第4話

「さて、何から話したものかな」

 女は言った。椅子に腰かけている。しかし、パトリックは立ったままだ。残念なことにパトリックは椅子に座れなかった。すり抜けて床に落ちてしまうのだ。パトリックは今自分が異常な状態であることをはっきり理解した。

「何からでもなんでも話してください。俺は一体どうなったんですか!」

 パトリックは半ば半狂乱で言った。

「そうだな。まず君の状態だが。君は今人間ではない。私たちが『ゴースト』と呼ぶ状態。世間一般風に言うなら『幽霊』といったところか。厳密には違うんだがね」

「幽霊? 俺が? でも俺は生きてます。いえ、少なくともさっきまでは生きてました」

「そうだ。君は生きている。体が霊体化しているだけだ。『ゴースト』とはいわば『霊体生命』なんだ。だから君は体を構成する物質が入れ替わっただけで以前君のままだ」

 パトリックは眉をひそめる。

「すいません。全然良く分からないです」

「それはそうだろうな。だが、間違いないのは今の君は異常だということだ。それは君自信が痛いほど分かっているだろう」

「はい...」

「理解しなくても良い。話を聞きなさい。後で実感できるだろうから」

「分かりました。そ、それじゃあ、一体どうやったら俺は元に戻れるんですか」

「今は出来ない。どうやってもね。あの『ゴースト』を倒すしかない」

「『ゴースト』ってさっきのやつですか。あれもゴーストなんですか。俺と全然違うじゃないですか」

「そうだね。あれは君とは別物のゴーストだ。発生の起源が違う。連中は死んだものの残留思念から発生している」

 パトリックは一瞬固まる。ここまでの話を頭の中でゆっくり飲み込んでいるのだ。

「いや、死んだ人間の魂からとかじゃないんですか。幽霊なんでしょう」

「そこが違ってね。この世界には、いや、少なくとも私たちが知りうる限りでは『魂』というものは存在していないんだ。あの怪物たちは死んだ人間が最後に発する思念、それも主に負の思念を核として誕生する霊体生命だ。死んだ当人とはまったく関係がないのさ」

「な、なるほど」

 良く分からないがパトリックはとりあえず相づちを打っておいた。

「それで、あなたの仕事はあの怪物を退治することなんですね」

「察しが良いね。その通りだ。今の私も君と同じゴーストだ。私は夜毎、いや毎日ではないが、ああいった怪物を退治している。連中は今日の君にしたように生者を襲うからな」

「それで、ひょっとして。今の俺やあなた、それからあの怪物は普通の人には見えないんですね」

「そういうことだ。なにせ『ゴースト』だからね」

 パトリックは納得した。だから、女は街に詳しかったのだ。実際女は街に行っていたのだから。しかし、誰にも見えない姿で。そうして、ああいった怪物を狩っていたのだ。

「そこまではなんとなく分かりました。でも、あなたは人間に戻っていた。なら、俺も戻れるんじゃないんですか」

「うん。そこが問題だ。まず、私の話をしようか。実は私も君と同じだったんだ。なんでもない一般人だったんだが、ゴーストに襲われて霊体化してしまったのさ。その時も運良く今の私と同じ生業の人間に助けられてね。それでなんとかなった」

「そうだったんですか。それからどうやって元に戻ったんですか」

「一度ゴーストに襲われ霊体化した人間が戻る方法は一つだ。奪われた肉体を取り戻すんだよ」

「奪われた肉体を?」

「そう、ゴーストたちは肉体を喰らうんだ。理由は定かではないが、それを繰り返すことで実体化しようとしているとも言われている。まぁ、喰ったあとも相変わらず人には見えないから真偽のほどは怪しいものだがね。とにかくあのゴーストは君の肉体を喰ったんだ」

「ということは。あいつを倒せば元通りってことですか?」

「そういうことだ。しかし、やつを倒した時にそばに君が居る必要がある。距離が離れていると戻るものも戻らないのさ」

「と、いうことは」

「君には私の戦闘に付き合ってもらわなくてはならない」

 パトリックはさっきの戦いの映像を思い出した。同時に恐怖も蘇る。素直なことを言えば巻き込まれたくなかった。

「無論、君が戦う必要はない。私の戦闘を把握できる距離で待機していれば良い」

「隠れてれば良いんですか」

「いや、隠れることに意味はない。やつと君との間には『縁』が結ばれてしまった。有り体に言えば『関係』と言ったところか。一度関係を結んでしまうとゴーストはどこに隠れていてもその人間を見つけ出す。私がかたくなに君に状況を説明しなかったのもこの辺りが原因でね。君がやつのことを知ってしまえば家の中に入ってきかねなかった。この家には法術で結界を施してあるがそれでも万全とは言いがたい。それほどゴーストとの縁というのは強い効力があるんだ」

 パトリックにゴーストのことを話すとゴーストが家に入ってくる危険があった。そのため女は話したくても話せなかったのだ。家から出ることさえしなければ女はゴーストを退治していたのだろう。今更ながらパトリックは自分の軽率さを呪った。

「まぁ、過ぎたことを悔いても仕方がない。問題はこれからさ」

 唇を固く結んでうつむく、後悔丸出しのパトリックを見かねて女は言った。

「はい。ええと、つまり、今からあの怪物を倒しに行くんですね」

「そういうことだ」

「大丈夫でしょうか」

「ふむ。そうだな。大丈夫かと言われれば絶対に大丈夫とは言えないな」

「下手すればまた襲われるんでしょうか」

「そうだな。やつは君を見れば襲うだろう」

 それを聞いてパトリックは疑問を口にする。

「でも、もう俺の肉体は奪われたんですよね。なら、なんであの怪物は俺を襲うんですか」

「連中が人を襲うのは確かに肉体を奪うためだと言われている。やつが優先的に襲うのは肉体のある生者だ。しかし、それとは別にやつらは常に飢餓感を持っているんだ。喰えるものならなんでも喰いたいという類いのな。そしてやつと君は縁が出来ている。だから、君を見れば君を襲うことにためらいはないだろう」

「そうか。いや、でもそれじゃあまずくないですか。あいつ、きっと街に行ったんでしょう。人が襲われるじゃないですか」

「そうだ。でも、街に行ったやつが人家に入り込んで無差別に人を喰うことはまだない。私の仕事はあの街をゴーストから守ることだ。それは連中を討伐するということともうひとつ、あの街の大結界を維持するということでもある。あの街には結界が張ってあってゴーストの行動を制限するようになっている。あの街に入り込んだならさらに力を付けない限りは自由な行動は出来ない。通りでばったり鉢合わせない限りはね」

「その可能性もやっぱりあるんじゃ。深夜とはいえ歩いてる人間が居ないわけじゃないです」

「その通りだ。やつの行動はある程度結界から感じ取れるからまだ何も起きては居ないようだが、それもいつまでか分からない。だから、私は早く街に向かってやつを討伐しなくてはならない」

「そうですか」

 つまり、パトリックが行くか行かないかの選択はすぐに決めなくてはならないということだ。今この間にも誰かが襲われる可能性が常に存在しているのだ。襲われたなら第二第三のパトリックが現れてしまう。そのうえで霊体化したその人まで喰われるかもしれない。

「もし、俺がこの状態でまたあいつに喰われたらどうなりますか」

「察しの良い君なら分かっているはずだ。本当に消えて無くなってしまうよ。つまり、死ぬんだ」

「やっぱりそうですよね」

 分かり切っていたことだった。

「今日、俺が付いていかなかったらどうなりますか」

「残念だが。やつを倒すのはどうしたって今日でなくてはならない。ゴーストは食事をしなくても存在しているだけで力を増していく。そしてその変化の度合いは個体によってまちまちだ。明日になってもほとんど変化はないかもしれないが、もしかしたらもはや私の手に負えないほど力を増すかもしれない。分からないんだ。だから、今日倒さなくてはならない。だから、今日君が来なかったら、君は永遠に体を取り戻すことは出来ない」

「そうですか」

「すまないな。こればっかりは決まりなものでね」

 パトリックには女が非情に見えた。こんなわけの分からないことに巻き込まれて、いくら自分が言いつけを破ったとはいえ被害者なのには間違いない。状況は不可抗力の塊だった。そんなパトリックに向かって女は付いてこなかったら人生を終えてもらうと言っているのだ。恐ろしい怪物との戦場に。しかし、女は続けた。

「だが、君がもし付いてくるのなら。私はこの身に代えても君を守ろう。私にも責任は多分にあるからね。そして必ず君を人間に戻す。信じてくれるかな」

「.......」

 パトリックは考えて、そして答えを出した。

「分かりました。俺行きますよ」

 パトリックは女を信じることにした。

「そうか、分かった。ありがとう」

 女は答えた。そしてゆっくり立ち上がった。

「なら、行くとしよう。街に降りる」

「はい」

 パトリックは頭にさっきの戦いを思い描いた。恐ろしかった。イメージして少しでも覚悟を決めようかと思ったが、また踏み込んで耐えられるものか分からなかった。実際戦闘になったら腰が抜けて動けなくなる可能性も十分に考えられた。しかし、女に付いていかなくてはならなかった。女を信じることにしたことと、やはり自分の肉体を取り戻すためだった。

 と、女が振り返った。

「そういえば名前を聞いていなかったな。私はイライザだ。君は?」

「パトリックです」

「そうか、よろしくパトリック」

「はい。よろしくお願いします。イライザさん」

 そうして、二人は丘の上の家を後にした。

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