第5話
彼は街をあるいていた。ぺたりぺたりと。さきほどの戦いでの傷もずいぶん癒え、もう少しで元通りだ。彼はとにもかくにも腹が減っていた。ぜんぜん、さっき食べた分では足りなかった。まだ、なにか食べなくては。まだ、なにか食べなくてはと彼は街を歩いているのだ。しかし、どうしたことか。彼の体は街に入ってから少し重かった。おいしそうな気配がする家屋にも入ることができない。匂いはしても誰がどこに居るのかまるで分からない。彼は歩くしかなかった。ぺたりぺたりと。途方もなく腹が減っていた。
「さて、ここからだな」
「はい」
二人は街の入り口に立っていた。深夜ということもあり人通りはない。家々にも明かりはなく街は静まり返っていた。
「どのあたりに居るんでしょうか」
「それも分かっている。こっちだ」
イライザは大結界と感覚を繋いでいるのでゴーストの位置も分かるらしい。迷いのない足取りで走り出す。パトリックはそれに付いて走る。通りをいくつも曲がりながら目標を目指す。
「家の中を通っていったら早いんじゃないですか」
「いや、ダメだ。必要に迫られない限りプライバシーというものはないがしろにしない方針でね」
霊体とはいえ人の家にずかずか上がり込んで進んでいくのはイライザのポリシーに反するらしかった。
「イライザさんはものをすり抜けないで済ます方法を知ってるんですよね。なんで俺は全部すり抜けるんですかね」
「意識することだろうな。これは持てると思うことだ。でなくては霊体では物体に干渉出来ない。逆に言うと意識さえすれば大抵のことが出来るのが霊体の強みだ」
「ははぁ」
なにを言っているのかいまいちだったがパトリックは試してみる。通りの壁を意識して手を差し出してみた。しかし、やはりすり抜けてしまった。
「難しいです」
「こればっかりは慣れだからな。練習するしかない」
「僕は肉体が戻ってもやっぱり霊体化も出来るんですよね」
「残念なことにその通りだ。もう、前と同じにはなれない」
「そうですか」
それに関してはもうパトリックは気にしないことにした。この状況からとりあえず一般的な生活を送れるようになるのなら御の字だと思うことにした。本音を言えば半分化け物のように思っていい気分ではなかったが仕方がなかった。
「ふむ」
と、イライザが立ち止まった。
「ここから100mほどのところにやつが居る。これ以上近づけば君のこともあって向こうも気づく」
気づかれるのはパトリックと怪物に『縁』が結ばれてしまっているためだ。
「じゃあ、ここから進んだら戦闘開始ってことですか」
「その通りだ。覚悟は良いか?」
パトリックは深呼吸をひとつした。
「大丈夫です」
「了解だ。なら、行くぞ」
そう言ったイライザの手にはいつもまにか剣が握られていた。そして、走り出す。パトリックも続く。と、低い雄叫びが響いた。怪物が二人に気づいたのだ。イライザはそれを聞くと加速した。パトリックも負けじと加速するがイライザの方がずっと早い。
「この向こうの大欅の広場にやつが居る。場所は分かるか?」
「はい、分かります」
「なら、そこで落ち合おう。私は先に行ってやつを引き付ける。近づいたら速度を落として様子をうかがうように」
「了解です」
返事を聞くとイライザは砲弾のように屋根の上にすっ飛んでいった。そして、そのまま空中を蹴って走っていく。
「意識すればなんでも出来るってそういうことかよ」
パトリックは目を丸くした。明らかに人間の動きではなかった。イライザが言った『意識すれば大抵のことは出来る』とはこういうことも言っていたらしい。先程のいつの間にか握られていた剣も『意識する』ことのひとつなのかもしれなかった。
「魔法使いみたいだな。いや...」
パトリックは漏らす。しかし、自分達は魔法使いではなく幽霊だ。魔法使いは魔法でこの世の法則をねじ曲げるというイメージだ。だが、パトリックにはどちらかというと今の自分はそもそもこの世の法則の中に居ないのかもしれないという風に思えた。
また、今度は先程より高いゴーストの声。どことなく叫び声のようだ。どうやら戦闘が始まったらしい。パトリックは広場に急ぐ。あの広場の広さならおそらく戦う分にも融通が効きやすい。パトリックが行っても戦闘をうかがいやすいはずだ。
パトリックはそうやって広場への曲がり角まで来た。そこから広場をうかがった。
「戦ってる」
イライザはすさまじい勢いで怪物に斬りかかっていた地面を蹴り、宙を蹴り曲芸のように飛び回っている。怪物はその動きについていけないようでまるででたらめに長い腕を振り回していた。見た目にはイライザが優勢に見えた。
パトリックはさらに近づく。戦闘が良く見える位置まで行かなくてはならない。
「ウウウゥウ」
と、途端に怪物がパトリックに方へ目を向けた。いや、目はないのだから正確には顔を向けたのだ。そうして、パトリックにすごい勢いで手を伸ばした。
「うわっ!」
パトリックは叫ぶ。一瞬で気づかれてしまった。なるべく気づかれないようにゆっくり動いたというのに無駄なようだ。
「よそ見をするな」
しかし、その腕はすぐさまイライザに両断されてしまった。そのままイライザは胴薙ぎに体を一閃する。怪物は叫び声を上げた。
しかし、不思議なのはさっきからイライザは怪物を何回も斬っているのに傷が付くことはないということだ。両断した腕もすぐに再生して元通りだった。怪物は斬られても斬られてもダメージを負っている様子はない。そのこともイライザはここに来る道すがらパトリックに説明していた。
「連中は斬っても刺しても傷は負わない。連中には生命力、もしくは霊力のようなものがあって倒すにはそれをゼロにするしかない。それがゼロにならない限りやつらは再生し続ける。だから、斬り続けてそれをゼロにするのがやつらとの戦いなんだ」
説明通りなら傷はないがダメージは負っているのだろう。だが、見た目からはどれだけ攻撃が効いているのかは判断できなかった。イライザは経験で大体分かるそうだがパトリックにはさっぱりだ。なのでこの緊張状態がいつ終わるのかは分からなかった。
「はっ!」
イライザは怪物の腕の隙間を縫ってその頭部に刃を突き刺した。怪物は叫び腕を振るう。イライザは宙を蹴ってそこから離脱した。
「ふっ」
今度は飛んでくる腕を足場にして通り抜け様に胴を両断した。もちろん攻撃には当たらなかった。
そんな風にして早十数分が経過しただろうか。その間の戦闘を見て危なげがないというのがパトリックの感想だった。怪物はやたらめったらに攻撃するがイライザはかすりもしない。そしてイライザの刃はもう数えきれないほどに怪物の体を通っていた。イライザは完全に怪物の動きを掴んでいた。
「つ、強い」
イライザは怪物を圧倒していた。倒される気がしない。イライザの実力が完全に怪物のものを上回っているのだ。イライザはこの怪物はゴーストの中ではなかなか強力な個体だと言っていたがそれでもこれなのだからイライザの強さは相当なものだと思われた。
「アアアァアアァア!」
怪物が乱雑に腕を振り回す。パトリックは驚いて下がった。伸ばした腕がパトリックに届きかねなかった。怪物の乱舞はほぼ広場全体にくまなく届くほどのものだった。しかし、霊体なので建物や道路への被害はない。その黒い腕が縦横無尽に飛んでいるだけだ。
「騒がしいやつだ」
しかし、これもイライザは難なくかわした。およそ人間のものとは思えない反射と動きで嵐のような乱舞の中でステップを踏んで怪物の回りを回る。そして、おもむろに怪物の腕を掴んだ。当たっただけで町の端まで飛ばされそうな勢いの腕をいとも簡単に一本、そしてそれを掴みながらもう一本も掴み取りそのまま怪物を地面に叩きつけた。
「グゥウウゥゥウウ...」
怪物は呻く。その怪物にイライザはさらに斬撃を加えた。イライザには負ける要素がない。このままいけば勝てる。このまま行けばだ。
「ガァアアアアアアアアアアアアア!」
怪物は咆哮した。それと同時に怪物の形状が変化を始めた。
「連中には生存機構のようなものが備わっている。そのままなら大抵のやつには私はおろか、ほとんどの『騎士』は負けはしない。だが、連中は自分の霊力が一定以下になると形態を変化させるんだ。自分を脅かすものを殺すためにね。本当の勝負はそこからだ」
「始まったか」
イライザは一旦距離を取った。その前で怪物は形を変えていく。ボコボコと音を立てながらどんどん大きくなり、人の形を失っていった。そして、最後には完全な球と化した。真っ黒い真円の球になったのだ。大きさは広場の3分の1ほどを覆うものだった。
「ウォオオオオオオオォ...ン」
怪物は鳴いた。そして、そこからいくつも腕を伸ばした。球から人のような腕がいくつもいくつも伸びていき、そしてイライザを襲った。さっきまでの比ではない。嵐のように、文字通り嵐のように腕が襲いかかった。
「すげぇ...」
しかし、イライザはそれもすさまじい体さばきでかわした。怪物の腕よりもなお早い。人間どころかあんな動きをする生物は居ない。跳ね回るゴムまりを何十倍も早くしたかのように、目にも止まらない動きでイライザは動き回った。
しかし、かわすだけでは勝つことは出来ない。攻撃を加えなくてはならないのだ。しかし、相手はさきほどまでと比べると遥かに巨大になっていた。もはや、イライザの剣の刀身でどうにか出来る大きさではない。どうするのかとパトリックは見守るしかなかった。広場の外までパトリックは後退していた。とても近づける状況ではなかった。
そして、イライザはゆっくりと前進を始めた。かわしながらなので少しずつだが確実に怪物の本体に近づいていく。そして徐々に怪物の真下まで迫った。
「そら」
イライザが怪物を一閃した。
「グゥウウウウウオオオォオオォ!」
怪物は雄叫びを上げた。その丸い巨体が真ん中から少しずれた。イライザにまっぷたつにされたのだ。パトリックには一瞬だったが確かに見えた。イライザの剣の刀身が怪物の体よりも伸びたのだ。『想像する限りたいていのことは出来る』。それはさっきまでの人間離れした運動はもとより、手にした武器にも及ぶようだった。
しかし、怪物はすぐさま再生し、今度はその体を細く、長く、まるで一本のチューブのように伸ばした。
「様々な形、材質への形状変化がお前の能力か」
そして怪物はのたうつ蛇のように広場一杯に体を走らせ、その体からさらに腕を伸ばした。攻撃範囲は広場にくまなくおよび、さらにコンマ一秒ごとに変化していく。およそかわせるはずもない攻撃の嵐。
「悪いが、その程度では当たらないんだ」
その攻撃のほんのわずかな隙間をイライザは巧みに移動していった。高速でステップを踏み、体を捻り、邪魔な腕を切り落としイライザは全てをかわした。そして、刀身を伸ばし、怪物の体を縦に引き裂いた。
「グウウウウウゥウウウウ!」
怪物は吠えた。イライザは怪物を圧倒している。形態変化をしたあとにも十分対応していた。勝負はあった。
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