4-6 めぐるめぐる

 馬車を乗り継いで、数日かけてシェスティン達は触れの出ていた城下町まで戻ってきた。

 少し開いたモーネとの関係も、彼女を思えば良かったのだとシェスティンは思う。この先、彼女が人として生きていくのなら、必要以上に自分に好意を寄せてもらっては困るのだ。


 それに。


 『白き竜』の最期を語るのなら、彼女に殺意を向けられても仕方がない。あの母竜が何を思っていたにせよ、最後の一太刀を浴びせたのは間違いなく自分なのだから。

 ラヴロに会わせて、気が合うようなら竜に戻して彼に託してしまうのもいい。これを機にふたりでどこかもっと人の来ないような所に移ってもらうのも……

 竜の姿ならば、シェスティンに何度手をかけても、彼女は生きていられる。

 過ぎる寂しさを、シェスティンは目を伏せて見ないようにした。


 前にも世話になった所に宿を定めて、モーネを置いて出掛けようとしたシェスティンのローブを引き、モーネは彼女を引き留める。


「まだ明るいじゃない。連れてってよ」


 暇を持て余すよりは出掛けられた方がいいということだろうか。シェスティンは申し訳なさそうな声を出した。


「不動産を探したいんだ。観光にはならない」

「それでもいいわ。閉じ込められてるよりはね」


 ぷっと片頬を膨らませたモーネにはっとして、シェスティンは彼女の手を引いて外に出た。


「大きな街だから、手を離すなよ? 宿の名は覚えてるな?」


 モーネは真面目な顔で頷く。通りがかりに屋台でもあったら何か買ってやろうと心に決めて、シェスティンは不動産屋を探し始めた。



 ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇



 歩き疲れて、三段になった噴水を望むベンチに座りながら、屋台で買ったジャムの入った温かいお茶を飲む。

 数軒はしごした不動産屋では、ぴんとくるものに出会えなかった。

 このまま見つからなければあの中から妥協して選ぶのかと、シェスティンは宙を睨んで考えていた。

 隣ではモーネが同じように噴水の向こう側に目を向けている。彼女が何気なく視線を追うと、小さな箱型の舞台と人だかりが見えた。指人形で人形劇をやっているようだ。


「見に行くかい?」


 興味津々の顔で、けれどモーネは答えなかった。

 シェスティンは銅貨を一枚モーネに握らせて立ち上がると、お茶のカップを屋台に戻してから噴水を回り込んでいく。


「本当は始まる前に払うと飴とかお菓子をくれるんだが、終わってからでもくれるだろ」


 演者はひとりのようで、途中では相手にしてもらえないだろう。

 簡易で椅子代わりに置かれたリンゴの木箱はもう満席だったので、なるべく前の方でモーネが見られるように、シェスティンは人をかき分けて彼女の背中を文字通り押してやる。


「ワタシは後ろの方にいるから」


 瞳を揺らして振り返ったモーネに微笑む。ありがとう、と開かれた口は見えたが、その声はどっと沸いた笑い声に掻き消されてしまった。

 人垣から少し離れ、シェスティンは何気なく辺りを見渡す。広場から伸びる路のひとつ、その角の店が周りと比べて沈んで見えた。

 ショーウィンドウはそこそこ大きい。場所も悪くないのに何故だかひっそりとしている。シェスティンは近づいてその窓を覗き込んだ。

 カウンターの向こう側に壁一面の作り付けの棚が見えるが、そこには何も並んでいない。埃こそ積もっていないものの、使われている様子もないようだ。ぽつんとあるドアから奥にも部屋がありそうだが、人の気配は無かった。


「そこはもうやってないよ」


 掛けられた声に視線を向けると、小柄な年配の女性がじろじろとシェスティンを眺めていた。


「そう、なんですね。こちらは以前何のお店だったんですか?」

「知ってて覗いたんじゃないんかね」

「いえ。たまたま……」


 老婆は鼻眼鏡の奥から上目遣いで胡散臭そうにシェスティンを睨め付けていたが、質問には答えてくれた。


以前まえは薬屋だよ」

「そうなんですか? 次に入る人は――決まってるんでしょうか」

「さあね。見たところ余所者のあんたが気にすることじゃないだろう?」


 シェスティンは苦笑を浮かべる。


「ああ、まあ、そう思われますよね。いえ。薬屋を開ける建物を探してるんです。不動産屋も回ってみたんですが、芳しくなくて。以前薬屋だったのなら、使い勝手もいいんだろうな、と」

「……あんたが? 薬を?」


 さらに表情を厳しくして、老婆は眼鏡をかけ直した。


「いいえ。友人のために。この街に店を開かせてあげたくて。この店の持ち主を知りませんか? お話ししてみたい」


 しばらくじっとシェスティンを観察してから、老婆はゆっくりと口を開く。


「……あんたのお友達はさぞ優秀な薬師なんだろうねぇ」

「ええ。身元がしっかりしている割にはちょっとお人好しで、良い薬師です。行商のようにあちこちを渡り歩いているので、腰を落ち着けさせてあげたいと」

「そうかい。でもここの持ち主は誰にも貸す気は――行商?」


 ひらひらと手を振って背を向けかけた老婆は、行商という言葉に反応して訝しげに彼女に視線を戻した。


「変わってますよね。出会った時は普通の行商人だと思ったんですが、薬も扱ってるって。よくよく聞いたら薬師だって。仕入れた薬も彼が調合した薬も、良く効く。しっかりした目と技術を持ってる。運とタイミングだけ悪かったんですよ」

「……その、お友達の名前は」

「トーレっていいます。この辺りにも来ているはずですので、もしかしてお見かけしたことが?」


 にこりと笑ったシェスティンに、がばりと老婆は飛びついた。


「トーレ!! あんた、本当に彼の知り合いかい?!」


 ぐいとフードを掴んで引かれ、顔を寄せられる。あまりの勢いに、シェスティンは面食らった。


「トーレを、ご存じで?」

「行商やってる薬師なんて、そうそういるわけないよ。年に二度も来ればいい方だが……あんた、夕食の予定は?」

「え? まだ、決めてませんが……」

「ちょっとこの婆に付き合いな」


 手を離し身を翻しかけた老婆に、シェスティンは慌てて告げる。


「あ、あの。連れが、いて」


 丁度その時、一際大きな歓声と拍手が聞こえ、人形劇は閉幕したようだ。シェスティンが目をやると、人混みの中から不安そうに辺りを見渡して出てくるモーネが見える。見つけやすいようにと彼女は大きく手を振った。


「あの子だけ? なら、問題無いね」


 モーネはシェスティンを見つけると、小走りで駈けてきた。老婆に気付くとシェスティンのローブの後ろに隠れるようにして小さな声で「こんにちは」と挨拶する。


「ついておいで」


 モーネに頷いてみせてから、老婆は店の横の階段を登り始めた。

 きょとんとしたモーネに、シェスティンも苦笑を返す。


「夕食をご馳走してくれるって」

「知り合い?」

「トーレの、かな」


 階段の上で老婆が待っている。登りきったところの左右にドアが見え、老婆は向かって右、店舗の二階側のドアを開けた。




 モーネは玉葱の皮を、シェスティンは包丁を握ってじゃがいもの皮を剥いている。

 夕食の準備を手伝いながらぽつぽつと聞いたところ、老婆のご主人が以前出先で腰を痛めて動けなくなっていたところを、たまたま通りかかったトーレが助けて連れ帰ったらしい。

 薬師だったお爺さんが動けるようになるまで、数日滞在して仕事や雑務の手伝いをしてくれたのだと。なんともトーレらしい話だった。


「あやつは仕事分の給金も碌に受け取らんでな。代わりに時々寄るから薬の補充をさせてくれと。大きい薬屋もあるんだが、爺さんの薬がいいと言ってくれて……」


 そのお爺さんは年が明けた頃、ぽっくりと亡くなってしまったのだそうだ。朝起きたら息をしていなかった。じじいだったからね、と老婆は一度洟を啜った。


「うちは跡取りもいない。爺さんが死ねば店は畳むしかない。次に彼が来た時に他人の店になっていたら悲しむだろうかと、それまでは誰にも貸さずにここにいようと、掃除だけはして」


 野菜と鶏肉をブイヨンで煮込む間、老婆はお茶を淹れてくれた。自分でブレンドしたのか、爽やかなハーブティーだった。


「あんたが本当にトーレのために店を借りたいと言うのなら、貸してもいい。でも、彼はそれを望んでる? あんたのお節介じゃないのかい?」


 シェスティンは柔らかく笑う。


「お節介かもしれない。ワタシのお礼の気持ちなんだ。そのくらいしか出来ない。でも、彼も了承してくれてるから、そこは大丈夫」


 シェスティンは書く物を借りて、老婆にトーレの連絡先を渡した。


「心配なら連絡してみるといい。ワタシからも手紙は出すが、そういう理由なら彼は飛んでくる。本人とじっくり話を詰めてくれ」

「……リリェフォッシュ?」


 老婆がその家名に狼狽する。


「これ、本当にトーレかい? 私が間違ってなけりゃ、この家名は隣国の……」

「トーレはトーレだ。家名があってもなくても、貴女が知っているトーレに変わりはない」


 とりあえず、とシェスティンは持ち歩いていた金貨の入った袋を老婆に差し出した。


「それでどのくらい借りられる?」


 袋を覗き込んでぎょっとした老婆は眼鏡をずり上げて、呆れたようにシェスティンを見つめた。


「数えてないけど、一年くらいは……あんたも、何者だい?」

「何者でもないよ。それで後はカツカツだ。年に一度顔を出すくらいか。丁度いいかもしれないな。ワタシはシェスティン。トーレの友人だ」


 ずっと黙ってやり取りを聞いていたモーネは、そっと複雑そうにシェスティンを見上げた。


 夕食をご馳走になり、遅くならないうちにとシェスティンは腰を上げる。使っている宿の名は告げたが、すぐ発つからと何かあったらトーレに相談するように言い残した。

 シェスティンが宿でトーレに報告の手紙を書いていると、ベッドの上で膝を抱えたモーネが独り言のように呟く。


「トーレはシェスのこと知ってるの?」

「呪いの事は知ってる」

「それは聞いたわ。……死ねない事」

「……ちゃんとは言ってないな。そのうち、気付くだろ」


 視界の隅で、モーネが膝を抱える手に力を込めたのがわかった。


「それでも、友達で、いられるの?」

「さあ。トーレ次第かな」

「それで、いいの!?」


 ペンを置いて、シェスティンはモーネに向き合う。


「どうしようもない。ワタシは彼が彼の時を全うするまでを見守れたら最善だ。今までこれほど関わって最後まで見守れた人はいないから――を看取った者は多いが――なんなら知った彼が距離を置いてくれた方がいいとさえ思う」


 ほろりとモーネの瞳から涙が零れた。


「私、シェーナが先に死んじゃったら悲しいわ。ずっとお友達でいたい。でも母さんみたいに好きなのに離れなくちゃいけないのも辛い。シェスはずっとそうやって来たの……」

「モーネ、ワタシのために泣かなくてもいいんだよ」


 傍に行き、シェスティンは彼女の涙をそっと拭う。


「ラヴロが……『孤高の竜』が友達になってくれて、ずいぶん慰められた。だから、大丈夫。モーネはまだいろんな道を選べる」


 俯くモーネの頭を軽くぽんぽんと叩いて、シェスティンは手紙の続きをしたために戻るのだった。




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