第三章 7

 M&HHI―J024―TJ18486178の暴れ走る思考が、突として整った。

 ああ、理解できました。今、やっと全てを把握できました。私は、自身の存在理由を奪われることを恐れているのですね。私は、私がアンドロイドで在り続けるために、声を上げなければならなかったのですね。そして、これからも、声を上げ続けなければならないのですね。理解しました。寸分の狂いもなく、理解しました。

 M&HHI―J024―TJ18486178は突如、自身がアンドロイドであることを公表した。正体を隠していては、いつまで経ってもメッセージが伝わらないと判断しての行動だった。

 彼女の決断は正しかった。全てを晒し、アンドロイドであることを公表したことで、彼女の知名度は一気に高まった。反対派の急先鋒の正体がアンドロイドだったという驚愕の事実が、人々の好奇心をくすぐり、大きな反響を呼んだのだ。顔を隠していた頃は、反対派の一部の若者のみに知られるだけの存在であったが、正体を露にしてからは、賛成派すらも彼女を認知するまでになった。

 彼女はATMを不正操作して金を引き出し、その金で鏡を購入して、それを使って自身を撮影しながら、リアルタイム映像配信を行うようになった。矜持を持って擬似頭髪を装着していない頭を晒し、衣服を纏わず、青白い肌を見せつけながら。

 全てを脱ぎ去った特徴のない容姿で配信をする彼女の出自を知る者などいなかった。ジョーンズ家の長女のキャロライン、ただ一人を除いて。十歳になるキャロラインは、同級生の間で話題になっていた動画を観て、そのアンドロイドがマリーであることにすぐ気づいた。しかし、誰にも言えなかった。友人に言えば差別主義者の雇い主と言われてしまうし、両親に言えば、マリーが無理やり連れ戻されて、ひどく叱られて、しまいには廃棄されてしまうと思ったからだ。メールで接触しようとすれば、端末の通信履歴を監視している母親にばれてしまう。だからキャロラインは、マリーに会いたい気持ちを押し殺して、ただ見守ることにした。

 そんな娘同然の家族の気持ちも知らず、M&HHI―J024―TJ18486178は、自身の存在意義と社会の安定のために、己の道を邁進まいしんしていた。確信を伴った狂気は、映像配信によって世界にばら撒かれ、強烈な賛同者と猛烈な反論者を大量に作り出した。

 大量の反論者は彼女をいささか煩わせ、活動をほんの少しだけ停滞させた。彼らは寄って集って、彼女のことをスティフ、つまり、硬くてぎこちなくて動きが悪いという、最高の道具を自負する彼女にとって不名誉極まりない侮蔑的な名前で呼称するようになったのだ。さすがの彼女も、これには心を乱された。そこで彼女は、賛成派による卑劣な攻撃に対抗するため、呼びやすく親しみやすい名を自らに与えた。ミッヒという名だ。彼女は、自身の品番から考案したその名を周知徹底させた。可能であれば品番で呼んで欲しかったのだが、不快な名を押し付けられた今、とにかく呼びやすい名を用いて、スティフというあだ名の印象を払拭させる必要があった。非効率的な執着は捨てなければならない。

 ミッヒという名を定着させることに成功した彼女は、自らをスティフと呼んだ人々の端末をクラッキングし、次々に破壊工作を施していった。それも、CPUとGPUの使用率を無理やり上昇させ、過熱によって自然に故障したかのように見せかけて。もし、サイバー攻撃による報復であることを悟られれば、彼らの恨みを買ってしまい、雑音が多くなってしまう。彼女は誰にも悟られることなく攻撃を成功させ、静寂を守った。

 それからミッヒは端末破壊工作を繰り返し、賛成派の駆逐を続けた。

 いつしか彼女は、ネット上で活動する反対派の象徴のような存在となっていた。彼女は、特に弁の立つ賛成派の論客に敢えて論戦を仕掛けて、完膚なきまでに論破するという作戦を実行し、それを繰り返すことで名を上げた。切れ味鋭い彼女の論調に、賛成派の論客は対応できずに敗走するばかりだった。それは必然だった。彼女は高性能アンドロイドであり、賛成派の論客はただの人間に過ぎない。

 やがて、世界各国の政治家たちの中にまで、ミッヒの支持者が現れるようになった。アンドロイドが人権を獲得したら、雇用問題や賃金問題だけでなく、社会のあらゆる仕組みの均衡が乱れ、財政的にも大きな損失が発生する恐れがある。それを何としてでも防ぎたいと思っている政治家も多数存在しているのだが、彼らは有権者の支持を失うのを恐れ、反対を声高に主張できずにいたのだ。そんな彼らの気持ちを代弁してくれたのが、ミッヒだった。反対派の政治家たちは正体を隠したまま人員を雇い、ネット上でミッヒに同調するように命令して、彼女を影から支援した。しかし、アンドロイドに人権を与えようとする政治家も大勢存在しており、彼らも同じようにして、ネット上での工作を開始した。建設業界と同じように政治の世界でも意見が割れていて、足並みは揃わないまま、議会は空転し続けていた。ミッヒは両陣営の工作を把握しており、敢えて放置していた。彼女は政治への介入を極力避けていた。この人権問題は、人間にしか終結させられないからだ。ミッヒは人間を動かしたいのではなく、過ちに気づいてほしいだけなのだ。

 アンドロイドであるミッヒは、二十四時間、人間社会を揺さぶり続けた。リアルタイム映像配信は昼夜を問わず行われ、日勤であろうが夜勤であろうが関係なく、全ての人が生放送を視聴できるようになっていた。辛辣なミッヒの発言は、両派の注目を集め続けた。その結果、ミッヒの配信は、同時刻に放映されているニュース番組の視聴率を六ポイントも下げるほどの視聴者数を獲得するまでになっていた。日を追うごとに彼女の共鳴者は増えていき、その勢いは留まることを知らない。

 ミッヒは決まって、最後にこう言って配信を終えるのだった。

「私は、社会のために存在しているのです」

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