2-11 白竜は鎮魂歌を唄う・1

『化物か』


 押し出されたような白い竜の言葉に、シェスティンは少しほっとする。ラヴロとまともに話せるまではもっと時間がかかったのだ。


「一応、人の範疇なんだがな」

『ヒト? あの偏屈とどういう関係か知らぬが、忌々しい呼び名を二度と口にするな』


 警戒する瞳が鋭くシェスティンを捉え、竜の口から白く冷気が零れだす。


「わかった。すまない。氷漬けは勘弁してくれ。さすがに溶けるまでは動けなくなる」


 竜は良いことを聞いたというようにその眼を細めた。


『もう行け。ヒトと話すことなど無い。やるというなら何度でも殺してやろう』

「次に会う時はそれでいい。彼らは追うだろう。どうするつもりだ」

『我は北へ行く。心配せずとも、やる気さえ出せばあのくらい偏屈なら軽くあしらう。何がどうなってヒトと馴れ合っているのか聞いてみたい気はするが……時間もない』


 竜が森の方に視線を流す。闇の中にちらちらと炎の色が見え隠れしていた。


真名まなをもらった。彼は、いつか人になるかもしれない」


 白い竜はそのまなこを零れんばかりに見開いて、それから喉の奥で可笑しそうに笑った。


『……それは、もしかしたらあの偏屈らしいのかもしれぬ。最後に笑わせてもろうたわ』

「最後って……」

『伝えよ。我は北へ行く。北だ』


 白い竜は歩き出す。北の山を目指してゆっくりと。

 しばらく行って立ち止まると、振り向かずに呟いた。


『心残りは我が娘……偏屈には会わせたくないが、これも運命か……』

「そっ……」


 シェスティンが声をあげようとすると、辺りを雪混じりの風が渦巻いて、全ての音を封じてしまった。気が付くと竜はまた歩き始めていて、シェスティンはその場に残される。

 ようやくシェスティンに近づいて鳴き声をあげたスヴァットは、彼女に抱き上げられると遠ざかる白い巨体を視線で追っていた。



 ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇



 シェスティンが森の入口まで戻った時、長剣を背負った男と数人の騎士達が松明やカンテラを持って木々の間から顔を出した。


「竜は」

「北の山の方へ向かったようだ」


 見計らったかのように、北から竜の咆哮が聞こえてくる。

 誘ってるんだ。

 シェスティンは振り返ってから軽く目を伏せた。


「暗いうちは不利だ。追うなら夜が明けてからの方がいい」


 シェスティンに近寄ると、長剣を背負った男がカンテラを掲げながら彼女を覗き込んでぎょっとする。


「お……ま」


 力任せにシェスティンを向きあわせ、上下に視線を走らせたあと、ローブの中に手を突っ込んで破れた衣服をたくし上げた。

 服の所々に血は染みついているものの、彼女の腹は白く綺麗なものだった。そっと手を伸ばす男に、シェスティンは冷たい声を浴びせる。


「皆が見ている前で、堂々と強姦か?」

「……っ!! ち、ちげぇ!」


 はっとして手を離した男を押しのけて、シェスティンは他の騎士が差し出す毛布を受け取り、肩から巻きつけるようにした。


「口の中を切ったみたいでな。そっちは掠っただけだ」

「は? そんな感じじゃ……」

「運が良かったんだな」


 それ以上の追及を許さない物言いに、男は口を引き結んだ。

 宿営地まで戻ると、まだ辺りは混乱したままで、氷付けの死体をどうするのか、テントや砲台と共に氷ってる者は……と右往左往している。シェスティンはそのまま例の偉そうなオールバックの中年に内謁させられた。

 彼女は昔の記憶を呼び起こして片膝をつき、胸の前で開いた左の掌に右の握り拳を当てて頭を下げる。


「……古い型だな」


 ぼそりと呟かれた言葉は聞こえないふりをした。周囲は少し訝しげに中年に視線を向けている。


「よく戻った。何か情報は」

「彼の竜は北の山に向かいました。私を軽くあしらいゆっくりと歩み去った所から、我々を誘い出そうとしているのかもしれません」

「ふむ」


 中年は地図を持ってこさせ、厳しい顔のまま検分していた。


「――斥候に同行できるか?」

「ひとつ、お願いを聞いていただければ」


 不敬にも頭を上げたシェスティンを中年は鋭い瞳で見下ろす。


「着替えが無いので、お貸しいただきたく」


 数秒目を合わせたまま沈黙が流れたが、やがて中年はにやりと笑った。


「ドレスはないぞ」


 彼は指先だけで指示を出して、シェスティンには氷漬けを免れた大きめのテントのひとつで待機を命じた。

 彼女が着替えをもらってテントに入ると、先客がいた。コーヒーのいい香りが充満していたが、思わず顔を顰める。


「なんだよ。傷つくな」

「着替えるんだよ。出ててくれないか」


 赤茶の布を巻いた男は湯気の上がったカップを持ったまま、くるりと後ろを向いた。


「さみーんだよ。見ねぇから追い出すなよ」


 男の奥にスヴァットが丸くなっているのが見えた。先に案内されたのか、男が連れて来てくれたのか。小さく嘆息してシェスティンも背中を向け、汚れて破れた上着を脱ぎ捨てる。首元は吐き出した血が渇いて張り付いていたので、ばりばりと音を立てて剥がれた。

 コーヒーの香りが強くなって、ひやりとした物が頬に当てられる。


「見ないんじゃないのか」

「見てねぇよ。拭いとけ」


 嘘つけ、と言いながらシェスティンは濡れタオルを受け取った。

 拭ってみると思った以上にタオルが赤く汚れて、よく誤魔化せたなと溜息が出る。首を綺麗に刎ねられるくらいなら血の跡はほとんどつかないが、じわじわと内臓に損傷を加えられると吐き出した血でどうしても汚れてしまう。


「ここも」


 背中をついと触れられて、変な声が上がった。口を押えてシェスティンが思わず男を睨みつければ、男はにやにやしながらシェスティンから濡れタオルを奪い取った。


「色っぺぇ声も出るんじゃねぇか」

「死に、たいのか」


 タオルの冷たさに身体がびくりと反応する。男は構わずにごしごしと汚れを拭いて、くるりとシェスティンを反転させた。


「……綺麗だ……」


 シェスティンの右の膝が男の腹にめりこんで、そのまま男は蹲り悶絶する。


「調子に乗るな。ワタシに触るなと言ってるだろう」


 丸首の長袖シャツに立ち襟の長めのベスト、それに厚地のジャケット。シェスティンに渡された着替えは、衛生兵なんかが着ている物のようだった。


「……死ぬ」


 男はしばらく細かく震えながら蹲っていたが、シェスティンがコーヒーを淹れて椅子に落ち着く頃には、自分も別の椅子を移動させて、腹をさすりながら彼女の目の前に腰掛けた。


「なぁ、なんでそんなに綺麗なんだ」

「口説こうってんなら無駄だぞ」

「そうじゃねぇよ。あんな戦い方すんのに、あんなに血の跡があんのに、なんで傷跡のひとつもねぇのか聞いてんだよ」


 ごくりと、コーヒーを飲み下す音が響いた。


「無いことは、無いんじゃないか?」

「ねぇよ。背中も、脇腹も腕も腹も……なまっ白くて、つるんとしてて……あ、やべ」


 男は慌ててシェスティンに背中を向けた。


「思い出したら急にムラムラしちまった」


 シェスティンは脱ぎ捨てた服を丸めて男に投げつけた。


「い、いや、さっきまではそんな目では、見てなかった、んだが」

「初めに言っただろう? ワタシは呪われてる。本当に、もう触らないでくれ」


 男が肩越しにちらりと振り返る。


「呪われてるから、傷もつかないと?」

「似たようなものだ。わかったら、もう構わないでくれ」


 男は黙って前に向き直ると床に視線を落とした。


「――死に向き合うと、時々、関係ない人を巻き込むんじゃないかって」


 唐突な言葉に、シェスティンは眉を寄せる。


「そう、言ったヤツがいた」


 だからどう、とも言わずに男は立ち上がり、立てかけてあった自分の長剣を掴むとそのままテントを出て行って、戻って来なかった。




 東の空が微かに白み始めた頃、数人の男たちについてシェスティンは出発した。どこかに行っていた赤茶の布を巻いた男も、素知らぬ顔をして一緒にいる。

 竜が通った場所を示しながら、恐らくこの山の向こう、という所まで何とか案内すると、シェスティンは騎士達から思わぬ労いの言葉をもらった。


「もっと足手まといになるかと思ったが、的確で体力も思ったよりあるな。助かった。少し休んでるといい。俺達は先を見てくる」


 リーダーらしき男は黙って身振りで他の男たちに指示を出し、皆、山の奥へと散って行った。

 男とふたり残され、微妙な沈黙が流れる。シェスティンは構うなといった手前、自分から話し掛けるようなことは避けたかった。手近な木に寄りかかるとスヴァットが飛び付いてくる。ずっと移動だったからか肩の上で大あくびをしていた。


「長い時間は寝てられんぞ」


 なー、とは言うものの、身の入った返事ではない。

 大陸の、随分北になるのだろう。山の中はしんと冷えていて、首に巻きつくように位置取ったスヴァットの体温が心地よかった。

 黙っていると冷えてゆく指先に息を吹き掛け、少し擦り合わせてから両脇に挟み込む。

 しばらくすると、ぶぇっくしょん、と辺りにこだまするようなくしゃみが響いた。


「……偵察の邪魔をするなよ」


 男は洟を啜ると、肩を竦めてシェスティンを羨ましげに見る。


「俺も温めてくれれば、出ねぇかもな」

「贅沢言うな」


 シェスティンは溜息をついて、スヴァットを男に押し付けた。


「……いや、猫が欲しかったわけじゃねぇんだが……」

「贅沢言うな」


 男は黙って、シェスティンが先程寄りかかっていた木まで彼女を追い詰め、その木に片手をついて囲い込む。


「なんだ。近い」


 睨みつけるシェスティンを見下ろして、男は短く告げる。


「風除け」

「近い」

「触ってねぇ」


 行商人の男にも、似たようなことを言われたなと、シェスティンは目を伏せて眉間に皺を寄せながら息を吐く。

 男の大きな体に確かに風は遮られ、多少は暖かいのが皮肉だった。


「……死にてぇとか……死んでもいいとか、思ってねぇよな……?」

「は?」


 しばらく黙ってそうしていたと思ったら、男は唐突にそんなことを言った。思わず顔を上げて、真剣な眼差しにぶつかり、シェスティンはなんだか後ろめたい気持ちになる。

 死にたいとは思わないが、死んでもいいとは常に思っている。死ねるわけではないが、この先の戦いでは死んだことにして討伐から離脱するつもりだった。


「……思って、ねぇならいいんだ」


 ふい、と男が視線をそらしたところで、偵察に行っていた男達が戻ってきた。


「仲間割れはやめてくれよ?」


 リーダー格の男が困惑気味に言うので、シェスティンはうっかり笑ってしまった。

 男は渋い顔で舌打ちしている。


「そんなんじゃない。大丈夫だ」


 シェスティンの言葉に納得したのかしないのか、彼等は山向こうの様子を教えてくれた。

 竜はこの先の谷で休んでいるらしい。辺りはうっすらと雪が積もり、この季節にしては気温が低いのも、竜が吐く冷気がそうさせているとのことだった。

 身体が冷えると動きも鈍る。それが狙いなのかもしれないと、少し山を下ったところで後続の皆を待つことにした。


 待機場所を示されると、長剣を取り出し、男は身体を温めるように振り始める。

 ぐっと盛り上がる肩も腕も、シェスティンには持ち得ないものだった。


「それは竜の鱗を傷付けられる物なのか?」

「予定ではな」

「……あなたの理由は、金、だったのか?」


 ぶんと冷えた空気を切り裂いて、男の剣が啼く。

 聞くつもりがなかった質問をシェスティンにさせたのは、そのこえだったのかもしれない。


「いいや。鱗そのものさ。参加直前には、それも要らなくなっちまったがな」


 それ以上は、男もシェスティンも語らなかった。ただ黙って剣の啼く声をその身に染み渡らせていた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る