第二章 3

 策を一時間ほど継続した労働組合有志たちは、ティモシーの号令でゆっくりと後ずさりして、規律を保ったままデモを終えた。街中に配置した電磁浮遊カメラによるライブ映像を売りにしている独立系ニュースチャンネルが、このデモの様子をいち早く公開していた。それを観た視聴者の間では、反対派の振る舞いが見事だという話で持ちきりとなっていたのだが、ティモシー達は知る由もない。


 夕方、反対派の労働組合有志が各々の家に帰るなか、ディラン・リンチ工務店の四人は解散せずに、バーンの自宅のリビングでソファーに腰掛けて、テレビを眺めていた。バーンの妻には反対派としてデモ活動を行っていることは内緒にしてあるのだが、幸いなことに彼女は不在で、ばれないように気を使わずに済んだ。

 デモの緊張感を引きずっているバーンが、飲み干して空になったビール缶をテーブルの上に転がして言う。

「すぐ傍に賛成派の連中がいるのに、よくデモの許可が下りたな」

 リーダーを務めたティモシーが、さほど疲れた様子も見せずに答えた。

「難色を示していたが、不公平だ、不平等だと言ってやったら、すぐに許可が下りたよ」

「ティモシーさんって凄いですよね。どうして、あんなに堂々と振る舞えるんですか?」

 口元からこぼれたビールを手で拭いながらエディーがそう言うと、ティモシーはソファーに背を預けて答えた。

「大したことはない。年の功ってやつだよ。歳を取れば、緊張や恥なんか気にならなくなるもんだ。家庭を持ったら、なおさらだ。お前だって、いつかはこうなる」

「そんなもんなんですかね。想像がつかないなあ」

 興奮が収まらない様子のシドニーが、三人の会話を遮った。

「ああ、俺たちの晴れ姿、早く観てえな。楽しみだ」

 笑顔と呆れ顔を両立させたティモシーが、シドニーに甘く釘を刺す。

「これは遊びじゃないんだぞ、シドニー」

「はいはい、冗談だよ」

「あ、イブニングニュースが始まりましたよ」

 エディーが指差すテレビモニターに、皆の視線が注がれる。

 一瞬にして、全員の酔いが覚めた。自分達が率いた反対派のデモ活動が、なんとトップニュースとして扱われていたのだ。市庁舎の周りを練り歩く賛成派の前に、屈強な男女の集団が立ち塞がる様子が映し出されている。画面が切り替わり、最前線に立つティモシーの姿が映し出された。その手に掲げられたディスプレイに向かってズームして、メッセージを映し出す。反対派からのメッセージが、間違いなく視聴者の目に届いた瞬間だった。

「おい、本気かよ。これ、全米に流れてるんだよな?」

 シドニーの問いに、誰も返事ができなかった。彼は懲りずに独り言を続けた。声に出さずにはいられなかったのだ。

「なあ、おい、どうなってんだ?」

「今日は、大きな事故や事件がなかったらしい」

 ティモシーが、脱力しきった顎を懸命に動かしてシドニーの問いに答えた。

 テレビ画面はまた切り替わり、賛成派が反対派に向かってわめきながら近づき、警察に制止されている様子が映し出された。その様子に対してコメントをする女性キャスターの声には、驚嘆と動揺の色が高濃度で混入していた。博愛主義者であるはずの賛成派の荒ぶった様子は、発声のプロフェッショナルであるキャスターの声を乱すほどの衝撃力を有していた。

 バーンが、テレビ画面に視線を注いだまま呟いた。

「おい、ティム。お前、とんでもない事をやらかしたな」

 大手テレビ局がこれほど大きく報道をしたのには、理由があった。賛成派のデモの映像に飽き飽きしていたマスメディアは、派手な展開を待ちわびていたのだ。対立は視聴率を生む。局は対抗馬の登場を大いに歓迎し、ティモシーを筆頭とした反対派の姿を大々的に報じた。少人数グループによる小規模な反対運動ではあったが、それでも、新鮮味を失っていたアンドロイド論争に新風を吹き込む存在として充分すぎるほどの力と気概と魅力があると認められ、このような扱いがなされたのだった。

 また映像が切り替わった。大きく映し出されたティモシーが首を横に振り、そして首を縦に振り、それからディスプレイを指差す様子が映し出された。

「すごいですよ。大事な場面が全部放送されてる!」

 エディーは無邪気に叫んで皆の顔を見たが、誰とも目が合わなかった。先輩三人の視線は、テレビ画面に釘付けになっている。

 デモの映像が終わり、スタジオの女性キャスターが映し出された。彼女は次のニュースを読み上げず、アンドロイド人権論争特集を仕切り始めた。さらに、番組でしばしば行われているオンライン投票式の世論調査まで開始して、ティモシー達を激しく驚かせた。世論調査は、かなり踏み込んだ内容だった。アンドロイドに人権を与えることに賛成か、反対か。そして、そう考えるに至った理由を問うていて、反対派として活動しているティモシー達の興味を大いに引いた。

 世論調査の受付が開始されると、今度はアンドロイドが自我を得たことについて専門家たちにインタビューをしている映像が流された。学者は自我の発現を認め、技術専門家全員は自我の発現を疑いつつも、アンドロイドの機能が向上していることを認めていた。それは以前放送された内容を再編集したもので、この番組を録画して夜に視聴していたティモシーにとっては何一つ得るものがないのだが、同僚たちはそうではないらしく、珍しく神妙な面持ちで熱心に見入っている。

 工務店の面々は難しい顔をしながら専門家の話を聞いて敵を知り、それと同時に、自我という概念について思いを巡らせていた。自我を得たアンドロイドは人間と同等になるという賛成派の主張は理解し難く、改めて、賛成派の人間とは相容れないことを悟った。賛成派が何と言おうが、アンドロイドは人ではない。それに、アンドロイドには養う子などいないが、人間には守るべき家族がいる。だから、違うのだ。労働というものの重みが、まるで違うのだ。工務店の職人たちは改めて、アンドロイドが人権を得ることを何としてでも阻止しなければならないという意志を補強した。

 特集映像が終わると、今度はスタジオに招かれている専門家の解説が長々と続いた。バーンが買い貯めていた缶ビールは、ついに全て無くなってしまった。

 アンドロイド人権論争の解説が終わり、いよいよ世論調査の結果が発表されるかと思いきや、今度はいつも通りの平凡なニュースが報じられ始め、待ち時間はさらに延長した。ティモシー達はビールの代わりに水を飲んで喉を労わりながら、うんざりした様子で結果発表を待つ。子供を持つ身であるティモシーは常日頃からニュースを注視して、なにか危険な事件が発生していないか調べておくのが癖となっているのだが、この時ばかりは気が向かなかった。

 やがて、キャスターがやっと世論調査について語り出し、すぐに結果が発表された。脱力しきってソファーに沈んでいた四人の体が跳ね上がり、虚空を見つめていた視線がモニターに注がれる。

 信じられないことが起きた。ティモシーの控えめな予想に反して、世論が大きく割れていた。人権を与えることに反対している人々が、なんと四十五パーセントも存在していたのだ。結果を目の当たりにした反対派の中心メンバー達は歓喜に沸き、その後、一転して深い静寂に包まれた。キャスターが読み上げた投票理由が、あまりにも衝撃的だったからだ。願っていたとおりに、雇用を奪う可能性があるからという理由が大半を占めていたのだ。労働組合有志の面々は顔を見合わせ、それから一斉に雄叫びを上げて飛び上がり、沈黙を引き千切った。

 世論調査の結果は、どんなことよりも嬉しい誤算であった。予想に反して、人々はアンドロイドに人権が付与されることで生じる問題を、はっきりと認識していたのだ。多くの人々が目先の偽善に酔い、未来など見ようともせず、盲目的に賛成しているのだろうと思い込んでいたのだが、それは大きな間違いだった。

 ティモシーは目を輝かせながらシドニーと肩を組み、世間に潜んでいた真の有識者たちに、心の中で感謝を述べた。

 ありがとう。ちゃんと見てくれていたんだな。街に溢れる路上生活者の姿を、目を逸らさずに見てくれていたんだな。ロボットどもに仕事を奪われた者たちのことを、見てくれていたんだな。俺たちのことを無視しているとばかり思ってた。俺が間違っていたよ。あんたらに謝りたい気持ちでいっぱいだ。

 反対に投票した人々が多かったのは必然だった。ロボットが人間の仕事のほとんどを奪い始めてから、路上生活者と非正規労働者の割合は二十一世紀初頭と比べて六倍以上に増え、そこかしこで彼らの姿を見かけるようになっていたからだ。ロボット工学が栄えるのに比例して路上生活者の数は増加し、それに伴って、街の近くにも路上生活者保護シェルターや児童養護施設が増設された。誰もが彼らの労苦を目の当たりにしながら、幼少期を過ごしてきた。そして、中学校で小難しい社会学を習った際に、彼らがロボットに仕事を奪われたことを知った。人々は幼い頃からずっと、ロボット技術によって生じた過酷な現実を見せつけられながら成長したのだ。

 ティモシーは歓喜に湧く感情を撫で付けて、五十五パーセントもいる賛成派の分析に着手した。善戦はしているが、負けているのだ。さらなる対抗が必要だった。

 賛成派は恐らく、生活に余裕のある人々なのだろう。富裕層はいつも、困窮する人々の生活よりも自身の快楽を優先する。偽善者は、いつも理想しか眼中に入れず、現実を見据えることはない。上辺だけの善行にしか興味を示さない。邪魔だ。はっきり言ってしまえば排除したいが、敵対行為は控えるべきだ。彼らにも、俺たちの危機を理解してもらわなければならない。反対している人々がこんなにいるんだ。賛成派の連中だって、きっと分かってくれるはずだ。状況は、予想していたよりも格段に良い。とにかく、憎悪を生まないことを優先しなければならない。憎悪が生じるほど嫌われてしまっては、現実を説明することすらも叶わなくなってしまう。

 エディーが、これまで見てきたどの笑顔よりも明るい表情で言った。

「この結果には、僕らの努力も反映されてるんですよね?」

 ティモシーは、首を横にも縦にも振らずに答えた。

「俺らのデモによって票が動いたとは断言できない。でも、反対派を勇気づけたことは間違いないだろうな」

 緊張の糸が切れたシドニーが、ドスンと勢いよくソファーに座り込んで言った。

「お前の作戦が良かったんだよ。一体どこで習ったんだ。政府の仕事でもしてたのか?」

 長い付き合いであるにもかかわらず、シドニーはティモシー・フィッシャーという男の過去を知らない。

「まさか。ガキの頃に色々あって、ある人から教えてもらったんだ」

「なんだよ、それ。そういや、お前がガキだった頃の話を聞いたことがないよな」

「まあな」

 ティモシーの目に重苦しい悲壮が浮かんだのを感じ取ったシドニーは、詮索しすぎたことを後悔し、話題を変える。

「それで、これからどう攻めるんだ、エージェント・フィッシャー?」

 ティモシーは咳に似た笑い声を上げ、それから本物の咳をして気を取り直し、落ち着き払った声で答えた。少々言いにくいことだが、仲間の前では常に正直でいなければならない。

「じつは、考えついたことはもう全部やり終えたんだ。新しい作戦はない。これから徐々に参加者が増えると思うんだが、それまでは今日と同じようにやっていこうと思う。それが一番効果的だと思うんだ。どうかな?」

 バーンが豪快に笑いながら言った。

「全部、お前に任せる!」

 ティモシーは仲間からのさらなる信頼を得て、自身が社会に投じた小石が大きな波紋を描いたことに自信を得て、家族を守ることができるかもしれない力を得た。視界の隅に硬くこびり付いていた不安の欠片が、ついに消え去った。

 もう怖いものはない。

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