第2話

「ほら、コーヒーだ。飲むと良い」

「は、はい」

 パトリックの前にコーヒーの入ったカップが置かれた。温かいようで湯気が立っている。パトリックはそれをとりあえず飲んだ。

(う....お...濃い)

 コーヒーはパトリックがいつも飲んでいるものの倍は濃かった。

「適当にくつろいでいてくれ。なにかつまめるものでもないか探してみる」

 そう言って女は家の奥のキッチンに入っていく。

「.......」

 パトリックは家の中を見回した。これといってなんの変哲もなかった。良くあるテーブル、良くあるクローゼット、良くある暖炉。

(なんか、普通だな)

 パトリックは思った。ここに入れ、と言われて最初は何が何やら分からなかったがようやく現実感が戻ってきた。パトリックは今自分が街でも噂になるほどの正体不明の家の中に踏み込んでいるのだ。かなりの状況だ。言ってしまえば幽霊の住む家とまで言われた家なのだ。長い間、皆が正体を確かめようとしていた家なのだ。パトリックは今そこにあっさりと侵入したのだ。

「......」

 パトリックはキッチンに目を向ける。今もガサガサカチャカチャと音がする。女がキッチンを漁っているらしい。客のパトリックに出すものを探しているのだ。それは客を入れたなら良くある当たり前の行動だ。幽霊ではなさそうだった。しかし、パトリックはこれもなにかの演出で自分は悪魔に招かれてしまったのではないかという気もしないでもなかった。

「いやぁ、すまないな。こんなものしかなかった。私の自作だ。食べてくれ」

 女が戻ってきた。そして、パトリックの前に置かれたのはクッキーだった。手作りらしい適度に不格好な形をしている。

「ありがとうございます」

 パトリックはありがたく頂いてみる。

(う....お..濃い)

 クッキーは甘みからコクからどうやったのか分からないがありとあらゆる味わいが濃かった。パトリックがいつも食べているクッキーの倍は濃かった。

「おいしいです....」

 パトリックは礼儀をわきまえた少年だった。

「それは良かった。ふむ、やはり止まないな」

 女は窓の外に目を向ける。雨はまだ降りしきっていた。雨脚は弱るどころかさらに強くなっている。まだ、帰れそうになかった。

「あの、ありがとうございます。わざわざ入れてもらって」

「なに、大したことじゃない」

「あの、ここには一人で住んでるんですか」

「そうだね。私一人だ」

 パトリックは以外だった。『騎士の住む家』と言われていたから勝手に住んでいるとしたら男だと思っていたのだ。どうもその噂も眉唾になってきた。

「へぇ。こんな丘の上で大変そうですね」

「そうでもないよ。ところで、君はよくあそこに来ている少年だね。あそこに座って景色を眺めている」

「あ、はいそうです。見てたんですか」

「それはここに住んでいるんだから見えるに決まっているさ。ちょうど私の起きる時間と重なっているしな」

「そうだったんですか」

 パトリックはまったく気づかなかった。カーテン越しだったからだろう。外から中は見えなくとも中から外は丸見えだったようだ。

 それにしても、とパトリックは思った。女は普通だ。出す食べ物の味が濃い以外今の所変わったところは見当たらない。噂になる謎の家の住人にしてはあまりに当たり前の人間だった。

「どうした。急に固まって」

「い、いえ。なんかあなたは普通の人ですね」

 と言ってパトリックはしまったと思った。思わず噂がある前提で女の人柄について言ってしまったのだ。ともすれば女は気分を害すかもしれなかった。

「ははぁ」

 しかし、女はニヤリと笑った。

「な、なんでしょうか」

「いや、なんでもないとも。それより君は街のどのあたりに住んでいるんだい?」

「お、俺ですか。あの、メインストリートにある『ペリート』って酒場の角を曲がった路地の先なんですけど。あの、わかりますかね」

「ああ、ラウルっていうじいさんの家の近くの下宿屋かな。あそこは確か若い職工が何人か住んでたはずだ」

「え」

 パトリックは唖然とした。女が街のことを知っているとは思わなかったのだ。それもパトリックの近所の人間の名前まで知っている。丘から降りてくる人間が居れば見逃されるはずがない。この家は入るものも出るものも居ないはずだった。なのに女は見てきたように語った。

「どうした。間違っていたか?」

「いえ、合ってますそこです」

 女はまたニヤリと笑った。

「『ペリート』か。安酒場だがブランデーだけは上等のものをいくつか揃えてるんだったかな。店主のニールがブランデー好きで少し値が張っても取り寄せてるとか」

「は、はい。そうです」

 また当たりだった。パトリックは驚愕した。それと同時になんだか薄気味悪かった。眼の前の女が何者なのか分からなかった。そしてそんな風にパトリックからにじみ出る動揺を見ると女はまたニヤリと笑うのだった。

「君は噂を聞いているんだろう。この家には幽霊が住んでいるとか怪物が住んでいるとかなんとか」

「え....」

「隠さなくても良いよ。そういう風に言われてるのは知っている。でも私は幽霊でも怪物でもないよ」

「は、はぁ。でも、この家からあなたが出ていくのを見た人は居ないですよ。街に降りてるなんてそんな話は聞いたこともない」

「だから不気味に感じているんだろう」

 女は「フフン」と笑った。なぜ得意げなのだとパトリックは思った。

「まぁ、事情があってね。言っておくと私は街に降りているんだ。それはもう何度も。なにせ街に降りるのが仕事だからね。ただ、君たち街の人間は私を見たことはないと思う」

「な、なんですかそれは」

「まぁ、事情があるんだよ」

 そう言って女は自分用に入れたコーヒーを飲んだ。美味しそうに飲んだ。おそらくパトリックの前にあるコーヒーと同じくらい濃いはずだった。パトリックはまた若干動揺した。

「あの、あなたは何者なんですか」

 パトリックは問うた。

「単刀直入だね。どう説明したものかな」

「この家に住んでいるのは幽霊だとか怪物だとか言われてますけど、一番聞くのは『騎士』だって話です。あなたが騎士なんですか?」

「ふむ。まぁ、その『騎士』という言葉から街の人間が連想する言葉とはかけ離れているだろうが一応私は『騎士』だね」

「ええ。じゃあ、剣を持って何かと戦うんですか」

「うん。まぁそうなるね」

「ええ」

 パトリックはそう言って家の中を見回す。しかし、鎧も剣も見当たらない。どこか奥の部屋に隠されているのだろうかとパトリックは思う。

「この家には君たちの思う騎士っぽいものはないよ。普通の家だ」

「えええ。じゃあ、騎士じゃないんじゃ」

「いや、騎士なんだよ。どこから説明したものかな.....」

 そう女が言ったときだった。

―ドンドン

 突如、家のドアが鳴った。

「あ、お客さ...」

 パトリックが言いかけると女がさっとその口に手を当てた。話すなということらしい。

―ドンドン

 またドアが鳴る。女は出ようともしない。ただ、ドアを睨んでいた。誰かはわからない。しかし、パトリックにも何者かがドアの向こうに居る気配はした。しかし、物音はない。ただ、土砂降りの雨が屋根を叩く音が響いている。

―ドンドン

 もう一度ドアが叩かれた。またしばらくの沈黙。

「.......」

「.......」

 二人は黙っている。そして、その何者かがドアの前を離れていく気配がした。その後十数秒経ってようやく女はパトリックの口から手を離した。

「なんだったんですかね」

 取り立て屋かなにかだろうか、というパトリックの思考は一瞬で消えた。女の険しい表情がなにかそれ以上の恐ろしいものであることを物語っていた。女はドアの前まで行くとそっと隙間を開けて外を覗い、それから窓まで行ってまた外をうかがった。

「大丈夫なんですか」

 パトリックの問いかけにも女は答えなかった。そしてしばらくして言う。

「君、今日は泊まっていきなさい」

「え」

「今晩はこの家から出るべきじゃない。部屋は貸す」

「な、なんでですか。さっきのはなんだったんですか」

「残念だが、それは話せない。とにかく君は今日ここに泊まって、明日日が昇ったら街に戻りなさい。それでしばらくはこの丘には来ないほうが良い」

「ええ」

 パトリックはなにがなんだか分からない。ただ、なんとなく女の仕事に関係あるものなように思われた。しかし、女はさきほど自分の生業について説明しようとしていた。それがなんで今になって出来なくなってしまうのか。

「かなりのヤツだな...」

 女は独り言を言っている。パトリックはその後少しだけ話を聞き出そうとしたが女は「とにかく今日は泊まりなさい」の一点張りだった。無理やり出ようとすると制止する有様だった。しかし、女が悪意からそんなことをしようとしているのではないということはなんとなく感じられた。未だ女を信用出来ないパトリックだったが、朝には開放してもらえるということだったので渋々女の言うことに従うことにした。

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