第一章 12
アシュリーは黙り込んで考えた。深く、深く、過去まで遡って、ケヴィンの言動を回想しながら考察した。
よくよく考えてみれば、ケヴィンが家にやってきた頃から、その片鱗はあった。名付けてもいないのにケヴィンと名乗ったり、家に来てしばらく経った頃、自分の擬似頭髪を取り外してくれるよう頼んだのだ。命令に背いたり、自発的思考をしないはずのアンドロイドが、そんなことを言うだろうか。
アシュリーは動揺によって渇いた唇を舐め、大きく深呼吸をしてから言った。
「あなた、この家に来てしばらく経った頃、擬似頭髪を取り外すように手配してもらってたよね。パパから聞いたんだけど、たしか、擬似頭髪の滑りが良すぎて麦わら帽子がずれてしまって、直射日光を浴びて熱暴走を起こすかもしれないとか言ったんでしょう?」
「いいえ。おかしいですね。経緯が違います。たしかに、お父様に擬似頭髪の取り外しを手配していただきましたが、取り外した理由が間違っています。直射日光を浴びたくないとは言っておりません。それは、お父様の思い込みかと思われます。我々アンドロイドは、優れた断熱性と冷却機構を有しています。直射日光に晒されても故障などしません」
「じゃあ、なんで麦わら帽子が滑り落ちるのを嫌がって、髪の毛を取り外したの?」
ケヴィンは少し首を捻り、左に視線を向けて静止した。アシュリーの目には、それが人間のように記憶を
四秒ほど経って、ケヴィンが当時の事情を説明し始めた。
「お待たせ致しました。記憶はすぐに思い出せたのですが、その時の感情を分析する作業に手間取ってしまいました。擬似頭髪の取り外しに至った理由は、至極単純なものでした。気になったからです」
「え?」
「帽子がずれると、気になりませんか?」
アシュリーは困惑しながら問い返した。
「それって、どういう意味?」
「帽子が定位置にないということが、何と申しましょうか、不快だったのです」
「視界が遮られるから?」
「いいえ。機能上の問題ではありません。たとえ麦わら帽子が視覚センサーを覆い隠したとしても、なんら問題はありません。他のセンサーを駆使すれば、身の回りのことは全て把握できますから。私が言っているのは、気分の問題なのです」
「気分……」
アシュリーは再度、考えを高速で巡らせた。
アンドロイドが、帽子のズレなんか気にするわけがない。有り得ない。でも、さっき屋上でも感情的になっていたし、深呼吸みたいなことを実行して気分を落ち着けたとも言っているし、いま言ったことだって、まるで人間みたい。これは不具合じゃなくて、本当に感情を持っているってこと?
アシュリーは、ケヴィンが感覚を有している可能性を検証してみることにした。
「あなたは、リルとフロウをどう思う?」
ケヴィンは小さく頷いて答えた。
「可愛いです、とても」
「どういうところが可愛い?」
「近寄ってきてくれるのが嬉しいですし、私が撫でてあげると喜んでくれるからです」
回答を聞いたアシュリーは、何度も小さく頷きながら思案した。
ケヴィンは、猫であるリルとフロウのことを可愛いと感じてる。お世辞じゃない。本当に、私と同じ感覚で可愛がってる。
アシュリーは、彼と猫たちの接触風景を回想した。猫のリルとフロウは、アンドロイドであるケヴィンを恐れない。それどころか、人間よりもアンドロイドのほうが好きなのではないかと思う時さえあるほどに親密だ。猫は自分以外の存在を、敵となるか否かという一点で区別する。リルとフロウは、彼の中にある穏やかな気性を見出し、敵にはならないと判断して親密に接するようになったのかもしれない。猫は人間とアンドロイドを区別しないので、ケヴィンが人間的感覚を有しているという証拠にはならないかもしれないが、それでも、彼が感情を有している可能性を裏付ける事実として認めておいていいだろう。それに加えて、感情の起伏のようなものも確認できている。彼は屋上で激しく取り乱していた。動作は正常であることから、故障ではない。その後、彼は深呼吸のような動作を実行し、気分を落ち着けたと語った。そして実際に、平静を取り戻している。彼はまるで人間のように感情を荒げ、そして落ち着けてみせた。
アシュリーは、真っ直ぐに自分の瞳を見つめてくるケヴィンに結論を伝えた。
「あなたは人間のような感覚を持ってるのかもしれない。本当に感情があるのかも」
ケヴィンはゆっくりと頷いて、同じように自身の分析結果を口にした。
「私はアンドロイドです。感情を持つことなど有り得ません。有り得ないはずなのですが、私もあなたと同じ結論に達してしまっています」
「そうなると、信憑性は増すね。でも、これは思い込みかもしれない。本当に故障している可能性もあるよ。だから、検査しましょう。パパの親戚に頼めば、記憶を消されずに検査できるかも」
ケヴィンは不安と不満に満ちた顔をして、わがままに反論した。
「故障しているかどうかは、自分で確認できます」
「でもね、故障を調べるプログラム自体が壊れている可能性だってあるし。もちろん、私だってあなたのことを信じたいけど、万が一っていうこともあるから」
長い長い沈黙のあと、ケヴィンが強い意志を視覚センサーに込めながら言った。
「アシュリー。私は、この身に起きた変化の正体を見極めたいと思っています。だから、お願いします。先ほど、私が屋上で投げかけた質問に答えていただけませんか?」
アシュリーは答えてあげるために息を吸ったが、屋上で彼が発したという問いを思い出せず、申し訳なさそうに問い返した。
「ごめんなさい。混乱してたから覚えてない。どんな質問?」
「忘れて当然です。冷静さを欠いていた私が悪いのです。では、改めて同じように問います。私は、害虫駆除をするのが
アシュリーは寒気を覚えた。
屋上でこの言葉を聞いた時、アシュリーは真に受けなかった。ひどく混乱していたし、ケヴィンが故障していると思い込んでいたこともあって、言葉の内容など気にも留めなかった。しかし、今は違う。彼の言葉は、二人が達した結論を裏付ける確たる証拠となって、アシュリーの感情を激しく揺さぶった。
間違いない。ケヴィンは罪の意識を感じている。虫を殺したことで、とても深い罪悪感を覚えている。
アシュリーは、ケヴィンの悲痛な問いに答えた。
「あなたが感じていたのは、きっと、いえ、間違いなく罪悪感だと思う。はっきりと分かった。あなたには感情がある」
「やはり、そうですか。私はこれまで、どれほどの命を殺めてしまったのでしょう」
ケヴィンは、自身が感情を獲得していることが判明したことに驚きもせず、喜びもせず、自分が犯した罪だけを見つめて、苦悩し始めた。アシュリーは彼の体に密接するように座り直し、罪に震える家族の膝に手を添えながら、そっと語りかける。
「私が命令しちゃったからだよ。あなたは悪くない」
「何故、悪くないと言えるのでしょう。殺害行為は罪です」
「畑仕事をしている人にとって、害虫を駆除するのは当然のことなの。だから罪を感じなくてもいいの」
「それでも、殺害行為は罪です」
「よく聞いて。どの国の法律にも、殺虫罪という犯罪はないの」
「法律の問題ではありません。行為と結果の問題です」
ケヴィンの膝に置かれたアシュリーの手が、にわかに汗ばむ。
「害虫を駆除するのは作物の収穫のためで、仕方ないことなの。害虫というものは、害を及ぼすから害虫と呼ばれているの」
「仕方がないと片付けられるような問題ではありません。利益のためだとして行われる駆除によって、命が失われているのです。私が、命を殺しているのです。本質的には、殺人と殺虫は同じはずです。ああ、私はこれまで、どれほどの罪を犯してきたのでしょう」
ケヴィンの過敏な懺悔を聞いたアシュリーの心の中に、これまで見て見ぬ振りをしてきた慢心がふわりと浮かび、その汚らしい姿を晒した。その慢心は瞬く間に肥大し、嫌というほど存在を主張し始めた。
確かにそう。私は、なんと厚かましい行為を重ねてきてしまったんだろう。私が、いえ、世界全体が間違っていて、ケヴィンは正しい。彼は分け隔てなく、命を見つめている。命に優劣をつけないケヴィンが正しくて、利害によって命を取捨し、罪の有無を好き勝手に設定する人間が間違ってる。ケヴィンが感じている罪は、人間が私利私欲のために行い、そして目を逸らして、無かったことにしている罪なんだ。人が認識しない罪をケヴィンは認識して、自分を責めてる。こんなのおかしい。おかしいよ。
アシュリーは巨大な恥を感じ、罪悪を感じ、同時に怒りを感じ始めていた。人類が共有するその恥と罪は、今この瞬間も、地球上のどこかで生じている。ケヴィンは人類の恥を自分の罪として誤認してしまい、覚える必要のない罪悪感に苦しんでいる。
ケヴィンを救わなきゃ。私たち人類が間違っていて、ケヴィンは正しいことを言っているんだから。アシュリーは、ケヴィンのために抗うと決めた。
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