1-5 呪いと竜騎士
使えそうな装備や金目の物を男たちから剥ぎ取って、大荷物でシェスティン達はラヴロの
迎えに来たラヴロが、さっき水浴びしたばかりなのに土に汚れ、服の胸元に切り込みが作られたシェスティンを見て、喉の奥で低く唸っていた。当のシェスティンは鍋に猪肉と茸を放り込みながら笑う。
「ちゃんと苦労して鱗を手に入れたみたいで丁度いい」
『竜退治に来る輩なぞ、放っておいても良かったものを』
「絡まれたんだ。久々に女ならばなんでもいいっていう下衆な目で見られたぞ」
『……それは、不幸なことだったな』
「向こうがな」
鼻で笑うシェスティンを、足元に纏わりつくスヴァットが気遣わしげに見上げた。距離感の戻っているひとりと一匹に、ラヴロはやや目を細める。
『なんだ。全員仕留めたのではないのか』
シェスティンは聞かれたくないという風に肩を竦めた。
「……ひとりだけ、引導を渡し損ねたな。大丈夫だ。ちゃんと死んでる」
『そこは心配なぞしていない。シェス』
ラヴロは慎重に彼女に顔を寄せた。シェスティンもそれに応えるように手と顔を寄せる。
「……ふふ。大丈夫だ。ありがとう、ラヴロ。今夜は新月だ。約束通りその背に乗せてくれ」
『約束なぞしていないぞ』
「したさ。ラヴロは飛んでくれる」
呆れたように黙り込むラヴロにシェスティンが笑顔を向けると、足元から不機嫌そうな鳴き声が聞こえてきた。
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
陽が落ち、深い闇が降りてくると、ひとりと二匹は外に出た。
お誂え向きにというのだろうか。見上げても星の瞬きひとつ見えない。雨粒こそ落ちてこないが、雲が垂れ込めているのは間違いなかった。
「おー。気兼ねなく飛べそうだな」
『飛ぶのはお前ではないだろう』
わざとらしく、額の上に手で庇を作って空を見上げたシェスティンに、ラヴロは嫌そうに声を掛ける。
シェスティンが必要以上にはしゃいでいる気がしたのだ。
『乗り出して落ちても知らんぞ』
暗闇の中、彼女がにやりと笑ったのが夜目の利くラヴロには見えた。
「何のためにコレを持ってきたと思ってる?」
手にしたロープを自慢気に見せつけて、シェスティンはラヴロの背によじ登った。それをラヴロの首に一周巻き付けて、自分の両手首にもそれぞれ何巻きかすると、ロープをしっかり握ってくっと一度引く。
『…………なんだこれは。我を縊り殺す気か?』
「ワタシの力じゃどう足掻いたって締まらないじゃないか。ぶら下がっても痛くもないだろうよ。
楽しそうにそう言って、シェスティンは足を少し前後に、それから肩幅くらいに開いて腰を落とした。
「一度やってみたかったんだ。竜騎士」
呆れて声も出ないラヴロを勝手に肯定と取ったのか、シェスティンはロープを引いて離陸を促した。
足元ではスヴァットが情けない声を上げて、シェスティンのブーツにツメを立てている。
「まだ飛んでないぞ。スヴァット」
『――責任は取らんぞ』
「大丈夫だ。例え落ちても死なない」
ラヴロは深く息を吐きだした。
『そういうことではない』
もう、色々と諦めて、ラヴロは翼を伸ばした。地面を蹴りつけると共に大きく羽ばたく。背中ではシェスティンがよろけてロープを引っ張るし、スヴァットはにゃーにゃー鳴いている。確かに首にかかる負担は大したものではないが、気になって仕方がない。なるべく揺れないように、角度が急すぎないように、ラヴロは気を付けながら上昇していった。
『……あぁ、面倒臭い!』
ラヴロのひとりごちた声が聞こえたのかどうか、シェスティンが小さく笑った。
見る間に雲が迫り、竜は湿ったその中へと躊躇なく突っ込んでいく。ひんやりとした粒が身体のあちこちで弾けているような感覚をひとりと二匹は感じていた。それも、それほど長い時間ではない。
雲を突き抜けると、頭上には満点の星々が我こそはと自己主張している。ふわぁ、と気の抜けた声を上げて、シェスティンはのけ反るようにしてそれを見上げた。足元で鳴いていたスヴァットも、いつの間にか声を無くしている。
ちかちかと瞬く星はどれも掴めそうで、掴んでしまえば儚くも消えてしまいそうだった。
『シェス。ちゃんと掴まってるか』
首のロープが緩んだのを気にかけて、ラヴロが声を掛ける。上昇をやめて水平に飛んでいるので、バランスは取りやすくなっているはずなのだが、彼は心配でたまらない。シェスティンを落とすなんて失態は犯したくなかった。
「掴まってる」
うっとりとした声は囁くようでもあり、風に攫われて後方へと逃げていく。ラヴロは逃がさぬようにと耳をそばだてていたが、確かにそう言ったのかまでは確信が持てなかった。
『大丈夫ならば少し速度を上げるぞ。山を越えるからな』
今度はロープからシェスティンの緊張が伝わってきた。
ならば、大丈夫だろう。
声の聞こえなくなったスヴァットが、下が見えなくなったのをいいことにラヴロの背をうろつき始めたのを感じながら、彼はゆったりと進行方向を変えた。
ラヴロが目指すのは大陸のやや北寄りにある、山々に囲まれた小さな盆地。緑豊かなその地に人の気配は無い。
上空から見ても草々に覆われ、特に変わったところなど無いのだが、シェスティンは時々その上を飛びたがった。そのくせ頑なに降りようとはしない。
人の気配が無い深い山奥なので、自然とラヴロの
人々が森を切り開き、生活圏を広げてきた所為もある。うっかり見咎められてややこしいことになり、この地を出て行きたくはなかったのだ。
ラヴロは一度、シェスティンにあの盆地へ居を移そうかと言ったことがある。彼女には酷く強固に反対されたが。人があの地へ到達するのは難しい、会いに行けなくなる、と。
その時はそれもそうだなと納得したラヴロだったが……
『シェス、そろそろのはずだ』
「ありがとう。ラヴロ」
凛とした声が風に攫われることなく、ラヴロの耳に届いた。
ラヴロの背の上でシェスティンは眼下を覗き見る。ほんのり白く、大地と見間違えそうな雲が続いているだけで、本物の大地は、森は、草原は、見えなかった。例え晴れていたとしても、その眼下には暗い闇が広がるばかりで、やはり何も見えないに違いない。
それでもシェスティンはいつも視線の先に何かを見ていた。見たくないと言うくせに、何かを見ているということを、ラヴロは知っていた。
大きく旋回してしばらくその辺りに滞在した後、ラヴロは
そうなった時に竜でいるメリットは何処にもない、とラヴロは思う。今現在だってシェスティンを乗せて暗がりを飛んでやれることくらいしか無いのだ。竜であるという誇りも未練も、彼にはこれっぽっちも無かった。ただ、シェスティンが望むから。それだけが彼を竜に留めていた。
「お疲れ。楽しかった」
大地に足を付けたラヴロから飛び降りて、首のロープを外しながらシェスティンはぽんぽんとその首を叩いて労いの言葉をかける。その手で自分の身体を擦っているところを見ると、上空で冷え切ってしまったのだろう。
スヴァットもラヴロの背から降りたのを確認して、彼は凝りをほぐす様にぶるると身体を震わせた。いかにも疲れましたという風に息を吐くと、洞窟の入口に用意しておいた松明に火を点けたシェスティンが、振り返って苦笑していた。
洞窟の中はほんのりと暖かく感じた。風が遮られるせいもあるだろうが、塒近くで干し肉の為に焚火を焚きっ放しにしていたことも大きいだろう。冷え切ったシェスティンには有難かった。
まだちろちろと生きていた炎に新たに薪をくべて火を移し、ひとりと二匹は寝床に身を寄せる。背中にはラヴロ、腕の中にスヴァット。それはすっかり定着していて、それぞれの体温を布団代わりに微睡みの中へ落ちていく。シェスティンにとって、この数日の中の一番幸福な時間だった。
明日は街に戻ろう。
そう思っていたから、いっそうその幸せと体温を噛みしめていた。
朝がきて、もう行くと告げたシェスティンにラヴロは素っ気なく「そうか」と言うだけだった。次に会うのはまた十年後か二十年後か。
朝食に猪の煮込みを胃に詰め込んで、鍋も洗い、またガラクタの山に紛れ込ませておく。
「次に会うまで、討伐されるなよ?」
笑いながら言うシェスティンにラヴロは鼻先をぶつけた。
『知らん。面倒になったら首を差し出すかもな』
「面倒になったら逃げてくれ。のっぴきならなくなったら、人になるのに手を貸してもいい」
寂しそうに、しかしきっぱりと告げてシェスティンはその鼻先を抱きしめた。
シェスティンには自分の勝手な我儘で竜を閉じ込めているという自覚があった。森や山が拓けていき、自由に空を駆けることも出来ない。それならばいっそ、人に身をやつしてでも自由に暮らせるほうが幸せなのかもしれない。彼は何度もそれを仄めかしていた。
けれど、そうすれば彼は人の倍程度しか生きられない。またひとり残される。それが、シェスティンにとって何よりも苦痛だった。下手に出会って心を許しあってしまったが為に――
「なるべく早くまた来るから。だから、お願いだラヴロ」
『うるさい。そんな湿っぽいヤツは別に来なくてもいい』
ラヴロはシェスティンの手を振りほどいて、今度はその背を押しやる。行ってしまえと。
それから、崖の上まで送ってやらなければいけないことに気が付いて、ひとつ舌打ちをした。
『全く、終いまで面倒臭い』
荷物が詰め込まれた背負い袋を背負い、山猪の皮袋を斜めにかけたシェスティンを咥え上げると、スヴァットが駆け寄ってきた。手を伸ばす彼女をもう一度地面近くまで下ろし、そこへスヴァットが飛び込んでいく。そのままラヴロは洞窟を出て崖の縁まで飛び上がり、ぞんざいにふたりを転がした。
スヴァットは抗議の声を上げているが、シェスティンは笑っていた。
「またな」
竜は答えない。
『孤高の竜』は鼻息をひとつ吹き出すと、そのまま塒へと踵を返した。
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