2-2 女は安眠を誘う

 トイレがついているだけ、良かったかもしれない。風呂はついていても使えそうになかったし、元々シェスティンは一泊のつもりだったから、雨風が凌げればそれで良かったのだ。

 躊躇う男を促してベッドを窓の方へと寄せてしまう。タイミングよく主人が布団や毛布を運んできてくれたので、ベッドの横に衝立を立て、床に毛布を半分にして敷いた。当然のように、シェスティンはその上に陣取る。


「……待って、待って。君がそっちとか、ありえないでしょ」

「何故?」


 不思議そうな顔をするシェスティンに男はがっくりと肩を落とした。


「女性を床に寝せるなんて、男としてできるわけが――」

「無理に割り込んだのはこちらだし、正直あなたがベッド以外で寝たことがあると思えない。ワタシは野宿もするし、木の上で寝たこともあるし、あなたよりも床の上でちゃんと寝られる自信がある」


 そういうことではなくて……と言いかけた男を再び遮って、シェスティンは男の荷物を指差した。


「男の沽券論はどうでもいい。女扱いしてベッドに誘いたいのか? 売り物を見せてくれるんだろう?」


 男は言葉に詰まり、それでもまだ何度か口を開こうとして、やがて諦めた。背負子に括られた自分の荷物を解いて木箱をひとつ下ろし、中身をシェスティンの前へ並べ始める。

 大小さまざまなナイフやダガー、刃の曲がったものや装飾華美なお土産用品、持ち手がH字になってるような珍しいものまで意外と種類は豊富だった。


「……何に使うんだ? 護身用とか、剣の補助ならこの辺りだが……」

「小動物の解体にも使いやすい少し小振りのにしようかと。今のは切れ味が落ちてきてて、研ぎ直してもいいんだが、どっちにしても少し大きいんだよな」


 一般的なシンプルな短剣を背負い袋から取り出して、シェスティンは男に渡す。


「替えが見つかればそれも引き取ってくれると嬉しいな」


 鞘から抜いて、その剣身を一通り確かめてから、男は箱から新たに何本か取り出した。難しい顔をしながら、三本を選び出してシェスティンの前に押し出す。

 今よりも一回り小さいありふれた両刃の短剣。小さな曲刀のようなもの、そして刃先の背側に小さな鉤の付いたもの。


「こんなとこかなぁ。俺は猟はしないからな。売れ筋からの推測だが」


 シェスティンは鉤の付いたものを手に取り、握りを確かめる。鉤の部分も内側にきちんと刃が付いていた。


「いいな。足に固定するタイプの鞘もあれば、一緒に買うぞ」


 少々考え込んで、男は荷物を引っ掻き回す。


「ああ、あったあった。これでどうだ?」

「上等だ」


 使い込まれて飴色になった皮のレッグシースを、シェスティンはその場でつけて見せた。腰のベルトから下げるように支える物で、これからの季節ならマントや上着で充分隠せる。

 ほくほくするシェスティンを男は少し呆れたように見ていた。


「保身が一番なんだろうが……女性が身につけるなら、ドレスや宝石の方が俺の目には嬉しいね」

「あんな窮屈なもの、毎日着たいとは思わないな。宝石は日々の糧にしかならない」

「……何があったか知らないが、俺が会った旅人の中で、君が一番謎だな」


 料金を受け取りながら溜息を吐く男に、シェスティンはふふと笑った。


「宝石類も扱ってるのか?」

「多少、な。そういうのを買える人間は俺からは買わないから」


 見るか? と煉瓦くらいの大きさの薄い箱を開けて男は差し出した。

 石の小振りなアクセサリーが大半だった。一旗揚げた傭兵なんかが妻に恋人にお土産で買うのかもしれない。ラヴロには小さすぎるな、とシェスティンはこっそり笑う。

 スヴァットが興味深げに覗きに来て、匂いを嗅ぐ仕種をしていた。


「ありがとう。見るだけにしとくよ。そうだ、薬があるんだったな。傷薬を少しと睡眠薬をくれないか」

「いいぞ。睡眠薬はどのくらいだ? 毎晩飲むわけじゃないんだろう?」

「一回分でいい。どのくらいで効き始める?」


 小さな引き出しの沢山ついた木箱に手をかけて、男はシェスティンを振り返る。


「飲んだことないのか? 一時間程度で効いてくると思うが」


 銀色の丸い缶と白い包みを一包受け取って、シェスティンはにっこりと笑った。


「もう今日はあんたも終いなんだろ? 一緒に飯でも食べよう」


 男が荷物を片付けるのを待って、シェスティン達は併設の酒場へと足を運んだ。朝食は出るが、夜は自費だ。スヴァットの分は交渉してあるので頼めば出てくる。シェスティンがコインを出そうとしたので、男は止めようと手を伸ばした。その手に、スヴァットが飛びついた。


「わっ」


 上手くテーブルに飛び乗ったスヴァットは、男を見て窘めるように一声鳴く。シェスティンはにやにや笑ってスヴァットの喉元を撫でた。


「触るなと言ったろう? 番猫だからな」


 男は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、飛びつかれた手を擦る。


「そんな下心はなかったんだが。色々買ってもらったし、ここは俺が出すから」

「それはワタシの出した金で飯を食べるのと、どう違うんだ?」


 ますます男は苦い顔をして、忌々しそうに吐き出した。


「俺の気持ちが違う」

「そうか。ではおとなしく馳走になるとしよう」


 笑んだまま頷くシェスティンに、男は「全然おとなしくない」とぶつぶついいながら片手を上げて店員を呼んだ。




 こういう所に慣れている割には食事する姿勢も作法も小奇麗で、男の育ちの良さを感じさせた。人心地ついてしまうと、シェスティンは葡萄酒を一杯頼んで、男が肉を口に運ぶのを見ながら頬杖をつく。


「……あの、鎮痛薬、何が違うんだい?」


 ぴたりと、男の手が止まる。無意識なのか、意識的になのか、辺りを見渡して声を落とした。


「……ちょっと、一部特別な材料を使ってて――最近は手に入りにくいから、それで医者の方も薬を変えたのかな、と」

「へぇ。特別な材料、ね。この街の医者とはみんな知り合いなのかい?」

「みんなといっても、この街には医者は二人しかいない。どちらとも面識はあるが……」


 それ以上は口を噤んで、男は食べることに専念する。シェスティンも特にそれ以上を促したりしなかった。

 男がそろそろ食べ終わるかという頃、頼んだはずの葡萄酒にシェスティンが手をつけていないことに彼は気付いた。


「なんだ。頼んだのに飲まないのか?」

「これかい?」


 膝の上の黒猫を撫でながら、シェスティンは口角を上げる。かさり、と、周りの喧騒のせいで聞こえるはずのない音を男は聞いた。

 シェスティンの指先には白い小さな包み。


「もう、寝るだけ、だろう?」


 にこにこしている彼女とは対照的に、男の顔はひきつっていた。シェスティンの細い指が包みを開き、葡萄酒の中に白い粉が沈んでいく。もう力の入っていない男の手からフォークを奪うようにして、それでグラスの中をかき混ぜた。


「どうぞ」


 差し出された赤紫の液体に溶けきらない白い粒がくるくると螺旋を描いていく。

 男は嘆息した。


「そこまで、するなら、何故同室を承諾したんだ」

「あなたが薬を扱ってると聞いていたからですよ。別に毒物じゃない。ぐっすり眠るだけだ。だろう?」

「火事になっても、苦しまずに死ねそうだな!」


 男は自棄になって葡萄酒を一気に煽ると、テーブルに叩きつけるようにしてグラスを置いた。文句はないだろうとシェスティンを睨みつけたまま、男はぐいと口元を拭う。


「その時は責任を持ってワタシが連れ出すよ。荷物は諦めてもらうしかないが。大切な物は抱いて寝るんだな」

「ご忠告、ありがとう」


 皿に残った野菜類をかき込むように口に突っ込んで、男は音を立てて立ち上がり、そのまま踵を返した。シェスティンは苦笑しながらゆっくりとその後を追う。彼女が部屋に戻る頃には、男は衝立の向こうでごそごそと寝る準備をしているようだった。


「ひとつ言っておくが……あれはどちらかというと、あなたの為だからな?」


 毛布の上に腰を下ろし、シェスティンは話しかける。

 一泊の行きずりの人間に説明する必要も、言い訳もいらないのだが。


「……そうかい。そりゃ、どーーも」

「あなた、呪われた人を診たことがあるかい?」

「はぁ?」

「原因不明の発疹が出たり、顔が爛れて治らなかったり、妙な痣ができたり。薬じゃ治せないのが特徴だな」

「そんなのは、呪いじゃなくたって普通に」

「そうだな。見分けるのは難しい。そんな風にワタシも普通に見えるんだろう?」


 衝立の向こうから返事はなかった。


「ワタシは普通じゃない。万が一どころか、億が一が起こるのも嫌だ。だから、あなたは眠っていた方がいい。ぐっすりと」


 男は布団に潜り込みながら、どんどんぼんやりする頭でその意味を汲取ろうとしていた。


「まんがいち、なんて。君を、どうにかしようなんて、」

「違う。なるのはワタシじゃない。だ」


 衝立を回り込んで、男のベッドの足元に人の立つ気配がする。彼が顔を上げると世界がぐるんと回った。


「……酒と混ぜるのは、まずかったか? すまない」


 男の目には苦笑する少女が三人にも四人にも見える。瞬きの速度もそれと分かるほどゆっくりになった。


「ひとつ、忠告を。女だからと言って差し出された物を信用して飲んだり、食べたりしない方がいい。仲間がいてこのまま荷物一式持ち去られることもある。最悪だと命も落とすぞ」


 お前が言うな! という男の叫びは闇の中に飲み込まれて、出てくることはなかった。




 目が覚めて、男は文字通り飛び起きた。

 まず、自分が五体満足であることを確認して、それから荷物に視線を向ける。見た限りでは異常は何もないようだった。昨夜、眠りに落ちる寸前はもう目が覚めないかもしれないと恐怖を感じていたのだが、肩透かしを食らった気分だ。


「おはよう」


 衝立の向こうから少女が顔を出す。思わず男の顔が強張った。


「心配しなくても、荷物やあなたに触ったりしてないよ。確認してくれて構わない。それが終わったら飯にしよう」


 朗らかに笑うシェスティンに男は毒気を抜かれる。彼女が頭を引込めると、男はズボンに足を通した。

 どうも彼女という人物が掴めない。男に薬を飲ませたのも、自分の為では無いなどと言うし。飯だって別で食べたっていいのだ。これ以上何を――

 確かに荷物は物の位置ひとつ変わっていなかった。


「昨夜の、忠告は」


 朝食が出て来るまでの間、決まり悪そうに男が口を開く。


「よく覚えてないか? 旅をしていく上では女子供にも気を付けろって話さ。ワタシは目の前で薬を盛ったし、金目の物にも命にも興味がないから良かったな。薬をすり替えられたり、陰で盛られると大変だぞ」

「そんな目にあったことがあるのか?」

「ある」


 笑顔が変わらぬのに、すっと空気が冷えた気がして、男は思わず身震いした。


「甘い言葉を吐く奴に碌な奴はいない。あなたは人が良さそうだから、気を付けることだ」


 ちょうど給仕がトレーを運んできて、男の返事は宙に浮いたまま、いつの間にか霧散してしまった。

 しばらく黙々と食事を続けていると、宿の主人が男を呼ぶ声がした。


「おっ、いたいた。お客さんだぞ。こっちに通すからな」


 そういう主人の後ろからやってきたのは、昨日の母娘の母親だった。

 男を訪ねてきたのならば、昨日の薬の話だろう。


「席を外そうか?」


 男が母親に席を勧めている間にシェスティンは立ち上がろうとした。


「いいえ。大丈夫ですから、どうかそのまま。昨日はどうも。ご一緒だったんですね」

「ええ。売り物を見せてもらったりしたんです」


 シェスティンは男に引き継ぐように視線を流して、そのまま食事を再開する。


「俺を訪ねて来られたということは、薬が効いたのですか?」

「はい。とても」


 母親は力強く頷く。


「母も久しぶりに朝までぐっすり眠れたと……あの、どのくらいの金額で、在庫はいくつくらいあるのでしょう? せめて、夜くらいゆっくり眠らせてあげたいんです」


 男は小さく息を吐いた。


「残りは五つ。申し訳ないが、ここの医者が出せなくなってるのであれば、それ以上は手に入りそうにない」

「母は、お医者様の薬より効くと……あなたが調合されているのではないのですか?」

「誰の調合、というより、材料がないんです。大きな街でも手に入らなくなってて、個人ではとても……」


 二人は同時にテーブルの上に視線を落とした。

 値段を聞くと、母親の顔はまた険しくなった。沈黙が続く。


「材料が手に入れば、もう少し安く出せるのか?」


 食事の終わったらしいシェスティンの声にはっとしたように二人の視線が動く。


「そりゃ……まぁ。だが……」

「じゃあ、飯が終わったら場所を移そう。ワタシも役に立てる気がする」


 男と母親は一度顔を見合わせてから、同時に立ち上がった。シェスティンは面食らう。


「じゃあ、行こう」

「え。あなた、まだ途中……」

「もういい」


 母親を促して部屋に向かう男を、スヴァットが頭を突っ込んで食べている皿を引っ掴んで、シェスティンは慌てて追いかけた。後ろからスヴァットの抗議の声が上がる。


「部屋で食え。文句はあの男に!」


 ついさっきした話を、男は理解しなかったのだろうか。たまたま乗り合わせただけの母娘に、そこまで親身にならずとも。

 そうは思ったが、うっかり口を出した自分もあまり彼を責められないことに気付いて、シェスティンはひとり苦笑した。




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