終章

得たもの 失ったもの 1

 

 布団の中、二人とも僕の腕を抱き締めていて、とても暖かくて柔らかくて幸せなのだけれど、

「……どうしてこうなった」

 全く覚えがない。着替えた記憶もないのだけれど、僕は寝巻きになっていて、当然蓮華達も寝巻き姿だった。二人とも髪を緩く三つ編みにしていて、可愛らしい。

 二人は僕の手を握り締めている。


 ぎゅっと握り返す。

 動く。

 動かせる。

 暖かさを感じる。

 手は、無くなっていないのだ。

 それに改めて安堵して、ちょっと泣きそうになった。


 大きく息を吐いて、喜びと柔らかさを堪能する。それから、二人を起こさないように腕を引き抜いて、「「ん、」」という艶かしいステレオに思考を放棄しそうになりつつも、どうにか体を起こす。

 書斎を出ると、水月が僕の椅子に座り、スマホを弄っていた。


「おはよう、水月」 

「おはよう、直人。昨日は大変だったな。ほら、そこに座れ」


 指示されるがまま、自分のベッドに腰掛けると、水月が膝の上に乗ってきた。抱き合う形で、である。この前のお風呂を思い出す状況だった。

 そのまま、ぎゅっと抱き締められた。


「ちょ、水月、」

「平穏が戻った、ということを、儂からも解らせておこうと思ってな」

「戻った……んですかね?」

「少なくとも、御神家が受け継いできたものは完全に断絶するだろう。その後どうなるのかまでは、こちらの知ったことではないな」

「まぁ、それはそうなんですけどね」


 御神家の行く末を心配する気は毛頭ない。皆無だ。

 ……ただ、あの場にいた全員が御神家の人間だったとは思わなかったから、少し動揺している部分があった。


 そう、あの施設は御神家所有の倉庫であり、そこには過去からの執筆物の全てが厳重に保管されていた。

 巫女が生まれる度に、新たな部屋を開き、神の執筆物を年代毎に収めていたのだという。窓がなかったのは紫外線対策で、部屋を密閉状態にして紙の酸化と劣化を抑えていたのだ。

 驚くべきことに、全ての執筆物には控えが用意され、他の神からの影響があった時には、すぐさま確認出来るようになっていた。

 そうやって、御神家は神の力をコントロールしてきたのだ。


 そして――僕とすみれさんが捕らえられていたあの部屋は、巫女の執筆用に用意されていたものだった。

 普段は自室で執筆しているものの、家の者が集まる時などは、あの場所に祭壇が作られ、神を顕現させた状態で執筆するのだという。

 つまりあの部屋は、神降ろしを行い、神事を執り行う為の祭壇だったのだ。


 だがそこは、牢屋として機能するほど厳重に区切られていた。

 ガラスの壁。

 見えない壁、だ。

 葵もまた、それに翻弄されていたのだ。


「……でも、妙な話ですよね。神様を受け継ぐ術があったなら、執筆者から神を奪うことだって出来たでしょうに」

「いや、それは無理だ。あれは血縁者だからこそ出来ていた芸当だからな。でなければ、直人は捕まった時点で殺され、喰われていたさ。……いや、成長を待つまでもない、か」

「…………」


 過去に、他の執筆者を殺して食べたこともあったのかもしれない。それでも二柱宿すことが出来なかったから、日向達は『神は一柱しか宿らないもの』という常識を持っていたのだろう。

 本当に、恐ろしい家だ。無事に帰って来られてよかった……。


 そう改めて安堵したところで、書斎の方からシンプルなコール音が鳴り響いた。蓮華のスマホの着信音だ。

 空けたままだった襖の向こうで、蓮華が手探りでスマホを探し、枕元に置いていたそれを手に取り、

「……はい、御神です。……ああ、母様。……はい、はい…………」

 寝ぼけ声が段々とはっきりし始め、無言で体を起こした時には、普段の冷静な表情になっていた。そのまま、蓮華が淡々と相槌を打ち続ける。

 その隣で、すみれさんがむにゃむにゃと体を起こしていた。

「……解りました。じゃあ、また後で」

「お母さんから?」

 何気なく問いかけると、スマホの画面をじっと見ていた蓮華が顔を上げ、

「ん? 直人……ああ、そっちにいたんだ。説明する前に、顔を洗ってくるね。すみれお姉様、起きてください」

「んんん……」


 まだ眠そうなすみれさんを促して、二人が洗面所へ向かう。その間に、僕は水月を降ろし、キッチンへ。軽く口をゆすいでから、ケトルに水を入れた。ついでに炊飯器から釜を取り出し、炊飯の準備をしておく。

 そんな『当たり前』を、今日も続けることが出来ている。それを改めて感じて、また涙が出そうになった。

 お湯が沸く音すら、今は幸せだった。



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