神との邂逅 4
「我が名は水月。一樹・直人を執筆者と定めた神だ」
僕の右隣にふわりと降り立ち、水月が笑う。
僕達の前で浮かべていたものとは違う、獰猛な笑みだった。
神は二面性を持つ。例えば河川を祀った水神などは、人々の生活を支える豊穣の神であると同時に、川を氾濫させる荒々しい神としての顔を持つ。
時に優しく、時に容赦なく、人間を翻弄する――それが神というものだ。
僕は、そう考えている。
故に、水月はそう行動する。
僕の右手には、水月との繋がりを示す三角形のアザが、再び浮かび上がっていた。
「か、神を二人も宿してたっていうのか?!」
「そんなことありえない!」
場の空気が一変し、完全に水月の支配下となった中、日向と氷雨がヒステリックな声を上げた。
だが、水月の笑みは変わらないのだ。
「それはお前達の常識だろう。勝手な思い込みで決め付けるものではないな。なぁ、すみれ」
「はい、そのとおりです。直人君の右手にある二つのアザが、その証拠ですから」
返事と共に、すみれさんが僕の左に立つ。水月が現れ、場の緊張が壊れたことで、余裕が戻ったようだ。彼女もまた、普段の優しい様子とは違う、厳しい表情で告げた。
「貴方達の――御神家の行いによって、この街の力の流れは大きく歪んでいました。その結果働いた抑止力が、この私です。つまりこれは自業自得、年貢の納め時ですね」
「だがその前に、面白いものを見せてやろう。お前達の執筆者が、蓮華にやったことと同じものだ。――日向と氷雨、と言ったか?」
水月の問いに、氷雨がさっと顔を青ざめさせ――日向がその前に立って叫んだ。
「て、テメェ、俺達の運命を変えるつもりか!」
「こうして目の前にしていれば、個人の特定など容易い。さぁ、どうなるか見物だな!」
水月が言い放った瞬間、背を押されるほどの突風が吹き抜け――蓮華達の背後にある分厚い扉が、蹴破られたかのように無理矢理開いた。それに氷雨が素早く反応し、「葵!」と叫び声を上げた。
直後、まるで返事でもするかのように扉が外へと弾け飛び、近くにいた黒服が数人巻き込まれて下敷きになった。
誰もが言葉を失い、部屋の中へと視線を向ける。すると、暗闇に沈んだ部屋の向こうから、ゆっくりと人影が現れた。
それは、胸に大事そうに分厚いノートを抱えた、小柄な少女だった。
黒髪のショートヘアで、巫女服のような、白衣に緋袴を穿いている。その右手には桔梗紋のようなアザが浮かんでいて―― 一歩歩くごとに、袴の裾につけられた鈴が、涼やかな音を鳴らした。
僅かに顔が上がる。その顔付きはどこか蓮華に似て、けれど垂れ目がちの瞳は気弱そうな雰囲気があった。
鈴が鳴る。
鈴が鳴る。
それに応えるように闇の中から現れたのは、二メートル近い巨躯を持つ、筋骨隆々とした大男だった。
仁王象の吽形を凛々しい青年にしたかのような、雄々しくも威圧感のある男だ。浅黒い肌で、やや癖のある長い髪をしている。その前で小さくなっている少女――葵は、男に護られているようでもあるし、叱咤されているようでもあった。
「う、嘘だろ、なんで葵とおんかみさまが出てくんだよ!」
「どういうこと、一体何が起こったっていうの?!」
日向と氷雨、そして黒服達が混乱する中、男――いや、『おんかみさま』と呼ばれた神が、ゆらりと視線を動かし、僕を見、
「――ッ!!」
心臓が止まるかと思うほどの威圧感で、一瞬息が出来なくなった。
嗚呼、あれこそが『神』だ。そうとしか言いようのない、有無を言わさぬ力があった。
その視線が水月に向く――が、流石は神か。彼女は獰猛な笑みを浮かべ続けている。それに何かを感じたのか、或いは神同士の無言のやり取りでもあったのか、おんかみさまが厳かに頷いた。
そして、今度はすみれさんを見やり、
「っ!」
耐え切れなかったか、すみれさんが僕にしがみ付いた。咄嗟に支えようと思ったものの、睨まれた余韻が残っていて上手く動けない。
それでも、すみれさんがどうにか顔を上げ、震える声で告げた。
「そ、そうです! 私が生まれるほどに乱れてしまったんです!」
『――そうか。ならば是非もなし』
脳裏に、低い男の声が響く。それに驚いているのは、日向達も同様のようだった。
当のおんかみさまは、僕達の反応など意にも介さず、葵へと手を伸ばし、
「ひゃっ」
彼女を肩に抱え上げると、そのまま背後の部屋へと去っていく。
鈴が鳴る。
鈴が鳴る。
二人の姿が闇に紛れて――消えた。
「……、……」
何が、起きた?
「何が起きたの!?」
完全に停止した状況の中、最初に声を上げたのは、意外にも氷雨だった。その一言で場の空気が動き出し、黒服達が慌てて仲間の救出を始めた。だが、氷雨はそれに視線すら向けず、慌ててスマホを取り出し、どこかへと電話をかけた。
「――すぐに私の記述を確認して! そう、バックアップと照らし合わすの! 何か変わって…………え、何も変化がない?」
「ハハハハハハ!」
混乱する氷雨を前に、水月が呵呵と笑い――
氷雨達に見せるように、僕の右腕を軽く叩いた。
「おいおい、何か勘違いしておらんか? 物語の執筆は、直人の役目だぞ?」
「――!! あ、貴女、神でありながら嘘を!!」
「傑作だな! 長年に渡って神を欺いてきたというのに、こんな安易な手に引っ掛かるとは!」
「じゃあ、貴女は一体何を……!」
「儂とすみれは、お前達が『おんかみさま』と呼ぶ同胞に、事実を伝えたのみよ。御神家が行ってきた全てをな」
「私は、この土地で起きた出来事を全て把握していますから。おんかみさま、驚いていましたよ」
怖かったですね、と苦笑して、すみれさんが姿勢を正す。
途端、氷雨が蒼白になって崩れ落ち――日向がその体を支えながら、「部屋を確認しろ!」と叫んだ。
黒服達が、慌てて奥の部屋を確認しに走る。
けれど、そこはもぬけの殻となっているようだった。
御神の神は、葵と共に姿を消したのだ。
もはや、日向達には何の力もない。
「さぁ、直人君。この場を納めましょう。――貴方は、どんな物語を望みますか?」
「何も望みません。僕は、僕の手で結末を作ります」
「では、その通りに。――えいっ!」
途端、背を押す突風が吹き抜け、蓮華に当たり――ポニーテールを作っていたゴムが弾け、さらりと髪が広がった。
「もう大丈夫だよ、蓮華。強制力は削除したから」
「……本当だ。体が軽い」
葵が部屋から出てきた時点で、蓮華への記述は止まっていた。
それでも、『御神家に絶対服従すべし』という、生まれたその瞬間に書かれた文字は消えていなかった。
それを全て、消し去った。奪われていた未来が、ようやく蓮華の手に戻ったのだ。
脳裏に展開していた、蓮華の物語も消えていく。その最後に綴られた青い文字は、
『ごめんね、蓮華。ありがとう、イツキさん』
……僕は、御神・葵を知らない。
でも、もしかしたら、僕は彼女をよく知っているのかもしれなかった。
「直人、お姉様、私……」
「謝らなくても大丈夫だよ、蓮華」
辛そうに構えを解いた蓮華を抱き締める。それに日向達が驚くが、構わなかった。
と、日向がわなわなと拳を震わせ、蓮華へと叫んだ。
「レン、テメェ何やってんだ! 俺達を裏切るつもりか!」
「ハァ? 裏切る? 蓮華は最初から僕の味方ですが?」
「……直人、そう煽らないで欲しい。日向も必死なんだ」
む、たしなめられてしまった。なら仕方がない。
そっと抱擁を解くと、蓮華がこっそり目元を拭ってから、日向達へと向き合った。
「ごめん、日向。そして氷雨姉さん。私はもう御神家には縛られません。私の手で、私の物語を作り出します」
蓮華が僕に木刀を手渡してくる。それは、無手でもこの場の全員を倒せる、という意思表示だ。
『蓮華は裏切らない』、と日向達は思い込んでいたのだろう。彼等の顔には、驚きと動揺、何よりも絶望があった。特に、スマホを耳に押し付けている氷雨は、完全に顔面蒼白になっている。
その耳に何か届いたか、氷雨が半ばパニックを起こしながら叫んだ。
「れ、蓮華の記述が消えた?! どうしてそんなことが起きるの! 一樹・直人は何もしていないのに!」
「古来より、神託は口頭で語られてきました。直人君の言葉は、すなわち私の言葉なんです」
「で、デタラメな!!」
「褒め言葉として受け取っておきます」
すみれさんがニコリと微笑む。
形勢は完全に逆転し、もはや御神家側に打つ手はない。
だから、僕も笑顔を作る。
「ああ、忘れないでくださいね。僕は、貴方達が蓮華の運命を書き換えたこと、すみれさんを攫ったことを、許してはいません。許すつもりもありません」
「「――!!」」
「それじゃあ、覚悟してください。――全てを、無かったことにしますから」
突風が、拭き抜けた。
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