に目を向けます。


「はい。私にはアルフがおります。申し訳ありません。時紡ぎ様」

「……でも、まだ結婚してしまったわけではないよね? 僕が、僕の仕事を終えてもっとこちらに来られれば……仲良くなれるよね?」

「時紡ぎ様がこちらに? ……それは、大丈夫なんですの?」

「昔はもっと大勢の時紡ぎがいて、こちらで人と結ばれたものもいる。僕はもう僕しかいないから、今はほとんど離れられないけど、この構築がちゃんと機能すれば……少しずつ余裕ができる」

「……では、こちらに来られるようになりましたら、またお話しましょう。アルフも交えてみなで」


 青白い光に照らされて、色を失ったかのようだった時紡ぎの頬がバラ色に色づきました。


「本当に? また?」

「えぇ。ですから、それまでしっかりとお仕事頑張って下さいませ。今回のようなことはもう嫌ですよ? 心臓が幾つあっても足りません。いつも時をありがとうございます」


 胸に手を当ておどけてみせる姫様を、時紡ぎは眩しそうに見ていました。


「また……またね。僕の、王女様」


 うっとりとそう言って、時紡ぎは青白い光とともにふっと消え失せました。

 一瞬真っ暗になった部屋の壁際に、すぐにぽつぽつと一定の間隔で光が灯り、姫様はほっとしたように王様と目を合わせます。不思議な現象もこの部屋の中では普通に起きることなのだと、王様に説明されなくとも、姫様には解ってきました。王様は姫様に歩み寄り、父として娘をそっと抱き寄せました。


「すまぬ。シェスティン。不甲斐ない父を許しておくれ。そしてありがとう……」

「大丈夫です。このくらいで皆が元に戻るのなら、いくらでも協力します」

「時紡ぎはもう最後の一人らしいのだ。話し相手もいなく、淋しい思いをしているのやもしれぬ」

「でしたら、本当にアルフと三人でお慰めしましょう。あんなにお若いと思いませんでした。お友達のように、といったら失礼に当たるのかしら。そんな関係なら、私やっていけると思います」

「……そうだな……」


 少し躊躇いつつそう言った王様の声に、力はありませんでした。




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