1-6 竜騎士と金貨
来たときと同じように半日ほどかけて森を抜ける。スヴァットは好き勝手に駆け回り、疲れるとシェスティンの背負い袋によじ登って上手くバランスを取りながら眠っていた。
のんびりとした街は相変わらずで、シェスティンが猫と一緒に宿をとろうとした時も、それほど嫌な顔はされなかった。スヴァットが懐こく宿の主人に愛想を振りまいたお陰かもしれない。
少し宿代に色を付けてスヴァットの分の食事も融通してもらい、追加料金を払って湯を頼んだ。
布で申し訳程度に仕切られた湯浴み場に湯を運んでもらうと、シェスティンは丁寧に身体を拭き、髪と頭も洗った。
身支度を整えて、さすがに覗きに来ることのなかったスヴァットを呼びつける。おそるおそる顔を出したスヴァットを手早く桶の中に突っ込めば、一瞬毛を逆立てた後に自ら湯に沈んで、うっとりと目を閉じた。
「気持ちいいだろ」
なー、と至福の声に続いてゴロゴロと喉が鳴った。
それを見ながら髪を拭いてしまい、元のように編んでいく。それから蕩けそうなスヴァットを、マッサージするようにくまなく洗ってやるのだった。
さっぱりして少し早めの夕食を食べてしまうと、シェスティンは早々にベッドに入った。ラヴロのように体温で包んではくれないが、久々のベッドはあっという間にシェスティンを眠りに誘う。
スヴァットはしばらくの間、窓から外を眺めていたが、やがてサイドテーブルの上にあったランプを器用に消して、シェスティンの肩口から布団に潜り込んでいった。
翌朝早くにシェスティンが目覚めた時、右腕の感覚が無かった。ぎょっとして確かめると二の腕を枕に――いや、体ごと乗せて、スヴァットが爆睡している。
腕を抜こうにも、肩から先が欠落しているみたいに全くいうことをきかなかった。
左手で何とかスヴァットを押しやり、半身を起こして、シェスティンは作り物のような自分の手を持ち上げてみた。確かに重さはあるが、掴まれているという感覚は少しも無い。指一本さえ動かせなくて、左手を離すとそれはぼたりと膝の上に落ちた。
何が起きているのか良く解らずに、シェスティンは愕然として、投げ出された腕をしばらくのあいだ眺めていた。
スヴァットの受けている呪いの一つでも貰ったのかと、呑気に寝こけている黒猫に視線を移してみたが、やがてじんわりと痺れるような感覚が右腕に戻ってきた。
それは段々強くなり、ピリピリと痛みを伝えると共に指先も動かせるようになる。シェスティンは痺れ過ぎると感覚がなくなるということを、初めて体験していた。
多少なりともほっとして、痺れた右腕を揉みほぐし、粗方痺れがとれたところで呑気な黒猫の額を指で弾いてやった。
寝惚け眼のスヴァットを連れて朝市を見に行くと、彼に意外にも沢山の声がかかる。シェスティンは内心驚いていた。黒猫は魔女の使いだとか、不吉だとか言われて、もっと忌み嫌われているイメージがあったのに。
野菜の端っこや魚のお頭をもらっては愛想を振りまくスヴァットを見て、シェスティンは、時は確実に過ぎているのだなと少しだけ口角を上げた。
もちろん、嫌な顔をする人がいない訳ではない。それは年配の人に多く、そういう人物にはスヴァットも無理に近付こうとしなかった。
フルーツを少しと少なくなってきた
石畳から少し外れた、土が剥き出しになっている辺りまでとっとっと歩いて行く。何かと思えば、爪でその土に半円のひっかき傷をつけ、そこに頭の無い骨を置いた。スヴァットは、にゃあ、と鳴いてシェスティンを見上げるのだが、何を言いたいのか彼女にはよく解らない。
「何だ? 魚をもっと食べたいのか?」
皿の上の魚にも見えて、シェスティンは首を傾げる。
ふるふると首を振って半眼でちょっと考えるような顔をすると、スヴァットは辺りを見回した。それから、にゃ! と短く鳴き、いずこかへと走ってゆく。目で追っていくうちに、彼は細い路地へと飛び込んで行った。
妙な落書きと共に残されて、シェスティンは途方に暮れる。追えばいいのか、待てばいいのかも定かではない。
「まいったな」
ひとりごちて頭を掻く。宿に戻って朝食を食べたら城に行こうと思ってたのに。竜の鱗を持ってきたと言えば、多少時間が早くても報奨は貰えるだろう。王には会えないかもしれないが。
そんなことを考えながらしばらく立ち尽くしていると、先程飛び込んで行った路地とは違う路地からスヴァットが飛び出してきた。真直ぐにこちらに向かうその口には何かが咥えられている。
落書きの所まで戻ってきて、スヴァットは魚の骨の上に咥えていた物をぽとりと落とした。
しゃがみこんでよく見てみれば、それは人形の頭部だった。どこから拾ってきたのか、胴体はどうしたのか。初めからなかったのか、首だけもいできたのか。半分呆れて見ていると、スヴァットは足先で器用にその首を動かして、丁度魚の頭のあった所に合わせるようにそれを置いた。な! と、得意げな顔で見上げられる。
「ええっと……人面魚?」
バシッとブーツに猫パンチが飛んでくる。違うようだ。
人形の頭に、魚の身体……
「もしかして、人魚って言いたいのか?」
な〜ん♪ と目を細めてスヴァットが鳴く。
「人魚を食いたいのか? 不老不死の話はただの伝説だぞ」
バシバシと猫パンチが繰り出される。食べたい訳ではないようだ。
スヴァットが爪を出し、人形の目から頬にかけて慎重に何度かなぞった。
「……涙? 人魚の涙か」
シェスティンはようやくスヴァットの言わんとしていることが見えてきた。
「つまり、呪いを解くのに必要なものなんだな? 次は人魚に会いたいと」
すっと色違いの瞳を眇めて、スヴァットは満足そうに頷く。
特に当てのある旅をしている訳ではないので、次の目的地を人魚伝説の残る街にするくらいは問題無かった。だが。
「人魚がまだいるかどうかは、わからんぞ」
ふっとシェスティンの口から息が漏れた。
竜と同じように人魚も適当な噂で乱獲され、その話さえ聞かなくなって久しかった。竜のように力があるわけでも火を吹けるわけでもないので、竜よりも悲惨な状況であることは想像に難くない。残念ながら人魚の友達もシェスティンにはいなかった。
そう聞いても、スヴァットは気落ちする様子もなく妙な自信を漲らせて、にゃ! と、シェスティンの肩によじ登っていくのだった。
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
城の跳ね橋前の衛兵はいつもそうなのか、偶然か、以前に声を掛けた男だった。
鱗を持ってきたと伝えると、ぎょっとしてまじまじと顔を見られる。ようやく思い出したのか、もうひとりの衛兵に何やら指示を出した。その人物が橋を下ろし、城の中へと駆けて行くのを確かめると、厳しい顔でシェスティンに言った。
「モノを確認したい」
「出すのは憚られるから、覗くだけにしてくれ」
やれやれと肩を竦めて、シェスティンは背負い袋を下ろし、その口を開けて衛兵に差し出した。
背負い袋の中には雑多に物が詰め込まれており、底の方には着替えやタオル等の布類が、その上にロープや干した肉、果物などが見え、確かに黒っぽい大きな鱗のような物も数枚入っていた。
「鑑定士くらいはいるんだろう?」
一介の衛兵に真偽が見抜けるとも思えずに、シェスティンがにやりと笑って言うと、その衛兵は渋い顔をして黙り込んだ。袋の口を閉じ、元のように背負い直している彼女の服の胸元の裂け目に衛兵が視線を向ける。
「……竜にやられたのか?」
視線を追って、シェスティンはいや、と笑った。
「同じように竜の鱗を探す輩と鉢合わせてね。襲われそうになった」
「それを見せびらかして歩いてたのか?」
「まさか。女に飢えてたんだろうさ。鱗だって棲家になりそうな場所に入り込んで、ようやくそれらしいのを拾ったんだ。もうどろどろになるし、蜘蛛の巣は被るしで散々さ。宿で湯をもらって何とか人心地ついたよ」
あはは、と笑い声が重なった。
「運がいいんだな。竜の棲家なんてもう探しつくされたと思っていたが」
「他の動物が貯めこんでいた一部かもしれないしな。ともかく、本物だと鑑定されるのを期待してるよ」
もうひとりの衛兵が戻ってきたのを確認して、シェスティンは、じゃ、とその衛兵の横をすり抜けた。
案内されたのは入り口傍の兵士の詰所のようなところだった。壁際に
やがて紫の衣に身を包んだ白髪の鑑定士と思われる年寄りがやってきて、シェスティンを見て眉を寄せた。
「お名前を……なんと言いましたかな」
「シェスティン」
臆することなく視線をぶつけながら答えるシェスティンに、老鑑定士はややたじろぎ、目を見張る。
「シェスティンが……鱗を持ち帰る……」
入口を固めている兵士に聞こえないくらいの音量の呟きに、彼女はおや、と表情を緩めた。
「見ますか?」
無造作ともいえる手つきで、シェスティンは背負い袋から鱗を一枚取り出した。老鑑定士はそっと受け取り、軽く光にかざしながら指で何度か弾いて感触を確かめる。それから小さく溜息を吐くと、鱗をシェスティンに返した。
「……失礼した。シェスティン殿。こちらへ」
自ら先導し、動揺する兵士たちを手で制すと、老鑑定士は部屋を出て、赤い絨毯を踏みしめ階段を登り始めた。
次に案内されたのは無駄に広い豪奢な部屋だった。染みひとつ無いテーブルクロスのかけられたテーブルは十人は余裕で座れる大きさで、椅子ひとつとっても、ひじ掛けや背もたれの縁に金があしらわれている。壁には有名画家の絵画が掛けられ、天井には宗教画が描かれていた。
そのテーブルの端につくよう促され、シェスティンは今度は居たたまれなくなる。
「汚れると、困りますので……」
やんわり断ると、老鑑定士は椅子を引き、いいからと彼女を座らせた。
「今、飲み物を持たせます。その間に鑑定してしまいましょう」
シェスティンが三枚の鱗を差し出すと、老鑑定士は目に嵌めるタイプのルーペを取り出し、真剣に鑑定を始めた。静かな数分が過ぎ、ノックと共に侍女がやって来て、シェスティンの前に高そうなカップに入った紅茶を差し出す。彼女が一礼して出て行ってから、シェスティンはカップに手をつけた。
こんな高そうなお茶を飲んだのはいつ以来だろうか。出された物は腹に入れてしまわないともったいないとばかりに、彼女はゆっくりとそれを飲み干した。
カップとソーサーがぶつかる小さな音が響いて、老鑑定士は長く息を吐きながらルーペを外した。
「まだ、一枚分しか見られてないのでは?」
シェスティンが指摘すると、老鑑定士はゆっくりと首を振る。
「必要ありませんでしょう。『シェスティン』が持ち帰ったのですから」
「衛兵が仰いましたか?」
さらに彼は首を振った。
「私の師から受け継いだ言葉であります。この国で竜の鱗が必要になるとシェスティンがそれを持ち帰ると」
「それを信用して?」
いかにも可笑しそうにシェスティンは笑った。
「ただの偶然かもしれませんよ」
「しかし、この鱗は本物です。そして、それを持ち帰った者は『シェスティン』を名乗っている」
老鑑定士の瞳は好奇心で輝いていたが、それを口に出すようなことはしなかった。
「報奨をお持ちします」
手元のベルを振って侍女を呼び出すと、老鑑定士は小さく何かを告げた。すぐに彼女は出て行き、またふたりになる。
「師にはこうも言われました。聞くなと。それが国を潰さぬ方法だと」
「若者はもうそんな話に耳を傾けないのでしょうね」
どうみても自分もその若者のうちに見えるというのに、シェスティンは困ったというように微笑んだ。
「私も半信半疑でした。今日までは」
再びドアがノックされ、兵士二人に挟まれた侍女が金貨の入っているであろう袋を金属のトレーに乗せて入ってきた。それを三袋老鑑定士の前に恭しく置くと、兵士をドアの内側に置いて戻っていく。
老鑑定師は一袋ずつ中身を数え、間違いないことを確認してから、それをシェスティンの前に差し出した。
「お納め下さい」
頷いて数枚腰の袋に移してから、あとは背負い袋へと仕舞い込んだ。
「どのくらいもつと思う?」
椅子から立ち上がりながら、シェスティンが聞く。老鑑定士は少し考えてから、低く答えた。
「在庫と合わせて、戦がなければ、十年程度」
「そんなものなのか」
「めっきり手に入らなくなりましたから、外からも融通してくれという問い合わせが……」
「大変だな。こんなに儲かるなら、今度は早いうちに探して売りつけに来るよ」
老鑑定士は小さく笑った。
結局、老鑑定士は一階のホールまで黙って付いて来て、シェスティンの姿が見えなくなるまで恭しく頭を垂れていた。
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