4-4 ゆらりゆらり

 シェスティンは病院の受付でトーレを呼び出してもらった。行商をやってたことを知っている人達だから、旅装でもそれ程怪しまれはしないだろうと思ってのことだった。

 待合いの隅の椅子に腰かけて、ぼんやりとトーレを待つ。スヴァットがいれば少しは間が持つのに、と彼女の視線は無意識に足元に向けられた。

 しばらくそうしていたシェスティンの視界に白衣の裾が入り込んでくる。


「……シェス?」

「あぁ、トーレ、仕事中に済まない。帰ってきたはいいんだがまたすぐに……」


 トーレは眉を顰めて厳しい顔で彼女を見ていた。


「……トーレ?」

「ちゃんと食べてないだろう」


 ぐいと顎を持ち上げられて医者の目で観察される。こういう時のトーレは本当に意識せずに触れているのでシェスティンは注意するのも躊躇ってしまう。


「あまり寝てもいないな。おいで」

「えっ、あ、いや、トーレ、ワタシは……」


 ひかれた腕を一度振り払うと、彼は気が付いたように袖を掴み直した。


「いいから。話はそっちで聞く」


 何気ない顔をして、受付の女性が意識を向けているのが分かる。病院などシェスティンには無縁の場所だったから、どうふるまうのが一番目立たないのか分からない。結局袖を引かれるままに彼女はトーレについて行った。

 少し奥まった個室で寝台に横になるように言われる。


「トーレ、大丈夫なんだ」

「大丈夫なのと、健康であるかは別物だろ。安定剤も入れようか?」


 手早く注射の用意をして、トーレは真顔でシェスティンを脅しつけた。


「薬が効きにくいといったって、身体がそれを欲してる時は別なんじゃないか? それとも、針を刺すのが怖いのか?」


 最後にからかいの色を滲ませてシェスティンを黙らせると、トーレは身振りで彼女を促す。シェスティンが諦めて細い寝台に横になるとひやりとした物が肘の内側に当てられた。


「……何かあったのか?」

「スヴァットと、はぐれて……行先は分かってるんだ。迎えに行かないと」


 針を刺した瞬間少し眉を顰めて、シェスティンは視線を逸らす。


「それで、食うものも食わず、寝不足になるほど急いで? 気持ちは解るけど、そういう時ほどちゃんと栄養は取らないと。動けた方がいいんだろう? 疲れがたまると悲観的にもなるし」


 トーレの言っていることも理解できた。死なない身体は疲れないわけではないと誰よりも彼女は知っている。

 針を抜いたところに脱脂綿を当ててきつく指圧すると、後は自分でしばらく押さえているようにとトーレは言った。


「そのまま少し休んでるといい。なるべく早く終わらせるから、一緒に帰ろう」

「か、帰るって、ワタシは……」

「君の家にはお嬢さんたちがいるだろう? どうせ、安宿にでも泊まると言ってきたんだろうさ。でも、その様子をみたらひとりでそんなとこにやりたくない。うちで一緒に飯を食って、眠るまで見張ってる」

「みはっ……」


 思わず上半身を起こしたシェスティンをトーレは笑った。


「おっと、思ってたよりは元気だった。兄より先に帰るようにするから、待ってて」


 彼女の肩を軽く押し付けて、トーレは部屋を出て行った。

 モーネ達の言ってた通りになるのも癪で、シェスティンは黙ってこのまま出て行こうかとも思ったが、トーレが心配してくれてるのも解って、とりあえずまた寝台に背中をつける。

 彼が言ったように薬液の中に睡眠薬のようなものが入っていたわけではないだろうが、少しすると彼女の意識はとろりとしてきた。プロの見立ては伊達ではないな、と観念した気持ちでシェスティンはそのまま意識を手放すことにした。



 ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇



 人の気配にシェスティンが目を覚ますと、机に向かう白衣の背中が見えた。

 いつの間にやら掛けられていた毛布をそっと捲り、彼女は身体を起こす。


「少しは寝られたかい?」


 声だけで尋ねられ、シェスティンは小さくああ、と答えた。


「君にそれだけ心配してもらえるんだから、猫君も幸せだな。もうちょっと待っててくれ。これが終わったら帰れる」


 そうだろうか。スヴァットは自分と関わったために余計なことに巻き込まれたんじゃないだろうか。猫の姿だからと不用意に触れ過ぎたのかもしれない。

 そんなことはないはずなのに、そういう思いが何処からか湧いてくる。

 シェスティンは何気なく窓の外に目をやった。


「……まだ明るい。帰っても大丈夫なのか?」

「調合は家でも出来るからな。宿題はたっぷり出されてるさ」


 相変わらず手元の書類から目を離さずに、トーレは肩を竦めて見せた。


「何も聞かせてもらえなかったんだ。ゆっくり話す時間をもらったって良いだろう?」


 サラサラと書類にサインを入れてから、ようやくトーレは振り向いた。

 そうだった。トーレには何の説明もしていない。

 シェスティンは今更ながら罪悪感に視線を下げた。


「……そう、だった。分かった。世話になる。でも、一晩だ。明日には街を出たい」

「こちらもそれ以上引き止める気は無いよ。心配なんだろ?」


 こくりと頷くシェスティンの頭に手を伸ばしかけて、トーレはその手をブラブラと振って誤魔化した。


「あー……じゃ、じゃあ行こうか。書類を渡してくるから先に待合いに行っててくれ」


 廊下で一度逆方向に向かったトーレは、それほど時間をかけずに上着を引っ掛けて戻ってきた。

 お疲れ様ですと受付の女性が掛ける声に、彼は片手を上げて応える。


「変に思われただろうか。すまない」


 外に出たところでシェスティンが何気なく言うと、トーレはきょとんと彼女に目を向ける。


「何を気にしてるんだ? 俺は元々変わり者扱いされてるぞ。ちゃんと受付を通して礼儀正しく面会を申し込むような人物が会いに来た方が驚かれる」

「その評価もどうなんだ」

「ここに長く居るのは学生の頃以来だからな。仕事では失敗してないと思うが、皆の俺のイメージは、子供の頃のものか婚約者に逃げられた医者のなり損ない、ってとこだろう」


 慕われてると思うけど、とはシェスティンは口にしなかった。すれ違う病院関係者の彼を見る目は温かい。少なくとも、表面上は。

 一緒に仕事をしていれば、彼の優秀さはすぐに解るはずだ。

 自己評価が低いんだよな。特にこの街では。理由はなんとなく察せられるけれど。

 そう思いながら黙って見上げる彼女の瞳に少々たじろいで、トーレは前に向き直った。


「ま、まあ、そう言う感じだから心配しなくていい。仕事だって、何かあれば使いが走ってくるんだ。嫌な環境だろ?」


 確かに、病院と彼の家は目と鼻の先だ。彼の家の方が少し高台にあるから、多少回り込むように歩かなければいけないとはいえ近いことに変わりはない。


「そう言いつつ、仕事は楽しそうじゃないか。あなたも、放っておくと仕事ばかりするタイプの人間だ」


 うっ、と声に出してトーレは呻いた。


「……自覚はしてる。調合とか色々試しだすとやめられなくて……なまじひとりの時間が長かったから、つい……年明けの時は悪かった」

「別に、気にしてない」

「それはそれで、寂しいんだが……」


 がっくりと肩を落とすトーレに、シェスティンは小さく笑った。


「分かった。言い直す。そういう所、別に嫌いじゃない」


 ぱっと顔を上げて、一瞬喜ぼうとして、彼の顔は微妙な表情になった。


「嫌いじゃないけど……好ましくもない……?」

「深読みするな。そういう人間だと思わなければ『竜の鱗』を託そうとは思わない。そのままでいてくれ」


 今度こそほっとしたように、彼は口元を綻ばせた。

 半端な時間の帰宅にも関わらず、リリェフォッシュ家の使用人達は慌てた様子もなく、男装に近いシェスティンの格好を見ても眉ひとつ動かさずに笑顔を浮かべた。

 トーレに客室の用意と夕食の一人分追加を告げられると速やかに動き出す。

 彼の部屋に通されて一息つく頃にはお茶のセットが届くという徹底ぶりに、シェスティンは感心を通り越して呆れてしまった。


「この家の息子が行商なんてよくやってたな。着替えさえ自分でやりそうにないぞ」

「まあ、実際周りが良くしてくれたんだ。色々教えてくれたのは外の人達さ。それまでは確かに茶を注ぐこともしたことがなかったな」

「やっぱり。では、お坊ちゃまにワタシが茶を淹れよう」


 ローブを椅子の背に掛けると、シェスティンは軽く袖を捲ってティーセットに手を伸ばした。


「――君も、元は給仕される側だったろう?」

「何故? 淹れるのが上手いのは、給仕してたからだとは思わないのか?」

「される側に回った時に躊躇いがないからだよ。その上でする側の動きも解ってる。頭で解っているだけではなかなか自然には出来ないものだろ?」


 カップをソーサーに乗せて、トーレの前に差し出しながらシェスティンは曖昧な笑みを浮かべた。


「……もう、随分昔の話さ。今はちょっと技能の多い放浪者だ」

「その転身は俺よりずっと大変じゃないか。君を庇護してくれる奴も保護してくれる者もいただろうに」

「最初は甘えてたさ。でも、呪いの効力は平等で残酷だ。今は最良とは言わないけどそこそこの形なんだよ」


 『呪い』という言葉に、一度腹に力を込めて、トーレは仕切り直すように言った。


「メシュヴィッツの息子に、何をされた」


 厳しい表情の後ろに嫉妬がちらちらと見え隠れしている。

 ふっと表情を緩めたシェスティンにトーレはますます眉を寄せた。


「死人が出たら心配しろと言ったじゃないか」

「トーレは人魚がまだいると思うか?」


 彼は思いもしなかった方向の話題にしばし固まった。けれど、以前、彼女は関係ない話はしないと語ったことを覚えていたようだ。


「どう……かな。どこかには、いてもおかしくないのかな。竜の鱗だって、まだ手に入る」


 ゆっくりとシェスティンは頷いた。


「ワタシは、というか、スヴァットに本物の『人魚の涙』が必要だったんだ。あなたもスヴァットは普通じゃないと言ってただろう? 彼も呪いを受けてる。その呪いを解くのに必要で、宝石の裏取引をしているというメシュヴィッツに近付きたかった」

「裏取引?」

「怪しいだろう? さらに怪しい仕事も紹介された。教えるのが人魚だったら、って思ったよ」


 ぱちぱちと瞬いて、トーレは憮然と組んだ手に自らの口を寄せた。


「そこは、人身売買の方を疑った方が良かったんじゃないのか。教える子がいてもいなくても、君が欲しかったのかもしれない」

「そうだな。身寄りがないというのは色々使えるからな。でも、ワタシはあなたのパートナーとして自己紹介した。そう簡単には手は出せないだろう?」

「『出来損ないの三男』なんてどうにでもなるんだよ。だから、向こうは妙な噂が立つような真似を……」


 シェスティンは真面目に怒るトーレを笑った。


「トーレ。素のワタシを知っているあなたが、そんなに心配するとは思ってなかった。売り飛ばされたって自分で戻ってくるよ」

「結局、彼は自分で欲しくなったのか」

「そう、とも言えるね。彼は金を生む人魚を繋ぐ鎖が欲しかったのさ。ついでのように女の部分もね」


 トーレの顔が強張った。そのまま低く淡々と言葉を繋ぐ。


「彼は別棟で夕食を誰かと終えた後、隣のベッドルームで地震に遭い、落ちてきたシャンデリアに頭を打ちつけられ亡くなった」


 ふっとシェスティンの口から吐息が漏れる。


「……詳しいな」

「兄が死亡の診断を下したんだ」

「そうだよ。ドレスに着替えさせられ、夕食を共にし、あの部屋に一緒に入った」

「シェス」

「どう思われてもいい。ワタシは自分の呪いを利用した。目的のためなら、そういうこともする」

「そ、そういうことって……!」


 カッと頬を赤らめたトーレに、彼が思い違いをしていることに彼女は気付いた。


「トーレ。なんでワタシが普段から触れるなと言ってると思ってる。誰もそこまで至れない。彼はワタシの首筋にキスを落としただけで彼の時間を終えた。嫉妬する価値もない」

「し……嫉妬……」


 はっとして彼は頭を抱えた。


「友人以上は望まないなんて言っておいて……」

「あなたはよく我慢している。それはよく解っているから。ありがとう。すまない。彼に手を下したのはワタシではないけれど、その後モーネと閉じ込められていたもうひとりを連れ出して、追手を手に掛けたのはワタシだ。そちらもあなた達が診たのか?」


 そろりと顔を上げ、トーレは首を振る。


「地震でが多数いるからと、屋敷内の怪我人は診たが他の死体は見ていない。特にその後も話を聞かないから、彼等で処分したんだろうな。跡継ぎを亡くして当主も寝込んだとか、そんな話は聞いたが」

「では、彼女達にこの先も追手がかかることはないな。幸か不幸かワタシも街を出る。トーレ。ワタシはそういう人間だ。忘れてくれても構わない」


 ふるふると、その時だけ子供のようにトーレは必死に否定した。


「嫌だ。もう、忘れられない。シェス、約束は守ると言ったじゃないか」

「守るとも。でも、あなたが覚えている必要はない。こんな物騒な人間に付き合う義理もない」

「不当に閉じ込められた者を助け出すのは、物騒なんかじゃない。彼女達が人間でも、人魚でも」


 シェスティンは苦笑する。


「あなたと少し離れられるのは良かったのかも。傍にいると遠からず時を奪うことになりそうだ。モーネはもしかしたら連れて行くかもしれない。そうしたらもうひとりの彼女も里に帰ると言っていたから、当初の予定通りあの家を頼む。物置の奥の床に細工があって、そこに『竜の鱗』が入ってる。必要なら使ってくれ」

「……彼女達を連れて行ったとき、モーネちゃんが開けてたとこかな……来たことがあると言ってたけど、関係が?」

「直接はないと言うか……まだよく分からない。予測は立つんだが、そうすると彼女と居るのも良くないかも……一緒に行くことになったらぼちぼち話してみるつもりだ」


 空のカップをソーサーに戻すと、夕食が運ばれてきた。

 部屋の準備が整ったことを伝えられ、お召替えもございますよと微笑まれて、シェスティンはたじろぐ。丁寧に辞退したが、相変わらずこの家は油断ならない。トーレを軽く睨みつけると、そっと視線を逸らされた。


「俺は、勧めないけど、用意は、しておけと……」

「着替えて挨拶しに来いってことか? 彼の家だしな。やれと言われればやるが」

「……シェス、そこまでは言わない。兄さんだって多分、君のことは分かってる。先日みたいなことがあっても対応できるようにってことだよ。俺がほっとけないのを解ってるんだ」

「……本当に、弟に甘いな。それで庇いきれる自信があるんだ? 怖いったら」

「君だって、追手はほぼ排除してきたんだろう? 彼女達の安全のために。どっちもどっちだよ」


 彼女がそうしたと解って口にしているはずなのに、そこに嫌悪の感情はない。彼も大概大物だ。肩を竦めるトーレに返す言葉もなく、シェスティンは誤魔化すように料理にナイフを添えた。




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