2-10 傭兵は女を求む

 次の日からシェスティン達の班は一気に森の奥地へと飛ばされた。テント持参で二泊から三泊、北の原っぱベースで一日休みというルーティンだ。言うまでもなく、あの猪を仕留めたことで力量有りと判断されたのだ。

 騎士達に混じっての探索は窮屈だな、とシェスティンは眉を寄せながらも指示に従う。


 森の奥は野生動物との鉢合わせも少なくない。大人数で入り込むので、小動物などは身を隠しているが、冬籠りの支度を始めたい熊や狼には何度も出会った。狼などは群れでいることが常なので、一匹見掛けると騎士団に報告して油断なく仕留めていかねばならない。

 久々に危険なものとは出会わずに自分の担当範囲を探索し終えたシェスティンは、暗くなる前に宿営地へと戻り始めていた。


「よう。何かあったか?」


 生き物の気配に、剣に手をかけたシェスティンに、のんきな声がかかる。赤茶の布を頭に巻いて長剣を背負った男が、片手を上げてシェスティンに寄って来るところだった。他の班員はどちらかというと彼女を遠巻きにして必要以上に係わってこないのに、この男は相変わらずだ。


「岩肌から水が滲み出してたくらいだな。どこかに小さな湖くらいあるかもしれない」

「水があれば、生き物もいる……ってか。よく見てるよなぁ……なあ……」


 必要以上に近付いて、男はおもむろにシェスティンの腰を抱き寄せた。


「そろそろ俺に抱かれない?」

「……何故?」

「……そういうところ、ぞくぞくすンだよな」


 脇腹に当たるシェスティンのナイフの感覚に、男は苦笑すると彼女を抱き締めるようにして耳元に口を寄せた。


 ――あんた、目ぇつけられてんぞ。


 一瞬の囁きは甘くはなかった。


「かもな」


 飛びかかるスヴァットを軽くガードして、振り上げられるナイフもひょいと避け、男は離れていった。


「おぉ、怖ぇ」

「ワタシに触るな」

「いいじゃねぇか。減るもんじゃなし」

「減るものもあるんだよ」


 シェスティンはナイフをしまうとまた歩き出す。


「……あれ? おしまい?」

「無駄な体力は使わないことにしてるんだ」

「まぁ、基本だな。で? これに参加した本当の目的は? 金じゃないんだろ」


 深く息を吐き出して、シェスティンは男を振り返る。


「薬が欲しかったのと、好奇心。竜を見てみたいんだ」

「それだけ? それだけで、死ぬかもしれない探索に?」

「死なない。いいからほっといてくれ」


 探るような男の目を振り切るように足を速めると、ぼそりと男の声が追ってきた。


「……ほっとけねぇんだよなぁ」


 自分の存在が周囲に不自然に映るだろうというのは、シェスティンは理解しているつもりだった。ただ、傭兵のような寄せ集めに混じるのなら、ある程度力を示せば納得してくれるのではないか、とも思っていたのも事実だ。

 結局なんだか悪目立ちしたようで、最前線に放り込まれ監視されてるといったところだろうか。

 難しいな、と口の中で呟いて嘆息する。


 騎士団の力量はよく解らないが、あまり不信がられるようなら離脱も考えなければ。

 竜がいるのなら、話したかったのに。

 街で人魚を探しながら様子を見守るのもありかと、彼女はどう抜けるかを考え始める。どちらにしても一騒動必要だなと、味気ない糧食を口にした後、テントの入口側を陣取って、シェスティンは毛布をひっ被った。




 スヴァットの声に目を開けると、目の前に左手を抱えた男が見えた。頭には赤茶の布。


「夜這いか?」

「失礼な。ヤリたきゃ正面から誘うわ。あんな奴等と一緒にされたくねぇ。見張りの交代の時間だ」


 憮然とスヴァットを睨みつけながら言うので、シェスティンはにやりと笑った。


「役に立つだろ?」


 腰の小物入れから傷薬を出して、男の手の三本線に塗り付けてやってから、シェスティンは外に出る。軽く身体を伸ばしていると男も出てきてシェスティンに並んだ。

 彼女が所定位置まで移動すると男もついてくる。


「なんだ? 交代だろう?」


 渋い顔を男に向ければ、わざとらしく視線を逸らし、足を開いて両手を後ろに回した。シェスティンに並んで、まるで自分が見張りをするように。


「暇なんでな。いいだろ? 眠気覚ましに話し相手になってやるよ」

「交代の意味ないだろ。寝ろよ」

「もう結構長い期間一緒に寝起きしてんだ。もうちっと仲良くしようや」

「まだ十日も経ってないだろ」

「つれねぇなぁ」

「スヴァット。遊んでやれ」

「え」


 にゃおん、とご機嫌な声で容赦なく男に飛びかかるスヴァットと、本当にしばらくの間、男は遊んでいた。終いにはその辺の長い草を手に座り込んで、右に左にスヴァットを誘導する。


「……なぁ、本当に俺に抱かれない?」

「しつこいな……ワタシを落とすと、どんな報酬がもらえるんだ?」


 ぴたりと、男の手が止まった。


「……報酬は、何も。俺にムチューですよぉって自慢できる」

「一度抱いたくらいじゃ、納得しないんじゃないか?」

「じゃあ、今から毎日、朝も晩も。それで」

「断る」


 上げた顔の目の前にシェスティンのナイフが見えて、男は溜息を吐いた。


「だって、納得しねぇだろ? 『竜を見たいんです』なんて」

「嘘じゃないんだがな」

「だいたい、そのナリであれはねぇだろうよ」

「は?」

「自分よりでけぇ熊相手に怯みもせずに急所を一突きとか。慣れ過ぎてて怖ぇわ」


 きょとんとしたシェスティンの顔を見て、男はさらに深く息を吐き出した。


「……あぁ、なんとなく、わかった。猪の時も、狼の時も……多分同じだったんだろ。最小限の動きで、相手の急所を狙う」

「動物は動きが読みやすいからな。効率的だろ?」


 何が悪いのかと、シェスティンは首を傾げた。


「確かにな。だけどあんたはそれだけじゃねぇ。普通の狩人が引くべきところでも前に出る。死ぬのが怖くねぇみてぇに」


 あぁ、とシェスティンは男から視線を外した。人も動物も、仕留めたと思った瞬間に隙が出来る。怖くない訳ではないが、確かにそれを何度も利用した。才能があるわけでもない彼女にはひとりで剣の腕を磨くより、一瞬の痛みに慣れるほうが楽だったのだ。

 討伐に加わってからはそれでも、攻撃されないように、怪我をしないように気を付けていたのだが、長年染みついた動きは隠せるものでもないらしい。


「その、微妙に整った容姿とか、妙に落ち着いた態度とか、そういうのひっくるめてどこの暗殺要員だって思われたんだろうなぁ」

「暗殺が目的なら、気付かれないようにするだろ。勘違いですって言っとけ。だいたい、どれをればいいのかワタシには判らん」

「本職に聞いても似たような答えが返ってくるだろうよ」

「面倒だな」


 シェスティンは自分の呟きにふいにラヴロを思い出した。長く係わるうちに性格まで似てくるのだろうか。それとも、人との係わりを避けているとそうなっていくのだろうか。


「だから、俺に抱かれとけよ。な?」


 にこにこと能天気に笑う男にもう一度ナイフを突きつけ直して、シェスティンは冷たい目を向けた。


「もう断った」


 スヴァットが動かなくなった男の手にしがみついて動かせと要求している。


「あなたに抱かれたとして、あなたが籠絡されたと思われるのがオチだろう?」

「俺も、その方が楽なんだがなぁ」


 仕方なさげに手にした草を軽く動かして、男は小さく息を吐き出した。

 愉しげに草を追いかけるスヴァットを見て、シェスティンはナイフを鞘に戻す。元のように両腕を後ろに回して視線を前に戻したところで、低く唸るような声と空に向かう一筋の明かりを見た。続けて何発かの銃声。

 とっさに首から下げていた笛を吹いて周囲に危急を知らせると、自らは明かりを追って駆け出した。

 すぐにスヴァットと男も追いついてくる。


「確か、騎士達の寝泊まりしている方だよな?」

「ああ」


 確認するシェスティンに男は短く答えて、剣の柄に手をかけながら彼女の少し前に出た。


「聞いたことのねぇ声がしやがった」


 シェスティンには見当がついていた。同じ、ではないが似たような唸り声は何度も聞いている。

 先を譲ってくれそうにはないな、と男の背中を見てシェスティンは眉根を寄せた。


「スヴァット」


 前を行く黒猫に声を掛けると、戻ってきて器用にシェスティンを駆け上り、肩の上でバランスを取る。シェスティンは少し速度を落としてスヴァットに囁いた。


「ワタシはいい。彼を。出来れば少し邪魔してほしい」


 にゃ! と、少し悪だくみをするように瞳を細めてから、スヴァットはまた先を行く。それを追うようにシェスティンも速度を上げ、男の後ろについたのだった。



 ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇



 騎士団の宿営地に近付くにつれ、冷やりとした冷気がシェスティンの頬を撫でていく。おかしいと思う頃には目の前は開けて、所々で凍りついたテントが見えた。

 一番後方で、出発式の時に壇上に上がったオールバックの中年が、数人に守られながらも厳しい顔で宙を睨んでいる。視線を追えば、白い巨体が遠ざかっていくところだった。


「撃退したのか?」


 その辺に転がって、まだ息のある者に問い詰める。


「……わか……らん。攻撃は、したが」


 凍りついた物の中に小さい砲台があるのを見て、シェスティンは小さく舌打ちした。あんなものまで運び込んでいたなんて。

 竜は飛んではいない。飛べないのか、飛ばないのか。

 すぐに後を追う。


「あっ、おい!?」


 場は混乱していて、あれを追おうという者はいないようだった。シェスティンには好都合だ。追いつけるかどうかだけが問題だった。


「待てよ! ひとりじゃ無謀だろ!? 指示を――」

「行先を確かめる! そう言っといてくれ!」


 追いついてきた男を手で制して速度を上げる。並走していたスヴァットがおもむろに男の顔の前に飛び出して、驚いた男はたたらを踏んだ。


「――っおいっ!!」


 遠ざかる叫び声を無視して、シェスティンは木々の間を駆けた。

 ようやく森を抜け、視界が開けると北方の山に向かう白い竜の姿が意外と近くに見えた。足はしっかり地面を捉えていて、攻撃されて弱っているような感じはない。だが、どういうつもりか、歩みは遅い。

 少し息を整えてから、シェスティンはまた走る。

 左右に振られる尾に巻き込まれぬよう気を付けながら近づき、声を上げる。


「待て! 『白き竜』!」


 聞こえたかどうか。一瞬、歩みを止め、白い竜は後ろを振り返った。駆け寄るシェスティンを視界に留めると、その尾をゆっくりと叩きつけた。

 地が揺れ、シェスティンの足ももつれて転がる。けれど、反動を利用してもう一度起き出し、また走り始める。


「聞いてくれ! 少しだけ、話を!」


 竜は己とシェスティンが来た森の方を見やると、他の追跡が無いことを確かめてから、近寄るシェスティンを爪の先であしらうように転がした。スヴァットが駆け寄っていく。

 その様子を少しだけ不思議そうに白い竜は見ていた。


「大丈夫。手加減してくれてる」


 咳込んでから、息を整えるとシェスティンは顔を上げた。白い竜と目が合う。ラヴロと同じような金色の瞳。


「話せるだろう? 別に、馴れ合おうとかそういうつもりは、ない。ただ、何故今更姿を見せたのか、それが、聞きたくて」


 竜は前脚でシェスティンを押さえ付ける。食って掛かろうとするスヴァットを彼女は止めた。


「スヴァット、離れてろ。ワタシはすぐに、から」


 竜の瞳が少し細められる。言葉の意味を理解している証拠だと、シェスティンは思った。


「竜の鱗を欲するあまりに、人間はあなたを探すのを諦めない。一度なら、誰かの見間違えで済んだのに、何故騎士団の前に姿を」


 表情を変えないまま、シェスティンを押さえ付ける力を少し緩めたかと思うと、竜はその鋭い爪をシェスティンの腹に食い込ませた。

 シェスティンの絶叫が辺りにこだまする。爪に添えられたシェスティンの震える手から力が抜け、声が無くなると、竜は無造作にその手を振ってシェスティンを振り落とした。一瞥されたスヴァットは動くことも出来ない。

 竜はもう一度後方を確認して、また山の方へと足を向ける。


「『孤高の竜』はまだ生きている。あなたが見られたことで、彼にも手が伸びるのは避けたい」


 吐きだした血で汚れた口元を拭いながらふらりと立ち上がるシェスティンに、白い竜は目を見開いた。


「スヴァット、動くな」


 ひと鳴きして駆け寄ろうとした黒猫に、シェスティンは顔も向けずに命ずる。


「仲間意識はないと聞いているから、こんなことを言っても何にもならないかもしれないが」


 次に振るわれた爪は容赦がなかった。ラヴロのように、痛みを感じる暇がないくらいに鋭く狙いすまされ、一瞬でシェスティンの首を刎ね飛ばす。

 転がる首の行方をスヴァットは追えなかった。


「あなたが『白雪スネーヴィート』だろう?」


 だから、次に聞こえたシェスティンの声にほっとして、スヴァットはゆっくりと目を開ける。

 白い竜は明らかに怯えを持って、一歩後ずさった。




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