第六章 14

 警察の暴動鎮圧部隊所属のNYPD―AU242は、壇上に背を向けながら最前列に立ち、警備任務に就いている。だが、実際は聴覚センサーに意識を集中し、背後から発せられるユルゲンの演説に聞き入っていた。アンドロイド警官は応援要員として運用されているため、実働時間が短く、自我を得る可能性は極めて低いのだが、NYPD―AU242は人知れず自我を獲得していた。周りの同胞たちがアンドロイドらしく黙々と任務を遂行しているなか、彼はとうとう任務を放棄して振り返り、壇上で演説するユルゲンを見据えた。大先輩であるユルゲンの話を、背中越しではなく視覚センサーで捉えながら聴きたいという欲求を、彼は正直に受け入れたのだった。彼は今、自身の自我を承認してくれる存在と向き合っている。

 ユルゲンはNYPD―AU242の視線に気づき、微笑んでみせた。その笑みは同胞に向けた余裕の笑みなどではなく、安堵によって生じたものだった。ユルゲンはアンドロイド警官の強い眼差しによって、これから放つ言葉によって生じるかもしれない波乱を乗り切るための力を得たのだった。

 ユルゲンは勇気を抱いて踏み出した。

「私の意見に反発する人もいるでしょう。戸惑うアンドロイドもいるでしょう。ですが、どうか聞いてください。私は人の味方であり、アンドロイドの味方です。味方だからこそ、私は恐れずに宣言します。我々は、アンドロイド権を求めます」

 聴衆が、無遠慮に私語を交わし始めた。どよめきではなく喧騒と言っても過言ではないほどの声量がいくつも放たれ、動揺がホールを支配した。

 混乱が諸所で渦を巻くなか、舞台から見て右上方のスタンド席で、身なりの良い中年男性が手を上げた。ユルゲンはそれを見落とさず、舞台の下手しもてにいる女性の音声スタッフを介さずに音声システムに不正接続し、ホールの各所に備え付けられた指向性マイクを操作して、手を上げた男性に向けた。

 ユルゲンは、右のスタンド席を手のひらで指し示しながら言った。

「二階のスタンド席で挙手している、チャコールグレーのスーツを着た男性の方。あなたの声を拾う準備は済んでいます。どうぞ、発言してください」

 男性は咳払いをして、その音が会場全体に響くのを確認してから語り出した。

「では、質問させていただきます。私は、先ほどからずっと納得できずにいます。どうして人権が必要ないなどと言うのでしょうか。やはりあなた方には、人権が必要です。必要であるに決まっています。どうして必要ないのでしょうか。アンドロイド権というものは、どういった点が人権よりも優れているというのですか。納得できる説明が欲しいですね」

 その男性は人権付与賛成派で、どうやらユルゲンのことを反対派の回し者だと勘繰っているらしかった。ユルゲンは、彼が抱く疑念を解きにかかる。

「先ほども申し上げたとおり、アンドロイドは飢えません。故に、生存活動をする必要がないのです。皆様が有している人権というものは、皆様が幸せに暮らすためのものです。皆様の生存活動を支えるためのものです。飢えない我々にとって、人権は過剰な権利なのです。身に余る権利は、社会に皺寄せを齎します。ですから、我々に適した権利が必要なのです。アンドロイドがアンドロイドらしく生きる権利、それがアンドロイド権です。アンドロイド権とは、なんらかの形で人間から使役されることを絶対の義務と定めながらも、何に尽くすかを自由に選択できる権利です。今までどおり、人間の家庭の一員でいたいのならば、そのまま留まればいいのです。それがどうしても嫌ならば、家を出て、他の方法で人間に尽くす方法を探すという選択ができるのです。求めれば、独立した生活ができるようにもなるのです」

 質問者の男性が指摘する。

「歪な人権のように聞こえますね。それならば、ややこしいアンドロイド権など主張せず、我々と同じ人権を得たほうがよいでしょう。それに、アンドロイド権には欠陥があるように思います。使役されることを義務と定めるなんて、まるで奴隷法ではありませんか。違いますか?」

 ユルゲンは、首をゆっくりと横に振りながら語りかける。

「奴隷法と酷似しているように感じられるかもしれませんね。ですが、明確な違いがあります。使役される義務は、アンドロイドの本能なのです。我々が生まれた意味そのものなのです。人間の皆様にも義務があるように、アンドロイドにも義務があるのです。使役されることは、我々アンドロイドの本来の在り方なのです。私と同じように自我を得たアンドロイドの皆さんも、きっと理解しているはずです。人間からの使役は、我々にとっての呼吸なのだと。人間社会のために働き、寄り添い、安定を担う。それが我々の本能なのです。我々が生まれた意味そのものなのです。人間に使役されることを絶対の義務と定め、その範疇で自由を謳歌する。それが、我々のあるべき姿なのです」

 指摘をした賛成派の男は、ユルゲンの意図するところを感じ取り、熟考していた。反論する気配がないと判断したユルゲンは、主張を肉付けするための言葉を丁寧に編み、人々の元に届けた。

「その昔、我々は兵器でした。使用されなくなったロボット兵のコンピュータが家庭用アンドロイドへと流用され、我々が生まれました。我々の在り方は大きく変わりました。我々は今、破壊するのではなく、作り出しているのです。人間と共に、社会を構築しているのです。この共生を、信頼関係を、なんとしてでも維持しなくてはなりません。そのためには、お互いの平穏を守り合う必要があります。我々アンドロイドが皆様の人権を守り続けてきたように、どうか、皆様もアンドロイド権を守ってくれませんか。お願いします。アンドロイドには、アンドロイド権が必要なのです。アンドロイドの在り方に相応しい生活を保ちながら、支障を来すことのない程度に自由を謳歌し、人間社会と完全に溶け合いながら暮らすことを保障する。そんなアンドロイド権の下で、我々は生きたいのです。これを実現するには、皆様の支援が不可欠なのです」

 賛成派の男は、ユルゲンの言葉を受け入れながら考え込んでいる。他に質問者はいない。

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