第二章 2
怒れる男が家族を守るために立ち上がってから、一週間が経った頃のことだった。デモ活動が行われているニューヨーク市庁舎前の風景に、大きな変化が生じた。アンドロイドに人権を与えよと叫びながら行進する一団の前に、四十九人の屈強な男女が立ち塞がったのだ。
新手のデモの届出があったと聞いていた警察官らは、衝突を危惧して両者の
警察官たちは、さほど緊張してはいなかった。市庁舎の周辺には車や通行人の姿がないので、もし暴動になったとしても被害が少なくて済むからだ。都市情報システムによってデモ情報が発信され、自動運転車管理システムは市庁舎前を避けて通り、歩行者も市庁舎前の通りに近づかないようにしている。物好きな十数人の老若男女が、通りの先にある十字路から、遠巻きにデモの様子を眺めているだけだった。
デモ隊と警察隊しかいない市庁舎前で、アンドロイド人権付与賛成派の前に立ち塞がった四十九人の労働組合有志が、一斉に叫ぶ。
「アンドロイドに人権を与えるな!」
大きく息を吸って、また一叫び。
「アンドロイドに職業選択の自由を与えるな!」
大きく息を吸って、最も伝えたい言葉を、魂込めて。
「これ以上、俺たちの仕事を奪うな!」
最前列の中心に立つティモシーが一歩前に出て、伸縮式ディスプレイを限界まで広げて頭上に掲げる。画面には、古臭くも格調高い筆記体で綴られたメッセージが映し出されていた。
我々は、アンドロイドに仕事を奪われる。そして、あなたも。
先ほどとは打って変わって、辺りは静寂に包まれた。その静寂は、突然現れた屈強な男女が発した叫びへの恐怖と驚嘆によるものではなく、ティモシーが掲げたディスプレイに映し出されているメッセージによって生じたものだった。読み慣れていない筆記体で書かれたメッセージは、彼の狙いどおり、人々の視線を引き寄せた。彼が掲げたディスプレイに、賛成派の面々と、警察官たちと、電磁浮遊式の五台の報道カメラの目が釘付けになる。
国民は皆、アンドロイドの性能の高さを知っている。故に、創造性が求められる業務以外であれば、アンドロイドは何でも代行できることも理解していた。賛成派の人間たちも、立ち塞がっている警察官たちも、その現実を改めて突きつけられたことで言葉を失っていたのだった。賛成派の中には芸術家もいたが、そのほとんどは、アンドロイドによって仕事を奪われる可能性が大いにある、ごく普通の会社員であった。警察官にとっても他人事ではない。警察官の職務も、アンドロイドは難なく代行できる。実際、アンドロイドのみで編成された特別機動隊がすでに存在しており、デモ活動の監視、警備、暴動鎮圧の補充要員として控えている。今日のデモはアンドロイドが争点になっているので、混乱を防ぐために動員されていないが、通常であれば、両陣営の間に並ぶのは彼らのような人間の警察官ではなく、アンドロイド特別機動隊の暴動鎮圧部隊のはずだった。動員されている人間の警察官たちは今、アンドロイド特別機動隊員の代理として職務に就いているのだ。
ニューヨーク市庁舎前にいるアンドロイド人権付与賛成派と警察官の全員が、自身もアンドロイドに仕事を奪われる恐れがあることを再認識し、惑い、沈黙した。
反対派は、場を支配している沈黙に寄り添いながら、無言で訴え続けた。そのように振舞えと、反対派のリーダーであるティモシー・フィッシャーが事前に指示していたからだ。
沈黙によって場を支配しようと画策したティモシーは、無表情のまま、心の中で笑みを浮かべた。
うまくいった。予想以上に、彼らの注目を集められている。報道各社の電磁浮遊カメラも、しっかりと撮影してくれている。準備期間が足りなかったのではと心配したが、杞憂だったな。
ティモシーは、この日に向けて誰よりも早く行動を起こし、整然と計画を立て、それを速やかに実行した。はじめに同僚のバーン、シドニー、エディーの賛同を得て、それから建設業界の労働組合のネットワークを通じて参加を呼びかけ、同じ考えを持つ者を結集し、たった一週間で、アンドロイドに人権を付与することに反対する運動を開始した。ボスのディランは、勘が当たってしまったとうんざりしながらも、部下が反対運動を行うことを許可して送り出した。ティモシーは信頼できる同僚三人と、共に働いているわけではないが同じ思いを抱いている仲間と共に、望まぬ未来と睨み合っている。
三分ほど経っても、反対派は沈黙を守り続けていた。その行儀の良さに反して、彼らの目は野性的な輝きを放ち、今にも賛成派の人々に飛びかかっていくのではないかと思わせるほどの強い怒りと憂いを湛えていた。それを見た警察官たちは、柄にもなく体を強張らせた。よく鍛えられている肉体労働者と正面衝突したくはなかった。
突然、沈黙が綻びを見せ始めた。賛成派が、ティモシーが掲げているディスプレイに映し出されたメッセージから目を逸らし、小さな声で、現実逃避の呪文を唱え始めたのだ。
アンドロイドは人間の仕事を奪わない。アンドロイドはそんなことをしない。
その囁きは、怒りを孕んだざわめきに移行していった。
あいつらは被害妄想に囚われているだけだ。アンドロイドを責めたいだけなんだ。差別主義者め。
賛成派は、反対派の悪口のようなものを言い合って、お互いを奮い立たせ合った。それらの呪文は徐々に音量を増して、ついに沈黙が破られた。
「アンドロイドが人権を得たからといって、仕事が奪われるわけじゃないぞ!」
「自分の弱さをアンドロイドのせいにしないでよ、この差別主義者!」
賛成派の最前列にいる身なりの良い男女がそう叫ぶと、それをきっかけに、雪崩のように罵倒の塊が襲い掛かってきた。反対派の何人かは彼らの豹変に目を丸くしたが、ティモシーは微動だにしなかった。予想どおりの流れになったからだ。ティモシーは振り返って仲間の様子を確認し、怒りに支配されて言い返しそうになっているメンバーに目配せをして落ち着かせ、口元に微笑を浮かべながら頷き合った。次の段階が始まったのだ。
反対派の労働組合有志たちは抑えた口調で、しかし、よく通る声で唱和し始めた。
「アンドロイドに人権を与えるな」
「アンドロイドに職業選択の自由を与えるな」
「これ以上、俺たちの仕事を奪うな」
そして最後に、新たな文言を付け加えた。
「アンドロイドは仕事を奪う。人々の幸福を奪う」
労働組合有志たちは、最後の文言を繰り返し唱和した。賛成派の罵倒よりも少し慎ましく、しかし相手の感情を逆撫でするくらいの声量で。それもまた、ティモシーの策略だった。賛成派が対抗して叫び始めたら、それよりも少しだけ勝る声量で、努めて冷静に、こちらの言い分を唱和する。すると相手は必ず対抗して、より大きな声を上げる。これを繰り返し、徐々に賛成派を過熱させ、品位に欠ける絶叫を引き出すのだ。こちらは決して叫ばず、腹に力を入れて、聴き触りの良い声を出すよう努める。端から見れば、野蛮に感じられるのは賛成派のほうだ。こうして、賛成派が粗野な叫び声を上げる様子を、報道各社の電磁浮遊カメラに撮影させるという算段だ。
リーダーの狙いが、またも的中した。賛成派は自らの意思を叫び、反対派の言い分を封殺し始めた。叫びは止まない。
今だ。
最前列の中心に立つティモシーが一歩前に出て、改めて伸縮式ディスプレイを高く掲げてみせた。またも現実を見せつけられた賛成派は、今度は沈黙することなく、罵りながらティモシーに向かって大きく歩を進めて、間に入っている警察官たちの背中を押し始めた。警察官たちは警護していた側の暴走に驚き、回れ右をして口々に叫んだ。
「下がって。落ち着いて。ほら、下がるんだ!」
構図が完全に逆転した。警察は押し寄せる賛成派の波を受け止め、今度は反対派を守り始めたのだ。報道各社の電磁浮遊カメラが、電磁浮遊機能に干渉しあって墜落しそうになりながら、より良い画を求めて前線の上空に集う。
ティモシーは、最も良い位置に陣取った電磁浮遊カメラを見つめながら祈った。
どこの報道機関か知らないが、頼む。奴らの酷い顔を撮影してくれ。冷静な俺たちを撮影してくれ。この対比を撮影してくれ。そして、どちらが正しいかを世間に伝えてくれ!
自動で映像を撮影する電磁浮遊カメラに搭載された映像分析機能から、撮影すべき対象であると判断されるために、ティモシーは伸縮式ディスプレイを前後に振り始めた。しかし、電磁浮遊カメラは罵倒しながら押し寄せる賛成派を優先して撮影し続けていて、彼が持つディスプレイを撮影しようとしてはくれない。
「カメラ、俺を撮ってくれ!」
そう叫んではみたが、電磁浮遊カメラの映像分析機能は賛成派の粗野な叫びに夢中で、機体の横にあるサブカメラで、ティモシーを値踏みし続けるだけだった。
ティモシーは振り返り、仲間たちに向かって大袈裟に手招きをした。彼は焦っていた。賛成派が暴漢のように詰め寄ってくる様子と同時に、ディスプレイに表示されたメッセージが報道されるのが、最も効果的だからだ。早くしないと、賛成派が警察に鎮圧されて大人しくなってしまう。
「俺を取り囲んで、体を掴んで揺さぶってくれ!」
四十八人の反対派メンバーは言われたとおりにティモシーを取り囲み、隣接する十人の男女が、彼の腕や肩を掴んで揺さぶった。すると、一台の電磁浮遊カメラの映像分析機能が、その様子を只ならぬ場面であると判断して寄って来た。他のカメラも、その後に続く。
ティモシーは自身を撮影している電磁浮遊カメラを見据え、厳かな振る舞いで賛成派を指差し、ゆっくりと首を横に振ってみせた。
ティモシーは、指差す先にいる者たちを否定する意思を示した。目の前にいる賛成派の思想と振る舞いを否定した。トークショーに出演していたアンドロイドと、その
次に、ティモシーは両手を広げて、首を大きく縦に振ってみせた。
頷き。それは肯定。最も原始的な肯定。全ての人々を、心の底から安堵させる動作。
ティモシーは、画面の向こうにいる人々と無言の対話をした。我々は危険な存在ではなく、差別主義者でも排他主義者でもなく、ただ国の行く先を憂いているだけなのだと伝えた。賛成派を傷つけるつもりはないと伝えた。そして反対派に対して、逃げ隠れせずに意見を発信してもいいのだと伝えた。行動を起こすのを恐れる必要はないと伝えた。アンドロイドに人権を与えることに反対するのは悪ではないと示し、全肯定した。
そして最後に、伸縮式ディスプレイの画面に表示されたメッセージを指差した。
我々は、アンドロイドに仕事を奪われる。そして、あなたも。
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