第4話 全て愛
その日はやけに晴れていて、太陽があらゆるものを照らしつくしているようだった。
空を見あげる。絶望のように青かった。絶望? おかしな話だ。私はここ最近でもっとも期待に胸を弾ませているのに。空は希望のようなやわらかさで輝いている、と表するのが適切だろう。
私の隣には今日も美しい飯尾さんがいる。白黒カラーのノースリーブシャツから見える細腕が眩しい。そして淡いクリーム色した小洒落たプリーツスカート。彼女の私服姿はまさに刺激的だった。私は飯尾さんの自宅に招かれたのだ。楽しみでないはずがなかった。
飯尾さんの自宅はいかにもといった高級マンションだった。見上げなければ頂上が見えない高さと高級感に圧倒される。飯尾さんの家が裕福であることは彼女のイメージに沿っていた。数学の正答のような論理的帰結だった。
マンション名が記された金属表札が掲げられた入口からひらけたエントランスに進む。ホテルのロビーのようにソファや調度品が置かれており、複数の部屋のようになっていた。
「これなに?」
「これ? ああ、ただの共用スペースですよ」
飯尾さんは事もなげに答える。
別世界だな、と思った。やはり飯尾さんは住む世界が違うのだ。そしてそれからもいちいち語るのも馬鹿らしくなる隔絶を感じた後、とうとう飯尾さんの自宅に辿りついた。
「さ、入ってください」
そう促され、これまたやたら広い玄関で靴を脱ぐ。木目の美しい廊下がのび、いくつもの部屋につながっていた。
足を踏み入れる。緊張する。禁猟区に侵入する狩人の心もちだった。
「いらっしゃい」
そして強欲な狩人に放たれる矢。
女性がいた。
まだ若い、美しい人だった。
その顔立ちは飯尾さんによく似ていた。
「奈穂さんがお友達を連れてくることなんてないから嬉しいわ」
「お母様、あまりそういうことは言わないでください。恥ずかしいです。彼女は花畑さん。クラスメイトの友達です」
「あら、ごめんなさい。どうもはじめまして。うちの奈穂さんがいつも大変お世話になっております」
「あ、はい。こちらこそ」
「お友達が来るとは聞いていましたけれど、こんなに可愛い子で嬉しいわ」
飯尾さんの母は口元に手をあて朗らかに微笑む。左薬指に光る指輪が眩しかった。
「あの」
まさか、という疑念を胸にしまうことができず口を開く。
「飯尾さんの伴侶ってもしかしてお母さん、なの?」
私の問いに二人は顔を見合わせ、そして大笑した。違うのだ。私は先走って勘違いを口にしてしまったのだ。羞恥で体が震える。自分の顔が赤くなるのがわかった。
飯尾さんは笑いすぎたでにじんた目元の涙をぬぐう。
「もう、そんなわけないじゃないですか。お母様はお母様です。お母様と結婚するくらいなら花畑さんと結婚します」
「ひどい。私だって選ぶ権利はありますから」
「あの、その、ごめんなさい」
「気にしないでください。面白かったですし。それに花畑さんがお母様にプロポーズしたいと言うなら応援しますよ。お母様は意外とベタなシチュエーションに弱いので、白馬に乗って薔薇の花束を渡せばイチコロです。殺虫剤をかけられたゴキブリみたいに」
「私は白馬に乗れないし、それだとしぶとく生き残っててイチコロれてないし、そもそもプロポーズする予定がない」
「それは残念です。花畑さんなら歓迎しますのに」
飯尾さんはおどけて肩をすくめてみせる。こんなお茶目な彼女は初めてだった。
それからいかにも高級そうなリビングに通され、今まで食べたことないほど美味しいチーズケーキと香り豊かな紅茶でもてなしを受ける。けれど肝心の飯尾さんの伴侶は姿を現さなかった。
私はとうとう我慢できずに尋ねる。
「あのさ、飯尾さんの伴侶って今日いないの?」
「そういえば紹介するというお話でしたね。普通に楽しかったからすっかり頭から抜け落ちていました。すみません」
それじゃあ私の部屋に行きましょう、と飯尾さんは立ち上がる。
案内される飯尾さんの自室。意外にも畜ドルのポスターがでかでかと飾られている。本棚にあるのはほとんど少女小説か少女漫画で、最近女子高校生の間で流行っているピルクスのぬいぐるみが置かれていた。
そこには少女らしいミーハーさがあった。あえて言うなら満果の部屋に近いものがあった。
しかしその印象すらも吹き飛ぶ衝撃。
木製の柵に囲われたベビーベッド。
そこにいる全裸の少年。目隠しだけしている。
本来はベビーベッドにいるはずがない。少年にとって小さすぎるからだ。馬鹿でもわかる道理。それを捻じ曲げたのは失われた彼の四肢。そう、彼には手足がなかった。よく見ると少年の両の乳首にはリングピアスがつけられており、どうしようもない淫靡さを臭わせていた。
この少年は畜人なのだろうか。浮かんだ疑問に答えるように飯尾さんが言う。
「この子は優太。私の弟です」
飯尾さんは弟の頭をそっと撫ぜる。彼女の指はそのままするすると下り、唇までたどりつく。白魚のように細い指はいともたやすく口内への侵入を果たし、舌をつまむ。
「そして私の伴侶なのです」
彼女の声は陶酔を帯びており、その
「その、どうして、手足がないの?」
「切ったからです」
私の問いに単純明快な答えが返る。
「優太に手足は必要ありません。全て、そう、全て私が面倒を見てあげればいいのです」
「学校行っているときは?」
「ちゃんと一人でできるように躾けてありますから」
子供の行儀の良さを誇るかのように語る。実際、それは飯尾さんにとって自慢なのだろう。
「その子は――」
「優太です」
「優太は飯尾さんの弟なんだよね」
「そうです」
「飯尾さんは優太を愛してるんだよね」
「そうです」
「飯尾さんは優太と結婚してるんだよね」
「そうです」
「飯尾さんは優太の手足を切ったんだよね」
「そうです」
「なんでそんなことしたの?」
「愛しているからですよ。何か問題でも?」
私は少し考えてみた。何も問題はなかった。だから首を横に振って「何も」と言った。わかりやすいほど飯尾さんの顔が晴れる。
「優太はですね、お行儀もいいしこっちも優秀なんですよ」
飯尾さんは秘密を告白し、こっちとやらを具体化する。彼女のたおやかな指が自慰もままならぬ少年の陰茎をやわらかくまさぐると、陰茎はみるみるうちに屹立していった。大きく、そして太かった。
「見ててください」
やわらかな指がうごめき続け吐精を促す。優太は搾取される者独特のか弱く哀れな喘ぎ声を出して自身の昂りを訴えた。だがそれで止まるはずがない。飯尾さんの指は手慣れた激しさを帯び、陰茎は透明な液体を吹き出しはじめた。粘ついた水音が部屋に響くのを私は甘受した。そしていよいよ情欲が爆発せんとした瞬間、汚れない唇が先端をくわえ全てを飲みこんだ。
終わった後、唇が離れると陰茎との間に白い糸がつつとのび、けれどそれはあっけなく途切れる。飯尾さんは手の甲で自らの口元をぬぐった。
「ほら、でしょう?」
「うん。そうだね」
「もしも妊娠したかったら優太を貸してあげてもいいですよ。優太の遺伝子は優良なんです。精子提供者としては悪くない選択肢だと思います」
「ありがとう。もし必要だったらお願いするよ」
飯尾さんは自分の下腹部にそっと手をあてる。その仕草はいかにもだった。
「妊娠しているの?」
「はい。していますよ」
「優太の?」
「いえ。違います」
誰の、と言いかけ、しかし私は違う問いを口にしていた。
「どうして夏休み終わってから眼帯つけてるの?」
「この子はね、堕胎せずにちゃんと産むつもり。産んだらね、すぐ殺して食べてしまうわ。私だけで食べてしまうわ」
飯尾さんは笑みを浮かべる。私は刃の上がったギロチンを連想した。
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