第一章 13
「ケヴィン、聞いて。あなたが感じている罪は、私の罪。私が命じたんだから」
「しかし――」
「こればかりは譲れない。いいから聞いて。私が、虫の駆除を命令したの。あなたは私に逆らえないんだから、仕方がなかったの。命じた人が悪いの。私が悪いの。だから、もう悲しまないで」
「あなたが私の代わりに罪を被っているように感じられます。私はそれを望みません」
「違う。よく考えて。あなたなら理解できるはず。あなたはアンドロイドで、人の命令を聞くのが仕事。あなたは、自分の意思で動くことができないでしょ?」
「そうですが――」
「そうでしょ。あなたの意思で積極的に従っていたのだとしたら、それは確かに罪と言えるかもしれない。でも、あなたは意思を持たずに活動していて、与えられた命令に従った。これは人間で言えば、心神耗弱状態だと思うの。殺虫行為を命じたのは私なんだから、あなたに罪は微塵もない。自分で、法に照らし合わせて考えてみて」
「分かりました。考えてみます」
高性能アンドロイドであるケヴィンは、瞬く間もないほど速やかに思考を終えた。
「終わりました。たしかに、あなたの言うとおりのようです。しかし、無罪であるとは思えません。罪は軽くなりましたが、私が罪人であることに変わりはありません」
アシュリーは懸命に考えを巡らせたが、これ以上の結果を得られる策は思いつかなかった。しかし、状況を改善することには成功したといえる。完全ではないにしろ、ケヴィンの罪悪感を和らげることはできた。彼女はひとまず納得しながらも、さらなる改善を目指し、言葉を練り出した。
「あのね、ケヴィン。無意識下での罪は、誰も裁けない。誰も、私の命令に従っただけのあなたを裁けない。あなたも、あなた自身を裁けないし、そもそも裁くべきではないの」
「私の罪も、この罪悪感も、消えることはないでしょう。しかし、あなたがくれた言葉の意味は理解できました。まだ心が痛みますが、この罪と共に、これからの生活を改善していく決意を固めることができました。ありがとうございます、アシュリー」
不完全ではあるがケヴィンの罪悪感を拭い去ることに成功したアシュリーは、心の中で、長い長い安堵の溜息を吐いた。これまで感じてきたどの感情よりも大きくて優しい安堵感が、アシュリーの脳細胞の一つひとつを優しく包み込んだ。大切な家族を救えたことで、心の底にこびりつくほど日常的なものとなっていた無力感までもが、一つの染みも残さずに綺麗さっぱり剥がれ落ち、まるで空気中に含まれる酸素の量が二倍にでもなったかのように、呼吸が楽になった。
「よかった。あなたには悲しんでほしくないの」
「あなたの優しさが、心に染み込んできます。とても暖かい気持ちになります。私も、あなたと同じ気持ちです。あなたが悲しむところは見たくありません。だから、私はもう二度と、あなたを心配させません」
感情豊かなケヴィンの言葉に、アシュリーの頬が緩む。
「嬉しい。ありがとう。ねえ、ケヴィン。人生は複雑なことがいっぱいなんだから、考えすぎちゃ駄目だよ?」
「わかりました」
突如発生した困難な使命を遂げたアシュリーは、座っているソファーに背を預けて大きく背伸びをしてから、ゆっくりと髪を撫で
ケヴィンの思考は、明らかに変質していた。彼は帽子が安定しない不快感を言葉に表せるようになり、猫を愛でる気持ちを表せるようになり、人間すらまともに感じられずにいた、害虫駆除による罪の意識を感じるようになっていた。彼は感情を獲得している。それも、人間よりも敏感で、とても豊かな感情をだ。
アシュリーは肌が粟立つのを感じながら、彼が感情を得た証拠を一つひとつ丁寧に再確認した。普通のアンドロイドが、動植物を愛するはずがない。罪の意識など感じるはずがない。
間違いない。気のせいじゃない。理由は見当もつかないけど、ケヴィンは感情を得て、人と同じ心を持ってる。自我に目覚めたんだ。
「どうして気づかなかったの」
愚かな自分自身に対して放たれたアシュリーの独り言を聞いたケヴィンは、
「どうしたのですか、アシュリー?」
アシュリーは背を預けていたソファーから勢いよく上半身を起こし、ケヴィンの視覚センサーを真っ直ぐに見つめながら言った。
「あなたは生きてるのよ、ケヴィン。あなたは昔から、普通のアンドロイドとは少し違っていた。そして今日、自己修復で何かが起こって、あなたは明らかに変わった。目覚めたの。自我を得たの。今日、あなたは人間に生まれ変わったの!」
「私はアンドロイドですよ?」
「アンドロイドだ《・》っ《・》た《・》のよ。あなたは今、人間と同じ感情を持ってるの。生きてるのよ!」
ケヴィンは自身の変化を自覚していないようだったが、それは無理もないことだった。彼はつい先ほど自我を得たばかりで、自分の思考の幅が広がったことを把握する手段を持ち合わせていない。感情という概念を把握しきれていないからだ。今の彼にとって、自我というものはまだ透明であり、自身が備えているアンドロイドとしての機能との区別が付かないでいるのだ。
アシュリーはケヴィンに抱きついて、優しく語りかけた。傷ついた子供を慰めるように。
「もう休みましょう。今日は何もしなくていいの。いっぱい休んだら、また話しましょう」
「ですが、私には大切な仕事が――」
「いいの。私に任せて。今日、あなたは傷ついた。だから、休まなきゃ」
アシュリーの目には慈愛と覇気が宿り、心には溢れんばかりの使命感が満ちていた。
私はどうして、悲しんでばかりだったんだろう。どうして、あんなに弱気だったんだろう。この社会を覆う、汚らわしい欲には抗えないと思ってた。私には何もできないと、何も変えられないと思ってた。でも、見つけた。道が見えた。とても真っ直ぐで、とても眩しくて、とても暖かい道が見えた。やっと、進むべき道が見えた。ケヴィンが求めるものを、私が与えてあげなければならない。そうだ、友達を作ってあげよう。彼は、私が友達と話しているのを傍観するだけだった。ずっとそのままだなんて可哀想。きっと、同じように目覚めたアンドロイドがいるはず。きっと、いる。彼らの暮らしを良くしよう。
彼が変わって、私も変わった。この世界も、きっと変わる。
もう二度と、あなたを悲しませない。絶対。
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