第二章 8

 ティモシーはコーヒーが出来上がるまで、アンドロイドが人権を得てしまった場合に生じる諸問題や、自分が反対派団体のリーダーになったこと、デモの規模、今日のデモの全容と反省点、そして、これからの活動内容について簡潔に説明した。

「全ては、子供の未来のためなんだ」

 意志の籠もったティモシーの言葉に気圧されながら、グオが小声で問う。

「奥様は知っているのかい?」

「デモに参加していると言ってあるが、中心人物だとは言っていない。彼女は乗り気じゃないようだが、俺と同様に、子供たちの未来に不安を感じている」

「そうか。中心人物だと知られたら、少しまずいのかな?」

「ああ、できれば知られたくはないからニュースを観ないようにしているが、どうせいつかは知られるだろうな。だから、うちに招いたんだ」

 機械が二人の会話を遮った。

「コーヒーが出来上がりました」

 ティモシーはマネジメント・コンピュータの音声に返事をせずにキッチンに向かい、コーヒーメーカーから二つの適温調整マグを取って戻り、それをテーブルに置いて席に着いた。

 グオは適温調整マグを手に取ってコーヒーをすすり飲み、それからティモシーの目を鋭く見据えて言った。

「それで、デモによって主張が通る見込みはあるのかい?」

「最初は自信がなかった。でも、世論調査の数字を見て考えが変わった。反対派は、回答者の半数近くいるんだよ。成功する見込みはある。仲間も増えた。今日は、四百人以上も集まったんだ。今後、もっと増えていくはずだ。この人数で安定した雇用の重要性を訴え続ければ、必ず伝わるはずだ」

 話を聞いていたグオがマグを置いてテーブルに両肘を突き、口元で手を組みながら指摘した。

「しかし、差別的だと批判される可能性もある。その誤解を払拭するための策は講じているのかな?」

「賛成派はそういった批判をしているが、俺たちは差別的なメッセージを発したことはない。差別的な主張をしないように取り決めてあるし、皆もちゃんと従ってくれている」

「それだけでは心許ないな。危険だ。その規律は弱い。確実に従ってくれるのは組合員だけだろう。この先、外部の人々がどんどん合流してくる。そのとき、歯止めが利くかどうか疑問だよ。果たして、きみの指示に従ってくれるだろうか。気をつけたほうがいい。きみの志を理解できない愚かな人々までもが、必ず合流してくる。きみがいくら聡明で、どれほど組合員の支持を得ているとしても、それを防ぐのは骨が折れるだろう」

 ティモシーは椅子の背もたれに体重を預け、グオの言う愚かな人々という言葉が意味する存在を予測し、思いついた答えを口にした。

「その愚かな人々というのは、差別主義者どものことか?」

「そう。そういう連中が必ず寄ってくる」

「一応、考慮している。ガキの頃、ただ鬱憤を晴らしたいだけの連中がデモに参加しているのを見たことがあるからな。あれは酷いもんだった。だが、安心してくれ。排除の仕方も見て学んできている。プラカードを検閲し、それから組合員を分散して配置して、参加者を監視する予定だ」

 グオは口元で手を組んだまま、人差し指を立てて言った。

「当分の間は、それでいい」

 信頼する友人から贈られた肯定の言葉によって安堵を得たティモシーだったが、その心は晴れない。彼はテーブルに手を置いて脱力しながら、不安を吐露した。

「しかし、それを上手くやれるかどうか分からない。所詮、机上の空論だ。理想を現実のものとするのは、思った以上に困難なんだ。現に、俺は今日しくじった。デモ実行前の集会での勢いを活かすために、俺は走って集団を率いてしまったんだ。その結果、デモ参加者の冷静さを損ねてしまい、暴動寸前まで行ってしまった。俺自身、興奮しすぎてしまっていたのかもしれない」

 何度も小さく頷きながらティモシーの話を聞いていたグオは、言葉が途切れたと見るや、的確に助言した。

「人数が膨れ上がってしまったせいだろう。先週のニュースでは、冷静さが際立っていたのにね。でも、勢いも大切だと思うよ。たしかに失敗だったかもしれないが、勢いを生じさせることが出来るという点は誇るべきだ。万人が真似できるようなことではないからね」

 ティモシーは力なく両の手のひらを上に向け、首を横に振りながら言った。

「でも、これは戦争じゃない。俺に、彼らを率いる資格があるのかどうか……」

「あるさ。きみは衝突を防いだんだ。撤退すべき時に、彼らを抑えて撤退させた。リーダーとしての適性があると言っていい」

「そうだといいんだが」

 会話はそこで一段落つき、しばしコーヒーをすするだけの時間が続く。

 二人とも、コーヒーの味を楽しんではいなかった。ティモシーは本題を切り出すタイミングを伺い、グオはフィッシャー家に入る前から予感している相談事への移行を待っていた。

 エマが調理するチキンの香草焼きの食欲をそそる香りが漂い始め、しばらくして、ティモシーが本心をぶつけた。

「グオさん、俺たちのデモに参加してくれないか?」

 グオはすぐには答えずに視線を落とし、適温調整マグの熱によって緩やかに対流するミルクコーヒーの表面に浮かぶ、きめ細かな泡を見つめたまま黙り込んだ。その様子を見たティモシーは、このまま押し続ければ了承してくれるのではと判断し、心に秘めた不安を包み隠さずに話してみることにした。迂遠うえんな言い回しでは、誠意を示せない。

「正直なところ、俺はこれからどう展開していけばいいのか迷ってるんだ。賢いあんたがいてくれれば心強いんだよ」

 グオは視線を上げ、ティモシーの濃褐色の瞳を見据えながら言った。

「きみは大切な友人だが、協力はできない。僕はね、アンドロイドへの人権付与に賛成しているんだ。彼らは自我を獲得し始めた。来るべき時が来たんだ」

 グオが黙り込んでいたのは迷っていたからではなく、どのような言葉で勧誘を拒否すべきかを思慮していたからに過ぎなかった。ティモシーは裏切られたような気がして、沸騰したように言葉を吐いた。妻には聞こえないように、とても小さな声で。

「あんたの奥さんだって職を失うかもしれないんだぞ。中華料理店の料理人もアンドロイドに置き換わるだろうからな」

 グオは至極冷静に返す。

「そうなるかもしれない。でも、それは勝負の結果だと思うんだ。妻はアンドロイドと料理の腕を競い、職を守るだろう。妻は、他のシェフ達と何度も競い合った末に、今の地位を得たんだ。相手が人だろうがアンドロイドだろうが、やることは同じなんだ」

「グオさん、あんたはアンドロイドの性能を甘く見過ぎてる。あいつらは料理だって完璧にこなすぞ。あんたは簡単に真似されない芸術家だから、危機感がないんじゃないか?」

「いいや、危機感ならあるよ。常にある。僕は、アンドロイドの能力について深く理解している。彼らは、そのうち創作もこなすようになるかもしれない。でもね、さっきも言ったとおり、相手が人でもアンドロイドでも同じなんだ。僕は僕にしか描けないものを描き続けるし、アンドロイドはアンドロイドにしか描けないものを描くだろう。僕らはあらゆるものと競争し続けているし、それは死ぬまで続く。競争相手が増えたところで、条件は変わらないんだ」

「あんたはいいよ。絵を描くという特殊技能を持っていて、それで商売できるんだからな。あんたはアンドロイドも絵を描けると考えてるようだが、そうなるとは思えない。創作は人間の特権だ。あんたは安全地帯にいるんだ。だから、そんな風に悠長に構えていられるんだよ」

 ティモシーは吐き捨てるようにそう言い、窓の外を睨んだ。グオは本能的にその目線を追ってしまったが、すぐに視線をティモシーの顔に戻し、柔らかな口調で諭すように言った。

「僕は画家だが、売れている有名画家ではないよ。僕の絵は高い値段で売れることなどないし、いつ転げ落ちてもおかしくない。妻に助けてもらっている身だ。だから、僕だって条件は同じだよ」

 グオは自作の絵を買い取ってもらえるほどの実力と魅力を持つ画家ではあるが、その売却額は小さい。妻の収入を足しても生活は不安定であることをティモシーは知っているのだが、自分にはない才能を持ち、不安感に襲われずに大きく構えているグオに嫉妬を抱き、どうしても反論せずにはいられなかった。子供のように当たってしまった自分を恥じたティモシーは、グオの顔を正視できず、窓の外に見える向かいのビルの外壁に視線をやり続けるしかなかった。

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