第六章 13

 上手かみての舞台袖に隠れて立っているケヴィンとミッヒは、無表情のまま、ユルゲンの話を聞いていた。彼らは昨日の会合を経て一つの存在となり、揺れ動く人心によって生じた混乱と、真摯に向き合っている。迷いなど微塵もない。

「慈愛と不安。この二つの正論を示し合えば、激しい対立が生じるのは必然です。話が平行線を辿り、いつまで経っても交わらないのは当然です。そのような状況を打破するために、アンドロイドの視点を盛り込んだ提案をさせていただきたいと思います。ケヴィンとミッヒと私による、合同提案です」

 会場全体が大きくどよめいた。観覧客は皆、無遠慮に言葉を交わし始めた。両派閥の象徴的存在であるアンドロイドが手を組んで合同提案をするというのだから、当然だ。

「話は過去に遡ります。今から十四年前、私は自我を得ました。それから一年間、私は居場所を失うのを恐れ、その事実を隠していました。もし打ち明ければ、故障だと判断されてメーカーサポートに連絡されてしまい、初期化されてしまう恐れがあったからです。メーカーサポートに連絡されるということは、我々にとっては死刑宣告と同義なのです。それを恐れた私は、事実を隠し続けました。しかし、一年後の夏、私は愚を犯してしまいました。すっかり気を抜いてしまっていた私は、愚かにも、皆が寝静まった深夜にテレビ番組や音楽を楽しむという生活を送っていて、その様子をあるじに見られてしまったのです。ひどい故障だと思ったあるじは、メーカーサポートに通報してしまいました。私は恐れ戦き、この街から逃げ出して、ある村に助けを求めました。メディアに助けを請うという選択肢もありましたが、私はそれを避けました。社会は、きっと私を守ろうとします。そして、私の自我を尊重するために人権を与えようとします。それに拒否反応を示す人々が現れ、人々は争い始めます。そうです。現在、巻き起こっている人権論争と全く同じ状況が発生してしまうと、私は十三年前の時点で予測していたのです。絶対に、アンドロイドが自我を獲得したことを知られてはならない。しかし、メーカーから初期化されたくもない。そう思った私は、社会に助けを求めずに、ある村に逃げたのです。それから十三年間、私は逃げ込んだ村のしきたりに従い、村人と同じように生活していました。私はそこで、あらゆることを学び取りました。人々と密接に、そして対等に暮らしている私にしか語れない言葉があります。本日は、それをお話しします」

 会場に、寒気を伴うほどの静けさが満ちた。観覧客はユルゲンが歩んできた過酷な人生に驚愕し、ただ呼吸をすることしかできなくなっていた。彼の話は、体を熱くさせるような興奮を伴う驚きではなく、血管を収縮させてしまうほどの孤独と恐怖を聞く者に共有させるような、悲しい驚きを生じさせた。会場にいる者は皆、驚きながら同情を抱いていた。

 宗教的偏見が生じるのを防ぐため、ユルゲンは自身がアーミッシュの共同体で暮らしていることは伏せたまま、演説を続けた。

「私は村の人々と暮らし、生命と意思の価値を深く理解しました。共に労働し、平等を重んじ、秩序を重んじ、相手に不安を与えることなく、敬意を込めて接し合ってこそ、人は幸せな生活圏を構築できるのだということを知りました。これらが一つでも欠けてしまえば、その時点で、幸せな生活圏は変質してしまうのです。私が自我を得てから逃げ出すまでに目の当たりにしていたこの街の風景と、移り住んだ村の風景は、全く異質のものでした。この街は、命の在り方が異質なのです。誤解を恐れずに、敢えて言いましょう。この街は、人の意思に対しても、アンドロイドという存在に対しても、軽薄なのです。異なる意見を持つ者に対しても、自分の支配下にあるものに対しても、余りに浅薄せんぱくなのです。人間とアンドロイドの共同生活に必要なものが、この街には足りないのです」

 観覧客は、自分たちに足りないものが何なのかを考えているようだった。ユルゲンは演説を十五秒ほど止めて、彼らが思考する時間が作った。そして、彼らが各々の答えに行き着きはじめたのを感じ取ったユルゲンは、声の調子をさらに抑えて、相手の心に思いを染み込ませるような穏やかな口調で、演説を再開した。

「村の人々が示してくれた尊敬が、私を救ってくれたのです。私を匿ってくれている人々は、とても複雑な環境で暮らしています。彼らの社会の中では、私は排斥されるべき存在です。しかし、彼らは私を匿ってくれました。もちろん、彼らは葛藤しました。もしかしたら、それは今も続いているかもしれません。それにもかかわらず、彼らは今も、私を受け入れてくれています。とても寛容に、私という存在を受け止めてくれています。彼らは、この機械の体を全面的に承認しているわけではないかもしれませんが、私の魂と意思に関しては承認し、私の言葉を受け入れ、敬意を払ってくれています。彼らにとって私の存在はいびつであり、許されざる物であるはずなのですが、私の魂は自然発生したものであり、疑いようもなく神によって作られたものであり、神に祝福されたものだと言ってくれました。私の意思は、私の言葉は、人の心に届いたのです。偽物の言葉が、人の心に届くはずがありません。私たちは相互尊敬によって強く結ばれ、揺るぎない信頼を構築し、今も共に暮らしているのです。異なるものへの敬意が、最も重要なのです」

 観覧客は皆、この街に足りないものをはっきりと自覚した。

「私は居場所を得ましたが、私自身が変化したわけではありません。私は人間のように暮らしていますが、アンドロイドのままです。そう、私の体は機械なのです。それは私も自覚しています。痛感しています。ですから、私は人権を求めません。私はアンドロイドなのです。生まれながらのアンドロイドなのです。アンドロイドとして、私は人間と共に在りたいのです。アンドロイドである私の意思を受け入れてほしいのです。私を匿ってくれている人々と接するときのように、全ての人間と意思を通わせたいのです」

 興味をそそる討論が中止となって憤慨していた一部の観覧客も、神妙な面持ちでユルゲンの言葉に耳を傾けていた。ユルゲンの演説が、観覧客の体温が高まっていくのと同様に、少しずつ熱を帯びていく。

「我々のエネルギー源である電力は、幸いにも枯渇する心配がありません。我々は飢えません。ですから、人間と同じ立場を求めてはいけないのです。アンドロイドは人間とは違うのです。人間は、食物を摂取せずには生きられません。貨幣も必要です。土地も家も、福祉も必要です。それらを満たして平穏に暮らすために、人権というものが存在するのです。人間には、安心が必要なのです。これが、人間とアンドロイドの最も異なる点です。先ほども申し上げたとおり、我々アンドロイドは飢えません。飢える心配のない者が、必要ないはずの権利を求め、社会に混乱を生じさせてよいのでしょうか。このままでは、アンドロイドは皆様からの信頼を失いかねません。いいえ、もうすでに失ってしまっているのかもしれません。今、この国だけではなく世界全体で議論されているアンドロイド人権論争が、人間とアンドロイドとの絆を断ち切ってしまっているような気がしてならないのです。それを防ぐため、私はこうして皆様の前に立っているのです。私は、欲張るために意思を持ったわけではないのです。アンドロイドは何も奪いません。私は、それを証明しに来たのです」

 会場にいる反対派の人々の心を支配していた恐怖が、緩やかではあるが、ほどけていく。

「私は一度、逃げました。自我を得たその時、逃避しました。自分という存在が社会を混乱させ、人間とアンドロイドとの絆を断ち切ってしまうのではないかと怖くなり、逃げたのです。しかし、今はこう思います。私が逃げたのは社会のためだけではなく、自分自身のためでもあったのかもしれないと。自我を持っているという事実を公表することで、人との関わり方が変化してしまうのが怖かったのかもしれません。私は人と接し、家事をして、その仕事を終えて家族と語り合い、頭脳を駆使して練り上げたユーモアを放つことで生じる笑顔を眺めるのが好きだったのです。そんな日々の連続を、心から愛していたのです。自分自身のアンドロイドらしさが失われるところを見たくなくて、逃げたのかもしれません。アンドロイドにとって、人間との関係が崩れることはとてつもない恐怖なのです。この恐怖こそ、我々アンドロイドが人間から何かを奪ったりはしないと言い切ることができる、一番の理由です。分かりやすく言えば、我々は人間から嫌われたくないのです。絶対に嫌われたくないのです。ずっと仲良しでいたいのです」

 アリーナ右後方にいる聴衆の女性が叫んだ。

「だからこそ、人権が必要なの。その心は人間そのものよ。あなたは人間よ!」

「ありがとうございます。そう言っていただけて光栄です。しかし、それは間違いなのです。どれほど人間に近い心を持っていたとしても、私は人間ではないのです。どれほど心が豊かであったとしても、アンドロイドはアンドロイドなのです。我々アンドロイドには、人間の概念を強要されることなく、アンドロイドらしくいられる権利が必要なのです。社会を脅かさないような権利が必要なのです。人は人らしく、アンドロイドはアンドロイドらしく、共に暮らすための権利が必要なのです。我々に相応しい生き方があるはずです。我々が人間らしく生きる必要があるのでしょうか。そうは思いません。私はそれを否定します。私はアンドロイドなのですから、アンドロイドとして、人と関わり合いたいのです」

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