得たもの 失ったもの 3


「……私は、すみれお姉様についてよく解っていません。かみさま――神様である、というのは解りましたが、一体あの場で何をしたのですか? いくら口で話すだけで運命を変えられると言っても、あの場の全員というのは……」

「そういえば、ちゃんと説明していませんでしたね。私の力は、水月様のそれとは逆の力――記述された運命をなかったことにするものなんです。つまり、その……」


 言いよどむすみれさんに、蓮華が諦めと納得の入り混じった顔で頷いた。


「……解っています。私の運命は、書き換えられていたのですね」

「……そうです。昨日、私と直人君が裏口から逃げた後、蓮華ちゃんが氷雨さんからの電話に逆らえなかったのは、その為です。当然、私達に剣を向けたことも、蓮華ちゃんの本心じゃありません。その歪んだ運命を、私はリセットしたんです」


 ガラスの壁をどっかーんする前に、すみれさんの力については聞いていた。


 でも、蓮華の前で『運命を書き換える』と叫んだ時、僕の頭にあったのは運命削除ではなく、運命改変だった。

 変えるのは、僕自身の運命だ。執筆者は運命改変の影響を受けない。唯一の例外は、自分で自分の運命を変える場合のみ。蓮華は僕の人生におけるメインヒロインだから、確実にその運命改変の影響を受ける。そうすることで、蓮華から選択肢を奪わず、御神家の呪縛から救おうと考えた。そして、水月がそれに応えてくれたのだ。

 でも、水月の執筆は、何かに書かなければいけない。それに気付いたのは、彼女に右腕を叩かれた時だった。そこでようやく、僕は冷静さを取り戻したのだ。……恥ずかしい話だ。

 ただ、ああしておんかみさまが現れたのは予想外だった。何より、すみれさんの力の強さも。


「その後、私はあの場にいた全員と、御神家に関係する全ての人々の運命をリセットしました。相手が何十人いようと、関係ないんです。神様ですから」


 あの時、吹き抜けた突風を受けた御神家の人達は、運命がリセットされた衝撃で一瞬意識を失った。そして目覚めた時、ほぼ全員が『おんかみさま』についての記憶を綺麗さっぱり失っていた。

 あの場で記憶を保持していたのは、蓮華と氷雨のみであり、後は蓮華の両親など、葵に友好的だった人達だけ――

 いや、逆か。葵の幸せを心から願っていた人達だけは、彼女の苦難を忘れなかった。『無かったこと』には、しなかったのだ。


 混乱する日向に、氷雨は何も言わず――彼を抱き締めながら、ただただ泣いていた。

 それが悲しみなのか、悔しさなのか、或いは喜びなのか……部外者である僕には、到底窺い知ることは出来なかった。


 そして、運命のリセットの影響は、御神家の本家にも及んだ。

 師範が乗り込んでいたから、混乱は余計であったという。

 そんな師範も、蓮華の両親も、僕が執筆者であろう、ということは知っていた。それでも、蓮華の婿候補として、僕を認めてくれていたのだ。

 僕が近くにいたことで、僕への評価には運命改変の影響が出ていなかったのだ。


 当主である蓮華の叔母は、呆けた老人のようになってしまったという。

 以前の巫女と、葵、二人の力でガチガチに運命を変え、自分の思う最も幸福な人生を歩んでいたらしいから、本来持っていた可能性すら全て潰してしまっていて……運命がリセットされた後には、何も残らなかったのだ。


「今更ですけど……すみれさんの力って、海外にいる僕の両親にも働きました?」

 問いかけに、すみれさんが一瞬躊躇い、それでも頷いた。

「……はい。直人君の想像通り、ご両親の運命も変えられていましたから」

「そ、そんなことまで……!」

 声を荒げる蓮華を、僕は「大丈夫だから」となだめる。

 蓮華のお母さんから話を聞いた時点で、予想は出来ていた。……ただ、僕は執筆者だ。運命改変の影響を阻害する。

 つまり、両親の卑屈さは元来のもので――

「――それは違います。直人君のご両親は、立派な方達です」

「でも、」

「昨日の蓮華ちゃんと同じです。御神家は、直人君と蓮華ちゃんが仲良くしているのを快く思っていませんでした。なので、直人君が帰宅する頃を見計らって、ご両親の運命を書き換えていたんです。……そして、当主の死すらも利用していました」

「そん、な……」「嗚呼……。御神が、そこまで腐っていたなんて……」

「相手は小学生です。運命を変えられないのなら、その心を折ってしまえと考えたんでしょう」

「……なら、どうして私達が中学生の間は、干渉してこなかったのでしょう」

「……一度幸せを知った方が、奪われた時の絶望が増すからです」

「「……、……」」


 蓮華と共に、絶句する。

 言いようのない感情が胸に込み上げ、けれど言葉に出来ない。何より嫌なのは、頭の片隅に残る冷静な自分が、その効果を認めていることだ。

 何せ僕は、その絶望を実感していたのだから。

 上げてから、落とす。単純ながら、これほど効果的な手段はない。

 もし僕が蓮華と距離を置いていなかったら――なんて、想像すらしたくなかった。


「御神家は、その長年の運命改変から、直人君が執筆者になる日付を予想していました。神様と繋がる前と後とでは、変化した運命に与える影響力が変わってきますから、そこからの算出です。なので、直人君のお母さんが当てた旅行も、叔父様の出張も……そもそも、このアパートで直人君が一人暮らしを始めたことすら、全ては御神家の運命改変によるものでした。そうして直人君を孤立させて、監視し、神様と繋がる瞬間を待っていたんです」

「「…………」」

「でも、私と水月様が同時に直人君に宿り、不完全な接続が行われたことで、直人君が本当に神様と繋がったのか解らなくなってしまいました。なので、この数日間様子を見ていて――昨日、ついに襲い掛かってきた、という訳です」


 そして彼らは、自らの神を失ったのだ。

 様々な感情が胸に渦巻くのを感じ――それでも僕は、笑みを作った。


「――ざまぁみろ。……ざまぁみろ!」

「直人……」「直人君……」

「ハハハ、その通りだな!」

 蓮華とすみれさんとは裏腹に、水月が笑う。だから僕も笑い返した。


「因果応報ですね」

「ああ、天罰だな」

「例え忘れたとしても、曲がった性根は戻りません」

「それは必ず自らを苦しめる」

「真綿で首を絞めるように」

「ゆっくりと、致命的なまでに」

 嗚呼、だから――だからこそ、

「「『死んだ方がマシだ』、と思えるような人生を歩めばいい!」」

 ハハハハハ、と水月と一緒に声に出して笑う。

 それから大きく息を吐いて、僕は苦笑した。


「――だけど、もう興味はありません。過去に囚われないって決めましたから。蓮華も、ね」

「……うん。あの人達がしてきたことは許せないけど……もう、終わったことだから」


 御神家の思惑は、無自覚ながらもことごとく潰してきていたのだ。そんな僕達が、今更それに囚われる意味はない。


「私は御神家を出て、直人の家に嫁入りする。そうして、御神の歴史を変えていこうと思う」

「僕は――まずは師範と、蓮華の両親に頭を下げに行かなくちゃかな」


 笑い合い、僕達は手を繋ぐ。

 この手で作っていく未来は、幸せに満ちているに違いない。


 そうして、暗くなっていた空気が明るさを取り戻したところで、僕は気になっていたことを問いかけた。


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