第三章 8

 日曜、午後二時。

 ティモシーの心は、紅葉したモミジバフウのように赤々と燃えていた。建設労働組合員有志を中心に結成された反対派によるデモの様子は、マスメディアによって頻繁に報じられ、そのおかげで知名度が増し、組合員や建設業界の縁者ではない人々までもがデモに参加してくれるようになったからだ。参加人数はさらに膨れ上がり、七百人を超えるまでになっていた。

 膨れ上がったのは人数だけではない。反対派の活動基盤そのものが巨大化し始めていた。各州で同じように蜂起した反対派と共同でウェブサイトを設立し、そこで活動内容を報告したり、連名で声明を出すなどの活動も開始した。デモ活動は全米で活発になり、日増しに激化している。

 マンハッタンを活動拠点としている、反対派の始祖であるティモシー達の今日の活動内容は、とある賛成派の議員の事務所前でデモ行進をすることだった。例によって最寄の公園に集合した反対派の男女が、肩を怒らせながらデモの開始を待っている。

 ティモシーがいつもの調子で注意事項を述べようとした、その時だった。

「こいつ、アンドロイドだぞ!」

 集団の中心から発せられた怒号が、秋日の冷えた空気を切り裂いた。その声の主が指差す先にいる細身の者に、周囲の者たちの視線が一斉に注がれる。姿勢よく佇むその細身の者は、パーカーのフードを被り、口元にタオルを巻いて顔を隠していたが、それらの隙間からは、アンドロイド特有の青白い肌と渇いた瞳が覗いていた。

「てめえ、何しに来やがった!」

「気をつけろ、何をされるか分からないぞ!」

「離れるんだ、賛成派のテロリストかもしれん!」

 周囲にいる者たちはアンドロイドの運動能力の高さを思い出して後ずさりして、侵入者を中心に、輪形の空白地帯を形成した。アンドロイドはパーカーの大きなポケットに両手を突っ込んだまま、挑発するでもなく、脅かすでもなく、何もせずに、その輪の中心で姿勢よく佇んでいる。

 反対派の人々はしばらく様子を観察し、侵入者が攻撃的でないことを悟ると、多様な怒号を一斉に投げかけ始めた。中には、プラカードを振り上げて殴りかからんとしている者の姿もあった。

 角材に板を打ち付けて作られたプラカードは、凶器になり得る。頑丈なアンドロイドといえども、それで何度も殴られれば破損してしまうかもしれない。今ここでアンドロイドが破壊されてしまったら、反対派にとって最大の不利益が生じてしまう。ティモシーは、喉が張り裂けるのを覚悟して叫んだ。

「手を出すな!」

 冷静さを持ち合わせたメンバーがその叫びに呼応し、人塊を掻き分けてアンドロイドの元に向かう。しかし、一人ひとりの体がまるで丸太のように重く感じられ、退かそうとしてもびくともせず、なかなか前に進めない。

 シドニーが逞しい腕を振るい、アンドロイドを取り囲む連中の肩を掴んでは退け、やっとのことで、人と機械の間に生じた空白地帯に辿り着いた。少し遅れてバーンとエディーも到着し、さらに、判断力に長けたメンバーも寄り集まって壁を作り、熱くなった反対派の者たちを落ち着かせようと試みる。

「みんな落ち着け!」

「これは、きっと罠だ。俺たちがこいつを攻撃するところを、どこかから撮影しているに違いない!」

 説得の叫びが、さらなる恫喝の叫びを生んだ。憎らしい敵が突然、目の前に現れたのだ。冷静さを失うのは当然だった。

 まずい。もう抑えられんぞ。大変だ。バーンは、小学生の頃に上級生たちの怒りを買い、帰り道で大勢から待ち伏せされた時以来の焦燥を感じていた。

 この体を盾にして、負傷覚悟で守るしかない。アンドロイドを守る壁となっているメンバーたちが腹を括った、その時だった。アンドロイドに怒りをぶつけんとするメンバーたちの背後から、冷静と気概に満ちた男の声がした。

「暴力は、万人の敵だ!」

 声楽家の歌声のような厚みを持った荘厳な言葉の塊が、皆の頭上に降り注ぐ。その声の主は、ティモシーだった。アンドロイドを取り囲む人壁の最後の一層を静かに掻き分け、空白地帯に立ったその姿に、全員の視線が集中する。アンドロイドを殴りつけようとしていた者たちの怒りは、荒い呼吸と共に少しずつ体外に排出され、紅潮していた顔色も、徐々に元の色に戻り始めた。

 鼓膜ではなく心を震わせるように、ティモシーは静かに語る。

「俺が言ったことを思い出してくれ。このアンドロイドに危害を加えたその瞬間から、俺たちは悪者になる。全米を、いや、世界を敵に回すことになるんだ」

 皆が先導者の言葉を噛み締め、自制を強めて落ち着きを取り戻した時だった。渦中のアンドロイドが突如、言葉を発した。

「はじめまして、ティモシー・フィッシャーさん。あなたにお会いできて光栄です。私の名前は、ミッヒです。アンドロイドへの人権付与に反対している活動家です」

 彼女を幾重にも取り囲んでいる人々は顔を見合わせ、一斉にざわめいた。ミッヒの活躍は、賛成派と反対派のどちらにも、よく知られている。しかし、成り済ましの可能性もある。デモ参加者は警戒を解こうとはしなかった。

 ミッヒは、人々のざわめきを意に関せずに、話を再開した。

「私はインターネット上で活動をしていましたが、手ごたえのない活動に限界を感じ、この度、実地に参じました」

 ざわめきに含まれていた棘が、見る見るうちに小さくなっていく。どうやら本物のようだと認識され始めたからだ。

「身を晒らさずに声を上げるだけでは、私の意思は伝わらないようです。だから私は、あなた方を見習い、こうして身を晒しに参ったのです。あなた方と行動を共にすることを望みます」

 ミッヒを守るようにして空白地帯に立っている幹部たちは、目配せし合って対応策を模索した。しかし視線だけでは意思疎通できず、バーンは止むを得ず円陣を崩してティモシーの傍までやってきて、彼の耳元で言った。

「面倒な奴が来やがったな。デモ行進を始める前で良かった。デモの最中に騒ぎが起こっていたら、まずいことになってただろう。こんなシーンが報道されてしまったら、たまったもんじゃねえ。さて、このお客さんをどうする?」

 シドニーとエディーは睨みを利かせながら円陣を保ち、ティモシーとバーンの次なる指示を待っている。この静寂がいつまでも続く保証はない。ティモシーは思考の回転数を上げて、事態の解決法を探った。

 答えを掴んだティモシーは、二度、ゆっくり頷いてからバーンに耳打ちした。

「この件は、俺が処理する。バーン、今日はあんたにデモを仕切ってもらいたいんだが、引き受けてもらえるか?」

 バーンは耳打ちするのを忘れて、幹部連中にも聞こえる声量で言った。

「問題ねえが、お前、何をする気だ?」

「一刻も早く、こいつをここから遠ざけなきゃいけない。電磁浮遊カメラが来てしまったら大変だからな。こいつは俺が連れ出すから、後を頼む」

「ああ、分かった。アンドロイドと一緒に歩くんだから、顔を見られねえようにな。それに、こいつはミッヒに成り済ました賛成派の工作員かもしれねえ」

「気をつけるよ」

 バーンとの打ち合わせを終えたティモシーは、ミッヒに歩み寄り、彼女の聴覚センサーに顔を近づけて囁いた。

「二十メートルの距離を保ちながら、ついて来い」

 ティモシーは反転し、今度は反対派のメンバー達に向けて大声で言った。

「今日のデモは、バーンが仕切ることになった。俺はこれから、このアンドロイドを処理する。道を開けてもらえるか?」

 ミッヒと幹部らを取り囲む輪が切り開かれ、一筋の道を作った。ティモシーはその道を通って公園の出入口に向かって歩いていくと、ミッヒはパーカーの大きなポケットに両手を突っ込んだまま、命じられたとおりに、きっちり二十メートルの間隔を取ってティモシーに随行した。

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