第2話 永遠を咀嚼する

 身も蓋もない言い方をすれば、満果はミーハーな性格をしている。彼女の感情は熱しやすいのだ。日陰に転がる石のように冷たい私にとって、満果の性格は鬱陶しくもあったがそれ以上に眩しかった。

 放課後、満果の希望で私たちは電車を乗り継いで繁華街まで足をのばした。仲睦まじく腕を組む中年男性のカップルをぼんやり目で追っていたら満果とあじゃ子に一足遅れてしまったので、慌てて距離をつめる。彼らは幸福なのだろう。それは良いことのように思えた。

「ねー、ちゃんと場所わかるの?」

「大丈夫、行ったことないけど大丈夫」

 満果は根拠のない自信をもって答える。

 結果として彼女に誤りはなかった。私たちは道に迷うことなく目的の場所にたどりついた。

 そこはシアターと呼ばれるコンサート劇場だった。高校生にとっては安くない値段の学割チケットを購入して入場する。平日だというのにかなりの客が入っていた。そのほとんどは女性だったが男性もいないわけではなかった。中ほどの席に座り開幕を待つ。照明が落とされた場内には期待と喧騒が満ちていて、さほど興味がなかった私もこれから始まる催しがだんだんと楽しみになってきた。

「楽しみだなあ。私、このためにお昼ぬいてきたんだよ」

「私もー」

 満果とあじゃ子の言葉にも期待がこもっていた。それはどことなく湿っていて秘めやかな欲望がにじみでていた。

 それから間もなくして無機質なアナウンスがかかり、いよいよ幕が上がる。

 スクリーンに映るのは見目麗しい男性グループだ。銀幕のなかで彼らは人生を出し尽くすかのように歌い、命を振りまくように踊る。終盤にさしかかったところで彼らはあられもない姿となり、その肉体美を披露する。観客からかんだかい歓声が響いた。

 己の罪以外何も携えぬ姿となった彼らの上演は続き、劇場の盛り上がりも最高潮に達した。彼らに罪があるとしたらそれは生まれてきてしまったことに他ならないのだろう。最後の曲が終わり、喝采が響く。私も気がつけば拍手をしていた。

 簡単なエンドロールの後、上映が終わる。それはメインディッシュの始まりを意味していた。観客は劇場から別室に移動する。

 そのさなか、満果が頬を紅潮させたまま尋ねる。

「ねえ、どの人にする? 私は夏樹かなー」

「西迫くんかアルトにしようか迷ってる」

「アルトは人気あるから残ってないかもよ。西迫くんはまだ新しいからそっちにしといたら」

「確かに。じゃあ西迫くんにしようかな」

「あじゃ子は?」

「ケータ。全然知らなかったけど、さっきの見たらファンになっちゃった」

「ケータ良かったよね。わかるー」

 他の観客も口々に興奮を語りながら、別室へ入っていく。先の劇場は映画館と同じような席があったが今度は立食形式だ。そう、私たちはこれからグループの料理を食べることができるのだ。

 スタッフが次々と料理を運んでくる。購入したチケットのランクに応じて食べられる料理の数が決まるので、私たちは一般メニューの二種類しか食べることができない。一緒に回っていると、料理がなくなってしまうかもしれないので、私たちはそれぞれお目当てのところに向かった。

 満果の予想どおり、アルトの料理はほとんど残っておらず、その僅かな残りも熱烈なファンによって食べきられてしまいそうだった。アルトは諦めることにした。

 私は西迫くんの料理を食べるべくそちらに向かう。西迫くんは昨日出たばかりらしく、メジャーな料理から希少部位の珍味までたくさんの種類があった。私は無難に冷しゃぶとステーキを食べることにした。

 スタッフに選択を告げ、引換チケットを渡すと料理がもらえる。ステーキは脂の少ない赤身で、なかなかおいしかった。よく鍛えられていたのだろう。冷しゃぶもお肉とごまだれが合っていてしつこくないおいしさだった。

 想像する。

 西迫くんの料理を食べることは、西迫くんが私の一部になることに等しい。私が生きる限り西迫くんは永遠だ。それはとてつもなく甘美なもので、食欲を超え性欲までをも充足する快感だった。

 わかる、と思った。このイベントが人気を博していることがわかると思った。女として男性を摂取する。これはセックスとは違った男女の営みなのだ。セックスはともすれば男性に主導権がいくが、これは料理を食べるという行為は女性の一存によるものであり、すなわち完璧な主導権が女性にある。女性として完全に男性の存在を掌握することはとてつもない快感を私たちにもたらしてくれた。

 私は料理をぞんぶんに味わった後、最後に西迫くんを一目見ようと彼のところに足を向けることにした。西迫くんにあいさつをするための列ができているので、その最後尾に並ぶ。

 ファンは思い思いに彼への親愛を示していった。あと何人かで自分の番だというところで、私は驚きの声をあげた。今しがた西迫くんに別れを告げた少女に見覚えがあったからだ。

 右目に白い医療用眼帯をつけた彼女もこちらに気づき、「花畑はなはたさん」と私の苗字を呼ぶ。

 それは飯尾さんだった。

「こんなところで会うなんて偶然ですね。花畑さんはおひとりですか?」

 飯尾さんの話し方はイメージどおり穏やかで丁寧だった。

「ううん、満果とあじゃ子と一緒。飯尾さんは?」

「私はひとりです」

 友達がいないので、と付け加える飯尾さんに果たして笑うべきか否か判断できなかった。その結果としてあいまいな微苦笑を浮かべることになる。

「あなたも西迫くんがお好きなのですか?」

「今日はじめて見たんだけど、なんかよかったなって思ってそれで」

「そうですか。わかると思いますが私も西迫くんが好きなんです。仲間、ですね」

 そう言ってウインクをする飯尾さんは教室いるときよりもお茶目で可愛らしかった。

 私はなけなしの勇気をふりしぼって言う。

「あの、もしよかったら、また教室とかでもお話していいかな?」

「もちろんです。私もそうしてもらえるととっても嬉しいです」

「ありがとう。あのさ、飯尾さんっていつも何読んでいるの?」

「それは乙女の秘密です」

 飯尾さんは綺麗に微笑んで質問には答えてくれなかった。

「それじゃあまた明日。私はもう帰らないといけませんので」

「また明日!」

 飯尾さんが去ってしばらくした後、いよいよ私の番がきた。

 多くのファンと同じように私は西迫くんに口づけをする。彼の唇は薬品の匂いがして冷たかった。

「とってもおいしかったよ」

 私は西迫くんに感謝を伝える。当たり前だけれど首だけの西迫くんは何も答えてくれなかった。

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