第一章 6
ハネムーンの思い出話だけでは満足できなくなったアシュリーが、おねだりをした。
「ねえ、シャラダ。マデイラで撮った写真を投影してみせて」
「もちろん。でも、映像のほうが面白いと思うけど?」
「瞬間の美しさが好きなの」
「相変わらず、古い価値感を愛してるのね。ちょっと待ってて」
シャラダはバッグから眼鏡型端末を取り出して、テーブルの上に置いた。すると、眼鏡手前の空間に、拳くらいの大きさの画像が浮かび上がった。立体映像再生機と同じ仕組みで、眼鏡のふちの両端から不可視光線が交差するように照射され、その光線の重なりを発光させることで画像を表示させている。アシュリーのリビングに設置されている四点式の立体映像再生機には劣るが、それでも充分に楽しめる。指輪端末でも表示できるが、画像表示能力は眼鏡型に大きく劣る。
シャラダが画像の近くで指を横に動かすと、その動きをセンサーで捉えた眼鏡型端末が、次々に写真を切り替えていく。満面の笑顔で写る二人のセルフショット。嘘みたいに青い海と、その海に負けないほどに濃く、純粋な青い空。キスをする二人。美味しそうな海産物の料理。ワイングラス越しに見る太陽。クルージングのスタッフに撮ってもらったらしい、水着での立ち姿。
アシュリーは甘い溜息を漏らしながら言った。
「美しい海ね」
身を乗り出して肩をすくめながら、シャラダが自慢する。
「そこで獲れる魚も最高だったのよ」
「ここの熟成牛肉だって最高だよ」
唐突に飛び込んできた、しゃがれ声。オーナーの息子で店長のピーターが、壮年を過ぎた年齢であるにもかかわらず軽い足取りで、食事を載せた静穏カートを滑らせながら、話に割り込んできた。
「もちろん、牛肉も好きですよ。だから来たんです」
トニが笑って答えると、店長はいつものメニューを配膳しながら自信たっぷりに言った。
「そうだろう。故郷の牛肉が一番さ。まずはこちらを召し上がれ」
三人は、クレソン多めのミックスサラダ、名物のオニオンスープと自家製のブレッド、ベイクドポテトが添えられたTボーンステーキ、それから、アシュリーが頼んでおいた結婚祝いの高級ワインを味わいながら、いつまでも湧いて出てくる思い出話を楽しんだ。その間、食事ができないケヴィンは転送してもらった画像をコンピュータ内で閲覧し、インターネットからは容易に入手できないような旅行情報を収集して、見聞を広めていた。彼はコンピュータウイルス攻撃を防ぐ自己防衛機能を搭載しているので、画像を預けても心配ないし、人間のように不用意にアップロードしたりもしないので、安心してプライバシーを開示できる。
上質な食事を終えた三人は、早くも次の食事の約束について話し合った。スケジュール管理も担っているケヴィンは、三人の会話の聞き取り作業に集中する。
料理を趣味の一つとしているアシュリーが、新婚の二人に提案した。
「じゃあ、来週の日曜日の昼に、私の家で何か作って食べようよ」
同じく料理が好きで、取りわけ珍しい農作物に興味があるシャラダは、いつものように乗り気だ。
「いいね。また珍しい野菜を育てたの?」
「うん。日本のハーブが収穫期に入ったの。だから、日本風の料理になると思う」
親が経営している酒類輸入販売会社の役員であるトニが、いつものように酒を見繕う。
「じゃあ、うちの店から良い酒を探して持っていくよ。日本酒で決まりかな?」
「あ、待って。焼き上げたピザに、さっき言った日本のハーブをトッピングするのはどうかな。だから、イタリアのビールがいいかも」
「ああ、なるほどな。ハーブを味わうには丁度いい。その日は、きみの両親とも御一緒できるのかな?」
「日曜だし、二人とも家にいると思う」
「じゃあ、ビールを余分に持っていくよ」
「パパとママは、ワインのほうが喜ぶかも」
「分かった、任せてくれ」
「じゃあ、ちょっと時間をちょうだい。予定を書き込むね」
アシュリーはバッグから眼鏡型端末を取り出して装着し、スケジュール管理という言葉を頭の中で唱えた。すると、眼鏡のテンプル部分に内蔵された受容器が、彼女の言語中枢の脳波を瞬時に読み取り、それに応じて、眼鏡のグラス部分にスケジュール帳が表示された。書き込みたい情報を頭の中で読み上げると、間髪入れずに予定が書き込まれていく。
来週の日曜。昼。自宅でランチ。ピザ、三人分。ああ、訂正。五人分。三つ葉を使う。ピザの材料を忘れずに購入。
スケジュールへの書き込みは、速やかに終了した。端末のスケジュールに書き込まれた情報はケヴィンに送信され、共有される仕組みになっている。
「スケジュールを共有しました。では、ピザの材料を買い揃えておきます」
「お願いね」
アシュリーはケヴィンと打ち合わせをしながら、眼鏡型端末を外してバッグに片付けた。
彼女が未だに眼鏡型の端末を使用しているのには、ある重大な理由がある。コンタクトレンズ型の端末を使うと、目に違和感を覚えてしまうのだ。技術がいくら進歩しようとも、異物は異物だ。内耳インプラント式の端末など持っての外で、検討すらもしたことがない。眼鏡型は視界が少々狭まるが、コンタクトレンズ型と違って耳端末を装着しなくてもいいので便利だ。コンタクトレンズ型は耳端末を装着しなければ通話ができないが、眼鏡型は耳のすぐ近くに装着するので、耳端末がなくても骨伝導で通話できる。装着しなくてはいけない端末が一つ減るというのは些細なことだが、快適さの面で大きな差がある。それに、彼女は懐古趣味を持っているので、眼鏡型端末の見た目を大いに気に入っている。
アシュリーは手鏡で口元を見て、問題ないと分かると別れの挨拶をした。
「じゃあ、また来週ね。今日は楽しかった」
「私も。来週、楽しみにしてるわ」
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