第二章 6
すでにニューヨーク市庁舎前でデモ活動をしていた賛成派は、少し離れた場所から届いた反対派のものらしき叫び声を聞いて陣形を組み直し、怯まずに向き合う準備を整えていた。しかし、その努力は水泡に帰した。最後の角を曲がって現れた反対派が、駆け足で登場したからだ。度肝を抜かれた賛成派は、後ずさりするのを堪えるだけで精一杯な状態となり、驚きに目を剥いたまま、迫り来る反対派の姿を見つめることしかできなくなった。
賛成派と反対派の間に展開していた警察の暴動鎮圧部隊員たちが、駆けてくる反対派との衝突に備え、覚悟を決めた時だった。反対派の先頭にいるリーダー格の男が両手を広げながら止まれと叫んで、巨大な生き物の推進力を抑えた。その巨大な生き物はリーダーを追い越しながらも徐々に速度を落とし、警察官たちの十メートル手前で完全に静止した。
睨み合いが始まった。聴こえてくるのは反対派の荒い呼吸音と、電磁浮遊カメラの微かなノイズのみ。賛成派の一人が急いて叫んだが、その声は澄んだ夏空に吸い込まれて、無となった。再び、重苦しい緊張が場を支配する。先ほど上がった賛成派の叫び声によって生じた緊張感が、静寂をより強調させた。
先手を打ったのは、反対派集団の中心に陣取っているティモシーだった。反対派集団の中心にいる彼から発せられた指示が、前線に向かって伝播していく。拡声器は使わない。このデモの様子を観る人々の心証を悪くしてしまうのを避けるためだ。
「アンドロイドに人権を与えるな!」
「アンドロイドに職業選択の自由を与えるな!」
「これ以上、俺たちの仕事を奪うな!」
ティモシーの指示通り、反対派がプラカードや拳で天を突きながらそう主張すると、賛成派が負けじと声を張り上げた。
「アンドロイドには人権が必要だ!」
「人権を尊重しろ!」
「差別主義者は去れ!」
世論調査で、反対意見が予想以上に票を伸ばしたことに焦りを覚えた賛成派は、寄付を募って移動費を賄うことで、動員人数を増やしていた。その数、四百七十七人。
四百人と四百人が、ニューヨーク市庁舎前で睨み合う。衝突が発生する危険性の高さと、衝突してしまった場合に生じる被害を予測したティモシーは、人知れず背筋を震わせた。しかし、引くわけにはいかない。彼らの後ろには、守るべき家族がいる。
市庁舎の入口前には、アンドロイドの暴動鎮圧部隊が綺麗に並んでいた。反対派の人々を刺激しないためにアンドロイド隊の動員を控えていたのだが、今回のデモは総勢千人近い規模となると予測されたこともあり、双方のデモ参加者と警察官を守るためにアンドロイド隊の動員が許可された。アンドロイド隊は衝突した場合にのみ行動するように命じられており、今は微動だにせずに状況を静観している。
両陣営は、主張の応酬を繰り返した。今回も反対派が優勢だった。賛成派はまたもティモシーの策にはまり、前回と同じように少しずつ冷静さを失って、暴徒の雄叫びに似た声を上げ始めていた。賛成派は人員補強の必要性には気づいたが、相手陣営リーダーの策略には気づくことができなかった。またも反対派優勢で、勝負は進む。
反対派集団の中心に陣取るシドニーが、すぐ横に立つティモシーの耳元で声を張り上げた。
「中世の攻城戦が始まる寸前みたいな雰囲気だな!」
「実際には、何も始まらない。このまま上手くやれる!」
ティモシーは確信を持って、そう答えた。衝突が生じることなどない。
対峙してから、三十分が経った頃。巨大な生き物と化した反対派の中心で指揮を執るティモシーが、異質な熱を感じ取った。その熱源は前線にあった。最前線にいる反対派メンバー達が、市庁舎の前にいるアンドロイド隊をゴールと見なし、声を張り上げながら、人間の暴動鎮圧部隊の壁をぐいぐいと押し込み始めていたのだ。その反対側では、賛成派が同じように暴動鎮圧部隊の壁を押している。
市庁舎入口に配置されたアンドロイド隊が、全てを覆した。アンドロイドの姿を見た一部の過激な反対派メンバーが暴走したのだ。
ティモシーとシドニーは背と首を伸ばして、前後左右にいるデモ参加者たちの様子を確認した。道路いっぱいにひしめき合って声を上げている同志たちの目と背中からは、国を憂う者の悲しみではなく、戦場に立つ兵士が発するような血の
シドニーが、首を何度も左右に振ってみせながら叫んだ。
「まずいぞ、ティム。前線で衝突してるらしい。みんな、冗談じゃなく、攻城戦に参加してる兵士みたいな気分になってやがる。今は小競り合いで済んでるが、このまま進めば暴動になるぞ!」
「ああ、もう引こう!」
「こんな状態なのに、まともに指示が通るか?」
「無理だ。だから、俺が前に行って直接指示する。お前にも協力してもらう。来てくれ!」
撤退の指揮をバーンとエディーに委ねたティモシーとシドニーは、通してくれと何度も叫びながら、反対派の仲間たちを掻き分けて前線へと向かった。
汗だくになりながら前線に辿り着いたティモシーは、異質な躍動感に気づいた。前線近くで叫んでいる人々の背中には、ここまで掻き分けてきた人間とは比べ物にならないほどの力が込められていて、どう動かしても、びくともしないのだ。
これでは最前線に立って後退を命じることができない。焦ったティモシーはその場で撤退命令を叫ぶが、熱くなった仲間たちの叫び声によって、いとも簡単にかき消されてしまった。
ティモシーが、シドニーの耳元で叫んだ。
「頼みがある。一旦戻って、後方にいる仲間たちを少しずつ後退させてくれ。少しずつ崩すしかない!」
「わかった。みんな聞け。発起人の指示だ。緩やかに後退しろ!」
シドニーは反転して、右手で下がるように示しながら叫んだ。そして、ここまで来た時と同じように難儀しながら、人塊を掻き分けて戻っていく。
ティモシーはシドニーの声を背中に受けながら、興奮の極みにある最前線の屈強な男女を一人ずつ説得して、少しずつ引き剥がしにかかった。それは非効率的な指揮ではあったが、少しずつ着実に前線のメンバーを後退させ、衝突を収めることには成功した。それから反対派は、敗走するかのように撤退した。大規模な衝突を避けることには成功したが、デモとしては大失敗だった。
初めての大規模デモは、足並みの揃わぬ形で幕を閉じた。この中継を観ていた人々の反対派への印象は、非常に悪くなってしまっただろう。最高の滑り出しを見せた反対派デモだったが、管理しきれずに大規模衝突寸前まで過熱することを許してしまい、望まぬ形での撤退を余儀なくされてしまった。解散の挨拶をするティモシーの言葉には、デモを行う前の挨拶の時のような輝きはなかった。暴動を止めるための後退であったと説明した結果、参加者の理解を得ることには成功したが、その代わりに重要なものを失った。核の部分の熱までもが失われたのだ。反対派の群集を包んでいた怒りと覇気は、夢幻のように消え去ってしまった。
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